――矢口さんの気がすむまで、うちにいてくれて結構です
確かにさっきそう言ったかもしれない。
でもそれは事務所にも連絡しないでくれって言った矢口が、
公園で襲われそうになって震えていた矢口がかわいそうだったから
ある種の同情に近い感じだった。
市井と出会った今の状況とは360度違う
さっきまでの俺は軽く猫でも飼うような気持ちだった。
だから週刊誌の記者達に問い詰められた時のことなど考えてもな
かった。
それが現実と認識できるようになった今となっては、何よりもまず
”ゴタゴタに巻き込まれたくない”
これが本当の気持ちだ。
ましてや矢口の記憶を失った理由もこれからどうすればいいかも
分からない。
(はぁ・・・・・・)
どうすればいいのだろうか・・・。
「あの・・・・・・」
ふと声をかけられ顔を上げるとそこには矢口が立っていた。
「あっ・・・矢口さん・・・」
よく見ると矢口は所々ドロで汚れている。
「あ・・・そっか、さっき公園で・・・」
さっきの事を思い出し自分を見てみる。
服やズボンすべてが濡れて体に張り付いている。
「あはっ・・・はっははっははははは」
突然笑い出した俺を見て矢口はきょとんとしていた。
笑うしかなかった。笑う事が今出来る唯一の現実から
逃れる方法だった
ひとしきり笑った俺は矢口に
「お風呂に入ったらどうですか?」
と進めてみた。
「あ・・・でも・・・着替えが・・」
そうだった。矢口は何一つ持たず、何も着ないで来たのだ。
どうしようか悩んでいたその時
―燃え上がれ♪燃え上が♪ガンダム♪
場の空気と全然会わない携帯のメール着信音が鳴った。
携帯を取り出して見てみるとそこには
”玄関に矢口の生活用品一式おいて置きました ”
市井 紗耶香
と書かれていた。