93 :
モーブタ:
其の3 電話
息を切りながら走る俺に、冷たい風が降りかかる。だが、必死に走る俺
にはそんなことは関係なかった。走りながら、朝の会話を思い出していた。
『・・じゃ、行ってきます』
『うん、あ、あのね・・・』
『な、に?』
『ううん、いい。行ってらっしゃい!』
何を言いたかったんだろう、きっと大事なことだったはずだ。あの時
ちゃんと聞いてれば・・・、後悔が胸に突き刺さる。
やっと玄関にたどり着いた俺は、チャイムを鳴らした。
(ピンポーン・・・・・)
もう帰っていれば、あの暖かい笑顔で「お帰りなさい」と出迎えてくれる
はずだ。が、なんの返事もない。部屋へ入ると、シンとした静けさだけが
耳を突いた。
94 :
モーブタ:02/01/19 23:40 ID:viCXsgZa
(なつみ、まだ帰ってないのか)
こんなことはよくある事だ。なつみの仕事のことを考えると仕方ないし、
寂しいなんて思ったことなかった。しかし、今日は違った。ガランとした
部屋に、動くものは何もない。
不安と寂しさを紛らわせるために、何かないか部屋を見渡した。テーブル
の上に1枚のメモが置いてあった。
『ごめんなさい、今日は帰れません。でも心配しないでね なつみ』
仕事?それとも何かあるのか?何で帰れないのかが1番知りたいのに、
その事については何も書かれていなかった。
(ん?あれは・・)
他に何かないか探していると、リビングのソファーの上に、少し古い
アルバムを見つけた。それは、幼い頃の思い出。俺となつみの、そして、
死んだ兄の3人の思い出のアルバムだった。
(何でこんなものが?)
そう思いながらも、アルバムに手を伸ばしたそのとき
♪チャ〜ララ〜チャラララララ〜
突然、静かな部屋に電話が鳴り響いた。
95 :
モーブタ:02/01/19 23:42 ID:viCXsgZa
(これ!なつみの携帯だ!)
部屋を見渡すが、やはりなつみの姿はどこにもない。かわりにテーブルの
下で鳴っている携帯を見つけた。少し戸惑ったが電話へ出た。
「もしもし、安倍ですが」
「え!・・・・・」
「・・・(し、しまった!相手を確認せずに出ちゃった)」
「あの〜、」
「は、はい、ただいま安倍は席をはずして・・」
「ぷっ、あははは〜、なに言ってるの〜」
「は?あの、失礼ですがどちら様でしょう」
「もー、分かんないの?ごとーだよ、ごとー」
「は〜、なんだ、びっくりしたよ」
「びっくりしたのはこっちだよ〜」
もしこれが、俺となつみのことを知らない仕事の関係者だと、とんでもない
事になっていたかも知れない。相手が後藤さんだった事で、それまでの張り詰めて
いた気持ちが、一気に緩んだ。
96 :
モーブタ:02/01/19 23:42 ID:viCXsgZa
でも、後藤さんがなつみに電話をかけてくるなんて、珍しいことだ。ひょっと
して何か知ってるんじゃないのか?
「いんですか〜、なっつぁんの携帯に出ても」
「ほんと後藤さんで良かったよ」
「なっつぁん、いないの?」
「いや、家に携帯だけはあったんだけど・・・」
「・・・やっぱりな〜」
「な!なにか知ってるの?」
やっぱりってなに?なにを知ってるんだ?何か話したのか?いろんな言葉が
頭の中を駆け巡る。しかし、これ以上言葉は出てこなかった。
「あのね、なっちとマネージャーが話してるのチラッと聞いちゃったんだ」
「マネージャーと?」
「うん、なんかー、明日とあさってオフとかなんとか・・」
「・・・2日もオフ?」
「それにどっか行くみたいなこと」
「ど、どっか?」
「う、うん。それと」
「それと?」
「なっち、悩んでるみたいだったから」
「なや・・・」
それ以上言葉にならなかった。一番近くにいるはずなのに、なつみの気持ち
に気付いてやれなかったことを思うと、自分が情けなくなった。
97 :
モーブタ:02/01/19 23:43 ID:viCXsgZa
「まあまあ、ちょっと落ち着きなよ」
「あ、・・ごめん」
「深呼吸しよ」
「す〜〜は〜〜〜」
「うん、よろしい」
こんな時、後藤さんは俺より大人に思える。うろたえた自分がちょっと恥ず
かしく感じる。
「かおりに聞いてみなよ」
え?と言う俺を無視して後藤さんは続けて話し始めた。
「ごとーはこれ以上何も知らないんだ、ほんと。でも、かおりはきっと知って
いると思う。根拠は?って言われると何もないんだけど・・・」
「・・・・・」
「かおりもなっちとは長いし、一応リーダーだしね」
とても嬉しかった。後藤さんが心配してくれているのが伝わってくる。
「後藤さん」
「んぁ、ごっちんでいいってば〜」
「・・・ありがとう」
「いいよ、ごとーは何もしてないよ(ごっち〜ん、これうめ〜よ)あ、よっすぃー
が呼んでるから、じゃ」
「ああ、ほんとありがとう」
「うん、がんばれ」
98 :
モーブタ:02/01/19 23:44 ID:viCXsgZa
とりあえず、少しは状況が分かってきた。グラスに水を注ぎ一息に飲み込んだ。
頭の中でゆっくりと整理してみる。
やはりなつみは何か悩んでいたこと、明日から2日もオフだということ、どこ
かに行ったということ、携帯がここにある以上、本人には連絡が取れないこと。
これ以上は、飯田さんに聞いてみるしか方法はない。迷惑は承知の上で、飯田
さんに電話をすることにした。
―同じ頃―
「ごめんね、かおり」
「なっち、もういいってば。ほら、泣かないの」
「う、うん・・」
「ほら、もう行かないと乗り遅れるよ」
「・・・うん、じゃ行ってくる」
「ちゃんと話しておいで」
「うん」
なつみは1人空港へと向かった。理由も話さず出て来た事を少し後悔していた。
ふと、歩いていた足がとまる。
(でもまだ話せないよ、やっぱり)
自分にそう言い聞かせるように呟き、またゆっくりと歩き始めた。
其の4へ続く いい?