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111モーブタ
 其の5 故郷

 人は忘れる生き物である。誰かが、そんなことを言っていたのを思い出した。
なつみとの約束を忘れていた俺も、そんな1人だ。だが、兄貴の残した出会いが
約束を蘇らせた。
 その約束を守るため、なつみを見つけ出そう、そしてなつみの気持ちを聞か
なきゃな。そうあせる気持ちを押さえソファーで眠りについた。

 朝、ひどい体の痛みで目が覚めた。部屋を見渡しなつみがいないのを改めて
確認する。まるで世界に1人きりになった様な、静けさだけがそこにはあった。
 ひとまず会社へ連絡する事にした。これまで真面目にやってきたおかげで、
すんなり休む事ができた。

 飯田さんへ連絡してみようか迷っているところへ、電話が鳴った。

「はい、もしもし」
「おはよー、かおりだよ」
「お、おはようございます」
「ははっ、けいちゃんはいないから緊張しなくていいよ」
「ほっ、・・いや、そんなことは・・」
「いいからいいから。それよりちょっと出て来ない?」
 飯田さんは、「電話じゃ話せないから」とだけ言い、待ち合わせて外で会うこと
になった。
112モーブタ:02/01/24 21:55 ID:mXbalAGd
俺は喫茶店で飯田さんを待っていた。ずいぶん遅れて飯田さんは現れた。小声で
「ごめんね」と言って席についた。何ヶ月かぶりに会う飯田さんは、なぜか大人
っぽく見えた。
 深々とかぶる帽子から覗く、大きくほんの少し潤んだ目に、俺はつい見とれて
いた。

「あんまりじーっと見てると周りの人にばれちゃうよ」
「ご、ごめん!」
「ほら、声大きいって」
「・・・ごめん」
「大丈夫、気を付けないとね」
 冷静な態度をとる飯田さんを見て、つい、本音が出る。

「飯田さん、なんか変わったって言うか、落ち着いたって言うか・・」
「ん?かおりはかおりのままだよ」
 リーダーになって数ヶ月、きっと色々な事があったんだろう。それらを乗り越え
てきた経験と自信が感じられた。

「それより、なっちの事でしょ」
「はい、どこにいるのか教えて下さい。お願いします!」
「実は、なっちに口止めされたんだ。『きっとかおりに聞きに来るはずだから、
 教えないでほしい』って」
「でも、俺このままじゃ・・」
「わかってる、最後まで聞いて」
「・・・はい」
「なっちは『教えないで』って言ったけど、本当は違うと思うんだ」
「違う?」
「うん、本当は教えてほしいんだと思う」
「どうして・・」
「かおりだって女の子だよ、それくらい分かるよ」
 俺にはよく分からなかったが、あえて言わなかった。
113モーブタ:02/01/24 21:55 ID:mXbalAGd
「じゃあ!」
「うん、あのね、なっちは――」
「・・・・」
「――室蘭にいるよ」
「!」
 気付くべきだった。行き先の書いてないメモ、2日もの長いオフ、そして何より
あの思い出のアルバム。なつみはきっと、ひとりで兄貴の眠るあの場所へ行ったんだ。
気付かなかった自分自身に無性に腹が立つ。

(なつみは室蘭にいる、あの町に・・・)

 腹が立つと同時に、行き先が分かったことで少しほっとした。だが、すぐにあの
疑問が湧いてくる。どうしても1つ分からないことがある。

「あの、飯田さん」
「ん、なに?」
「なんでなつみは室蘭に行く事を、俺に言わなかったんでしょうか?」
「・・・・」
「言えない理由でもあったんでしょうか?」
「それは・・・」
「はい」
「・・・それは、なっちがあなたの事を好きだからだと思うな」
「え?」
「ごめん、これ以上はかおりからは言えない。あとはなっちに聞いたほうがいい。
 うん、そーだよ」
「分かりました、ほんとにありがとう」
114モーブタ:02/01/24 21:56 ID:mXbalAGd
(今すぐ室蘭へ向かおう)

 そう心の中で呟いた。その声が聞こえたのか、飯田さんが席を立とうとする俺に
声をかける。

「今から行くの?」
「はい、すぐにでも会って話したいから・・」
「やっぱり、かおりもそー言うと思ったんだよね、はいコレ」
 そう言いながら、飯田さんは1枚のメモを俺に手渡した。メモには飛行機の時間、
空港からの移動方法などが書かれてあった。

「飯田さん・・・ありがとう」
「ちがうよ、かおりじゃないよ。それ、圭ちゃんから」
「・・保田さんが」
「うん、きっと話し聞いたら行くって言い出すだろうって。圭ちゃんも2人のこと
 ほんとに心配してた」
「ありがとう、保田さん」
「帰ってきてからでいいから、圭ちゃんに直接言ってあげて」
「わかった、必ず。じゃ、俺行きます」

(急げば次の便に間に合うな・・・)

 そう思い走り始めた俺を、呼び止める声がした。

「・・待って〜、待ってよ〜」
 声の主は飯田さんだった。
「はぁはぁ、これ、忘れてた」
 そう行って差し出された手には、1枚の写真が握られていた。
「これは?」
「なっちから預かってたの」
 受け取った写真には、幼い頃の兄貴、俺、そしてなつみが笑って写っていた。
「この写真もかおりに預けたって事は、きっと渡してほしいって事だと思って」
「ありがとう」
 そう言い残し、また俺は走り始めた。

 ――ちゃんと、2人で帰ってくるんだよ〜――

 後ろのほうで、飯田さんの声がした。俺は振り返らず走りながら手を振った。


    其の6へ続く