『銀河鉄道の夜』
学校の授業は4時間目。
夏が終わって、秋が近付いてきたせいか
窓から差し込む光は少し弱まり
風も冷たくなった気がした。
先生がしゃべっている。
黒板には大きな磁石で貼られた星の写真。
星を見るのは好きだった。
仕事で夜遅くなった時なんて
晴れた日は東京から家に帰る間
少しずつ増えていく空の星を数える。
オーストラリアで見た星は
日本と同じ物のはずなのに
空いっぱいに広がっていて
本当に綺麗だったのをよく覚えている。
もし、外国に行くなら
ブラジルで柔術を覚えるか
オーストラリアで星を見ようと思う。
あぁ、ハワイもいいかも知れない。
「で、ですね。この河のようなものが何で出来てるかわかりますか?」
先生が問いかけるが、誰も答えようとしない。
ある者はメールをしてるし
ある者は寝てる。
窓際の席に座る吉澤ひとみは、その答えが分かっていたが
あまりの眠さにそれすらもおっくうだった。
最近、仕事が辛すぎる。
ハロプロの夏公演が近付いていて
練習が終わるのが2時、3時なんて日もある。
かといって、明日授業があるからなんて早く帰るわけにもいかない。
ただでさえ、土曜日だけ通えるようにしてもらってるのだから。
石川のように高校へ行かないことも出来たし
安倍、飯田のように通信制にすることも出来た。
普通校に通っていた矢口にはこの両立は辛いと聞かされてたが
せめて、大学とはいかないまでも学校に行ける間は
行っておこうと決心して受けたのである。
「吉澤さん、分かりませんか?」
「分かりません・・・・・・」
本当は知っていたけど、答えるのが恥ずかしかった。
ただでなくても芸能人だって目立ってるのに
なんでわざわざ当てるのだろう。
みんな勉強なんてする気ないのに
ここで答えたら、なんか嫌味ったらしく見える。
どうせなら、このまま誰も答えないで
ダラダラとした授業が続いてほしいとまで
思ってしまった。
先生はその後も何人かの人間に当てるも
誰も答えてくれず、諦めたような表情で話し始めた。
「これは、銀河というもので、
この白い点は1つ1つ星なのです。
しかも、これは太陽のように自分で光る星であり
私達が住んでいる地球はもっと小さいものなんですね。」
チャイムが鳴った。
先生はほぅと溜息を1つつく。
時間内に銀河の説明を終える事が出来なかったからであろう。
そんな溜息をつくぐらいなら、当てないで勝手に進めればいい。
中途半端にやる気を出して
理科のおもしろさをみんなに知ってもらおうなんて思うから
授業内に終える事ができないのだ。
「はい、終わります」
「起立、礼」
教科書を仕舞う音。
席から立ち上がる音。
カラオケに行くかと誘う声。
まだ寝てる奴。
吉澤は席の横から鞄を取り出して
持ってきたものを全部入れてしまう。
「仕事?」
隣の席の女の子が聞いてくる。
「うん、1時入りだからもう出ないと」
「じゃぁ、先生に言っておいてあげる」
「ありがと」
鞄を手にすると、吉澤は駆け出した。
教室を出る時、数人の子が手を振ってくれて
笑って、振り返した。
「1、2、3、4!」
夏まゆみのカウントを数える怒声が響く。
汗が滴る。
必死に踊る。
だけど、笑顔は崩さない。
フォーメーションは右に左に変わっていく。
「あっ!」
なにげない表紙で足がもつれて、思いっきり倒れ込んだ。
「よっすぃ!?」
「大丈夫?」
「っく・・・・・・」
呻き声をあげるのは、倒れた拍子に
押し倒してしまった石川の方だった。
吉澤の腕の下になっている足を抱え込む仕種。
夏先生や他のコーチも駆け寄ってくる。
「石川、大丈夫?」
「捻っちゃったみたいで・・・・・・」
応急処置がほどこされるも、苦しそうな様子は変わらない。
マネージャーや舞台監督が話し合っている。
「ごめん、、、」
「大丈夫だよ。そんな顔しないでよ、よっすぃ」
そう言って、石川は手を握ってくれた。
少し嬉しくて、泣きそうだったが
石川が痛みを堪えて笑ってるのを見て
泣き出せなかった。
「とりあえず石川は病院に行ってみてもらうから
メンバーは練習を続ける事。」
「はいっ」
「ユニットの練習行きまーーーす。7人祭ーー!」
矢口らが汗を拭いて、水分を補給し
フロアに入っていく。
吉澤はすっかり落ち込んだ様子のまま
メンバーが集まってるとこへ行く。
「吉澤」
飯田に声をかけられ、顔を上げた。
「あんたは身体大丈夫?」
「怪我とかはないです」
「いや、さっき倒れたの貧血とかじゃないの?
お仕事遅いけど、ちゃんと寝れてる?」
中澤がいなくなって、やっとリーダーらしさが出てきた。
すごく細やかな気を使ってくれる。
「すいません、今日早かったんで・・・・・・」
「そっか、よっすぃ、学校だもんね」
隣に座ってた安倍が感慨深そうに言う。
「あんまり身体強くないんだから、無茶するんじゃないわよ?
もし、具合悪いんだったら今のうちに言いなさい」
保田は厳しい口調。
自分も体調を悪くして、ハロプロを休んだ経験があるから
その損失がどれだけあるのか身を持って知っているからだろう。
「辻も加護は大丈夫?」
2人ともどこか眠そうである。
「あんなに遅くまでやって、早起きじゃ疲れも取れないよね。
マネージャーに行って、学校休ませてもらえばよかったしょや?」
「ほんとだよね」
「次、10人祭!!」
吉澤は手にしていたドリンクを加護に渡して、
フロアへと入っていった。
仕事が終わった午前1時。
石川の事もあり、今日は早めに切り上げられた。
軽度の捻挫で済んだらしく、1、2日休めば
痛みはだいぶ引くという。
振り自体はもう覚えているため
そんなに支障が出る事は無さそうだった。
ただ吉澤は帰りのタクシーの中で
様々な事を考えてしまう。
ダンスがうまいわけでもない
歌がうまいわけでもない。
最初の合宿の時、生まれて始めて
『ダンス』と呼べるものを踊った。
カウントの取り方が分からなくて必死だった。
今はプッチモニがあるおかげで
身体を大きく使ってダンスを魅せる
という事を覚えた。
歌なんてちょこっとラブを歌い直したものなんて
自分で聞いて倒れるかと思うぐらい
歌えてなかった。
あの時は本当に落ち込んだ。
まだまだ唄えない。
安倍や保田、飯田、矢口・・・・・・
先輩メンバーは唄うという事を
身体で分かっているようだった。
自分はバレーばっかりやってて
プロの歌手として唄うことなんて一回も考えた事がなかったから
呼吸法だとか声の出し方なんて
ましてや、歌で自分を
表現するなんて出来なかった。
時折、仕事中やレコーディング中に
胸が苦しくなる。
自分がここにいていいのかと不安になって
怖くなったりもする。
そんな事を思いながら、窓の外を見てた。
都会の曇った空。
星は見えない。
ラジオから流れるブルースがやけに悲しくて
運転手さんに声をかけようとした瞬間
「あれ?」
そこがタクシーではない事に気付く。
古臭い列車の座席が並んでいる。
新幹線のゆったりとした布張りのものではなく
木製の四角くて固い座席だ。
なぜか、それが懐かしく感じた。
ほっぺたをつねると、痛かった。
疲れすぎて、夢でも見てるのだろうと諦めて
どうせなら、この列車の旅を楽しんでみようかと思う。
窓の外を見ると、漆黒の闇に浮かび
キラキラと輝くダイヤモンドの波のような世界の中だった。