ソナチネ(彼女たちの場合)

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86que
「松浦さん」
はいと答えて、診察室に入る。何度来ても薬品の匂いに慣れる事が出来ない。
医師は椅子に座る亜弥には振り向かず、カルテを見続けていた。
「ええと結果なんですが、ちょっとした甲状腺の腫れ物のようです」
「はい…」
「ようするに液が固まってしまったんですね。それで…職業上、大変だとは
思うんですが、あまり声を出さないよう注意してもらえますか」
「声を…、 あの。それはつまり、悪性という事ですか」
「いやいや、それはないです。安心して下さい。邪魔なようであれば
すぐにでも手術は可能ですけど、まあしばらくの間、声を抑えてもらう
だけですから」
「そうですか…」
気のない返事。普通ならここで、よかった、なんて安心した表情でも
見せるのだろうけど、どうにもそんな余裕はなかった。
医師の顔も不安を感じさせない(ように気をつかってる?)表情だったのだけど。
87que:01/12/12 13:43 ID:u0FNTil1
事務所の反応は、亜弥が思っていたよりも冷静で、
「しばらく休もうか。何、そういう会見は出さないよ。マスコミが嗅ぎ付けても
学業が忙しいとか、いろいろ対応策はあるから」
正直、ちっとも嬉しくなかった。
あれだけ忙しい事に嫌気がさしていたはずなのに。
まあ、いいです。そう、少し休もう。休みます、休むのだ。働き過ぎ。
88que:01/12/12 13:43 ID:u0FNTil1
帰り道で、亜弥はあの男を見つけた。浮浪者風の占い師。
彼は夜の寒空に、また地面に寝そべっていた。
亜弥は近寄って行って、顔を覗き込む。またキッと振り向くと思いきや、
一向にこちらを見てくれない。
「あの…」
回り込んで顔を見た。
まるで生気の無い顔。「大丈夫ですか?」
体を揺すろうとして、ひどく固くなっている事にぎょっとした。
手に触れると、氷のような冷たさ。
89que:01/12/12 13:44 ID:u0FNTil1
腰が抜けそうな虚脱感になんとか耐えて、亜弥は救急車を呼んだ。
その到着を物陰から確認する。そこにいたくはなかった。
男が運ばれていくのを、消えて行くまで見送った。
悲しさとか怒りとか、そういう感情はなぜか湧いてこなくて、
それがなぜなのかはよくわからかったけど。ただみつめていた。
彼は光の世界に行けたかな…?ふとそんな事を思う。
その後は部屋に帰って、ひたすらうがいをした。