空は厚い雲で覆われている。今にも雨が降り出しそうだ。
「…なんやねん、コレ…!」
加護はある町の入り口に立っていた。いや、かつては町だった場所だ。
建物はすべて破壊され、焼き尽くされていた。
加護はゆっくりと、以前は賑わっていたであろう大通りを歩く。
まだそんなに日が経っていないのか、血溜まりが所々に残っていた。
この臭気にやられて、加護は胃の中の物を戻しそうになる。
(…ダメや、アカン。早いトコ別の場所、探さな…。)
加護は急いで立ち去ろうとした。
すると、いつから居たのか、背後から加護を呼び止める異国訛りの声。
「待つアル。マダ、生き残りがいたアルか。」
(しまった!)
加護は振り返りながら大きく跳んで距離をとる。
そこには大きな口で笑う、ショートカットの女が手下を数人引き連れていた。
加護の背筋が凍り付いた。その佇まいだけで分かる。この女はかなり強い。
恐らく、この町を壊滅させたのはこの女の仕業だろう。
とても自分がどうこう出来るようなレベルの相手じゃない。
「…今すぐ殺してあげるアルよ…。」
キラッ。
女の手が光った。
バシュッ!
「うがっ!」
加護の左肩が大きく切り裂かれた。
危なかった。一瞬、動くのが遅かったら首が飛んでいただろう。
見切った訳ではない。観察眼の鋭い加護の、生命の危機を知らせる本能のみがなせる業。
(…くそっ!なんやねんコレ…?)
この間合いでどうやって?分かるのは鋭い刃物で切られたという事実のみ。
加護はバッグから握りこぶし大の丸い玉を取り出した。
バン!
それを地面に叩きつける。すると煙がモクモクと立ち上がった。
「…チッ!煙り玉か…!」
女は不意を突かれて視界を奪われる。煙がはれた時にはすでに加護の姿はなかった。
「…フン。まあいいアル。どうせコノ島から、ワタシ達からは逃げられナイ…。」
激しい雨が降り始めていた。
(…助かった。これで後はつけられへんはずや…。)
加護はこのどしゃ降りの雨に感謝した。
肩から流れ落ちた血の跡を、雨が洗い流してくれる。
かなりの距離を走ってきた。出来るだけ街道は通らずに、林の中を抜けて。
しばらくすると、かなりの広さの草原に出た。
どうやら牧場のようだ。周りを垣根で囲っている。
「…ハァ、ハァ…。…アカン、倒れたらアカン…。」
ここで自分が倒れたら後藤はどうなる?それに辻との約束は?
しかし、加護の意思とは裏腹に足が前に進まない。膝がガクガクと震えだす。
視界が歪む。目が霞んでいた。肩からの出血のせいで完全に貧血状態だ。
バシャッ…
加護は意識を失い、そのままぬかるんだ水溜りに倒れこんだ。
容赦なく叩きつける雨の中、加護の小さな体は動かなくなった。
この島のほぼ中央に位置する大きな屋敷。石川の姿はそこにあった。
急な雨に降られてしまった。濡れた髪をタオルで拭きながら大広間への扉を開ける。
広間の中では三人の女性が並んで、豪華な装飾を施された椅子に腰掛けていた。
真ん中に腰掛けた、大きな口の女が前歯を光らせて石川の姿に気付く。
「おお、石川やないか。いつ戻ったんや?」
「は、はい…、ついさっき…。」
「…おかしいね、港には見張りを立ててるから報告があるはずなんだけど…。」
隣に腰掛けた、ガッチリとした体格の女が石川を細い目で見据える。
その時、石川の後ろで勢い良く扉が開かれた。
「アー、ひどい雨アルねー。もうビショビショよー。」
髪も服もびしょ濡れになった女がタオルを持って飛び込んできた。
その姿を見て、体格の良い女の反対側に腰掛けていた女が声をかける。
「聞いたっぺよ、ルル。お前、ガキを仕留め損ねたんだっぺ?」
「うるさいアルよ、小湊。ちょっと油断しただけアルね。」
そうだ。今入ってきたこの女は、ついさっき加護を傷付けた女だ。
二人の間に険悪なムードが漂う。見かねた体格の良い女が間に入る。
「止めろ、二人とも。ウチらは今は仲間なんだ。そうだろ、稲葉?」
「そうやな、信田の言う通りや。止めときや。」
稲葉と呼ばれた口の大きな女の一言で、小港とルルは大人しくなった。
「久し振りにウチらの測量士さんが帰って来たんや。祝宴でもしよか、なあ石川?」
この島を恐怖に貶めている海賊団。その中心メンバーがここに集結していた
四人の首領の稲葉・信田・小湊・ルル、そして幹部の石川梨華。
ソニンは後藤をトロピカ〜ル号の船室のベッドに移していた。
辺りはすでに暗くなっている。それに加えてどしゃ降りの雨。
加護の事が心配だ。しかし、後藤をこのまま一人で残して行く訳にはいかない。
「…真希さん、早く目を覚まして…。」
後藤はまた熱をぶり返し、大量の汗をかいていた。
ソニンは服を破って包帯代わりにしていた布を外す。
(真希さん…、綺麗…。)
ソニンは目を奪われた。
後藤の白い肌、そして服の上からは分からなかったが、
細い身体の割には比較的大きく、形の良く整った二つの乳房が露わになった。
同じ女性でありながら、見惚れてしまう程の美しさ。
無意識にソニンは後藤の体に真っ直ぐに縦に入った傷を撫でる。
「……!」
後藤の体が痛みにビクッと動いた。ソニンは正気を取り戻す。
(…アタシ、何してるニダ…。)
ソニンは手早く後藤の汗を拭き、傷薬を塗って新しい包帯を巻きつけた。
そして、椅子をベッドの横に持ってきて腰掛けた。
ソニンは目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしい。
外はすでに明るくなっていた。昨日の雨のおかげか、空気が澄んで爽やかな朝だ。
ソニンは後藤の額に手を乗せる。熱は無い。汗もかいていないようだ。
「…良かった。」
ひと安心して、ソニンは甲板に出た。大きく伸びをする。
結局、加護は戻ってこなかった。ソニンの胸に不安がよぎる。
するとその時、遠くから船に近付く数人の影があった。
ソニンは目を凝らす。そして驚愕した。
真ん中にいる女。そいつは石川が見ていた手配書に載っていた四人の内の一人だ。
こんな状態の後藤が見つかったらマズイ。
かといって、船を出すと加護が帰ってくる場所が無くなってしまう。
ソニンはある事を決意した。眠り続ける後藤に向かって優しく微笑む。
(真希さん、ゴメンなさい。少しの間、一人にしちゃいますネ…。)
ソニンは腰の刀を確かめた。とにかく、今は自分のやれる事をやるだけだ。
タン!
軽やかに船を飛び降りる。そして、全速力で駆け出した。
ソニンはわざと見つかる様に走っていた。女の周りにいた男たちが叫ぶ。
「小湊様!あそこに怪しい奴が!」
「追うっぺ!…あたしはルルみたいなヘマはしないっぺよ。」
今日は小湊が見回りの日だった。小湊は張り切っていた。
昨日、ルルが仕留め損なった奴がどこかにいるに違いない。
そいつを始末すれば、立場は確実に自分の方が上になる。
男たちを引き連れてソニンの後を追いかけた。
ソニンは全員ついてきた事を確認しながら、追いつかれない様に、
それでいて離れすぎない様に走った。
(…このくらいでいいかな…?)
船からはかなり離れた。恐らく、船に人がいる事には気付いていないはず。
ソニンだって腕には自信がある。だてに厳しい修行を積んではいない。
精神面の弱かったソニンだが、怪しい陰陽師の祈祷によってそれも克服した。
後藤が旅立ってからの道場のエースはソニンだった。
和田道場で旅に出るのを許されるのは一人前の剣士のみ。
それにここなら自分の力を十分に発揮できる。ソニンは林の中で立ち止まった。