(…フフッ、コイツ…。)
保田はある決心をした。
立ち上がり、側にあった二つの袋の内、大きい方を手にした。
「この岩山は下から反り返るようになってるから、降りたら絶対に戻れない。
だからじっと助けを待つしかないね。その袋に食糧が普通に食べて五日分くらいは
入ってるから、それまでなんとか食い繋ぐんだよ。」
「なんだよー、そっちの方が大っきいじゃん。」
「生意気言うんじゃないよ。そんな事言ってると、お前食っちまうぞ。」
「……。」
吉澤の身が縮こまる。初めて会った時の鬼の形相を思い出す。
ところが保田はカラッとした笑顔をしていた。
「バカ、冗談に決まってるだろ。」
「…全然、冗談に聞こえないんだけど。顔、恐いから…。」
「フン、それだけ軽口叩けるようなら大丈夫だね。それじゃアタシは反対側の
方見てるから、船が来たらちゃんと知らせるんだよ。」
そう言い残すと、保田は大きな袋を担いで岩山の反対側へと姿を消した。
吉澤はまだ起き上がれない。しかし、元々楽観的な性格だ。
五日分の食糧がある。切り詰めれば二十日分くらいにはなるだろう。
それに幸い、あの嵐の日に出来たのだろう。水溜まりには豊富に水があった。
これだけあればなんとかなる。そのうちきっと船は通る。必ず助かる。
ちょうど十日が過ぎた頃、小さな嵐がやって来た。
その雨の中、かなり遠くの方に一隻の船影が見えた。
吉澤は大きな声で船を呼ぶ。しかし、雷にその声は掻き消された。
船の帆の切れ端を大きく振った。しかしドス黒い雲と雨で見えているかどうか分からない。
結局、その船は岩山に立ち寄る事無く去っていった。
あっという間にひと月が過ぎた。
見渡す限りの水平線にはあの日以来、船の影一つ見える事はなかった。
食糧はすでに食べ尽くした。最後の方はカビが生えていたが、構わず口にした。
激しい空腹が吉澤を襲う。
(…せめて水だけでも…、腹を満たさないと…。)
しかしあれ以来、一滴の雨も降っていない。
水溜まりの水は確実に無くなりつつあり、少しイヤな匂いがし始めていた。
そんなの気にしてる場合じゃない。吉澤は両手で水を汲み上げた。
岩山の反対側では保田も激しい空腹に襲われていた。
苦しい、これだけ待っても船は来ない。もう二度と通らないのでは?
とっとと死んでしまった方がどれだけ楽になれる?
後ろ向きの考えばかりが頭をよぎる。
(…イヤ、ダメだ!)
保田はそんな気持ちを振り払うかのように激しく頭を振った。
(諦めちゃいけない!アイツが助かるのを見届けるまでは…!)
吉澤は保田の夢を笑わなかった。
それは保田にとってあの仲間たちと同じ存在である事を意味した。
自分の命と引き換えにしてでも守ってやりたい存在。
しかし、今のままでは確実に餓死してしまう。それでは何の意味も無い。
保田は心を決めた。自分の左足を愛しそうに優しく撫でる。
(…フフッ、今までお疲れ様…。所詮、夢は夢だったってね…。
…サヨナラ、アタシの青春時代…!)
保田は鋭く尖った岩を両手で抱え上げた。あの仲間たちの顔を思い出す。
…1…
大きく岩を振り被り上げた。
(ゴメンみんな、こうするしかなかったんだ。もうみんなと踊れないね…。)
…2…
自分の左足に狙いを定めた。
(でも後悔なんてしないよ。あんな夢なんかより、ずっとずっと大切だから…。)
…3!
グシャッ…!
さらに半月が過ぎた。一向に船の通る気配は無い。
苦しい。当然だ。水だけでもつ訳がない。
肉は削ぎれ落ち、頬はこけてゲッソリと痩せ細っていた。
(もうだめだ。死ぬ…。)
吉澤は諦めかけていた。その時ふとある事を思い出す。
確か保田の持っていた袋は自分の物より倍の大きさはあった。
もしかしたら、まだ少しくらいは残っているかもしれない。
簡単に分けてくれるとは思えないが、何もしないで死ぬよりはましだ。
いざとなったら殺してでも…
吉澤は保田が歩いていった方向にフラフラと歩き出した。
吉澤が岩山の反対側に着いた時、保田は海に向かって座っていた。
その後ろには大きな袋がそのまま残っていた。
(どういうこと?全然中身が減ってない…。)
吉澤は保田に気付かれない様に袋に忍び寄り、それを開けた。
「……!」
中には宝石や貴金属、宝物がギッシリと詰まっていた。
「…笑っちまうだろ?それだけの宝があっても何も食えないなんて…。」
保田はとっくに吉澤に気付いていた。しかし振り返ろうとしない。
「…そんな、あれで、あたしので全部だったの…?」
「…そうだ。」
「じゃあ、どうやって今まで…?」
吉澤は保田の正面に回り込んだ。そこで吉澤は信じられない光景を目の当りにした。
「…まさか、自分の足、…食ったのかよ!?」
保田の左足は膝から下がすっかり無くなっていた。
船の帆の切れ端を包帯代わりに無造作に巻き付けていた。
吉澤は保田にしがみつく。
「なんで…、なんであたしなんか…!?」
「…お前は笑わなかっただろ。だからさ…。」
たったそのくらいの事で?吉澤には理解が出来ない。
「…夢は、あの夢はどうすんだよ!?」
吉澤の瞳からは大粒の涙が溢れ出ていた。
そんな吉澤に、保田はこれ以上無いというくらいの最高の笑顔で答えた。
「身の程知らずな夢見てたから、きっと神様がお仕置きしたんだ…。
だから吉澤、気にすんな!」
二人が奇跡的に救出されたのはそれから二日後のことだった。
十日目の嵐の日に現れた船に吉澤の思いは確かに届いていた。
助けられた船の上で保田は吉澤に話した。
海のど真ん中にレストランを作る。
金持ちだろうが貧乏人だろうが、そんなの関係ない。
腹を空かせたヤツにいつでも腹一杯食わせてやる。
アタシの新しい目標だと。
それに吉澤はついて来た。
保田圭という人物。
このとてつもなく大きな命の恩人と、彼女の新しい生き甲斐である
真新しいレストランに自らの一生を捧げんが為に。