その海兵は足元をふらつかせながらも、なんとかテーブルに付いた。
「…なあ、ここはレストランやろ?もう何日も、何も食べてへんねん。
なんでもええから持ってきてくれんか…。」
海兵は弱々しく、そばにいた男のウェイターに頼んだ。
そのウェイターは汚い物でも見るような顔をしている。
「…失礼ですが、お客様、代金はお持ちでらっしゃいますか?」
「…見ての通りや、今は持ってへん。せやけどウチは海兵や、
ツケといてくれんか…?」
ウェイターの顔つきが一段と険しくなる。
「では、お持ちではないんですね…。」
ガツッ!
「ウグッ!」
ウェイターが海兵を殴りつけた。
海兵が椅子ごと倒れて、床に転がる。
「持ってないだと?ツケにしろだと?こんなに広い海なんだ、
逃げられちゃたまんねぇ。海兵なんか関係ねぇ、うちは現金商売なんだよ!」
ウェイターが大きく啖呵を切る。
「おー、いいぞー!」
周りの客から歓声と拍手が起こった。
普段、威張り散らしている海兵たちに不満を持つ者は少なくない。
海兵がウェイターに懇願する。
「…頼む!なんでもええねん!このままやとウチだけやない、後の皆も…!」
「しつこいぞ!」
ドカッ!
「グッ!」
ウェイターが海兵の腹を蹴り上げた。
「哀れなもんだな海兵さんよ。これが本当の“落ち武者”って奴か?」
客たちから笑いが起こる。
その一部始終を、辻たちは不快な思いで見ていた。
「…ひろいのれす、なにもそこまれしなくても…。」
すると、スッと吉澤が辻たちのテーブルを離れて厨房に消えた。
そしてすぐにベーグルとゆで卵を持って戻って来た。
海兵のところに近づく吉澤。
それをウェイターが止める。
「…なんのつもりだ、吉澤?お前、また勝手な事するつもりか?」
吉澤はウェイターに見向きもしない。
「…こいつは腹を空かしてるんだろう?だったら食わせるのがレストランだろ。」
ウェイターが吉澤の胸倉を掴む。
「お前!ちょっと長くここに居るからって何様のつもりだ!」
「お前に何が分かる!死ぬほどの空腹ってやつを味わった事あるのかよ!」
吉澤がウェイターを睨み付けた。
その時だった。
「うるさいよ!お前たち!」
二人を厳しく叱り付ける声がした。
フロア中の視線が厨房から出てきた娘。に集まる。
「…保田オーナー…!」
ウェイターがかしこまる。吉澤は見向きもしない。
石川が驚く。
「あ、あの人、足…。」
そう、この海上レストランのオーナー兼、料理長の保田圭。
昔、ある船の料理番を務めたことで、この世界で知らない者はいない。
その左足は木で作られた義足になっている。
「まったく、お前らはいつもいつも…。お客さんに迷惑だってのが
分かんないの?…ちょっと、吉澤!聞いてんの!?」
保田がゆっくりと吉澤に近づく。
「あたしはこの海兵が腹へってるってゆーから、
飯を食わせようとしただけだよ。」
吉澤がやっと振り返って保田に答えた。
保田がその海兵の姿に驚く。
「ま、まさか、みっちゃん…!?一体どーしたの?」
「…圭ちゃん!?…さよか、ここ圭ちゃんの店やったんか…。」
海兵が顔を上げた。その顔も驚きに満ちている。
保田が海兵に近付き、膝を付いた。
「みっちゃん、みんな心配したんだよ。急にいなくなっちゃうから…。」
この海兵の名前は平家充代。
昔、保田と同じ船に乗っていた。
その後も三色の一つ、“黄色”で共に戦った古い付き合いだ。
保田は懐かしい仲間の姿に喜びを隠せない。
「よかったよ、みっちゃん。それにしても何、その格好?なんかのギャグ?」
「…ウチは今、海軍におんねん…。」
「何それ?どーゆー事?悪い冗談よしてよ!ちゃんと教えて!」
平家は言葉を絞りだすようにつぶやいた。
「…ウチは今、はたけさんの船に乗っとる…。」
保田の体に衝撃が走った。
みるみる表情が険しくなる。平家の胸倉を掴んだ。
「…まさか、みっちゃん!お前が、全部…!?」
「…許してくれとは言わん!…ウチが全部悪いんや…。」
保田の中で不可解だった事、点と点が思い出される。
「なんで!?アイツは“あの方”を裏切ったんだぞ!」
「…しゃーないねん。ウチは愛してもーたんや、はたけさんを…。」
「……!」
完全に繋がった。モヤモヤしていた出来事のすべてが。
説得したはずの安倍の事。
最後の大戦の直前に、平家が姿を消した事。
そして、最終決戦の終盤。後藤と安倍の一騎打ちが、
今、まさに決着を迎えんという時に、アイツらが現れた事…。
保田の体は怒りに震えている。
「それじゃあ、まさか、“青組”が来なかったのも…。」
「……。」
平家は無言でうなずいた。
保田は込み上げて来る怒りを抑え切れない。
しかし、平家の気持ちはみんな気付いていた。
あの船の仲間内で、みんなまるで自分の事のように願っていた。
(みっちゃんの思い、届くといいね…。幸せになれるといいね…)
保田は平家の胸倉から手を離した。
立ち上がって平家を見下す。
「みっちゃん、もうお前を責める気はないよ。
…だけど、絶対に許せない!お前はウチらを、仲間を裏切ったんだ!
もう二度と、ウチらの前に顔を見せないでくれ…。」
「……。」
平家は無言で立ち上がった。
そして、ふら付きながらレストランの出口に向かった。
「どうしたんだよ、オバチャン!?腹へってる奴を追い返すのかよ!」
吉澤は驚きを隠せない。保田に詰め寄った。
保田は目を合わせようとしない。
「オバチャンだって知ってるだろ!?死ぬほどの空腹を…!」
「…うるさい!」
ドガッ!
ガッシャーーーン!
保田が吉澤を蹴り飛ばした。
吉澤が吹っ飛び、後藤たちのテーブルをなぎ倒す。
「お前に何が分かる!?何も知らないヤツが口出しするな!」
明らかに保田の様子がおかしい。
こんな保田の姿を、吉澤は前に一度だけ見たことがあった。
吉澤はなんとか立ち上がる。
「そうだよ、分かんないよ!…今日のオバチャン、おかしいよ!」
吉澤はベーグルとゆで卵を持って、平家を追いかけた。
その後ろ姿を見つめる保田。
(…クソッ…!)