小川は海軍基地に戻ってきた。副長が声をかける。
「おお、今日の主役が何処に行ってた?ん、どうした。目が赤いぞ?」
「いいえ、なんでもありません。」
小川は爽やかな笑顔で答えた。しかし、副長は何か勘付いたらしく、
「…そうか、良い友を持ったな。」
「は、はいっ(なんだ、お見通しかよ。大人ってすげーな…。)!」
副長が小川の肩を叩く。
「さあ、皆が待ってるぞ。今日は騒ぐぞ!」
「はいっ!」
小川は人の輪の中に戻っていった。海軍基地のすべてを笑い声が包んでいる。
しかし、その輪の中に入れずに離れて見つめる娘。が一人だけいた。
新垣里沙その人である。
「おい、あれ…。」
そんな新垣の姿に気付くものがいた。そこから急に場の空気が静まり、
やがてすべての視線が新垣に注がれた。
「………。」
新垣は押し黙ったままうつむいている。海兵の一人が副長に話し掛ける。
「副長、彼女の処遇はいかが致しましょう?」
副長は少し考えてから話し出した。
「…海軍の規定では彼女に罪は無い。しかし皆の気持ちを考えると…。」
そう、新垣は一週間後に入隊式を控えていた。しかし、それは新垣大佐の
独断で決めた事。正直なところ海兵達は新垣が気に入らなかった。
「ちょっと待ってください!」
大きな声で副長の話をさえぎる者がいた。小川だ。
「あいつの入隊式の時に、アタシをあいつと戦わせてください。お願いします!」
小川が頭を下げる。たしかに海軍の入隊式には、新人の力を見極める為の
決闘が行われる。そこで小川は新垣と闘いたいというのだ。
副長が困惑している。
「し、しかしな…。」
「それじゃ、アタシの入隊式で戦わせて下さい!お願いします!」
小川は再度、頭を下げる。今度はさっきより深く。
「…そ、そうか、まあ君がそこまで言うならいいだろう。」
副長は小川の勢いに負けた。
小川は新垣を睨みつける。
「聞いたとおりだよ。一週間後、アタシとお前の入隊式だ。そこでアタシに
勝ったら…、好きにすればいいよ。」
「………。」
新垣は相変わらずうつむいて黙り込んでいた。そのすぐそばを小川が通り過ぎる。
「…逃げんなよ。」
「…!」
新垣は小川に振り返る。しかし、小川は振り返らずに建物の中へと入っていった。
小川は新垣に怒りを覚えていた。
後藤にしようとしていたこと、卑劣極まりなく、海軍の誇りを傷つけた。
しかし、それだけではなかった。
小川の生まれ育った田舎は、ほとんどの人々が一生をそこで過ごす。
海に出て名を上げようなどという者はよっぽどの変わり者であり、まったくいない。
事実、海軍の将校はおろか、おたずね者の海賊なども出たことがない。
そんな土地で育った小川が旅に出るには、それ相応の実力を見せつけるしかなかった。
小川は血の滲む様な努力をした。
時には、氷水に足を入れたり、また時には、塩辛いショートケーキも食べた。
(それなのにアイツは、生まれた環境だけで…、親のコネだけで…。)
と、小川は急に頭を左右にブルブルと振る。
(あー、もう、やな感じ!もう寝よう…。)
あの騒ぎから三日が過ぎた。
新垣大佐は裁判を受けるために、海軍本部へと連行された。
平和な日常を取り戻し、海軍基地も通常の業務に戻っていた。
新垣はその間、ずっとベッドの中にいた。食事は運ばれていたが、食欲が無く、
あまり手をつけていなかった。
「…ワー、…ワー…。」
窓の外から掛け声が聞こえてきた。どうやら訓練も再開したらしい。
なんとなく、窓の下の中庭を見下ろす。小川がいた。
(…なに、あの人…。スゴク強い・・・!)
小川は海兵と剣術の訓練をしていた。海兵の剣を簡単に受け流し、弾き飛ばす。
当然だ。田舎では飛び抜けて強かった。海賊時代はあのナッチーに鍛えられた。
並みの海兵など相手にならない。
新垣はベッドに戻り、頭から毛布をかぶった。
(なによ、あの人いったい何がしたいってゆーの?)
新垣はハッとする。まさか、自分が後藤真希にしようとした事と同じ事、
さらし者、かませ犬にする気ではないか?
(イヤよッ、そんなのされるくらいなら海軍なんかになりたくないッ!)
新垣は枕を手元に引っぱり、抱えて泣き出した。すると枕元にあった写真立てが倒れた。
「………!」
新垣はその写真立てを起こす。そこには三人の姿が映っていた。
幼い新垣、それを抱きかかえる若かりし日の新垣大佐。彼に寄り添う一人の女性。
新垣は何かを思い出したようにベッドから起きた。
その日以来、新垣は人が変わったように剣術の訓練をした。
しかし、その手はおぼつかない。それもそうだ、新垣はこれまでろくに練習
してこなかった。
ダンスの練習の時なども上の空で、よく注意されたりした。ところが、新垣大佐が
娘。を溺愛するばかりに、その注意した先生を処分したりした。
そんなことが繰り返されたせいで、一人、また一人と新垣から離れていき、
新垣自身もふさぎ込んでいた。
今日ももちろん一人。入隊式は明日に迫っていた。
雨の中、慣れない手つきで剣を降り続ける新垣。そんな新垣を見つめる一つの影があった
いくつか水溜りが残るものの、昨日の雨はすっかり上がっていた。
中庭の周りは海兵達、それと聞きつけた街の人々で埋め尽くされていた。
左手に剣を携えた小川が中央ですでに待っていた。
そこへ短めの剣と軽い盾をもった新垣が姿を現す。すると、
「コネガキ氏ね!」
「コロヌ!」
「小川―、やっちまえー!」
と、様々なブーイングが乱れ飛ぶ。しかし、新垣の耳には入っていない。
新垣は集中していた。目の前の小川ただ一人に。
新垣が剣を振る。
ガキン!
しかし、小川に軽く弾き飛ばされた。小川の剣先が目の前に突き付けられる。
「…もう終わり?」
「いいぞー、小川―!」
歓声が沸き起こる。新垣がバタバタと慌てて剣を拾う。
そして小川に向かって突きを繰り出す。
小川は軽く身をかわし、すれ違いざまに新垣の足を払う。
バシャーーーン!
新垣は水溜りに転がり込んだ。その姿は泥水にまみれてグシャグシャだ。
「ハッハッハッ、いい気味だ!」
「自業自得だ!コネガキ!」
会場一杯に嘲笑が広がる。
新垣は水溜りからなかなか起き上がれないでいた。そんな新垣に小川が声をかける。
「あーあ、今度こそ終わりかな。そんな中途半端な気持ちで海軍になろうなんて…。」
小川はハッと身構える。新垣がものすごい形相で睨んでいた。
(中途半端な気持ちなんかじゃない!あたしは…、あたしは…!)
新垣の母は海兵だった。新垣大佐とは職場結婚といえる。仲むつまじい夫婦だった。
そんなある日、新垣大佐の留守中に海賊が基地を襲撃してきた。
手薄になった基地はあっという間に落とされる。その時に新垣の母は殺された。
幼い新垣を守るために、新垣を抱きかかえたまま背中を切られて。
それ以来、新垣大佐の必要以上の溺愛が始まり、すべてが狂った。
最初は海賊に復讐する為に海軍に入ろうとした。しかし、今は違う。
(ニィニィは、あの優しくて強かったママのようになりたいッ!)
新垣が小川に打ち込む。それを小川がかろうじて受ける。
(くっ、コイツ…!)
さっきまでとは比べ物にならない威力。そして迫力。小川があとずさる。
新垣が連続で打ち込んでくる。一瞬の隙をみて小川が剣を右手に持ち替える。
ガキッ!
新垣の剣が弾き飛ばされる。と同時にバランスを崩して倒れる。
小川が倒れた新垣に向かって叫ぶ。
「さあ!まだまだこれからだ!かかってこい!」
新垣は何度も何度も倒された。倒れるたびその姿は汚れ、
顔は汗と涙と泥でメチャクチャだ。
最初のうちはその姿を見て笑う者もいたが、今はもう誰も笑わない。
中庭に聞こえるのは剣と剣を打ち合う音と、二人の呼吸のみ。
いつしかそれは、小川が新垣に剣の稽古をつけているかにも見えた。
日がかなり西に傾いてきたそのときだった。
ガキッ!
小川の剣が弾き飛ばされる。そして新垣の剣先が小川に突き付けられる。
「あーあ、負けちゃったか。」
小川が悔しそうにつぶやく。
と、新垣が剣と盾を両手から落とし、前のめりに倒れそうになる。
それを小川が支えた。
「おめでとう。お前の勝ちだよ…。」
その瞬間、歓声が湧き上がる。
「やるじゃねーか、新垣!」
「ちくしょう!見直したぜ!」
中庭にいた全員が立ち上がり、拍手をする。新垣はなんとか一人で立った。
小川が笑顔で握手をしようと右手を差し出す。その肩には血が滲んでいた。
銃で撃たれた傷は完全に癒えていなかった。
新垣が驚く。
「あ…あなたそんな腕で…。」
「アタシは全力で戦った。きっとお前も全力で。ただそれだけだよ。」
小川が新垣の右手を取ってガッチリと握手する。歓声がひときわ大きくなる。
「なんかアタシさー、お前のこと、妬むってゆーか、僻むってゆーか、
そんな気持ちだったんだ。ゴメンね。」
小川が新垣にチョコンと頭を下げた。新垣の目からひときわ熱いものがこぼれた。
そんなことどうでも良かった。とにかく嬉しくてしょうがなかった。
父を恐れて誰もが避けていた自分に、全力でぶつかってくれた小川。
自分さえ努力すれば周りの人達に認めてもらえること。
そしてなによりも、力一杯頑張ったことが気持ちよかった。
新垣は小川にしがみつき大声で泣き出した。
(うわー、まいったなー。)
拍手と歓声は日が沈みきるまで鳴り止むことはなかった。
海軍の歴史に名を残す将軍となるこの二人。しかしそれはまだまだ先の話である。