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事実を理解するのは容易だった。
”マリア”で働く”ヒトミ”は偽名でおそらく本名は”リカ”なのだろ
う。ああいう店では偽名を使うのが普通で私みたいに本名そのままを使う
のは珍しいことだ。だからそれは別にヘンなことではない。
問題はリカがエッチするほど近しい人間の名前を使ったということだ。
調査したわけではないが、普通偽名を毎日のように使う時、身の回りに
いる人間の名を用いたりはしないだろう。私が”マリ”とか”ナツミ”と
か”カオリ”とかいう名を語るなんて想像しにくいことだ。
おそらくヒトミには風俗店で働くこと自体を隠しているから、勝手に名
前を使われたことで糾弾されることはないのだろう。しかし、リカは仕事
中、ヒトミという名前を何度も呼ばれる。その時、ヒトミの顔を思い浮か
べないのだろうか。そして、自戒の念に駆られないのだろうか。
事実は理解できる。しかし、理由は想像つかない。
ヒトミとリカがどれくらいの仲か私は知らない。でもルームでの行為、
そして受付の前に寄り添うようにして立つ二人はどう見ても犬猿の仲には
見えない。
私はリカの気持ちを知りたくなった。元々人の生い立ちとかには興味が
ない人間だったのに、最近はマリはともかくナツミとかリカとか妙に他人
が気になる。
やはり私は変わったと認めざるを得ない。
”恋愛”という言葉にみんなが興味を覚え始める小学3、4年生の時も、
何にも思わなかったし、誰が誰を好きになろうと関係なかった。クラスメ
イトが親の金銭問題で自殺した時も、泣くことはおろか涙腺が緩むことさ
えなかった。そんな人間だったのに。
今日はナツミに誘われることもなかった。ココ2回食事に誘われていた
のであるかなぁ、と8割方思っていたので少し肩透かしを食らった気分だ。
終了時刻になった途端にナツミは
「じゃあ帰ります」
と、そそくさと着替えを済ませ、出て行った。
そういえば今日のナツミは、時間を気にする仕草を頻繁に見せていた。
ああ、なるほど。今日はデートなんだ。
初々しくていいなぁ。まだキスもしてなかったはず。
確か男の方も奥手なんだよね。今日あたりキスでもするかな。そしたら、
最後までいっちゃうかもね。だって臆病な人間ほど、ちょっとしたきっか
けでやけに勢いづくことがあるから。
「サヤカ!お客さん!」
「ほえ?」
脇に固い感触が走ったので横を見ると、肘打ちするカオリがいた。
「あ、ああいらっしゃいませ!」
妄想を膨らませていたようだ。気がつくとフロントのカウンター越しに
小さくてかわいらしい女の子が3人いた。当然、客だ。
「2名サマですか?」
「見ればわかるやん」
訂正。かわいい女の子じゃなくて、ただのガキ2人。顔は似ているし、
背丈もちょうど同じぐらい。
もしかしたら双子かもしれない。
ちょっと関西弁が入った憎憎しい言葉とその言葉の主がどう考えても私
より明らかに年下だったことでうっすらと額に青い筋が浮かぶ。
人数確認はマニュアルだ。それに「でもあとから1人くるので」と言う
客もかなりいるので、当然すべきことだ。
しかし客と店員という立場なので、不快をあらわにすることはできない。
マックにある「スマイル0円」並のアホくささを前面に出した笑顔でその
客たちの応対をした。
それから、名前と電話番号を書いてもらって、利用時間を聞いて部屋にい
れた。2人ともマリぐらいの背丈だがそのウチの一人は泣いていたようだ。
赤と青の縞模様で作られたやけに目立つ帽子を目深に被っていたのでよく
顔は見えなかったが、時折「ヒック」としゃっくりみたいな声を洩らし、
鼻をよくすすっていたので、多分そうだと思う。
「ところでカオリいつからいたの?」
私はガキ2人を204号室に誘導してから、隣りにいるカオリに聞いた。
「は?ちょっと前に『おはよう』って言ったでしょ?ナッチと入れ替わりで」
「言ったっけ?」
私は首をかしげる。
「ちゃんと返してくれたじゃん。ちょっとサヤカ、今日おかしくない?ボー
ッとしてさあ」
「それはカオリの専売特許じゃん。とらないよ」
「何かそれって私を変人扱いしているみたい」
「自分では変人だと思ってないの?」
「何よそれ」
ふてくされた表情を見せるカオリに私は苦笑した。
「ヘンといえば、ナッチのことなんだけど‥」
カオリはふと気付いたように口を開いた。そして、別に寝不足でもないの
に目の下にクマが入った顔を私に向ける。
「ナッチがヘンなの?」
「うん」
迷うことなくカオリはうなずいた。
カオリとナツミは幼なじみで現在は同じマンションの同じ階に住んでいて
(隣同士ではないようだけど)、しょっちゅう交流しているらしい。昔、そ
の話を聞いて
「同居すればいいのに」
と言ったことがあったが、
「一度大きなケンカをしたことがあってね」
とカオリは寂しげに言っていた。
幼なじみではあってもソリの合わないことがあるようだ。もちろんマリと
私にもあるけど、最初から同等の立場ではなかったので、上手くやっていけ
ているのかもしれない。
ソリが合わないといってもお互いをまだ必要としている微妙な間柄なわけ
で、それが「同じマンション、同じ階」という微妙な位置にいるのだろう。
それが二人にとって一番いいらしい。
「何がヘンなのか私にはわかんないけど、ほらナッチって今恋してるでしょ?」
きっとカオリもナツミに彼氏ができたことぐらい知っているはずだ。
私は単純に”恋をしたからナツミは変わった”と決め付けていた。
「うん、それはいいんだけど、やっぱり何か‥違うっていうか‥」
「大丈夫だって。ヘンっていってもあんなに明るいじゃん。私あんな明るいナ
ッチ初めて見たけど、すっごくかわいいよ」
「うん‥そうだけど‥」
「とりあえず、ナッチは幸せそうじゃん。見守るしかないんじゃない?」
「う‥ん‥」
渋々納得した様子だったが、やはりカオリにはどこかモヤモヤしたもの
が残っているようだ。
私はナツミと付き合いは短い。そしてカオリは誰よりも長い。
信じる、と言われて従うのはカオリだろう。幼なじみにしかわからない
違和感というものがあるのかもしれない。
少し、カオリの持つ”ヘン”なことを調べようか、と思った。
404 :
:01/12/29 06:24 ID:RFwAJsbP
更新お疲れさんです。面白いっす
406 :
:01/12/29 18:08 ID:RFwAJsbP
>405 ありがとうございます。では続きです。
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「204号室、生中2つ入りま〜す」
カオリはフロントに取り付けられているインターホンが鳴ったので受話
器を取り、オーダーを受け付けた。そして冗談ぽくエレガのような変な抑
揚をつけて、厨房にいるユウコに向かって言った。私もユウコの方をのぞ
くとユウコはレディースコミックを食い入るように見ていた。
「ユウちゃん、何見てるのよ」
「だから、ユウちゃんって言いなや」
ユウコはそう言いながら冷えたビアグラスを冷蔵庫から取り出し、ビー
ルサーバーで生ビールを入れ始める。
「これ、あたしが飲んでいいかな?」
舌なめずりするユウコに、「ご自由に」と私は投げやりに言い放つ。
そのオーダーは私が持っていくことになった。フロントの横を通ること
になるのだがそこではカオリが宇宙と交信していた。私は地球から解読不
能の電波を飛ばしカオリをこっちの世界に引き戻す。
「このビールどこだっけ?」
「204号室」
204という数字だけを記憶に残しながら足を運ばせる。
ちょっと待て、と思ったのはその204号室の前に立ってからだった。
この部屋は確か私が入れた―――
ノックをする前に部屋の中を覗く。一応の防犯のために、部屋の中は外
から覗き見えるようになっている。
「やっぱり」と口をこぼしながら、私はノックした。
「お、きたで。結構早いやん。暇やねんな」
そういう目の前の少女に私は冷ややかな目線を送る。さっき私がこの部
屋にいれた2人のガキだ。日本もここまで落ちたか、とアホな憂いを覚え
ながら、
「お客様、当店では未成年にはビール等アルコール類の販売は行わないこ
とになっています。ご了承ください」
とできるだけ丁寧口調で言った。
「そんな、固いこと言わんといてーな。せっかく持ってきてくれたんやか
らアンタに悪いし、もらうわ」
めちゃくちゃだ。私は首を振り、
「このオーダー分は引いときますから」
と言って、部屋を出ようとする。
「ちょ、ちょ、待ってーな。この子傷ついてるんやからヤケ酒ぐらい飲ま
せてやってーな」
「あなたたち何歳?」
しつこい関西弁なまりのガキにもう一度冷たい目を送る。そして、おも
むろにその横の少女を見た。受付時には帽子を目深に被っていた少女だ。
一瞬覗かせた特徴ある八重歯を見て、私は目を丸くした。
――私、この子を見たことがある。
「傷ついてる‥ってこの子‥?」
誰だ?
私にこのくらいの年代と付き合う環境はない。しかし、確かにその顔を
私は記憶の中に刻んである。
私はビール2つを片手に持ち替えて、もう一方の空いた手で指差した。
関西弁のガキは大きくうなずく。
「そや、昨日からずっと泣いてんねやで。飲ませてやってーな」
「もしかして‥失恋?」
私の言葉に涙で頬を赤く染めた少女は過剰に反応する。
「そうや。だからな、エエやろ?ビール」
「ちょっと、もういいって。アイちゃん‥‥」
もう一人の今まで全くしゃべってなかった少女が俯いたまま口を挟む。
「アホ、あたしも飲みたいねん。もう一歩やねんから」
関西弁のガキに合わせるほど余裕はなかった。
「それとはコレとは別ですから。ジュースに替えてきます」
私はそう言って部屋を出た。
――思い出した‥。
鼓動が高鳴る。
失恋という人の不幸を私は期待でもって見つめていた。ビールが二つ乗
っているトレイが小刻みに振動する。
ビールがグラスからこぼれ出る。白い泡がビアジョッキの側面をゆっく
り伝い、茶色のトレイにゆっくりと落ちていく。
あのコは確か、ユウキの―――