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カラオケ店”三日月”は盛況でも不況でもない。
ただ夏休みだから昼の客は通常よりも多くほとんどが学生だ。4、5人
の部活帰りの生徒がただ騒ぐ部屋もあれば、若くて初々しいカップルが互
いに似合わないラブソングを歌いあったりする部屋もある。
私は歌が好きだ。
ジャンルは何だっていい。人の生み出した旋律に合わせて喉を震わす時、
尖っている全ての物、感情を丸くしてくれるような気がする。
もちろんカラオケでバイトしていたからって歌わせてくれるワケではな
いが、人の音痴な歌声が部屋の扉を通ったときに聞こえたりすると、なん
となく顔をほころばせてしまう。
でも今日に限っては機嫌が悪くなってしまう。
カップルを見るたびにココロがズキンと痛む。
そして、思い浮かべるのは、マキ‥いやユウキかもしれない‥。
私は認めざるを得なかった。
ユウキに特別の感情を抱いていることを。
それを恋とは認めたくない。マキに似ているからその幻影を具体化され
たものとしてユウキを見ているのだと信じたい。
そうしないと、私が今まで生きてきた数年間を否定することになる。
マキは出てこない。
出てくる予兆さえ見せない。
マキのことを考えるとき、私は不安でしかたがない。こんな感情初め
てだ。
もしマキを忘れることがあるならば、それはきっと海から飛び出して
しまった魚のように悶え、息絶えることだと思っていた。
しかし、今は「何とかなるのでは?」という気持ちがある。
陸に打ち上げられた魚の私はユウキという現実のエキスによってエラ
呼吸から肺呼吸に替え、足を持ち、砂の上を歩いてしまったのだ。ある
とき、陸を歩く魚の私が海を振り返る。
そしてもう戻ることはできないと悟る。
私はマキを見捨てたのだろうか?
でもこのまま陸を歩き続けるわけにもいかないのだ。
足や肺を取り付けてくれたユウキなる媚薬はもう私の元から離れてい
て、手に入ることはない。これ以上どこに進めばいいのかわからない。
やがて迫り来る突風や太陽の熱射から身を守る術を私は知らない。
だから、早くマキに出てきてほしい。そして津波でもなんでもいいか
ら海岸に佇む私をさらってほしい。海に戻して、私の足や肺を腐らせて
ほしい。
――そしてまたマキというココロに支配されたい。壊されたい。
「どうしたの?ちょっと顔青くない?」
気がつくとナツミが心配そうに私の顔を見つめる。私は、「なんでもな
い、考え事をしてただけ」と自分の頬を軽く引っ叩いた。
この店に勤め始めたのは風俗をやってから3ヵ月後。つまりもうすぐ
4ヶ月になる。ユウコは嘘ばかりで埋めた略歴を見て、騙されたのか騙
されたフリをしていたのかわからないが、私と二言三言言葉を交わすだ
けでその場で採用してくれた。
ココで働くことができて本当によかったと思う。クズな私でも少しだ
け社会に役に立てているような気がしたから。
私やナツミやユウコは前と同じように食い入るようにモニターを見つ
めている。今日は暇そうだから、ずっと見ててもよさそうだ。
声が出ない画面からでもちゃんと聞こえてくるかのように下になって
いる女が身をよじらせる。
その上で女のカラダを弄んでいるのはあのヨシザワヒトミだ。
私が入ったとき、
「ヒトミちゃん、来てるよ」
ナツミは卑しそうに客の名前を”ちゃん”付けで言った。前みたいな
恥ずかしそうな表情ではなかった。私が不機嫌なのはもしかしたら入店
するなり、その事実を言われたからかもしれない。
「でもヒトミってやつ、やるなぁ。いじめるだけいじめまくって常に自
分が主導権を持ってるよ」
ヒトミは俗に言う”タチ”でもう一人の女は”ネコ”なのだろう。そ
れにしてもこんなところでわざわざする必要もないのに、と嘆く。
本来、こういう至って普通のカラオケボックスでこんなことをすると、
店長の勅命で退店も可能なのだろうけど、いかんせんココの店長はユウ
コだ。
「止めさせましょう」と進言したとしても、「おもしろいからエエや
ん」と言うに決まっている。
結局1時間近く私たちはモニターを見ていた。その間、一組も客が来
なかったので誰にも邪魔されることなく一部始終拝めることができた。
私は慣れているせいか、画面の切り替わらないモノクロポルノ映画を
見た気分で、大した興奮もなかったがナツミはきっと濡れているだろう。
ちょうど私の耳の近くにナツミが顔を近づける状態になっていたため
呼吸が速くなっていることが容易にわかった。
ことを終えて、ポケットティッシュで女の弄ばれていたアソコを拭い
ているヒトミを見て、
「ごちそうさまでした」
とユウコは舌で乾いた唇を舐めながら言った。
女の顔はモニターやカメラの解像度が悪いためよく見えないが、恍惚
とした表情を浮かべているようだった。
ヒトミはカメラに向かってピースサインをすると、三人とも一度のけ
ぞった。カメラは巧妙に隠されてあるはずなのに、目は確実にカメラレ
ンズを捉えていた。もう一人の女もヒトミに促されるように恥ずかしそ
うにピースサインをする。
「最近のコっていうのはようわからんわ」
ユウコは肩をすくめてから、事務室の方に帰っていく。
「ああ、もう胸がドキドキしちゃってるよ」
ナツミがちょっとだけ息を荒げながら言った。
「ナツミはもうすぐ?」
何の気なしに言うとナツミは最初はよくわからなかったが、徐々に言
っている意味を理解してきたようで、
「いやだ、もう〜。サヤカったら」
と私の背中を恥ずかしそうに叩いてきた。
「でも、これからそのお客さんとご対面っていうのが一番緊張するね」
ナツミが言った。
「うん。というワケで私は他の部屋を片付けてくる」
私はヒトミたちと会いたくなかったので、そう言ってフロントを去ろ
うとすると、ナツミが私の袖を引っ張った。
「何が”というワケ”よ。一人にしないで。サヤカもずっと見てたんだ
から。同罪なんだからね」
口を尖らせながら子供っぽく怒るナツミ。何でイヤだと思っていたの
に、ユウコやナツミに合わせて見物しちゃったのだろう、と少しだけ後
悔する。
結局、言い返せなかった私はナツミの横に立ってヒトミたちを待った。
近づいてくる足音に合わせて、礼をしながら私とナツミは声を合わせて
「ありがとうございました!」と言った。
そして、目を上げると、二人の少女がいた。
背の高めの金髪の少女と、その後ろに少し隠れるように立つ少女。
前にいるのはもちろんヒトミだ。充実そうに口を曲げた笑みは意味
のない自信と優越感に溢れていて見ていて少し不快だ。目線を少し変え
る。
そして、私は思わず口からこぼれてしまう。
「ヒトミちゃん?」
ヒトミの後ろに隠れている少女を見てそう言った。