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小一時間経つと私は大分落ち着いた。
結局、そのまま私は仕事を休むことになった。とりあえずは謹慎だけど、
おそらく解雇になるだろう。
別にこの仕事自体に特別の思い入れはなかったし、それでよかったのだ
が、ケイの悲しくて「裏切ったね」と言わんばかりの目が私の心を刺した。
歓楽街を歩く夜の11時。
私にとってはあまり馴染みのない時間帯だ。
雨は客の男が言ったとおり上がってはいたが黒い雲の動きが早くてもう
一度降りそうな気配もある。街中は夜通し遊ぶような若者で溢れ、それぞ
れが明日なんて考えていない飢えた顔をしている。
道端に腰を据え、深遠な夜の空を灰色のフィルター越しに見つめていた
り、道行くサラリーマンやOLの顔を物色している。
ある人はカツアゲ、ある人はレイプの対象に‥。
こいつらは鬱屈したエネルギーの塊でできた廃棄すべき人間だ。
未来を見ることを拒絶し、刹那的な欲望と、何かあったら一気に燃え出
しそうな物騒な衝動とが渦巻き、それを是として生きている。
きっとマリを襲った連中もこんな退廃的なムードから生まれた人種なの
だろう。
自分だけが異物なのかもしれないとして少し歩幅が狭くなる。
離れたところから見たら私だけ浮いて見えるのかもしれない。
のろのろと頭を抱え、誰からも己の存在を隠すように歩く私にそんな人
種が、君も同化しよう、と誘ってくる。
単なるナンパの裏側に、あんたも同じ穴のムジナなんだ、と私を弾劾す
るねっとりとした侮蔑の響きがあった。身の毛がよだつ悪魔のささやきに
私はバッグを振り回して追い払った。
ふと周りを見るとヤクでもやっている発狂人を見るように一般の通行人
が冷ややかな視線を送っていた。もしかしたら警察に通報されているかも
しれないと思い、この場から立ち去るべく足を早めた。
どうやら私は異物には間違いないようだ。ただ、この嫌悪すべき若者た
ちよりもっとドス黒く煤けた”欠陥種”だ。
私は深呼吸をした。私の中の毒を空気で浄化させるように。
そんなことはムダだとわかっていても何もしないよりはマシだった。
とっとと、家に帰ろう。
ちょうど雨の匂いが再び世界を覆った。闇の空にぶ厚そうな雲がたちこ
めている。
私は足をさらに早めて自分の家に向かった。周りは何も見ないでいこ
う――どんなにキョロキョロしたって私より最低な奴はいないのだから。
しかし、そんな思惑はある人間が壊した。
ホテル街の性のぎらつく欲情が空気を支配しているところだった。
あまりの慣れた匂いに私はその一人の存在を見て見ぬフリをすることが
できなかった。
「ユウキ‥」
夏だというの寒さを覚えた。
ぽつりと天から降りてきた一滴の雫が頬を掠めた。
ユウキとその腕にしがみついたユウキよりもずっと背の低い少女が歩幅
を合わせてゆっくりと歩いている。私は二人が周りと比べて電球の数が少
なく建物全体がアラビア風の少し不気味なラブホテルに入るのを目撃した。
二人とも緊張しているようだった。
ユウキは真正面で立ち尽くしていた私の存在に気づかなかったようだ。
ホテルに入るということに神経を尖らせていたようで周囲の様子など見渡
す余裕もないといった感じだった。
ユウキの隣の少女は私とは似ても似つかぬ容貌だった。胸もなく腰のく
びれもほとんどない幼児体型をしていて、顔もそれに合わせた童顔。中学
生、いやもしかしたら小学生かもしれない。そして、翳を決して有さない
純粋な瞳を持っていた。
とにかく外見も内面も私とはまったく異質の人間。
ユウキの好みってあんな感じの子だったのか‥。
一瞬意識が遠のき、疲れがどっと出た。擦り切れたぼろきれのような深
くて殺伐とした疲れだった。
何を考えてんだ、私?
湧出する疲弊の分子を払い落とすように私は腕を掻き毟った。赤い引っ
かき傷が4本、平行に皮膚に浮かび上がる。
ユウキは単なる客だったはずだ。ただマキに似ているというだけで他は
他の客と何一つ変わらない。
ユウキは「彼女がいる」としっかり言ったのだ。それを私は今ただ目撃
しただけだ。私が教えたことをユウキは予定通り実行しようとしているだ
けだ。
ユウキなんて関係ない。
関係ない。
関係ない‥。
そう自分に言い聞かせながら、深い絶望の沼に足が沈みこんでいく感覚
を覚えていた。
雨は本格的に降り始めた。
そんな中、傘も差さずに30分ほど出入りのないホテルの玄関を呆然と眺
めつづけた。
あまりに幼そうな彼女だったのでフロントで帰されるのでは?という淡
い期待は段々と薄れていった。