-18-
「マリ‥」
名前を呼ぶだけでそれ以上の言葉は出てこない。目の前の現実が歪み、頭の
てっぺんから手足のつま先まで震えが沸き立つ。
マリは決して目を合わそうとせず、尻持ちをついた態勢のまま十字架に張り
付けられたイエス・キリストのように感情を全て失ったまま裸の自分を晒して
いた。
マリの右手の下にはちりちりの私の陰毛が20本ほどある。それを見て、ま
だひりひりする自分の陰部をさすりながら、マリの同じ部分を見た。
また、絶句した。
マリにその毛はなく性器がはっきりと見える。代わりにその部分は赤く染ま
っている。剃刀とかで乱暴に剃られた痕だった。
マリは何も言わない。逃げ出そうとしない。でもカラダ全体から訴えている
ような気がした。
「何が‥あったの?」
マリはピクリと動いた。初夏の風が部屋に吹き込んだようで私とマリのカラ
ダを掠める。生ぬるい風だったがマリの刻まれた傷に染み込んだようで途端に
苦痛の顔をする。
「誰にされたの?」
聞いてもムダなことを聞いてしまったとやや後悔しながらマリのカラダを凝
視する。
マリに近づくムチで叩かれたようなネズミ腫れや、カッターで切られたよう
な切り傷。二の腕には縄で縛られたような痕、などキズが多種類ある。そして
何といっても一番目を見張るのが左胸の乳首の上にある焼きゴテのようなもの
で烙印された刻印だ。肌が茶色くただれており、錨というか地図記号の漁港の
文字をひっくり返した感じの痛々しい模様だった。
私は汚れたカラダを歯を食いしばりながら見続けた。おそらく1人とか2人
とかのレベルじゃないだろう。きっと二ケタ単位の人間にマワされたのだ。
「ねえ、マリ!」
横を見て私と目を合わさないマリの顔をつかみ無理矢理私のほうに持ってき
た。顔はカラダに比べるとキレイだ。
おそらくレイプされたのはおとといだろう。外泊したと思っていたあの日だ。
それまでなぜ気付かなかったのだろう。
マリの顔と首から下は全く別人のように肌の色が変わっていた。間近にその
肌を見て、ゾンビを見ているような気持ちに襲われた。
無理矢理合わせたマリの目はほとんど死人だった。その目から決壊したよう
に涙がとめどなく流れている。
「サヤカぁ〜‥」
理性を失ったようにツバを溜めた口からマリは声を出した。言語障害者のご
とく口元をきちんと動かさなかったためネバネバしたヨダレがとろろイモのよ
うに口から洩れた。
「マリ‥どうしてこんな‥」
「感じるよね?どんなにイヤだって、感じちゃうものは感じちゃうよね?」
マリは私の愛液と陰毛がこびりついた右手を狂った雌猫のように舐めた。目
には悲壊の色を帯びている。それは私のココロをえぐるような痛いものだった
が、何の意志も有さない瞳よりはずっとマシだった。
私は小刻みに顔を上下に動かしながら「うん」とうなずく。
「私‥悪くないよね‥?何度も何度もイっちゃったけど‥悪くないよね?」
「うん、悪くない!マリは何一つ悪くない!」
私は小さいマリのカラダを力の限り抱きしめた。触れた肌は普通は感じるこ
とがないゴツゴツした違和感でいっぱいだった。
長い嗚咽はココロの傷を表面上だけ癒しているようだった。
密着したカラダとカラダ。
感情の吐露を終えるとその肌触りに対してどことなく羞恥を覚える。しかし、
マリはそんなことは考えていないようだった。
自分の中に湧く見えない敵と必死で戦っているように震えていた。
マリは犯された。
いくつもの傷をつけられた。
そして、それでもカラダに流れる性の衝動に、きっと男たちは罵詈雑言を浴
びせたのだ。
「感じてるじゃん。好きなんだろ?」
頭の中で吐き気がしそうなダミ声が繰り返される。
貧困な想像力から生まれる簡単な方程式は残酷な過去に私を導いていた。
「ゆっくりでいいから‥明日でもあさってでも、1週間後でもいいから、何が
あったか教えて‥」
マリに耳下で囁いた。よく見ると耳たぶもただれている。着けていたピアス
を強引に取られたのだろうか。
マリは一度胸で大きく息を吸ってから首を横に振った。
「今、言うから‥」
どんな形にしろ、告白するつもりだったようだ。深呼吸の間隔が小さくな
る。そして、肩、腕、腰、そして胸の刻印と自分の傷を次々に触れていった。
現実に存在する残酷な事実を再確認するように。
しばらくして、お互いパジャマに着替えた。電気は中途半端だけど二つの蛍
光灯の内、一つだけを点けた。ぐちゃぐちゃになった布団を部屋の片隅に乱雑
に寄せて、スペースを作った。そこに二人は座り、一緒に温めたウーロン茶を
飲んだ。床は板張りで冷たかった。
マリはゆっくりと毒を吐き出すかのように、時に苦悶な顔を浮かべながら吐
露しはじめた――。
310 :
:01/12/18 02:04 ID:q1DgNdbh
311 :
:01/12/18 04:25 ID:9LWo13jy
やはり市井には小説がよく似合う・・・
超名作保全
313 :
:01/12/18 08:11 ID:q1DgNdbh
-18-はもうちょっと続きます。眠かった。
>312 小説では使いやすいです、ホントに。
竹下通りからから東に歩いて10分のところにある公園で二人は会った。マ
リはサルが木にぶら下がるように小さいカラダを懸命に使ってトシヤの腕に巻
きつき、歩いた。
しばらくして、トシヤとマリは路地裏の薄暗いところに足を踏み入れた。
排水溝から洩れ出した水が地面を濡らし、厚底の靴の下でピチャピチャと音
を立てる。
マリは幾分かの不気味さを感じたようだが、何の迷いもなく歩くトシヤにし
がみつくだけでそんな恐怖は失せていた。
しばらくするとちょっとした広地に抜けた。草が高く生え、その内側に廃墟
みたいに妖しげに建物が立っている。とにかく周りに人の気配がしないところ
だった。
繁華しているところから少し歩いただけでこんな寂れた場所があるとは驚き
だった。
「そこで、トシヤは別れようって言ったの‥」
マリは胸のあたりをギュッと抑えながら言った。マリにとって、あまりに突
然だった。
目の前が真っ暗になり、涙でぐにゃぐにゃになった。
トシヤは「理由は聞かないでほしい」と呟いたあと、背を向ける。マリはも
うとっくに絶望の淵に落とされていた。自重を支えられなくなるほど腰が抜け、
トシヤに一層しがみついた。
でもマリが味わう絶望の淵はさらに深いところがあったのだ。
「何で?」と振り絞るように聞いたらトシヤは顔だけをマリの方に向け、笑っ
てこう言った。
「お前を好きなやつが俺の周りにはいっぱいいるんだ」
これが合図だったかのように突然の人影が現れる。
それも一人や二人じゃない。獣の群れから生まれる欲望の音色が不協和音を
作って周りをかき鳴らす。
恐れおののくマリに向かってトシヤはこう吐き捨てる。
「正確に言うとお前のカラダが好きなやつなんだけどな」
四方八方からガサゴソと荒い息とともに物音を立てる群れが一斉に打ちひし
がれていたマリに襲いかかった。マリはなすすべなく数人の男に囲まれた。
そして―――。
目の前のマリは口を閉ざした。私から顔を背け、唇を噛みしめている。
腐敗したカラダをこれ以上壊されないように腕を巻きつける。
私はただ立ち尽くしていた。
続きは――言わなくたってわかる。
マリはそこで輪姦されたのだ。
必死で抵抗しても、ナイフでカラダを切り刻まれ、ライターで膝をあぶ
られたり、紐で腕を巻きつけられたりした。そしてペニスで膣をえぐられ
た。何人も何人も。
そんな想像をさせるマリの失意のどん底に落とされた表情。
「何回も何回も中出しされちゃった‥」
しばらくしてからマリは微かな嗚咽を含ませながら、口を開いた。また
じんわりと涙がたまっていく。
「生理‥きたの?」
マリは首を横に振る。
「まだ‥あれから2日しか経っていないからわかんない」
「検査薬ならすぐ手に入るでしょ。買ってくるから」
マリは多分犯された後、この家に直行し、それから出ていないはずだか
らそんなものを買いに行ってはいないだろう。
「もし‥できてたら‥どうしよう‥」
再びマリに震えが襲った。私はマリの左手をギュッと握った。
「大丈夫。精液って混ざり合えば妊娠しないって聞くし‥」
根拠はあまり知らないけどそう聞いたことはある。レイプされたマリに
この言葉はなぐさめにはならないだろう。だけど、こうしか思いつかなか
った。マリは静かにうなずく。
私は一つ思ったことをすぐ口にする。
「そのトシヤってやつは――」
「違う!」
マリは異常な速度で反応した。
俯き加減だった頭を上げ、目を見開きながら私を見た。そのあまりの豹
変ぶりと迫力にマリ自身が驚き、握っていた左手を離し、「ごめん」と謝
る。
「いいよ。とにかく明日病院に行こう。その傷‥ちゃんとしなきゃ‥」
胸の皮膚が爛れて作られた刻印を見ながら言った。
マリは承諾した。
私はレイプした顔の知らない男たちを、そしてトシヤを思い浮かべた。
剣を持った私はそれらを串刺しにした。その顔が苦痛を滲ませるまで何度
も何度も貫いた。
きっと、トシヤはその輪姦した男たちの仲間なのだ。
マリのことがキライになって仕組んだのだ。いや、元々そのために近づ
いたのかもしれない。
マリもそのことに気付いている。
だけど、トシヤとの甘い日々をココロもカラダも忘れることができない。
99%そうだと知らされても1%はそうじゃないと過去の日々が囁きかけ
る。
おそらくココロの全てをトシヤに傾倒させてきたマリなのだ。
どんな裏切りの言葉も「それは違う」と思えるエネルギーを蓄えていた
のだろう。
しかし、一方で私に救いを求めている。
トシヤを何とかしてほしいと。
だからマリの吐露にはトシヤが裏切ったことをはっきりと表面に出して
いた。
私の中で憎悪のドス黒い炎が燃え立つ。
トシヤと会ってやる。
そして―――。
炎は目的を果たすまで永遠に燃えつづけるだろう。