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それからは私のカラダに異変はなく、ユウコもナツミも心配そうな顔はしな
くなっていった。
フロントから休憩ルームを覗く。ユウコがいつも通り腰を落ち着かせて、タ
バコをプカプカ吸っている。
ただ、今日は格段に上手そうに吸っていた。
「ホントにユウちゃんって客を選ぶよね」
私の耳下でささやいたナツミ。私は苦笑しながら同意した。
20分前、1組のカップルが来店した。腕をからめる男と女。いちゃいちゃ
するのは日常茶飯事でもう慣れたものだが、癇に触れたのはその男女はどうみ
てもエンコー関係だったということだ。父と娘ほどの年齢差の男と女が恋人の
ように振舞っている。
いや、恋人になりきれていないからこそ、”恋人らしい”仕草を大げさなほ
ど見せつけているのだ。そんな二人だったから私はエンコーなんだと確信した。
二人の間に万札が数枚プカプカと浮かんでいるような気がした。
「ホント、ナッチには信じられないよ。カラダを売るなんて‥」
ナツミの脱力気味のつぶやきはたまたま近くに来ていたユウコの耳に届き、
ユウコの逆鱗に触れることになった。
ユウコはそのカップルが入れた部屋にノックするだけで反応も待たずにズカ
ズカと入り込んで、数分後、カップルを店から追い出した。もちろん、そのカ
ップルは怒り心頭のようだったが、出て行ったあとのユウコの顔は満足感でい
っぱいだった。
「まだ、エンコーって決まったワケじゃないじゃん。単なる仲のよい父と娘な
のかもしれないし」
それはないと感じていながら聞いた。
「ちゃんと聞いたで。援助交際ですか?って」
「な!」
ナツミがユウコのあまりのストレートな言い方に絶句する。
「否定せんかったからな。『当店では犯罪者の入店を固くお断りしております』
って言って帰ってもらった」
いや、おそらくそんな丁寧口調で言ってはいないだろう。おそらく関西弁で
本性丸出しで追っ払ったに違いない。想像するとちょっと口に笑みがこぼれて
しまった。
一仕事を終え、”勝利のタバコ”に酔いしれるユウコをまた見る。
なんて、自分に正直な人なんだろう。
自分の信念をはっきりとさせ、それ以外を盲目的に排除する。ガンコと言え
ばそれまでだが、その融通の利かないところは限りなく尊い。
彼女と付き合える男なんてザラにはいないだろう。”お高い”というワケで
はなく、歩み寄りをしないユウコを認めてくれる大らかな人間というのがユウ
コと付き合う第一条件なのだ。
そんなユウコを尊敬の眼差しで見つめると同時に、いつかくるであろう悲し
い予感にビクビクする。
私はいつかその信念に弾き返される日は来るだろう。
ユウコとどんなに親密になったところで、私の背負う過去、そして隠してい
ることに触れた時、その関係はもろく崩れ去ってしまうだろう。
対処法なんてものはない。ただ、その日ができるだけ遠い未来であることを
願うのみだ。
「さ、仕事しよ」
私はナツミに促した。
何となくユウコを見ることさえつらくなっていた。
今日は基本的に私がフロント業務でナツミがホールでドリンクとかを持って
いく係りになった。もちろん状況に応じては逆にもなるが基本にはこうだ。
ある女性が来たのはナツミがトイレに行っているときだった。
ワインのような真っ赤なノーショルダーのシャツに紺色のスカート、金色の
髪を上手く束ねていてすごく大人っぽい。背丈はカオリより少しだけ低いぐら
いか。
一人で来る客はめずらしい。たまにはいるがその大抵は世間の荒波に飲まれ
た結果ボロボロになったおじさんか、時間を持て余している中学生ぐらいの男
子、もしくは歌手を目指して歌いにくる希望に溢れた少女(ただしブサイク)
とタイプは決まっていた。
この女性はどのタイプとも合わない。
「いらっしゃいませ」
私は見上げるように言った。
「1名様でしょうか?」
「いえ」
女性は辺りをフロントの向こう側を見る。
「実はおとといに携帯電話を忘れたんですが‥」
その背の高く気品のありそうな立ち姿とは違い、声は少しこもっていて子供
っぽかった。
「じゃあヨシザワさん?」
”ヨシザワ”という名前がパッと記憶から引き出されて口に出る。
「はい。ヨシザワヒトミです」
「え?」
ちょっと目の色を変える私をこの女性はめざとく見つけた。
「何か‥ヘンでしょうか?」
私は「いえいえ」と慌てて謝った。
ヒトミという名前を聞いて私は敏感に、”マリア”で働くヒトミを思い出し
てしまっていた。その女性は口元に静かな微笑をこぼしながら黒のサングラス
を外した。
私はその顔に驚いた。えらく美人だ。そして”ヒトミ”の名前に恥じないほ
どの大きな瞳からは魔力にも似た不思議な光を放っていた。
驚きの表情をよそにその女性はにこりと微笑んだ。いや確か16歳なはずだ
から少女というほうが正しいのかもしれない。
私はなぜか”マリア”で働いているヒトミと比較してしまう。どちらも端正
な顔立ちだが少し違う。あっちのヒトミは守ってやりたいようなかわいらしさ
だが、こっちのヒトミは絶対的な自信とともに年不相応なかわいらしさと綺麗
さをミックスさせている。
「すみませんが免許証とか、身分証明証とかを見せてもらえませんか?」
「はい、高校生なんで‥学生証でもいいですか?」
「え?高校生?」
目を丸くする。もっと大人びて見えたからだ。
「はい、見えません?」
ヒトミは実年齢よりも上に見られることに慣れているようで、目を細めて笑
いながらそう言った。
「すみません。学生証でももちろん結構です」
つい自分より年上の人間に対するように話してしまう。ヒトミは財布の中か
ら学生証を取り出して私に見せた。都内に通う高校一年生のようだ。
その時ナツミが用を済ましてフロントにやってきた。ヒトミがいることに気
付くとすぐに、「いらっしゃいませ」と声をかけていた。
ナツミとヒトミは目が合う。ナツミはすぐにわかったようだ。
「あ〜、ヨシザワさん?」
ヒトミは柔らかな笑みを浮かべながらうなずいた。ナツミは私のすぐ横に立
ち、肘で脇腹をつつく。それでヒトミはおととい、カラオケルームでエッチな
ことをしていた人間だとようやく思い出した。あの白黒のモニターに映ってい
た”男と女”。
私はヒトミを一目見てすぐにナツミの言っていたことは正しかったのだと感
じた。
このヒトミが男に弄ばれる人間とは到底思えない。つまり、ヒトミは女のカ
ラダを弄んでいた人間――つまり私たちが男と間違えていた人間なのだ。
「二人とも美人ですね。お二人目当てでやってくる男の子とかいるでしょう?」
ヒトミは言った。
「そんな〜、いないですよ。美人だなんてそんなぁ〜」
ナツミがどこかのオバさんぽく右の手首を振って恥ずかしそうに応えた。こ
れが美人があまり美人じゃない人間に言う少し皮肉が入ったお世辞だとは気付
かないのだろうか。
「いやいや、美人の上にどこか幸せそうな顔してますね。いいことあったんで
しょう?」
ヒトミがナツミだけを見て言う。すると、ナツミは、
「え?いやいや、あはは」
と下手に口を濁していた。
毎日のように顔を合わせる人間は慣れてしまうとまともに見ることはなく、
目に見える変化だけを追いがちなる。ナツミとは毎日とは言わないが、バイト
に入る度に会う。いつのまにかナツミを”空の笑顔しかしない”人間と捉え、
今日もその偶像を、一瞥したナツミの輪郭に結び付けていた。
ヒトミの言葉を受けて、ナツミをまともに見た。
確かに笑っている時間が長いような気がした。しかも、いつもと違ってそこ
には何らかの意味が含まれている。ヒトミの言う通り、何かあったとしか考え
られない。
私は携帯電話と学生証をカウンター越しに手渡した。
少し気分が悪かったのはヒトミがあまりにも落ち着き払っていて、浮世離れ
している感じがしたからだ。何か私のココロを全て見透かしているようで、気
に食わなかった。
だから悪戯心に少し、その冷静なココロに動揺の雫を垂らしてやろうと思っ
た。
「ありがとう」
ヒトミは軽く礼をする。それに合わせて私は言った。
「また、来てくださいね。あの恋人の方と」
私はちゃんとレズシーンを見てましたよ、という意味をこめた一種の侮蔑の
目を送る。
しかしヒトミはそんな私をあしらうように長い首をさらに長くして笑った。
「はい。また”彼女”を連れてきますね」
そう言い残し、小さいバッグを肩にかけ、マッドフレームの高級そうな黒の
サングラスを着けながらヒトミは店を去っていった。
ポーンという間延びしたチャイムが鳴り響く。今日はいつも以上の虚しい響
きだった。
「サヤカ‥?」
ナツミは負けた、という表情をしている私を不思議そうに見ていた。
「‥‥」
「どうしたの?」
「う〜ん、確信犯だったみたいね‥」
また、ヒトミは”彼女”を連れてくるだろう。そしてカメラを意識しながら、
私たちに見せつけるようにエッチをするのだろう。
その時、私は働いていたくないな、と思った。