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――今日、夢は見たのだろうか?
人間は毎日、いくつもの夢を見ているらしい。起きてからも覚えている夢と
いうのはレム睡眠という浅い眠りの時かつ起きる直前に見た夢に限られるらし
い。それが本当だとすると今日も私は何らかの夢を見ていたことになる。
しかし、マキの夢はそれとは性質が異なるような気がしていた。
どんなに深いところにいる状態であってもマキは悪魔のような天使のような
手で持って強引に引きずるように夢に現れる。それは私の眠りのリズムを歪ま
せ、衝撃を与える。そのせいで起きたときも余韻が残る。
つまり夢が外力のせいで記憶に焼きついてしまう。そう解釈していた。
だからマキが出たことを忘れたのではなくて、マキは出てこなかったと考え
るほうが正しいと思う。リズムが崩れたようなココロの歪みは感じられなかっ
た。
マキはどう思っているのだろう?今までも聞いたことのないマキの心情を私
は今まで以上に知りたくなった。
「フロントの前であくびをしない!」
後ろからの怒声で私は背筋がピンと立った。振り返るとユウコが眉根を寄せ
ながら私を見ていた。
「あ、ごめん。あんまり寝つけなくて」
カラダが重かった。重い鉱石のような塊がカラダ体中の皮膚のすぐ下に埋め
られているような気持ち悪さを感じていた。
食欲もなかった。マリがせっかく作ってくれた御飯と味噌汁をムリに食べる
と胃が拒否反応を起こして戻してしまった。美味しいはずの白米や味噌汁の中
のネギが私の内部に入ると毒に変質してしまうみたいだった。
マキに対する罪悪感だろうか?
少なくともユウキとの行為の間、私はマキの要求、そしてマキの存在を完全
否定していた。
固有名詞を失った性的浮遊体だった私にユウキは「サヤカ」という命を吹き
込んだ。
その瞬間、淫猥な自我が目覚める。それは「カラダとココロは決して離れる
ことができない」ということを実践しているようなものだった。
ユウキは実数となった私の体をココロで持って貫いた。温かな桃色の突起物
が私のカラダもココロも夢中にさせた。
だからこそ教えてほしい。マキはどう思っているのかを。
私を否定してほしい。そしたら絶対それに従順するから。
――「自信がつきました。ありがとうございました」
え?
声が聞こえた。
その方向は全くわからなかったけど、とりあえず考えられる方向に振り向く。
「ユウちゃん、何か言った?」
「ん?何も言ってへんで。ていうか”ユウちゃん”はやめぇや」
ユウコはアクビをしながら言った。私の緊張したココロとは対照的だった。
「ウソ。言ったでしょ?『ありがとう』って」
「何でアンタに『ありがとう』って言わなアカンねん‥ってどうしたん?サヤ
カ?」
顔を青く変えながらユウコは尋ねていた。
そんなユウコを消え行く視界の端で見た。
目の前が白いペンキで塗りたくられていく。その間を割ってある感情の塊が、
弓矢となって私の胸をまっすぐに刺し抜く。
痛みはない。ただ胸のあたりで刺された音だけがした。
私は意識を失った。そして別の意識が入り込んでくる。
ユウキの喘ぎ声がした。
ユウキの背中が見えた。裸だった。
私は傍観していた。
ユウキの下には長い髪を振り乱した女がいた。
私とは別の女。
顔の見えないその女に私はココロの底面をくすぐられる。
異様なリアルさがカラダの中に埋め込まれた鉱石の重みをさらに増してきた。
「サヤカ!」
気が付くと私は休憩ルームで寝ていた。
ひどく汗をかいていた。視界にはユウコとナツミの青白い顔があった。
白昼夢を見ていたことに気づく。
「大丈夫?」
ナツミのあまりの心配顔にこっちが逆に心配になった。私は立ち上がってナ
ツミの頭をポンと叩き、「大丈夫」と笑顔で言った。
冷房によって冷やされた全身の汗が体温を奪っていく。
これは余韻なのか、胸にぽっかり穴が開いている気がする。そしてその穴に
空気が通り抜けていく。違和感からその胸を抑えた。
私はユウキの幻聴を聞いていたことを理解した。
弓矢が胸に刺さった音を聞いたとき、その胸からは嘆きの声が発散された。
きっと弓の中に感情が込められていたのだろう。
私は認めたくなかった。それはマキを否定していることになるから。だけど
どんどん重力に押し潰されそうになっている自分のカラダはその感情を認める
方向に進んでいた。
「もう帰ってもいいで。二人で何とかするから」
ユウコは私のカラダを危惧して、そう促す。
「違うって。ホント大丈夫だって」
何かをやっていないと私はヘンになりそうだった。まだ残っている白昼夢の
残像を消し去る術はカラダを休ませることではない。そう気づいていた。
「じゃ、フロント戻りま〜す」
私はやけに高い声をあげて、私は休憩ルームを飛びながら離れた。
私は弓矢の傷を癒すように、何度も何度もつぶやいた。
「私は認めていない」
「私はウソなんてついていない」
「私は‥‥恋なんてしていない」
――言葉の空しさが白昼夢をさらにリアルなものへと変えていく‥‥。