ザ☆ピース!

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15JM


  壊れた時計 〜 2 MINUTE WARNING 〜



プロローグ someone to watch over me/気配



私が初めてその少女に出会ったのは、暑かった夏が漸く終わ
りを告げた頃だった。

今にして思う。

私の中から永遠に消える事がないであろう、その秋の記憶
の始まりは、唐突に訪れていた。
16序章:01/10/20 04:50 ID:Jf4DxwyS

クーラーの効き過ぎた喫茶店の片隅で、私の前に座っている
少女は、写真で見たとおり掛け値なしに美しかった。

端正な顔付きに反比例して少し憂いを帯びた瞳が妖しく光っ
ている様に見える。少し茶色がかった髪の毛が私の眼に眩し
く映えていた。

彼女の隣に座る中年の男が忙しなく私に向け話している最
中も、眼前の彼女がやるせなさそうに肩まで伸びているそ
の髪の毛を幾度か手で梳く仕草が目に飛び込んでくる。

そうした彼女の立ち振る舞いが私の心の奥底をやんわりと刺
激する。クーラーの冷気に乗って彼女の香りが私の鼻腔に伝
わる。久しく鈍っていた「ある感覚」がホンの少しだけ目覚
めていくのを感じ始めた。

それは、あくまでも心の奥底での一瞬の出来事ではあったが、
私の胸中は、まるで失っていた記憶の断片が繋ぎ合わさるよ
うな奇妙な感覚に囚われていた。


<続>
17序章:01/10/21 04:26 ID:xF5DFpkS

「・・・やはり、お断りします」
「大変な事をお願いしているのは承知していますが、
そこを是非ともお引き受け願いないでしょうか?」

「申し訳ないですが理由はともかく・・・。残念ですが電話
でもお話したとおり、お断りさせて頂きます」
「いや、そこをなんとかですね・・・」
「申し訳ない。やはり無理です。お話はここまでに・・・」

彼女の美しさが私の心を揺さぶった事と、その依頼を受け
入れる事は全く以って別の話だった。例えその少女が私の
心をいくら乱そうとも、それとこれとは何ら関係のない事
だった。

「しかしですね・・・」
「とにかく、私は失礼します。それでは」

私は複雑な思いを振り切るかのようにやや強い口調で男の申し入
れを断ると、伝票を持って席を立ち自分の会計を済ませた。

こういう時は後腐れのないほうがいい。極めて事務的な態
度で接するのが礼儀と言うものだと、私は勝手に解釈してい
る。私は間髪を入れずに勢い良く喫茶店を辞した。
18序章:01/10/21 04:33 ID:xF5DFpkS

しかし中年男の立場にしてみれば、そうはいかないのも
私なりに分かっているつもりだ。彼も内輪の恥を忍んで
私らの様な、いかがわしいトコロへまで来たのだ。

相当な覚悟を決めて来たのは、容易に推測できる。やは
り、当然の如くに必死の形相で私の直後を追う様にして
付いて来たのを背中越しにそしてかすかによぎった左目
で確認した。

しかし私は男が息を切らしながら背後に近寄ってくる気
配を感じつつも、振り返る事無く眼前に広がる大通りに
出て、流しのタクシーが来るのを待っていた。当然の行
為として、男の存在には気付かぬ振りを決め込んでいた。

「ハァハァ…。ちょっと待ってください。もう少し、
もう少しだけでイイですから、私の話を聞いて頂けませんか」
「・・・」

中年男が健気に声をかけてくる。一向に返事をしない私
に対しそれでも尚、男は私に縋ってきた。私の心に重苦
しい気持ちが覆い被さってくる。気まずい空気が流れ始
める。私は一刻も早くこの場から立ち去りたかった。し
かしその中年男は、簡単にはそうさせてはくれなかった。


<続>
19序章:01/10/22 05:18 ID:d/1U/PrQ

「お願いします。アナタ方にしか、頼めないんです」

明らかに私のほうが年下だと言うのに、その男は終始敬
語で私に語り掛けてくる。立場上とは言え、その男の心
中を慮れば、心苦しいのも事実だった。

しかし男の頼みを素直に聞き入れる訳にはいかない事情
が私にも揺ぎなくある。故に無視を続けるしかなかった。

「砂島先生から皆さんのご活躍のお話は聞いています。
そこでアナタ方しかいないと考えた訳でして・・・」

「いやいや。砂島さんのお話は、腹8分で聞かれたほうが
賢明ですよ。あの人は少々オーバーなトコロがありますから…。
それに先生を含めて、皆さん私らを少し見込み過ぎています」

私は必死に男性からの申し出を断り続けていた。しかし
この程度の拒否反応では当然ながら男の気持ちを揺るが
すには、程遠いのは自分でも分かっていた。


<続>
20序章:01/10/23 05:33 ID:unndecaG

男の反駁が続く。粘りつく様なしつこい問いかけが尚も
続いている。

「そんな事はありません。失礼ながらこうしたお話をお
頼みする以上、アナタ方達の事は私らでも調べさせて頂
いています。実績は申し分ございませんし、関係者のど
こで聞いても、いいお話しか返ってきませんよ。ですか
らこそ、そこを見込んでお願いをした訳なんですから。」

「それは当方としてはとても有り難いお話ですが、正直
言いますと、今は、へまをしたばかりですから…。少し休
みたい気分というのもありましてね」

「勿論その事は・・・、重々承知しております。ですからその
代わりと言っては何ですが、報酬の方は弾みますので」
「しかしお金につられて、しくじったばかりですから・・・。
とにかく今日はこの辺で許して貰えませんか」

「しかし…」
「仕事となれば私だけとはいきませんし、当方の事情も
慮っていただければと…」
「そうですか、残念ですね…。ですがね、しかし、そこを
何とか、今回だけでも曲げていただく訳にはいきませんで
しょうか?」
「ですから・・・なんと説明すればよいのか・・・」

中年男の食い下がり方は、さすがああした業界で長い間
培ってきた事はあると感心せざるを得ない程、しつこく
それでいて丹念であった。

私は断る言葉が少なくなっているのを感じながらも、拒
否を続ける。そうするよりも道がないからに他ならなか
ったからだ。今、こんな複雑な仕事を引き受けきれるほ
どの余裕は、物理的にも、そして精神的にも余地がない
のは明白だった。


<続>
21序章:01/10/24 04:45 ID:Kbq0VACl

「申し訳ないが・・・。しかし今日は、私も悪かったですね。
最初からお引き受けするつもりもないのに、来てしまって・・・」

「謝らないでいただきたい。無理を承知できて頂けただけでも
有り難いのですから…」

年下の私が年配の人間にエラソ振るのは、正直本意では
ない。それに依頼の内容も些か興味を引いていたのも事
実だ。

だが、「前回の失敗」から日の浅い我々としては、リハ
ビリがてらに引き受ける仕事としては少々荷が重そうで
ある状況からは目を逸らす訳にはいかない。ただ…

そう、ただ職業柄の感と言うのは詰まらない物だとつく
づく思う。中年男の申し出を断り続ける私の眼には先程
から通りの向こうでエンジンを架けたまま停車している
スポーツカーの姿を捉えていた。

オフィス街、午後3時、公用車が数多く行き過ぎる国道。
見るべき物のない無機質な高層ビル群のど真ん中。真っ赤
に彩られたその車は、全てのウインドウにスモークが張ら
れて中の様子を窺い知る事は出来ないが、明らかにこの状
況において、存在が浮いているのは私の判断では明白だっ
た。

私の大して当てにならないが唯一の頼りでもある「職業的
直感」は、既に頭の中で大音量の警告音を発し始めていた。

私は中年男との会話を一端切ると、その車に向け厳しい視
線を放ってみた。高級車は相変わらずエンジンを吹かし続
けている。私は視線を逸らさずに、その車に向かい歩を進
めようとガードレールを跨ぎ掛けた、その瞬間だった。

まるで何事もなかったかのように、その赤い高級スポーツ
カーは突如、エンジンの音量を上げウインカーも出さずに
走り出した。高級車の存在に気づかず道路の左側一杯に走
行していたバイク便が慌ててハンドルを切る。しかしその
スポーツカーは一瞥もくれず、あっという間に、遥か前方
を横切る幹線道路へと姿を消した。


<続>
22序章:01/10/25 01:42 ID:+lOPgXsr

「・・・どうかしましたか?」

私の行動と不可解な高級車の動きを見て中年男が、訝しそ
うに語りかける。私は敢えて平静を装うように、努めて事
務的に応対した。

「いえ、別に。何でもありません・・・」
「そうですか…」

言外の言葉の意味を汲み取るのが、この中年男の主たる
仕事といっても過言ではない。当然ながら何でもないと
は思っていないだろう。

非常に嫌な胸騒ぎが私の心に鳴り響き始める。ここで断
りきって後で何かが起きれば、日を浅く連続して深い負
い目を背負い込む事になりそうなのは明白だろう。そう
した予兆は、十二分に感じさせている。

状況と場面の連鎖が、私を逡巡させる。中年男は、私の
そうした気持ちを見透かしたかのように、巧みに言葉を
掛けてきた。

「無理に、とは言いませんし、長期とも言いません。実際
警察にも相談しているんです。ですから、それまでの繋ぎ
で構いませんから、お願いできませんでしょうか?10日
間、いやコンサートまでの1週間で構わないですから」
「…」

事務所で待っている部下達の顔が浮かんでは消える。しか
し今の立場は、引くに引けない状況であるのも事実だ。砂
島先生の顔を立てて、礼を尽くしたのが運の尽きだったの
かもしれない。

私は自分の愚かさを呪いながら、止むを得ない決断を下さ
ざるを得なかった。



<続>
23序章:01/10/26 04:41 ID:swHy1GZC

「警察に話している、そうですか。確か・・・1週間ですね?
念を押しますが。本当にそれまでの繋ぎで構わないんですね?」
「ハイ、勿論です。どうでしょう?」

「そうですね・・・。根負けですよ、貴方の勝ちだ。分りました、
お話の続き、お伺いしましょう」
「そうですか!助かりました。ありがたい。それじゃ別の
ところで?」

「いえ、ここで構いませんよ。それに彼女はまだ店の中じゃ
ないですか」
「そうですね。それじゃあ・・・」

私らは、一度は辞した喫茶店の中に再び舞い戻った。俯
きうな垂れる彼女の前に座り直し、ウエイトレスにマズ
いストレートティーを再び注文する。私は胸ポケットか
ら旧式のやや大きめな携帯電話を取り出し事務所に掛け
た。

「あぁ・・・とにかく、そう言うことになったから・・・。文句は、
後で聞く。いいから早く来い。時間がないんだ・・・」

明らかに電話の先の仲間達は苛立ちと怒りを隠していな
かった。中年男の方も化粧室傍の踊り場で忙しなく電話
をしている。多分会社の上司か何かなのだろう。私はウ
エイトレスがぶっきらぼうに置いていったお冷やに口を
付け喉を潤す。やや重苦しい空気がテーブルの上に流れ
始めていた。

私はそうした空気を打ち消すかの様に軽く息を整えると、
目の前に座る美しい少女に話し掛けてみる事にした。思
い返せば、それが彼女との最初の会話だった事になる。



<続>
24序章:01/10/28 03:18 ID:BFlkiefQ

「あなた注文は?」
「わたしは、いいです」
「そう・・・。貴方おいくつ?」
「・・・17歳です」

「そう・・・」
「・・・」

まいった。何も会話が広がらない。私はいつもの如く情
けない姿を晒していた。私の日常には、自分と一回り近
く歳の離れた女性と話す事など滅多にない。
ただでさえ、女性との会話に難のある私には、ある意味
この瞬間は苦痛以外の何物でもなかった。

それでもどうにかして、上手い話をしようとは思うのだ
が、彼女の美しい瞳が私の口をさらに重くさせる。悲し
いかな、頭の中はカラカラと虚しく回転するだけで、何
一つ気の効いた言葉すら出て来なかった。

私は冷えすぎた喫茶店の片隅で自分の情けなさに自分自
身で打ちのめされていた。

すると満足そうな笑みを湛えながら、電話を終えた中年
男が席に戻ってくる。そして徐に少女に向け言葉を投げ
た。

「梨華、お前は、なんか飲むか?」
「いえ、いいです。」

「そうか、それじゃあ、俺は何か飲もうかな?・・・すいません、
コーヒーをもう一杯追加で」

ウエイトレスの気の抜けた返事が空しく店の中に響き渡
る。

石川梨華。彼女との邂逅から始まった鮮烈な秋の記憶は、
ここから続く事になる。


<序章 了>