しばらく歩いていると、行くときにお菓子を買ったお店が見えた。
じゃあ、あと半分くらい。
「よし」
決意を声にする。
これだけ離れれば、もう戻ろうとは思わないだろう。肩のバッグをおろした。
でもなっちなら、このくらい戻ったっていい。
私はおでこの汗をふき、ポケットに手を入れてハンカチを出す。
くるまれてるのは真希のカケラ。
じゃなくて、真希――のはず。
夢。
あの夢はまだ憶えている。
夢の中の果てしなく広い空間。割れたって関係ない、はず。
「大丈夫、きっと」
そっと鏡のカケラをにぎりしめた。ちょっとだけ、痛い。
ねぇ、真希。なっちの声、聞こえる?
…。
……。
真希? ダメ?
戻ろう。そう思ったとき、聞こえた。
『聞こえてる。しっかりとね』
657 :
第八話:02/05/02 13:25 ID:/a6AZXUH
目の前に真希が現われた。息をしていれば、お互いにかかる距離。
そしてまた――裸だった。なっちも真希も。
しまった。
こんな道の真ん中じゃなく、道路の脇でしたら良かった。
経験上実際に服を脱いでるわけじゃないってわかってるけど、気分の問題。
なんか恥ずかしい。
それはさておき、おかえり。
『ただいまぁ。なんかすっごく疲れたよ』
うん。
真希の口唇が近づいてきて、私は目を閉じた。
658 :
第八話:02/05/02 13:27 ID:/a6AZXUH
『ここまで戻ってきたの?』
それが二度目の合体後の真希の第一声だった。
うん。もう用も済んだみたいだったしね。
平静をよそおいながらも、なんだかドキドキする。ちょっとあつい。
『ふふっ。そんなに嬉しい?』
うん。
隠しごとができないのって、こういうときいいな、って思う。
普段なら照れて言えないことがさらっと言える。
『私もこっちがいい。もうあの子、ずっと泣いてて暗いったらありゃしない』
でも良かったの?
『なにが?』
ののちゃんの身体の方が、なっちよりずっと良いと思うんだけど。
『そう? 人間のつくりなんて誰でも似たようなもんでしょ? って言うかさ』
右手が勝手に動いて、はなをつまんだ。
『逆のこと考えながら言うな』
あははっ。ごめん。
笑顔になっちゃう。つままれたはながかゆくって、それすら。
楽しく、嬉しかった。
659 :
第八話:02/05/02 13:28 ID:/a6AZXUH
『なっち、読んでたでしょ』
真希の口調が変わった。――来た、と思った。
その言葉に、こくん、とうなづく。
あの場所で真希を身体の中に戻したら、真希のことだから絶対
だまされたお返しとして、亜依ちゃんとののちゃんに仕返しをすると思った。
それもきっと仕返し、なんて言葉が可愛いく思えるようなことを。
だからこんな遠くまで来てから一緒になった。
『まさか。しないよ』
えっ?
予想と全然違っていた返事にちょっと驚く。しまった。
もしかして私は、真希を見くびるような判断をしてしまったかも知れない。
『加護には。お世話になったからね。もうひとりの子は――』
違った。
『殺すまではいかなくても、目くらいはつぶすべきだった』
やっぱりなっちの判断は正しかった。歩いた疲れ、暑さとは別の汗が手のひらに
浮かんでくる。真希は、さらっと言ってのけるのに。
『だまされたのも腹が立ったし、中にいる間ずっと泣きわめいてたし』
660 :
第八話:02/05/02 13:29 ID:/a6AZXUH
『まぁ、もういいけどね』
真希は笑う。
『ここから戻りたくないし、なっちの気分まで真っ暗になるのも嫌だしさ』
ほっとした。私は胸をなでおろす。
うん。じゃあ、行こっか。
そう思って踏み出そうとした一歩は、まったく動かなかった。
『その代わりぃ』
視線が動かされる。瞳にうつるのは、さっきのお店。
『お菓子、もちろん買ってくれるよね?』
661 :
第八話:02/05/02 13:30 ID:/a6AZXUH
バッグを抱えて、私達はまた歩き出した。
買ったばっかりのお菓子の袋は歩くたびにカサカサと音をたてる。
ねぇ。
『うん?』
あの亜依ちゃんのご先祖様と、なにがあったか教えて。
『加護と? 良いよ。まぁ、簡単に言っちゃえば一緒に居るときに火事になって』
うん。
『私は鏡の中に入って今もこうして無事で、加護は焼け死んじゃって、おわり』
ふいに飛び出した最後の言葉があまりに唐突で、別の意味があるのかと思った。
…。
終わりなの?
『そう。これだけだよ』
短いなぁ。私は苦笑する。でも、待って。
焼け死んだ…?
『どうかした?』
うん、なんとなくひっかかるんだけど、なんかわからない。なんだろ?
嫉妬の炎が見る見る弱火になっていく。
でもくすぶりは完全に消えなかった。
詳しい真実は今日の夢で明らかになる。
確信なんてないけど、きっとそのはず。私は歩みを進め続けた。
662 :
第八話:02/05/02 13:31 ID:/a6AZXUH
辿り着いたバス停。
次のバスは三十分後で、私達はぺたっと地べたに座り込む。すぐに真希は
さっき買ったシュークリームをつまみ始めた。
なっちとしては歩いた直後だし、暑いのもあって食欲はわかないんだけど。
飲み物もないのによく食べられるね。
『おいしいものならね。平気だよ』
そういうものかなぁ。
『そうそう。それにまたなっちに笑われるの嫌だしね』
真希はそう答えながら左手を腰にあてた。笑ってしまった。
…ふぅ。
笑い終わって私は空を見上げる。雲一つなかった。
――すべて同じ。
私達は離れる前、昨日と同じに戻ったように見える。
今日のことなんてなかったことのよう。
真希ももう気にしてない?
『そういうわけではないんだけどさ』
663 :
第八話:02/05/02 13:32 ID:/a6AZXUH
『もういいや、別に』
真希がぽつりと言ったその言葉。すごく嬉しかった。
なっちが真希と一緒になるのをちょっと遅らせたことで、ののちゃんが
ケガをしなかったと思うと、誇らしい気持ちにさえなった。
…。
空を見たまま、そっと目を閉じる。
これまでずっと流されてきた。全部決めてもらっていた。
自分からなにかをすることなんてなかったのに。
今からは違う、と思った。
あの時の亜依ちゃんとののちゃんの目。なっちを頼っていた瞳。
なっちにしか。
なっちだけにしかできないことがあるんだ。
664 :
第八話:02/05/02 13:33 ID:/a6AZXUH
ののちゃんの身体になにもなかったように、なっちの努力で、真希に罪を
犯させないようにしたい。簡単に人を傷つけたり、破壊をさせないようにしたい。
包んであげたい。
永い伝統を破ってくれた亜依のためにも。
なっちと真希を引き合わせてくれた裕ちゃんのためにも。
もう誰にも迷惑をかけさせない。
目を開けた。
両手を伸ばした。
にじむ視界に目をこらす。鏡の中に居た間のように、なっちの中に居る間も。
真希は、真希だ。
もう二度と「魔鬼」なんて呼ばせない――!
665 :
sage:02/05/02 13:34 ID:/a6AZXUH
天から降ってきた。
熱くなる身体、速く鳴る胸、高ぶる気持ち。
これがこれからのなっちの人生の指針にすら思えたのに。
『ふぅん』
私の決意に真希は、そっけない返事だった。
ホテルに着いて、べたべたする身体をさっとシャワーで流し、ベッドに飛び込んだ。
足が疲れて、ふとんがやわらかすぎてなにもする気にならない。
『本当に』
目を閉じると頭だけははっきりした。
帰りのバスは私達以外にも利用してる人、いっぱいいたなぁ。
フロントの人、こんな早くにチェックインしてもなにも言わなかったなぁ。
平日の昼間なのに、駅前は混んでいるんだなぁ。
ふと。
仰向けになって、目を開いた。
目に映るのは白い天井と家とあんまり変わらないような照明。あのでっぱりは
スプリンクラーかな?
『なにそれ?』
あのでっぱりあるじゃない。火の気配を感じたらあれから水が吹き出すんだよ。
『すごいね。そんなことができるんだ』
しまった。
真希は火事で身体を失ったんだっけ。ごめんね、気配りが足りなかったね。
『別にいいよ。今は無事だし』
…無事って言うのかなぁ?
667 :
第九話:02/05/02 13:36 ID:/a6AZXUH
私はもう一度うつ伏せになって、もう一度目を閉じた。
眠ろう。
真希と亜依ちゃんのことを知るために――夢を見るために。
『いいよ。眠るの好き』
うん。おやすみ。
『おやすみ』
さやさやと流れる空気が、私達の身体をなでで熱を飛ばす。風の流れる小さな音も
私達を眠りに導く手助けになった。
嫉妬はもうしていないよ。
今はただ。
知りたいだけ。
頭に浮かんだひっかかりを解決したい、ただそれだけ。
長い夢になりそう…。
668 :
第九話:02/05/02 13:37 ID:/a6AZXUH
山の中腹。
大きいけどもう滅んでいくだけ、そんな印象を受ける寺に、私達は居た。
くすんだ柱に刻んだ傷はふたりで月を見た数。今夜で七つ目になる。
加護の話と知識は無限の広がりを見せるかのように続いた。
目の見えない旅人は、心で景色を見ると言う。
角を隠すことも、心をかくすことも。
加護の前では無駄だった。
669 :
第九話:02/05/02 13:40 ID:/a6AZXUH
月が昇り、私は今日もここに来た。加護はすでに居る。
月明かりのなか、座り、じっと動かない。
どんなに気配を抑えて音を立てなくても、加護は私が来たことを当てた。
見えてるかのよう。
近寄り、爪をたてる。殺そうとしても息一つ乱すことない。
「怖くないの? わかってるんでしょ」
左手の爪の先がそっと、加護の喉をなでる。
「殺せるよ」
「殺さないくせに。毎日飽きないね」
加護は焦点のあわない黒目を見せて、笑った。私も笑った。
「それで? 今日はなにを聞かせてくれるのさ」
「そうだねぇ」
加護は口唇にひとさし指をあてて考えてる。可愛い丸顔が、このときだけは
別人のようにひきしまる。その指がそのまま天井を指す。
「…天にも川がある、って知ってるかい?」
はぁ?
670 :
第九話:02/05/02 13:42 ID:/a6AZXUH
加護の話しかたはゆっくりで、わかりやすくて良い。
ときどき、喉がかわいた、と言って水を飲む。
ちょっと休んで、また話しだす。
ろうそくの小さなゆらめきの中で、加護の目はとてもきれいだった。
「眠くない?」
夜通し語り合ってた。
出会ってから毎晩。
「まだ大丈夫。昼間に眠ったし」
「変な鬼」
「加護ほど変じゃないよ。人間のくせに」
おかげで最近、人間は真向かいに座るひとりしか目にしていない。
加護を除いて全てが消えた、って言われても納得できる。
…。
不思議だ。
たかが人間なのに、こいつだけは、魅力的にすら思う。
人ごときの名前なんて初めて記憶したよ。
671 :
第九話:02/05/02 13:42 ID:/a6AZXUH
名前を覚えたことを伝えると、加護は「光栄だね」と小さく笑った。
「私がただの人間じゃないからかな?」
「そうかもね」
高く昇った月。
口調がさらにゆっくりになった。
私達はうとうとしだす。
「眠るの好き」
「私も」
目を閉じたまま続く話。お互いに壁を背にして、寄り添うこともしない。
おおかた私だけど、先に起きたほうが、先にここを去る。
そして夜に来る。
いつもと同じ。
672 :
第九話:02/05/02 13:43 ID:/a6AZXUH
いつもと違った。
「んっ…?」
明るさと暑さで目を覚ます。朝まで寝過ごしちゃった?
そう思いながら開けた障子から飛び込んで来た光景は。
炎の海だった。
「なに、これ?」
炎の先が見えない。若い木が枯れ木のように燃えていく。
これは…死ぬかな?
そっと振り向くと、加護が目を覚ましていて「暑くない?」と言ってきた。
「火事だよ」と答えながら汗をぬぐう。暑さだけの汗じゃあ、ない。
「助かりそう?」
「無理かな」
「そっか」
673 :
第九話:02/05/02 13:49 ID:/a6AZXUH
加護はうつむき、今までと違う弱々しい声で「ごめんなさい」と言った。
「まだ余裕があると思ってた。ちょっとゆっくりしすぎたみたい」
「どういうこと?」
「私さ、この知恵と特殊な能力のおかげでさ。嫌われてるんだよね」
力のない笑い。
なるほど、と思った。人間にしちゃ確かに異質かも知れない。
でも。
「嫌われてるを通りこして、殺されそうだと思うんだけど」
「それくらい嫌われてるってこと」
「特殊な能力って何?」
「今までは何とか逃げられたんだけど」
「目が見えないのに?」
「そう」加護は汗を拭いた。「悪いことに関しては、勘が良いんでね」
じゃあ今回は何だよ?
口に出す前に、加護が答えた。「今回は予測が狂った。ごめん」
674 :
第九話:02/05/02 13:51 ID:/a6AZXUH
加護はやけに落ち着いていた。
人間のくせに、こんなに死に冷静なのは珍しいんじゃないか?
「死ぬの怖くないの?」
「いつかは殺されるかな、って思ってたから」
「私もさ」
「うん」
「加護じゃないけど、人間には好かれてないから」
「から?」
「この火事も加護じゃなくて」暑い。「私を殺そうとしたのかも」
木の倒れる音が聞こえた。倒れた木がこの寺にあたる音も聞こえた。
加護は「ここも燃えるね」とだけつぶやいた。
675 :
第九話:02/05/02 13:52 ID:/a6AZXUH
暑さが増す。煙りも少しずつ寺の中に這い始めた。
「助ける方法、あるよ」
助ける?
「助かる方法、でしょ?」
「助ける、で良いの。真希しか助けられないんだから」
嘘だ、と思った。私ですらこの炎をくぐって逃げられるとは思えないのに
人間の身体じゃどうこうできるわけない。
「これさ」
加護が懐から出したのは白くて小さな――手鏡だった。
「さっきの質問の答え」
そう言えば聞いてなかった、と思った。
「殺されそうなほどの特殊な能力でここに、真希の精神だけを封印する」
676 :
第九話:02/05/02 13:54 ID:/a6AZXUH
私は小さく息を吐いた。やっぱり耐えられなくて狂っちゃったか。
「何言ってんの?」
「できるんだよ」
「どうやって?」
「代々そういうことしてきてる家系だから」
「そんなことしてる時間なくない?」
「すぐ終わる」
「鏡なんてすぐ燃えちゃうんじゃん?」
「その前に埋める」
「じゃあそれっきり発見されなくない?」
「されるさ」
「どうして?」
「上に死体がふたつ重なってあったら絶対おかしいと思うからさ」
「発見されてその後はどうなるの?」
「発見した人に出してもらう」
「どうやって?」
「誰かが鏡に触わるだけで良い。真希の心は、それで出られる」
冴えていた。加護は全然、おかしくなんてなっちゃいない。ただ――。
「なに笑ってんの?」
「笑うしかないでしょ?」
できればふたりで助かりたかった。
677 :
第九話:02/05/02 13:57 ID:/a6AZXUH
「私のせいでごめんなさい」
真顔で呟く加護に私は笑顔を見せた。
壁が燃え出して、煙りが足にまとわりつく。
「お互い様だよ。ねぇ、こんなときでもきれいだね、その黒目」
炎の明かりが反射して見える。見えないとは思えないほど澄んでいた。
「すぐ出られると思うから」
どんな風に出られるかは言わなかったし、聞かなかった。
人間の身体を奪う、ってなんとなくわかったから。
「うん」
梁が落ちた。柱のかしぐ音が響いた。
人間なんて豚以下だと思ってた。食えるだけ豚のほうがましと思うこともあった。
「ひとりだけ助かって」
もう一度目を見る。
人間に助けられるとは思わなかった。すごく――負けた気分。
「ごめんなさい」
「あら珍しい。…さ、楽にして」
それが加護から聞こえた最後の感情。…絶対に、忘れないよ。
――そんな夢を見た。
678 :
第九話:02/05/02 13:59 ID:/a6AZXUH
身体を動かさず、目だけを開けるように、起きた。思った通り見られた。
おはよう、真希。
…。
厚いカーテンが光りをさえぎってるのか、まだ朝になってないのか、部屋の中は
暗かった。人間に負けた鬼からの返事もなかった。
まだ眠ってるのかな?
ふぅ。
私はそっと息を吐く。
すべての謎が解けたと思うのに、あまりに重い。
当時は気づかなかったんだろうな。なっちだって、今の夢だけだったら
なんの疑いもきっと持たない。
亜依ちゃんの言葉やあの本と重ねるから矛盾が出て、ひっかかりを覚えたんだ。
私達は、この夢のときからずっと。
ずっと負け続けてる。
679 :
第九話:02/05/02 14:01 ID:/a6AZXUH
なっち達が読んだ本には「高僧」って書いてあったし、亜依ちゃんも
そう言ってたのに、夢の中では逆。人から嫌われていた。
どっちかがうそだとしたら、それはきっと真希の夢のほうだと思う。
あれはきっと真希をだまして封印するための芝居かなんかだ。
じゃなきゃおかしい。
亜依ちゃんの姿が頭をよぎった。
――この封印する能力とか鬼を見抜く能力って、子供を産むと無くなるんやって。
だったら。
あの加護さんは、あの夢の後で子供を産んでなきゃいけない。
じゃなきゃ亜依ちゃんは真希を鏡に戻したりできないはず。
真希の負け。
ひとりだけ助かってなんか、いない。ふたりとも。
生きていたんだ。
『まさか』
突然響いてきた声に身体が、ぴくっ、と動いた。
真希、…起きてたの?
『ちょっと前からね。なっちが「負けた」とか考えたあたりからかな』
680 :
第九話:02/05/02 14:02 ID:/a6AZXUH
目が慣れて机やクローゼットの輪郭が部屋に浮かんでくる。目だけを動かして
見た壁の時計は七時を示していた。
じゃあ、夜だ。
辺りの暗さはなっちの考えを包み込む。どんなに違うって思おうとしても
「だまされた」って結末へ歩こうとしてしまう。
『私ですら脱出をあきらめるような燃えかただったんだよ。ましてや加護は』
目が見えない。脱出なんて――無理だ。
ただ責任を感じて真希を助けようとしただけ?
でもあの文献と内容が全然違っちゃう。
真希が死ぬだけじゃダメで封印する必要があったの?
でも飾ってただけって言ってた。
『なっちは肝心なことを考えていない』
そう言って真希は身体を起こした。
『放っておけば焼け死ぬような炎の中で、封印なんてする必要、どこにある?』
あっ!
681 :
第九話:02/05/02 14:03 ID:/a6AZXUH
どうどう巡りになりそうな頭の中にまた真希の声が聞こえて、なっちの中の
疑問と嫉妬の炎は小さくなり、消える。
『どうだっていいよ。今さら』
真希が立ち上がり、壁に手を触れる。明かりを点けた。
全ての黒が一瞬で白に包まれる。…これと同じこと、前にもあった。
今さら、かぁ。
そう言われちゃうともう、なっちにはなにも言えないや。
なにが真実かは結局わからないままだけど――。
真希は気にならないの?
『なにが?』
ずうっと信じてた、あの加護さんに裏切られてたのかもって。
そう話しながらなっちは、亜依ちゃんの顔を思い浮かべていた。
あの可愛い笑顔。
『だってもう。加護は死んじゃってるし』
私はくすっと笑って「その割には恩返ししようとしてたくせに」と言った。
真希も『やっと笑った』と笑い返した。
夜の駅前は人通りが多いのに、さらに冷たさを増していた。
真希の意見で軽くデザートを食べた。デザートという横文字が似合わない葛もち。
おいしいね。
『うん、おいしい』
不規則な時間に眠って不規則な時間に食べてだから、身体には悪いと思うんだけど
歯ごたえ良いし蜜も甘いしでちょっと止めるのがもったいない。
まぁね。
せっかくの旅行だし、たまにはね。
『そうそう』
683 :
第十話:02/05/02 14:05 ID:/a6AZXUH
喫茶店も静かだった。
サラリーマンの人とかOLとかがお茶でも飲んでるのかと思ったけど
そんな人達はいなくて、かえって主婦っぽい人達や大学生っぽいばっかりで
みんなそれぞれに自分の時間を楽しんでいるよう。
なっちと言えば、そんな中で音を立てずにお茶をすすったりしてる。
『静かだね』
そうだね。
どこでもきっとこうなんだろうな、と思う。なっちは知らなかったけど。
…。
真希、明日はさ。
『うん?』
起きてすぐ図書館行って調べて、お墓参り、行こう。
『いいけど、なんか気力にあふれてきたね』
うん、と私ははっきりうなづく。
ちょっと燃えてきてる。――そのために来たんだから。
684 :
第十話:02/05/02 14:06 ID:/a6AZXUH
亜依ちゃんは私達に「京都に来た目的」を聞かなかった。
起きてからそのことについて何回か考えた結果、たどり着いた結論は。
…ルール。
先祖代々、不思議な能力を持ってた亜依ちゃんの家を訪れる人は、決まって
口に出せないような用で来ていたんじゃないかと思う。
本当の用は口に出さないし、聞かなくてもわかる。
聞いてもしょうがない、行きずりの二度と会わない人だから。
ふぅ。
私達は今日の出来事で仲良しになれたと思ったのに、そう思ってたのは
なっちだけだったのかな。
改めて考えると、ただ仕事をこなしていたのかな、なんて思えてしまう。
『なるほどね』
頭に浮かぶ亜依ちゃんの笑顔を振り払う。
だからこそ。
負けて帰らないためにお墓参りに行く。目的は、果たして帰るんだ。
685 :
第十話:02/05/02 14:08 ID:/a6AZXUH
ホテルに戻ってすぐシャワーを浴び、髪をかわかし、明かりを消した。
全然眠くないけど、明日早起きするためにベッドにもぐる。
『私の経験から言うとね』
いや、と真希の言葉をさえぎった。聞かなくてもなんとなくわかる。
なっちも経験いっぱいしてるんだから。
遅くに眠ると、遅い時間にしか起きられない。
早くに眠っても、なぜか早い時間には起きられない。
『わかってるんじゃん』
真希の言葉に笑って答えた。
――だったら、いっぱい眠れたほうが良いでしょう?
『まぁそうだけど』
686 :
第十話:02/05/02 14:10 ID:/a6AZXUH
岩の上に座り、濡れないよう着物をまくって川に足をひたす。
足先に涼しくやさしい刺激。
…気持ち良い。
私は手で身体をささえながら顔をあげた。流れる汗は岩に染み、川にとける。
離れたところには着物を洗う女と、水をかけあう子供達。
空には雲が流れていた。
「んっ?」
川の中に動く影を見つけて、私はそこを蹴りあげる。
銀色に輝く川魚が宙に浮かんだところをさっと左手でつかみ、すぐ放した。
そんなことを何度か繰り返す。
二度。
三度。
四度目で視線を感じた私は、蹴りあげ先を変えた。空中を泳いだ魚は私の上には
来ないで、子供達の視線を集めたままその中心に落ちた。
背丈近くまであがる水しぶきに子供達は顔をそむける。転んだ子もいた。
転んだ子は泣きだしてしまい、私はその様子を座ったままくすくす笑って眺めてた。
――そんな夢を見た。
687 :
第十話:02/05/02 14:11 ID:/a6AZXUH
十時には図書館も開くだろう、と早めにホテルをチェックアウトした。
昨日ドアを開けたときにいた店員がフロントにいて、あのときと同じ笑顔を
見せて「お気に召しましたか」と言ってくれた。
私は「はい」と答えた。
真希も『そこそこ』と笑顔を見せる。
そのやりとりが小さな勇気をくれた。
「あのっ」
「はい」
「私みたいに女の子がひとりで、平日の朝とかに来ても、あの。泊まれるんですね」
ささやかな告白に対する報酬は。
「おかげさまで、こんな小さなホテルでも稼がせてもらえてます」
さっきまでと全然違う笑顔だった。
688 :
第十話:02/05/02 14:13 ID:/a6AZXUH
お墓の場所は意外と早く見つかった。
広くきれいなその図書館には鬼塚に関する本がいっぱい並んでて、その中に記述が
あった。行き方は京都の地理に詳しくない私でもわかりそうなほどにていねい。
『加護の家とは違う場所だね』
うん。
違うどころか駅をはさんで逆方向。あのふたりにもう一度会う可能性がなくなっちゃって
ほっとしたような、淋しいような感じ。
私は地図を、京都駅から鬼塚までの道のりを指でなぞった。わりと近そう。
『なんか用でもあったの? 加護? もうひとりのほう?』
そういうわけじゃないんだけど…って。
ふと気づいた。
矢口さんのときもそうだったけど、真希ってさぁ人を名前で呼ばないよね。
『やぐち?』
ほら、あの、金髪で声の高い。
『ああ、あのちっこい子ね。人間の名前なんていちいち記憶しないよ』
じゃあどうして、と聞く前に真希が答えた。
『世話になった人間は別だけどね。加護とかなっちとかさ』
――あっ。
胸をきゅっ、とつかむ心地良い痛み。…なっちも、真希の役に立ってる?
『立ってるよ』
そう言って真希はなっちの胸を叩いた。えへへ。
689 :
第十話:02/05/02 14:14 ID:/a6AZXUH
「ありがとうございました」
そのバス停で降りたのは私達だけだった。住宅街を抜けてはずれに向かって歩くと
お墓ってイメージからはちょっとずれた小さなお寺に着いた。
見上げて思った。
『結構新しくない?』
そうだね。
明らかに千年もたってない、割と最近建てられたような白さ。真希にゆかりの地に
建てられたりしてるのかも知れないけど、これじゃわからないなぁ。
『いや、私だけのお墓じゃないんでしょ?』
まぁ、そうなんだけど。
「失礼しまぁす…」
『そんな小さな声だったら言わなくても良いと思うんだけど』
気持ちの問題なの。
せまく開いていた門をくぐり境内に入る。あんまり手入れされていない庭を抜けると
いくつか並んだ墓石が見えた。私は大きく息を吸って、吐いた。
着いたんだ。
この中に「魔鬼」って書かれたお墓が。
『あるのかねぇ。それよりなっち、気づいてる?』
690 :
第十話:02/05/02 14:16 ID:/a6AZXUH
えっ?
『ほら』
真希が顔を向けた先には、大きな樹が一本、その横に庭石がひとつ、そしてその上に
おだんご頭がひとつだけ見えた。
「おはよう、おばちゃん」
亜依ちゃん。
「おばちゃん、夕方に来ようとすればええのに。そしたら学校帰りに来れたんや」
「どうしてここに」
来るってわかったの、と聞くのを途中でやめた。聞くまでもない。昨日と同じ。
真希だ。
「どや?」
亜依ちゃんがはにかむように笑顔をつくる。「うちの勘、よう当たるやろ?」
その顔がちょっとだけ大人びて見えた。
まるで、夢の中のように。
『まったく』
真希が笑う。なっちも笑った。もう。
全然勝てないんだから――!
『本当に違う場所なの?』
それが東京に帰ってきた真希の第一声だった。
ほら。
そう言って私はバッグをおろし看板を指さす。その動作で腕がぱきん、と鳴った。
『確かに「東京」だけど、なんかだまされてる気がする』
ふふっ。
私は伸びをする。さぁ、家に帰って怒られなきゃね。
『また怒られるのかぁ』
そう、また。しかもお父さんとかにぶたれたりするかも知れないよ?
『嫌だよ。きっと私、よけてぶち返しちゃう』
私はだめだよ、と答えて笑った。
変な感じ。これから怒られるってのになっちってばちょっとわくわくしてる。
『本当。なっちってば、変だよ』
真希も笑った。
この二日間のことを考えると、色々あった、と思う。出会ったし、経験もした。
今ならお父さんにもお母さんにも言いたいことを言えるはず。っていうか言わなきゃ。
これだけは真希に頼れない。
『まぁ、頑張ってね』
うん。
バッグを抱え直す。歩き出すと、ブーツのかかとの音が響いた。
第二部 完了