241 :
第十話:
家に着いて、車がないのを見てほっとする。いや、あったほうが良いのかなぁ。
私は音を立てずドアを開けて、閉め――ようとして一度止める。
『なっち?』
覚悟を決めて、閉めた。
「ただいまぁ…!」
『おっ、割と大声。これはさすがに聞こえてそう』
声を出すと、次の光景が浮かんできた。思考と言葉がぐるぐる回る。
心臓も急に鳴り出して、手のひらに汗をかいた。
なんて言おう。なんて言われるだろう。なんて言い返そう。なんて謝ろう。
「なつみ?」
声と一緒にお母さんが居間から出てきた。出かける準備をしてる。
「どうしたの? まだ学校終わってないでしょ」
「あっ、あの。実はね」
私は玄関で靴も脱がずに説明をした。
ケガをさせたことじゃなく、意地悪をされてたことも、全部。
声が低くなったり、小さくなったり、どもったりするのを頑張って抑えながら。
手のひらの汗は何度こすっても浮いてきた。
暑い。
落ちていた視線を上げると、お母さんの眉間にしわが寄ってるのが見えた。
「――停学?」
242 :
第十話:01/12/25 00:49 ID:L184GcfH
沈黙とため息。
「とりあえず家にはいりなさい」
そう言ってお母さんは居間に戻って行った。
靴を脱ぎながらお母さんをちらっと見ると、お母さんは鏡を覗き込んでいて、
出かける準備に戻ったようだった。
…それだけ?
鏡を覗き込みながらお母さんは続ける。
「もう、女の子なのに停学なんて。恥ずかしいったらないわ」
怒られなかった。
「なつみ。あなた、停学中はずっと家にいなさいね」
私の考えはすべて空回りしてる。
いじめの心配もケガの心配もない。
お母さんが気にしたのはなっちじゃなくて、なっちの周りばっかり。
「近所には同じ学校の子が居ないからね。風邪ってことにしておきましょう」
こちらに視線を向けたのも、鏡の中からだけ。化粧を続けたまま。
ねぇ。
全部言ったんだよ?
意地悪されてたことも、ケガさせてたことも。なのに――。
なっちが「それだけなの?」と口を開こうとした直前に、やっとお母さんは
こっちを向いた。
「なつみ。後でその子の家にお母さんと謝りに行きましょう」
243 :
第十話:01/12/25 00:51 ID:L184GcfH
嫌。
聞いた瞬間にそう思った。
今までされたことや、真希がしてくれた復讐が頭をめぐる。
「お母さん、六時にパートが終わるから、それから行きましょう」
もう済んだんだよ。
校長室で、校長先生と、担任の先生と、矢口さん達と話しあって。
『うん、私も謝りに行くの嫌だな』
「何はともあれ、ケガさせたなつみのほうが悪いんだから」
言葉のトゲだって心を痛くさせるのに。
私はきゅっと下口唇をかむ。
もう謝ろうとなんてしないって決めたんだから。
向うが謝るまで、なっちも謝らない。
「ケーキでも買って…って何よ、その目? 仕方ないでしょ、なつみが悪いんだから」
私は横に首を振る。
お母さんはそんな私を気にもせずに、靴を履き始める。
『なっち、言わなきゃ通じないってば』
知ってる。私は声を出す。
お母さんの背中に向けて、せいいっぱいの抵抗。
「もう、この問題は片づいたからさ、謝りには、行かなくて良い、と思う」
「そう思ってるのはなつみだけよ。じゃ、行ってくるわね」
バタン。
お母さんは振り返らずにドアを閉めて出ていった。
244 :
第十話:01/12/25 00:54 ID:L184GcfH
残された私はゆっくりと自分の部屋に向かった。
ごめん、真希。
やっぱり私、感謝なんて出来ない。
『そんなことよりご飯食べようよ。もう何もしたくないよ』
あはは。
真希の言葉で笑みがわく。悔しいような、哀しいような気分は変わらないけど。
時計を見ると三時前だった。
ごめんね、お昼ご飯のはずがおやつになっちゃった。
制服を着替えようとする腕が止まって、勝手に鞄を開ける。
『そう思うんなら、先にご飯食べよ』
245 :
第十話:01/12/25 00:56 ID:L184GcfH
『おいしいね』
…うん。
なっちに作ってくれたお弁当。カラフルでカロリーも低いものが多い。
食べているとさっきまでの怒りがだんだんとおさまっていく。
でも。
謝りたくない。
真希の力でいじめはなくなりそうなのに、謝ったらまた元通りになりそう。
「ごちそうさま」
ため息と一緒にそうつぶやいて、私は制服を脱いだ。部屋着を手に取る。
ふいに。
図書館で読んだ本と、おかしな考えがなっちに舞い降りた。
『えっ?』
やだ、何それ? 笑っちゃう。でも、なんだか止まらない。バカみたい。
両手で頬を押さえても、顔がにやけちゃう。
心配するかな?
生まれて始めての反乱。
手にした部屋着を放り投げると、矢口さんの言葉が頭をよぎった。
――もしかしてなつみちゃん、反抗期ぃ?
あはは、そうかも。
遅すぎる反抗期だけどね。
「真希。今から京都、京の都行こっか?」笑いを抑えて声を出す。「真希のお墓参りに」
246 :
第十話:01/12/25 01:05 ID:L184GcfH
『京って?』
急ななっちの行動に驚いてるのか、真希のぽかんとした感じがおもしろかった。
私は続ける。
真希の、ふるさと、かな?
『えっ? えっ? じゃあさぁ』
違った。
真希の答えは想像以上だった。
『ここって京じゃないんだぁ!』
…そっちなの?