#25
車庫を出てしばらく走ると、工事現場にあるような壁が道の両側に現れ、延々と続いた。
両脇の風景が全く見えないまま、タクシーは緩やかな斜面を登り始めた。
「しかし、いま時分あの辺りに行くのは珍しいなぁ」
土橋ドライバーは、ルームミラーでちらちらとこちらを見ながら言った。
「もうじき雪が降りますからねぇ。ほとんどの別荘は無人のはずだなぁ」
「そうなんですか」
「まあ、別荘地までは道路も通れるけどねぇ。もう少し先に行くと冬の間は閉鎖されちゃうし」
「でも、これから会う人、ずっとそこに居るはずなんです」
「ずっと?」
「ええ、もう4年くらい」
「そりゃ驚いた。冬場もなの?」
「ええ、多分」
「発電機とか、大きいのがあれば大丈夫なのかなぁ。何か事故でもあったら、大変だと思うけどねぇ」
「はぁ」
「さっき、4年前からっていった?」
「ええ、それが何か?」
「それも、ちょっと不思議な感じだなぁ」
「不思議、ですか」
「だって4年前っていったら、倭市はやっとサラ地になって復興が始まった頃でしょ」
「...そう、ですね」
「相当不便だったと思うけどねぇ。なんでまた、そんな頃に」
「さあ。私、その人がここに来てから、始めて会うんです」
「そうですかぁ。まあ、人それぞれ、事情があるんでしょうけどね」
「...」
道の両脇の壁が、突然途切れた。
車窓から見える景色は、もう山中のそれになっていた。
「あれ、何だと思います?」
土橋が、一瞬だけ顔をそちらに向けて窓の外を示した。
時折、木立が途切れ、下方に平坦な土地が広がっているのが見えた。
そこには小さな建物が、見渡す限り、驚くほどたくさん規則的に並んで建てられていた。
「あれ、仮設住宅ですか?」
「うん、当たり」
「今でもあんなにあるんですか?」
「あそこに5万人くらい住んでるらしいよ」
「そんなに」
「知らなかったでしょ。シティ周辺になんで民間空港が無いと思う?」
「...さあ」
「あれを見せたくないんですよ。だから空路......飛行機の通り道ね、それもこの上から外したらしい」
「まさか」
「ちょっと信じられない話でしょ。確かに、よくまあ、そんなところに気が廻るもんだと呆れるよねぇ」
「倭市の復興が始まった時、ちょっと揉めたよね」
「そう、でしたっけ」
「忘れちゃった? この辺りの土地をいったん国が接収するっていって騒ぎになった」
「あ、その事ですか。覚えてます」
「反対運動も尻つぼみになって、結局、国に丸め込まれちまった。権利を主張すべき人たちがあらかた死んじまってたからねぇ」
「...」
「お陰で復興はスムースに進んで、復興景気で平成不況からも脱出。めでたしめでたし」
「...」
「なんか、納得いかないよねぇ」
「...」
「大勢の犠牲者からかっぱらった土地の上に、ヤマトは建ってるわけさ」
「...」
「大戦後の朝鮮戦争特需、バブル期には地上げやら何やら、この国の好景気はいつも誰かを踏みつけて実現してやがる」
「...」
「日本人はおとなしい羊みたいだなんていうけど、俺に言わせりゃ豚だね」
「...」
「権力者に自分の肉を食われてる事にも気付かない、哀れな豚」
「...」
「まあ、こんな事は日本だけじゃないのかもしれないけどね」
「あの仮設住宅に住んでるの、どんな人かわかる?」
「...さあ」
「ほとんどが、建設労働者。半分以上が外国人」
「えっ」
「被災者じゃないんだ、今住んでるのは。まぁ、飯場みたいなもんだねぇ」
「そうなんですか」
「外国人就労チケットって出来たでしょう。ほとんど、あれで入ってきた連中」
「何万人も、いるんですか?」
「確か、全国で10万人近くいるらしいよ。ヤマトには、3万人以上っていったかな」
「そんなに...?」
「ああ。建設現場で働いてるのは、外国人、多いよ」
「でも、どうしてそんなに外国の人がいるんですか」
「誰もきつい労働をやりたがらないから」
「えっ」
復興で雇用が生み出されて、全国から職を求めて人がヤマトシティに集まってきた。
しかし、景気が回復し、別に働き口が出来た途端に、ほとんどの人は肉体労働を嫌い始める。
復興のための労働力を確保するために、外国人就労チケット制度が出来た。
就労チケットは、一年毎に更新される。
倭市の外国人労働者も、復興が完了すれば以後はチケットは更新されなくなり、日本に居られなくなる。
つまりは使い捨てさ、と、土橋は吐き捨てるように言った。
「でもまぁ、偉そうな事は言えんのだけどね。俺もその口だから」
「土橋さん、も?」
「ははは、名前を覚えてくれましたか。こりゃあ、どうも」
「ここの人じゃないんですか」
「元々は東北でね。ちょっと名の知れたゼネコンの、ちょっと偉い人だったんだけどね」
「...」
「上の方がバカやってくれて、会社が傾いちゃいましてね。リストラされるかと思ってたら、会社自体なくなっちゃった」
「...」
「で、無職。女房子供に逃げられて、どうしようかと思ってたら『戦争』騒ぎでね。俺も救われた口ってわけ」
「...」
「食うにも困ってたからねえ。大喜びでヤマトに来たよ。去年まで工事現場で働いてた」
「...」
「でも、肉体労働がしんどくなって、タクシーの運転手の募集見て飛びついたんだ。何を偉そうな事、言ってんだろうね」
土橋は自嘲気味に、ははは、と笑った。
「外国人にしんどい事押し付けて、自分はのうのうとしてる。まあ、嫌われる日本人の典型だね」
「そんなにたくさん、外国の人がいるなんて、思ってもみなかった」
「東南アジア、中央アジア、中東なんかが多いね」
「中央アジア...」
「ああ、アフガニスタンとか、ハルギスタンとか」
「ハルギスタン...」
「あの国は元々貧しいのに、周辺の宗教戦争やら民族紛争やらで、とばっちりを受けてるからね」
「...」
「実際にはハルギスタン人じゃないのに、難民やら、逃亡兵やらも紛れて入り込んでるらしいよ」
「ちょっと怖い感じですね」
「怖い、か」
「ええ。治安とか悪くなってるんじゃないですか」
そういうと、土橋は馬鹿にしたように、ふん、と鼻を鳴らした。
「外国人は危険、か。俺が工事現場に居た頃にも、気の良い連中はたくさん居たよ」
「...」
「連中にとっちゃ、ここはパラダイスさ。居られなくなるような妙な真似、するわけがねぇ」
「...」
「安い賃金でこき使われても、自分の国にいるよりよっぽど稼ぎになる」
「...」
「なにより命の心配をせずにゆっくり眠れる。天国みたいな場所だろうよ」
「...」
「日本人の方がよっぽど性質が悪いのが多い」
「...」
「ニュースで見なかったか。ついこの間も外国人労働者を寄生虫呼ばわりして、集団暴行したガキどもが居たろう」
「...ええ、見ました」
「金まで盗りやがって、どっちが寄生虫なんだ」
「...」
「何人か死なせちまいやがって、その人だって国には仕送りを待っている家族だって居たろうに」
「...すいません。恥ずかしい事を言いました」
「ああ、いや。すいません、つい。お客さん相手に、偉そうな事を。申し訳無い」
土橋は、首をすくめて頭を掻いた。
「でもねぇ、そんなふざけたガキどももいるけどね...」
「...」
「一方じゃ、着の身着のまま来ちまった外国人労働者を、一生懸命助けてる高校生ボランティアもいる」
「...」
「そういうのには、頭が下がりますね、ホントに。まだ捨てたもんじゃないなって思いますよ」
「...そうですね」
まばらに、別荘らしき建物が目に付くようになった。
やはり、無人の所がほとんどのようだ。
冬が近い山中はうら寂しく、ほとんどの樹が既に落葉してしまっている。
森の道を、落ち葉を巻き込み飛ばしながら、タクシーは進んだ。
「去年、ヤマトで復興祭ってやったんですよ。もうこの街は立ち直りましたってね」
「ええ、知ってます」
「でも実際はとんだハリボテだ」
「...」
「無理し過ぎだよ。ちょっとおかしいよね」
「復興祭の時も、私、来たんです」
「ああ、そうでしたか」
「でも外国の人、あまり多いようには思えなかったですね」
「連中、シティには、あまり入らないように言われてるからね」
「えっ」
「外国人労働者がいれば、いまだに復興途中ってイメージを持たれちゃうからね。制限されてるらしいよ」
「...」
「観光の事も気にしてるんだろうけどね。それ以上に...」
「それ以上に?」
「忘れたいんだろうね、みんな」
「何を」
「あの『戦争』があった事を」
「...」
「ニューヨークもそうでした」
「ニューヨーク?」
「ええ、去年行ったんです。立派な建物がたくさん出来てました」
「そう」
「きっと、あの『戦争』に巻き込まれた都市は、みんな同じなんじゃないかしら」
「...」
あの、信じられない恐怖から逃れたい。
きっと世界中の人々がそう思っているのではないか。
けれど...。
「でもね」
「...はい」
「本当に忘れてなかった? あの『戦争』の事」
「...」
「ヤマトに居てすら、ややもすると忘れちまう。喉元過ぎれば、なんとやら」
「そうですね」
「ホント、死んでいった人たちは浮かばれないよね」
「...」
「ああ、しかしニューヨークかぁ。うらやましいなぁ。観光ですか?」
「いいえ、仕事でした」
「仕事でも良いじゃないですか。田舎者なんで、海外なんて行った事無くてね」
「そうなんですか」
「どんな関係のお仕事なの?」
「...」
「あ、いや、別に無理に聞く気は無いんですけどね」
「いいえ、ちょっとショックなだけ」
「ショック?」
「ちょっとは有名になれた気はしてたんだけどなァ」
「有名? あなた、芸能人か何か?」
「ええ、まぁ」
「申し訳無いなぁ。わからなくて」
土橋は、ルームミラーで、こちらを凝視した。
「いいえ、私なんて、まだまだという事です」
「ははは。申し訳無い。名前を教えて下さいよ。仲間に自慢しますから」
「自慢になるかしら」
「さあ」
「あ、ひどいなあ。私、保田圭っていいます」
「えっ。保田圭って、歌手の?」
「ええ。あ、知ってます?」
「ああ、それでニューヨーク。復興祭も。どっちもネットラジオで聴いてましたよ、生で」
「えー。本当に?」
「本当に。いつも運転しながらでラジオばっかりだから、顔は覚えられなくてね。そうですか、あなたが」
「自慢になる?」
「そりゃあ、もう」
「なんだか私、ちょっとへこんでたんだけど、土橋さんのおかげでちょっと元気になれたわ」
「それはそれは」
「土橋さんねぇ、私の知り合いに似てるの」
「へぇ」
「その人も、相手が誰であれ言いたいこと言って、しかも、すっごい毒舌で...」
「おいおい」
「でも物知りで、正義感が強くて、いろんなことに絶望してるけど...」
「...」
「でも、希望を捨ててない」
「ははは、そんな大したもんかねぇ」
土橋は、少し照れたような顔をした。
「で、俺に似てるっていう、そのおっさんは、どういう知り合いだね?」
「おっさんじゃないわ」
「ん?」
「24歳の女の子」
その答えが余程おかしかったのか、その後ずっと土橋は笑い続けた。
「そりゃひでぇ、可哀想に、あんまりだぁ」
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タクシーは、一軒のログハウスの前の道に止まった。
そこが、目的地だった。
「ちょっと見てきなよ。もし留守だったら会社に掛け合ってタダで乗っけて帰ってあげるから」
土橋はカードで精算しながら、そう言ってくれた。
しかし、その必要は無かった。
土橋もすぐ、ログハウスの入り口にいる小柄な人物に気付いた。
「あの人かい」
「ええ」
「そいつは良かった」
「それじゃ、俺に似てるっていうオヤジギャルによろしくね」
「どうもありがとう」
とうに忘れ去っていた大昔の流行語を残し、土橋のタクシーは走り去った。
旅行鞄を持って、ログハウスの入り口まで歩いた。
その間、矢口真里は、まるで人形のようにじっと動かないままだった。
矢口は、まるで時が止まっているかのように変わっていないように見えた。
相変わらず小柄で、歳よりもずっと若く見える。
化粧っ気は無く、ブルゾンとジーンズを着ている。
髪だけは、見慣れていた金色から、本来の黒に戻していた。
「久しぶり」
ようやく矢口の目の前にたどり着くと、そう声をかけた。
ただ、感謝と謝罪の言葉を伝えられればいい。
それを矢口がどう感じようと、別に構わない。
そんなふうに思っていたはずなのに、懐かしい顔を見たとたん、暖かい言葉を期待していた。
けれども矢口は、ただ呆然とこちらを見つめ続けるだけだった。
まるで亡霊でも見ているかのように。
やがて、なんとか聞き取れるような小さな声で、呟くように言った。
「何しに来たの?」
[to be continued]