#22
岡山空港から岡山市街まではシャトルバスが運行されている。
空港自体が山中にあるようなものなので、バスから眺める風景はのどかで美しい。
しかし、今回は最終便での到着だったので、もうすっかり暗くなってしまっていた。
窓は、ただ鏡のように車内を映し出している。
そこに映る自分の顔は、なんだか急に年をとってしまったようにみえた。
バスを降りてから、予約していたシティホテルに向かった。
歩いてすぐの距離だったが、足取りは重く、ひどく遠く感じた。
『保田圭』と本名で予約していたのにも関わらず、従業員たちは驚いた様子だった。
フロントでも、案内された部屋でもしつこく話しかけられた。
ひとりで旅をするのが、こんなにわずらわしいとは思わなかった。
忍耐強く対応して、やんわりと部屋から追い出した。
ようやく部屋にひとりになると、溜息が出た。
何のために旅をしているのだろうか。
考えに沈んだ。
元娘。たちは、それぞれ別の道を歩き始めてもう随分になる。
今更会う事に、何の意味があるのだろう。
自分は、この旅に何を期待していたのだろう。
ふと、空腹である事に気付いた。
そういえば、夕食を摂っていない。
あまり食欲も無い。
何よりルームサービスを頼んで、またわずらわしい思いをするのも嫌だ。
シャワーを浴びて、早々に休む事にした。
なんだかとても、惨めな気分だった。
++++++++++ ++++++++++ ++++++++++ ++++++++++ ++++++++++
翌朝、備え付けの目覚まし時計が鳴るよりも早く目が覚めた。
朝食は、持ち合わせていた携帯用のシリアル食品で済ませた。
午前9時を回るのを待った。
その頃ならばもう夫を送り出して、比較的自由がきく時間だろう。
時間が来て、電話を掛けた。
待っていてくれたのか、僅かなコールの後に受話器が取られた。
『はい』
「もしもし、小川さんのお宅でしょうか?」
『は、はい、小川です。保田さんですか?』
「はい、保田です」
『ホントにホントに、保田さんなんですか?』
小川麻琴は、少し裏返った声でそう言った。
思わず、苦笑した。
「ホントにホントに、保田圭ですよ」
『ホントにホントに、岡山まで来てくれたんですか?』
「ホントにホントに、岡山のホテルからかけてますよ」
『ホントにホントに、うちに来てくれるんですか?』
「ホントにホントに、お邪魔するつもりですよ」
『うれしい』
東京を出る前に連絡が付いたのは、小川だけだった。
翌々日に会いたいと告げると、こちらがたじろぐほどに驚いていた。
小川にとって自分は、かつて同じグループに所属した先輩という以上のものであるらしい。
現在の自分は、娘。メンバーの頃の保田圭とは、彼女の中では繋がらないのかもしれない。
『夢みたいです』
「大袈裟ねぇ」
いつの間に、笑っている自分がいた。
小川麻琴は娘。の第5期メンバーだ。
自分が所属していた期間では、最後の後輩のひとりだ。
5期メンバーの4人は小粒な感じがして、正直のところ少し失望したものだ。
しかし、4人が4人とも必死の努力を続け、実力をつけた。
特に歌においては、高橋愛と小川麻琴が5期の双璧だった。
自分の卒業の時、この二人ならばと思いパートの引継ぎをプロデューサのつんくに相談した。
二人は、それぞれの歌い方で引き継いだパートを歌った。
それを聴くのは、とてもうれしく、楽しかった。
娘。解散の頃には、二人は歌唱力では娘。随一といわれるまでになった。
しかし、あの『事件』が小川の運命を変えてしまった。
高橋は、数ヶ月の休養の後に事務所を移籍して再デビューした。
小川も、その予定だったのだが、彼女の親族が復帰に強行に反対した。
犯人逮捕前の『事件』の報道の中には、信じられないほど無責任な物もあった。
元娘。のメンバーは次々と襲われるだろうなどと、予言者を気取ったタレントもいた。
次に誰が襲われるかと、こじつけの理由で予測をたてた番組すらあった。
そんな馬鹿げたものを信じたとは思えないが、不安を煽る要素ではあっただろう。
結局、小川は本人の意思に反して引退させられ、故郷の新潟に帰った。
この時、小川はまだ15歳だった。
娘。加入以来、全力疾走を続けてきた彼女には、あまりにも辛く重い挫折だっただろう。
それからの小川はずいぶん荒れたらしい。
定時制の高校に進んだものの、すぐに辞めてしまった。
悪い仲間が出来てしまい、何度も問題を起こしている。
そのために引退していても、マスコミの恰好の餌食になってしまった。
ある事無い事を書きたてられ、また世間に背を向ける悪循環に陥った。
小川を救ったのは、佐伯高志という高校生との出会いだった。
小川と同い年の彼は優等生で、とても不良少女と付き合うような少年ではなかったらしい。
周囲に反対されたが、二人は隠れて交際を続けた。
やがて小川は悪い仲間から抜け出し、少しずつ本来の彼女に戻っていった。
佐伯が東京の大学に進むと小川も上京し、一緒に暮らし始めた。
間も無く、二人は結婚した。
佐伯はまだ大学生だったので、式も挙げる事が出来なかった。
記念になったのは婚礼衣装での写真だけという、ささやかな結婚だった。
その写真から作られた葉書をもらった。
ウエディングドレスの小川は、娘。時代にも見せた事が無いような、幸せ一杯の笑顔だった。
そして、子供を授かった。
誕生の知らせも、写真付きの葉書で届いた。
一朗と名付けられた可愛らしい男の子は、二人の面影を宿していた。
佐伯は大学卒業後、大手の電気機器メーカーに就職した。
優秀な技術者であるらしい。
半年ほど前に岡山ある研究施設に転属になり、一家で引っ越した。
小川は夫婦別姓を選択したので、現在でも名前は小川麻琴のままだ。
『事件』の夜以来会っていないので、8年ぶりの再会になる。
電話で説明された通りに、バスに乗った。
平日の昼間なので、あまり乗客は居なかった。
久しぶりに、ゆったりとした時間を楽しんだ。
住宅地が続くが、東京とは違うのんびりした雰囲気があった。
指定されたバス停で降りると、小川の住まいは、すぐ目の前にあった。
会社の社宅だというその建物は、シンプルな造りの集合住宅だった。
張り出しの螺旋階段を昇ろうとしたとき、3階から身を乗り出している人影に気付いた。
小川麻琴だった。
「保田さん!」
小川は満面の笑みで手を振り、螺旋階段を駆け下りてきた。
やがて目の前に立った小川は、嬉しげにぺこりと頭を下げた。
「お久しぶりです」
「ホント、久しぶりね」
幸せに齢を重ね、歳月が過ぎた。
24歳の小川麻琴は、そんな感じがする女性になっていた。
++++++++++ ++++++++++ ++++++++++ ++++++++++ ++++++++++
挨拶もそこそこに、部屋に上げてもらった。
社宅なのであまり広くは無いが、3人家族ならば充分だろう。
それに、機能的に生活できるように工夫して使っているようだ。
何よりも清潔で居心地が良かった。
二人でテーブルを挟んで座った。
この8年の間に、お互いに結婚し子持ちになった。
しかし、歳月の隔たりはあまり感じなかった。
まるで、ほんの数ヶ月まで会っていたような気がした。
しかし、小川の方はそうではなかったようだ。
「なんだか、夢みたいですよぉ」
小川は、小さな女の子がするように、腕を寄り合わせて言った。
「保田さん、なんですねぇ」
「何よ、それ」
思わず、吹き出した。
「娘。の頃は、ほとんど毎日一緒にいたじゃない」
「でも、もう今の保田さんはテレビの中の人って感じで...」
「あんただって、テレビ出てたじゃない」
「まぁ、そうなんですけど。今はただの人ですからねぇ」
そんなものだろうか。
「いい奥さんになったね、小川」
「え〜、なんでですか?」
「すっごく綺麗にしてるじゃない、家の中」
「えへへ、実は、おととい電話もらってから大急ぎで掃除したんですよぉ」
「そうなの」
「押入れの中とかは、見ちゃ駄目なんです」
「ははは」
「普段は、こんなに綺麗じゃないです」
「子供、男の子だよね。一朗君だっけ?」
「ええ。名前、覚えててくれたんですか」
「当然」
「ありがとうございます」
「男の子がいたんじゃ、大変よね」
「ええ、もう」
「今日は、どうしてるの?」
「ええ、遊びに出ちゃってて、多分夕方まで帰らないですよ」
「え? まだ4歳くらいだよね」
「ええ」
「大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。いつもの事だし。東京と違ってこの辺はのどかだし」
「そう...」
(もし、真が4歳くらいになっても...)
(ひとりで遊ばせるなんて、絶対嫌だな...)
(何考えてるの...)
(もう、母親じゃないのに...)
(私には、母親でいる資格なんてないのに...)
「最近、どうです? 仕事の方は?」
「うん、順調だよ」
「すっごいですよねぇ。出す曲全部ヒットじゃないですか」
「ありがとう。でもここまで来るのは苦労シマシタヨ」
「でも、その甲斐はありましたよねぇ」
「うん。やめないで良かったと思っている」
「そうですか...」
「私も不遇な時代、長かったからね」
「でも、今は...」
「うん。小川も今は、幸せでしょ?」
「ええ...」
少しためらいがちに返事をした後、小川は思いなおしたように笑って見せた。
「平凡でも、幸せですよ」
「幸せなのが、一番よね」
「ええ」
「でも正直言って、あんな事が無ければって、時々思います」
「...」
「後藤さん、どうでした?」
「うん。傷跡は随分綺麗になってた」
「でも、あの夜みたいなんですか?」
「ううん。ずっと、良くなってたよ」
「...そうですか」
「いつか、小川も会いに行ってあげて欲しいな」
「...そうですね」
小川は、うつむいて少しの間黙り込んだ。
やがて、顔を上げていった。
「ええ、いつかきっと」
壁に立てかけてあるギターケースに目が行った。
「旦那さんの?」
「いいえ。私のです」
「小川、ギター弾くんだっけ」
「娘。の解散のちょっと前から練習してたんです」
「へえ。知らなかった。聴きたいなァ」
「ダメなんですよ。ここ、楽器は禁止で」
「あ、そうなんだ」
「もうずっと、ただの飾りです。もう弾けなくなっちゃったかも」
「?」
突然、ドアが開く音がした。
振り向くと、玄関に男の子が立っていた。
汚れたトレーナーに、短パンをはいている。
男の子は、無言のまま上がってくると立ち止まり、じっとこちらを見た。
小川の面影がある。
「一朗君、よね?」
確認しようと、小川を見た。
小川は、なぜか蒼白な顔をしていた。
「どうしたの?」
「...」
「一朗君、だよね?」
今度は、男の子に訊いて見た。
彼は、ほんの少し頷いた。
しばらくの間、一朗は何も言わず、じっとこちらを見つめていた。
そして突然、着ていたトレーナーを脱ぎ捨てた。
その姿に、凍り付いた。
あらわになった上半身は、おびただしい数の傷跡とあざに、痛々しく覆われていた。
[to be continued]