いいかげん、保田を卒業させるスレ

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525【保田圭2011】
#Special Episode "The Drowned Globefish"

吉澤ひとみは庭に出て、夢中になって1歳半の幼児と遊んでいる。
私たちの共通の先輩であり友人である、保田圭の一人息子、真だ。
子供相手の仕事もしているのに、友人の子供は珍しいのだろうか。
不思議なくらいはしゃいで、一緒に遊んでいる。

私、紺野あさ美は、応接間で、保田圭の義母の話に聞き入っていた。
彼女は、実に聡明な女性のようだ。
もう老人と言って良い年齢に見えるのに、話にいささかの淀みも無い。
理路整然とした話を続けている。

彼女に会うのはこれが2回目だ。
初対面は、保田圭のマンションだった。
保田に届け物をするために訪れた時、彼女は孫の顔を見にふらりと立ち寄っていた。
なんだか、気まずい雰囲気だった。
あまりうまくいっているようには見えなかった。

けれど、つい先刻、彼女は吉澤と私に言った。
保田圭は自分の娘だと。

その言葉は私たちを感動させたが、本心なのだろうか?
目の前の彼女からは、何も窺い知る事が出来ない。

彼女は淡々と語る。
決して裕福とは言えない家に生まれ育ったこと。
まだ少女といって良い頃に、無理やり結婚させたれたこと。
長い時間をかけて、夫と心を通じ合わせたこと。
なかなか子供が出来ず、夫と諍いがあったこと。
ずいぶん高齢になってから、ようやく子供を授かったこと。
まだ子供が幼いうちに、夫を病気で失ったこと。
夫亡き後、夫の起こした会社を女手ひとつで支えてきたこと。

「こんな話、退屈かしら?」

私は、微笑を作って首を横に振った。
お世辞ではなく、彼女の生い立ち話に興味をそそられた。

けれど、なぜそんな話を、私のような会って間も無い人間にするのだろうか?
ただ話し相手が欲しいだけなのだろうか?
そんな暇な人とは、とても思えない。
現実に彼女は今でも会社の会長であり、現役の経営陣の一人だという。
多忙な日々を過ごしているはずなのだ。

私の表情から、私の疑問を読み取ったのだろうか。
彼女は少し笑うと溜息をつき、そして言った。

「こういう話、本当は圭さんに聞いて欲しいのだけれどね」
「...そうですか」

なるほど、そういうことか。
私は、保田圭より7歳年下だが、彼女から見ればそれは微々たる差なのだろう。
私はどうやら、彼女の息子の嫁である保田の代わりに話を聞かされているらしい。
別に構わない。不愉快でも、退屈でもない。
むしろ楽しい。
けれど、代役で彼女の心は満たされるのだろうか?

保田圭は、現在国内でも特に評価の高いアーチストだ。
バラードの第一人者とされている。
当然ながら、常に多忙であり続けている。
しかし最近、家族と過ごすために仕事のペースを落とし始めたといっていた。
それでも、保田の夫は不満だったらしい。
妻一人を家に残し、ここ、自分の実家へと子供と共に来てしまった。
それくらいだから、保田が義母とゆっくり話す時間など、きっと無かったのだろう。
526【保田圭2011】:02/01/04 02:46 ID:rDOsC5WK
彼女はずっと寂しい思いをしてきたのだろう。
大きな会社を支えるのは大変なことだろう。
女手ひとつでの子育ても大変だったに違いない。
八面六臂の活躍をする彼女を周囲は勝手なイメージを作って見ているのではないだろうか。
そして、彼女と距離を置いているのではないだろうか。

私には、彼女は愛情豊かな女性に思える。
しかし、状況が彼女の愛情を一方通行なものにしてしまっているのではないのだろうか。

寂しさを紛らわせるために代役が必要なら、喜んでなろう。
素直にそう思えた。

「圭さんは旅行に出ているのね」
「はい」

彼女は突然話題を変えた。

「大丈夫かしらね」
「私、週刊誌の尾行とか心配してたんですけど...」
「それはもう有り得ないわ」
「はい。おかしいとは思ったんです。この家の周りも何も無かったし」

そう言いながらハンドバッグから出した『装置』が何であるか、彼女はひと目でわかったらしい。

「あら、あなたでしたの。誰かがシステムにジャミングを掛けてると思ったわ」
「あ、干渉しちゃいましたか。すいません」
「いいえ、大丈夫だったわ」

やはり彼女はただ者ではない。
そして、この家もただの日本家屋ではない。

「なるほど。『それ』で週刊誌の件を御知りになったんですね」
「鋭いわね。当りよ」

彼女は笑った。
そして内緒話をするように、顔を近づけて続けた。

「私が圭さんのこと心配しているのはね。圭さんが昔の友人を訪ねているからなの」
「えっ」
「人は変わるわ。ほんの数日会わないだけでも。長い時間会っていなければ、なおさら」
「そうですね...」
「嫌な思い、していなければ良いのだけれど」
「......」

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保田圭から、元娘。たちの連絡先を尋ねる電話がきたのは、3日前の深夜だ。
連絡先は、手元のデータベースにあったから、すぐに教える事も出来た。
けれど、実際にメールで返信したのは翌日の事だ。
その間に、現在の元娘。たちについて、プロの検索屋に検索を依頼した。

『検索屋』といわれる商売が成立して数年になる。
彼らは、いってみればネット上の興信所だ。
ネットは、この10年で予想をはるかに越えて驚異的な発展をした。
現在では絶対必要不可欠な、情報網であり、通信網であり、流通網だ。
そして監視網でもある。
ネットに足跡を残さずに生活するのは不可能に近い。
検索屋は、様々な合法・非合法な手段を用いて個人の情報を掻き集める。
プライバシーは既に存在しなくなってしまったといっても過言ではないかもしれない。

保田は翌日、後藤真希に会いに行くと言っていた。
できれば、止めたかった。
現在の後藤の状況は詳しくはわからないが、回復しているとは思えない。
脳機能の重度の損壊は、回復する方法が無いはずだ。

翌日、直接会いたかったが、外せない仕事があった。
やむなく、吉澤ひとみに連絡した。
吉澤は驚き、とりあえず保田のマンションに行くと言って電話を切った。
そこでどんなやり取りがあったのかはわからない。

少なくとも、保田と後藤との再会は決して穏やかなものではなかったのだろう。
先刻見た写真の様子からは、そう思える。
527【保田圭2011】:02/01/04 02:47 ID:rDOsC5WK
その翌日の朝、保田から電話があった。
吉澤に連絡をしたことについて、礼を言われた。
そのときの保田は、穏やかに話していた。
後藤について聞いたが、その事についてはあまり話さなかった。
ただ、いつか自分で見舞いに行って欲しいといわれた。
そんな日が来るだろうか。

その時、保田は地方にいる元娘。達に会いに行くと言っていた。
その旅行の計画を聞き、手元にある検索結果を教えようかどうか迷った。
結局、教えなかった。
知らない方が良い事もある。
それに、検索の結果が常に正しいとは限らない。

訪ねる予定の3人の元娘。たち。

曽根崎なつみ。旧姓・安倍なつみ。
彼女については、何も悪い結果が引っかかって来なかった。
最初に尋ねるのが彼女なのは幸いだ。
彼女は保田の親友でもあるし、きっと保田を癒してくれるだろう。
保田は後藤真希との再会で深く傷ついていると思えた。

しかし、後の二人は...。
信じたくない、と思う。
検索の結果は間違いだと思いたい。
けれど、そう断定する要素もまた、どこにも見つからなかった。

この旅を止めたい衝動に駆られた。
けれど、止める口実が見つからなかった。
迂闊にもその時まだ、保田圭本人について検索していなかったのだ。

電話を切ってすぐ、検索屋に保田の検索を依頼した。
結果の報告はとりあえず12時間後に指定した。
しかし、いつまで待っても連絡は無かった。
何度か利用した事のある検索屋だったので安心していたのだが。
前金のクレジットを持ち逃げしたのか。
それとも、どこかに察知されて圧力でもかかったのか。

予備の検索屋に依頼していなかった事を後悔し始めた頃、1通のメールが届いた。
知り合いのクラッカー『レムス』からだった。
レムスには、私が保田圭ファンのOLだという偽の個人情報を流してある。
メールには、暗号化されたバイナリファイルが添付されていた。
ファイルには保田の近辺を調べ上げたデータと、彼女を中傷しようとする記事の案が入っていた。
週刊誌の編集部のデータベースに浸入して、盗み出してくれた物だった。

すぐに保田圭に連絡しようとしたが、既に旅立った後だった。
そのしばらく後、コール音が鳴った。
吉澤ひとみからだった。

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「保田さんは、きっと大丈夫ですよ」

何の根拠も無かったが、そう言った。
そうね、と保田圭の義母はうなずいた。
そして言った。

「あなた、圭さんに似ているわね」
「そうでしょうか」

思ってもみない言葉に、なぜか不服そうな顔をしてしまった私を見て、彼女は笑った。
そして、冗談よ、と付け足した。

[End of Special Episode "The Drowned Globefish"]