#21
「どうしてだろうね」
なつみは、窓の外を見たまま続けた。
まるで魂を抜き取られてしまったように、無表情に。
まるで誰かに操られているかのように、淡々と。
「みんな、後藤のために泣いていたのにね」
「...」
「あの時、気づいたんだ。ずっと憎んでたんだなって」
なつみは、ほんの少し顔をゆがめた。
「後藤の事、好きだと思い込もうとしていたんだなって」
なつみの顔が、醜く歪んだ。
「最低だね」
「なっち...」
「あの時だよ。あんな可哀想な姿を見て、ざまあみろって思ったんだよ」
「...」
「最低だね」
「私ね、なっち」
「...」
「あの時、後藤が化け物になってしまったって思った。そんなふうに思った」
「...」
「でも、そうじゃないよね」
「わかってる」
「...」
「後藤はかわいい女の子だよ」
「...」
「わかってる」
「私が言いたいのはそういう事じゃなくて」
「わかってる」
「...」
「あんな状況だったからって、言いたいんでしょ?」
「...」
「あんな状況だから、本音がでたんだよ」
「...」
「圭ちゃんは後藤の事、化け物みたいに思っちゃたんだね」
「...」
「私は、ざまあみろって思った」
「...」
「本音が出たんだよ」
「ねぇ、なっち」
「...」
「今でも、そう思ってるの?」
驚いたように、なつみは顔を上げた。
そして、ほんの少し笑った。
あざ笑うような、醜い笑いだった。
「どうなんだろ」
「今はそう思っていないよね」
「...」
「そうでしょ、なっち」
「...」
なつみはまた、窓の外に視線を移した。
その目は、救いを求めるような哀れな色になった。
視線の先には、裏庭でしゃがみ込んで植木鉢を覗く、ちびなっちがいた。
水平飛行に入り、ベルト着用のランプが消えた。
その途端、若いパーサーがやってきて言った。
「あの、保田圭さんですよね。サインいただいて良いですか」
「はい」
差し出された大きめの手帳の1ページに丁寧にサインする。
パーサーが食い入るように覗き込んでいる。
「本当は規則で禁止されてるんですけど。すいません」
「いいえ」
笑顔で、手帳を返す。
「ずっと応援してます。ありがとうございました」
「ありがとうございます」
彼女は大事そうに手帳を抱えると、踊るような足取りで去った。
彼女の先輩らしいパーサーが苦笑いで見送っている。
目があった。
詫びるような会釈に、笑顔で会釈を返す。
彼女に与える事の出来た小さな幸せに、きっと自分は満足すべきなのだろう。
数十秒の出会いの中で、彼女の笑顔しか知らない。
けれど若い彼女の心にもきっと、これまで生きてきた間に受けたいくつもの傷があるはずだ。
しかし、彼女は笑顔だった。
哀しみをあからさまに顔に出して生きている人間などいない。
それは、自分も同じ事だ。
きっと誰もが笑顔の下に、悲しみや苦しみを隠している。
そして、闇の部分も。
中澤裕子の心の闇。
曽根崎なつみの心の闇。
嫉妬や羨望。
醜い心に囚われて苦しむのは、その人が心正しく生きようとしている証拠だと思う。
なぜなら、その人が向き合っているのはきっと自分自身なのだから。
中澤裕子が憎んでいるのは、きっと保田圭ではない。
嫉妬に胸を焦がす、自分自身の心だ。
曽根崎なつみも同じ事だ。
あの夜、あの一瞬、後藤真希の不幸を喜んでしまったのは本当かもしれない。
けれど今、彼女を苦しめているのは、その一瞬の自分自身だ。
もうどこにもいない、幻の自分自身だ。
中澤の事は、時間が解決してくれるかもしれない。
二人が近い距離にいれば、中澤の心は変わっていくのかもしれない。
だが、なつみと後藤の場合はどうだろう。
二人が再び出会う事で、なつみの心は変わるだろうか。
囚われた闇から、抜け出す事が出来るだろうか。
室蘭と赤牟は、遠すぎる。
なつみと後藤の距離は、遠すぎる。
けれど、いつか二人の距離がゼロになる日が来ると信じたい。
そこには、闇を追い払う光があると信じたい。
ねぇ、後藤。
あんたの事、とても憎んでしまった人がいるんだ。
その人は、ほんの一瞬、あんたの不幸まで喜んでしまった。
その人は、ずっとずっとその事で苦しんできた。
どうする。
後藤なら、どうする。
許してあげてくれるよね。
救ってあげてくれるよね。
だってその人は、あんたの事とても愛しているんだから。
そうでなければきっと、あんなにも苦しみはしないから。
抜け出せない心の闇の中で、ずっとさまよい続けている。
そんな人を、見捨てたりはしないよね。
後藤なら、きっとそうだよね。
私、何にも出来なかった。
救ってあげる事が出来なかった。
私、その人の事、大好きなのに。
その人が苦しんでるのに、どうする事も出来なかった。
哀しいよ。
苦しいよ。
どうすればいいのか、わかんないんだ。
おかしいね。
いい大人なのに。
何にも出来ないなんて、情けないよね。
私じゃ、駄目なんだ。
きっと、駄目なんだと思う。
ねぇ、後藤。
お願いがある。
いつか、もっと時が流れたら。
その人があんたと会う日が来るのかもしれない。
もしも、その時が来たなら。
微笑んであげて欲しい。
それだけでいいから。
それだけで、きっとその人は救われるから。
お願いだよ、後藤。
お願いだよ。
[to be continued]
...and See You Soon, "Holy Day".