#19
>>>> 多賀からのメール
待機、あと5日に延長。
準備難航中。
連絡待て。
>>>> 社長からのメール
多賀君からハルギスタン行きを希望している事を聞きました。
私は、反対です。
今度お会いしてお話ししましょう。
また連絡します。
>>>> 紺野あさ美からのメール(2通目)
さっきのメールで書き忘れたので、追伸です。
人を訪ねるのなら、相手の事を良く思い出しておくこと。
特に訪ねる相手の子供の名前を忘れてるなんてサイテーです。
もういい大人なんだから、そういうところもちゃんとしてくださいね。
(紺野め。ナマイキな。最近言いたい放題じゃないの)
(大体、失礼よ。子供の名前くらい覚えてるわよ)
(なっちのところの子は、え〜と......)
(......)
(......)
(年賀状で調べとこう。ま、今回は感謝しとくか)
>>>> 紺野あさ美からのメール(3通目)
今日、3通目です。
検索屋さんから結果が来たので、取り急ぎ。
市井紗耶香さんについて、検索を依頼していました。
評判のいいところに頼んだのですが、結果は残念ながら Not Found でした。
それから、言い忘れていたのですが、今年になって福田さんから電話をもらいました。
さっきかけてみましたが、今は連絡がつかないようです。
念の為、電話番号です。
福田明日香さん(自宅) 5XXX-XXXX
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はい、福田です。
現在、長期海外出張中です。
帰国は来年早々の予定です。
モントリオール支部に居ますが、外出が多いので連絡はメールでお願いします。
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(出張中かぁ)
もう何年、福田明日香に会っていないだろう。
そういえば、就職先も知らない。
(また、冷たいとか言われそうだなぁ)
受話器を置くと、その瞬間にコールが鳴った。
(あれ、ひょっとして明日香、帰ってきてるのかな)
慌てて受話器を取った。
「もしもし、保田さんのお宅でしょうか?」
「はい」
「あ、保田? ねぇ今夜にでも会えない?」
「...彩っぺ?」
石黒彩は、娘。初代のメンバーだ。
そして、娘の二人目の卒業生でもある。
彼女と共に娘。として過ごしたのは1年半あまりだが、共に苦労した忘れ得ぬメンバーだ。
特徴的な、ややつり上がった大きな目に、鼻ピアス。
一見、きつそうに見えるが、娘。の中で一番優しい性格をしていたのは彼女だろう。
「彩っぺは、おかあさんみたいだね」
いつか、後藤がそう言っていた。
「だって、何にも言わなくても後藤の事わかっちゃうんだもん」
いつも、優しく包み込むように近くにいる。
彩は、そんな暖かな存在だった。
娘。卒業の理由は、服飾デザイナーになる夢をあきらめきれない、ということだった。
しかし彼女は、卒業後しばらくして結婚し、家庭に入った。
そのために、結婚が本当の理由だったのだろうと取り沙汰されたりもした。
もちろん、真実は彼女しか知らない。
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「へぇい、保田ァ」
約束の時間を15分も過ぎて、彩は現れた。
彩が指定した、レトロ趣味なスカイバーだった。
「遅ォい。自分から呼び出して、遅刻?」
「すまん、すまん。あ、あたしも同じのを」
大袈裟に謝る仕草をしつつ、隣のカウンター席に納まった。
豊かな髪は、相変わらずきつめに染めている。
上品だが、派手な色のスーツを着込んでいる。
とても小学生の子供を持つ母親には見えない。
だが、彼女が子煩悩な良い母親だと、誰もが知っている。
「久しぶりだねぇ」
「ホントに久々。...ねぇ、保田、どうかした?」
「えっ」
「何か変だよ。何かあったの?」
自分の言葉に自信を持って、彩はそう訊いてきた。
そして心配そうに、顔を覗き込んでくる。
(久々に会っても、そうなんだなぁ)
取り繕ってみても、彩には通じない。
まるで見透かすように、相手の心を言い当てる。
娘。の頃から、ずっとそうだった。
(いっちゃおうか)
一瞬迷った。
覗き込んできた彩と、目が合った。
大きくてきれいな瞳が、今にも泣き出しそうに、潤んでいる。
(いっちゃおうかな)
夫と子供の事。
ハルギスタン行きの事。
そして、後藤に会ってきた事。
(...ダメだね)
話すべきではない。
彩には辛い話は、するべきではない。
「今日は、どうしたの? 急に電話くれて」
無理やり話題を変えた。
そうとわかるように。
「そっか、話したくないか...」
彩は、視線をそらすと寂しそうに言った。
「...大丈夫だよ」
「...」
「私は、大丈夫だよ」
「...そう」
「なんか、寂しいわ」
彩は、カクテルに唇をつけたまま呟いた。
「さぁ楽しく飲もう。久しぶりじゃないの」
「...ごめん」
「ん〜」
「楽しい話じゃないんだ」
「そか、...いいよ。話して」
彩の顔を見ずに、カクテルグラスを見つめていった。
彩がこちらを見ているのがわかる。
迷っているのがわかる。
やがて、迷いを断ち切るように、彩は大きめの声で話し出した。
「裕ちゃんの事なんだけど」
「裕ちゃん?」
意外だった。
中澤裕子の話とは、思いもしなかった。
「あんた、新垣ちゃんと『裕子の部屋』出たでしょ」
「...うん」
「その日、裕ちゃん遅刻してきたでしょ」
「うん。深酒して寝坊したって言ってた」
「あたしね、一緒だったの。前の晩、一緒に飲んでたの」
「...」
「裕ちゃん、荒れちゃってね、すごく」
「...どうして?」
彩は、少しためらった後、続けた。
「あんたに会わなきゃいけないから」
殴られたような衝撃だった。
愕然として、グラスを落としそうになった。
中澤は、再会を喜んでくれていたのではなかったか。
そして、思い出した。
鏡越しの、あの視線。
憎悪に満ちた、あの視線。
中澤はやはり、自分を見ていたのだ。
「誤解しないで」
彩は慌てて付け足した。
「裕ちゃんは、あんたの事、すごく大事に思っているんだ」
(じゃあ、何で...)
聞きたかったが、声が出なかった。
彩は、その様子を見て、なだめる様にゆっくりと話した。
「ごめん。変な言いかたして。裕ちゃんはね、自分にいきどおっちゃってるんだ」
「...」
「裕ちゃん、ずっと歌で成功したかったのよね。ずっとがんばってた。でも、駄目だった」
「...」
「だから、あんたが成功して、すごくうれしいんだけど、すごくうらやんじゃってる」
「...」
「...憎むくらいにね」
「...」
「自分の気持ちをどうにも出来ないみたい」
「...ごめん。こんな事、話しちゃいけない事だよね。ごめん」
彩は椅子ごと背を向けた。
肩がわずかに揺れている。
泣いているのがわかる。
その夜からずっと、悩み続けてきたのだろう。
彩の一番の泣き所は、多分優しすぎる事だろう。
彼女の心の容量は、きっととても小さいのだ。
優しすぎる彼女は、時に他人の悲しみでその心を一杯にしてしまう。
そしてその苦しみに、堪えられなくなってしまう。
中澤は、きっと酔いに任せて自分の気持ちを彩にぶちまけてしまったのだ。
それを彩は、ダイレクトに受け止めてしまったのだろう。
そして、堪えられなくなってしまったのだ。
そうならば、中澤もきっと自分の気持ちに苦しんでいるのに違いない。
「わかったよ」
明るい声を作ってそう言うと、彩は振り向いた。
「じゃあ、もっともっと裕ちゃんに憎まれるような、すっごい歌手になるわ」
笑って言った。
本当は泣きたかった。
「そう」
そんな気持ちをきっと見抜いているはずの彩はしかし、優しく微笑んでうなずいた。
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羽田空港から、新千歳空港へ。
そこから室蘭へは電車を乗り継がなければならないが、今回はレンタカーを借りてみた。
今年はまだ、雪が降っていない。
年々初雪が遅くなっていると聞いた。
地球温暖化は確実に進んでしまっているのという。
人々が狂い、世界が狂い、地球が狂っているといったのは、確か有名な環境活動家だ。
未来は閉塞感に満ちている。
いつからこんな時代になったのだろう。
それでも、ほとんど変わらずに暮らし続ける自分や周囲に、不思議さを感じる。
もっとも世界の行方はおろか、自分の歩く道にさえ迷いがちだ。
だからこそ、自分の道を見つめるために、娘。たちに会おうとしている。
そのために、ここまで来た。
彼女に会うために。
やがて、目的地に着いた。
交通量の多い国道沿い。
郊外型大型店舗の電気店と紳士服チェーン店の間。
もう昼時をずいぶん過ぎているのに、広い駐車場は半分近くが埋まっている。
レンタカーを駐車場に止めた。
家族連れが多い。
ずいぶん繁盛しているようだ。
(ホントにあるんだ...)
本人にも聞いた。
テレビや雑誌の取材も見た事がある。
しかし、実際に目の当たりにすると、何やらおかしさが込み上げる。
(笑ったら、怒られちゃうな)
巨大な看板には堂々とした毛筆で、『お食事処なっち』とあった。
[to be continued]