シアター

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6574-2.6

矢口さんとの電話を切ってから、ひとみちゃんは考え込むような顔つきでしば
らく黙っていました。腕を組んで、そう。視線をちょっと落として。
私には、わかる。ひとみちゃんがそうして、何を考えているのか。矢口さんに
対して、ありがとうって思う気持ちと、すみませんって思う気持ちが、心の中
で行ったり来たりしてるのよね。私もそう。結婚の噂が本当だったっていうの
も、やっぱりショックだよ‥矢口さん、有能だもの‥。


この頃になると私はもう、ひとみちゃんの考え方とか、感情の起伏とか、そう
いったモノをだいたい読み取れるようになっていました。私だってすごく分か
りやすい方だから、きっと、ひとみちゃんも同じ。信頼、そういう意識が、私
たちの中に確実に根ざして来ていました。いろいろな事を乗り越えて私達は、
これからもきっと上手くやって行けるのでしょう。
658萌え男。 ◆Cr9od..Y :02/01/16 00:41 ID:toNfxG/w

後藤真希ちゃんと出会ったのが、良い事なのか、悪い事なのか、この時の私達
にはまだ、はっきりと解らなかった。(でもやっぱり、アイドルってかわいい
なー、と思いました。)昨日、真希ちゃんが現れて、それからいろいろ話して
いる間に、ひとみちゃんの目は、なんだかポーっとしてた。ひとみちゃんは見
栄っ張りだし、表情をあまり変えない方だから、真希ちゃんにも加護ちゃんに
も、その幸福は多分バレてないと思うけど、私にはわかるよ。すごく嬉しいん
でしょ?

でも私はなぜか、それで良いと思いました。真希ちゃんに見つめられて、照れ
て、でもとても楽しそうな瞳の輝きに正直、嫉妬しないかと言えば、それは嘘
になります。でも私はお姉さんだし(ある意味本当に)、それにひとみちゃん
がどれだけ私の事を大切に思ってくれているのか、ちゃんと知っていたから、
だから平気。許せる。
ひとみちゃんには私、いっぱい苦労をかけたから、これはきっと頑張ってる
ひとみちゃんへの、神様がくれたご褒美なのだと思います。
でも私にも、ちゃんと優しくしてね。
真希ちゃんがいいコで良かったね。
659萌え男。 ◆Cr9od..Y :02/01/16 00:42 ID:toNfxG/w

携帯を床に置いたひとみちゃんは、黙り込んでいろいろ考えているみたいでした。
しばらくして私は離れて、置いてあった雑誌をパラパラめくりました。加護ちゃ
んが多分、ゆうべこの広い部屋に忘れていったのだと思います。雑誌はテレビの
脇に、ポツリと放置されたように置いてありました。

アイドル雑誌だったから、やっぱり真希ちゃんは載っていた。それどころか、大
きな特集を組まれていました。ティーン向けだから扱いは、ワイドショーなどと
やはり違います。カリスマとしてもてはやされ、陰口の類いはまるで見あたりま
せん。
大きな見開きのページには、真希ちゃんが珍しく、シンプルなシャツを着せられ
て映っていました。テレビなどで良く見慣れた普段のカッコいい真希ちゃんもい
いけれど、こういう清楚な雰囲気も本当はよく似合うんだな‥。と、感心してい
た時、ふと、思い出しました。真希ちゃんを叩いている雑誌のうちの、特に有名
なものの一つと、このアイドル雑誌の出版社が、確か同じだったこと。大きな会
社だったし2つともとても有名な雑誌だから、私にもわかりました。父と家に住
んでいた頃、この2つが並んだ新聞の広告を目にした事が何度もあるんです。
660萌え男。 ◆Cr9od..Y :02/01/16 00:43 ID:toNfxG/w

「キャッ。」
私はびっくりして、声を上げてしまいました。立ち上がったひとみちゃんが、歩
いて来て、突然うしろから覆いかぶさってきたからでした。
「もう、何かヒトコト言ってよ。びっくりするじゃない。」
ひとみちゃんは無言でため息をつきます。私の横の髪の毛が、サラサラと少し揺
れました。
「ひとみちゃんさー、」
肩に絡んだ長い腕に、私は自分の手を重ねて。
「考えたって、今の私達にはできる事がないんだわ。なりゆきに任せるしか‥。
好意は素直に受け取っておこうよ?ていうか。それしかなくない‥?」
「‥そうなんだよね。」
ひとみちゃんも解ってはいるようです。
「でも、そうやって何でも真剣に考えちゃうトコも、結構好き。ホラ、テレビでも
見よう?」

側にあったリモコンに手をのばすと、私の肩口からひとみちゃんが顔を上げました。
ウィンと軽く唸ってテレビの電源が入り、すぐににぎやかな音声が辺りを満たし始
めます。かわりに、それまで絶えず聞こえていた部屋の空調の回転音が、全くどこ
かへ消えてしまい、やがてそれすら忘れた頃に、真希ちゃんのCMが流れました。
661萌え男。 ◆Cr9od..Y :02/01/16 00:44 ID:toNfxG/w

2人して、しばらくテレビを眺めていました。昼間だし、あまり面白そうなのは
やっていなかったけれど、他に特にやる事もなかったんです。この建物をでるのも
やっぱり危険だし‥。でもバーにいた時も、私達は昼のあいだよくこんなふうに過
ごしていたわ‥、環境変わっても、あんまり生活変わらないね、って、ちょっとおも
しろくなって、横のひとみちゃんを見てみると、ひとみちゃんはそれに気付いた。
「なに?」
って不思議そうに。ふふ。
「なんでもない。」
って、もっとニコニコ。
すると、
「梨華ちゃんてさー、どんどん変わっていくよね。前からおかしいと思っていたけ
ど、最近ますますヘン。」
って、ひとみちゃんが笑ったから、私はまた嬉しくなった。

いろいろ難しく考えるのを、私はもうやめました。
ただひとみちゃんと一緒に行くだけ。
ひとみちゃんは考えるのを多分やめられないだろうから、私達はそう、きっとそういう
役割分担なんでしょう。笑っている私を見て、ひとみちゃんはきっと救われ、私の事を
もっと好きになると思います。そうでしょう、ひとみちゃん。
(笑っているワタシが好きなんでしょう。ひとみちゃん。エ、そう言ってみなさいよ。)
って、言ってみたかったけど、やっぱりやめておきました。
662萌え男。 ◆Cr9od..Y :02/01/16 00:45 ID:toNfxG/w

真希ちゃんが何時の間にか、部屋の入り口に立っていて、それは昨夜の登場の仕方
にとてもよく似ていました。違う所といえば、昨日はもう暗かったこと。今はまだ
明るい。
この部屋の特徴的な壁紙は昼間、部屋全体をさらに眩しく明るく見せ、それでも入り
口の扉は北の方角についているから、彼女がいま立つ付近は少しうす暗いのだけれど。
「ただいま。」
って笑う真希ちゃんが壁の山脈や虹と妙にマッチしていて、私は一瞬、これはポスター
か何かだろうかと、一瞬目を疑った程です。

「おかえり、‥!」
そうひとみちゃんは言ったけど、私と同じで、さっきまでテレビとか雑誌の中にいた
真希ちゃんに、やっぱりちょっと落ち着かないみたい。
やっぱり、すごく不思議なカンジ。昨夜の出来事は嘘ではなく、ここがG教なのもまた
嘘じゃない。真希ちゃんを見ていると、現実と非現実が私達の場合、いったいどこから
逆転してしまったのか‥、と、そういう不思議な感情が巡ったりしました。
663萌え男。 ◆Cr9od..Y :02/01/16 00:45 ID:toNfxG/w

私達の様子を特に気にするわけでもなく、
「腹減った〜ン。」
などと言いながら、真希ちゃんはずんずん近付いて来ます。私達の横に来て、ぺたり
と腰を下ろします。まるで蝶の鱗粉のように、自分がオーラをまき散らしていること、
それに彼女自身、一体気づいているのでしょうか?
きらきらした残像を目で追いかけていたひとみちゃんはやがて、不器用に言いました。
「あ、ええと。早いんだね、なんか。もっと遅くなるのかと思ってた。」
「今日は本部に行ってきただけ。あとはオフよん。」
「加護ちゃんは?」
と、私がたずねると
「あのコは今日ずっと仕事。でも、そんなに遅くなんないんじゃないかなー。それより
そうめん食べる?」
と、逆に聞き返されちゃいました。
664萌え男。 ◆Cr9od..Y :02/01/16 00:46 ID:toNfxG/w

最上階の広大な部屋のとなりは、意外なことに、まるで新築のマンションのようなスペ
ースが設けてありました。壁紙の部屋を出て、ピカピカの木の廊下を歩くと、ベージュ
に塗られた鉄の扉が。真希ちゃんについて中に入ると、また別な素材の廊下が伸びて、
奥には、洋風と和風を足して割ったような居間。そしてきれいなキッチン。
「へえー‥。」
と驚いて、私達が感心していたら、
「へへ。いいでしょ。」
と、真希ちゃんは楽しそうに笑いました。
「頼んで作ってもらったんだ。自分で料理つくって、よくココで食べるよ。私。ま、メン
ドクサイ時は下の人に作ってもらうけど。でもたいがいココに運んでもらうなー。あいぼん
がいる時は一緒に食べるし、いない時はひとりで食べる。落ち着くのよ〜。」

置いてあるインテリアの類い、その全てがとても高価であると私はすぐに気付きまし
た。真希ちゃんの為に用意されたスペース。ある程度は予想できたはずなのに、それは
あまりにも豪華で、嫌味なく上品で。
何気なく壁にかけられた絵も、空間を仕切る柱も、出された座布団と湯呑み、全てがそう、
完璧で本物。その完全な、主張し過ぎない調和。

けれど、これら最高峰の調和の中において、最も高級で、最も完成された存在は、真希
ちゃん自身でした。腕に注射痕がいくつもある事に、私だって気付いてた筈なのに、私は
そう直感しました。
真希ちゃんこそが、王女。

王女がそうめんを茹でてるんだわ。