鉄筋コンクリートでできた巨大かつ高層なる建築物の中に、なかばむりやり和
の空間をしつらえようとする時、有機と無機が混ざり合って部屋は特有の化学
臭をもつ。
「ここに居ていいよ?」
と、ひとなつこく後藤真希が言って、直後加護亜依により通されたのは、同じ
建物の階下にある、そういったこぎれいな和室だった。広くはないが狭くもな
い。きれいな畳と新しい床の間。私達が入った時、既にやわらかそうな布団が
2組、きちんと揃って敷かれていた。
翌朝、慣れない布団の清潔な違和感に薄く目を開くと、梨華はまだ隣の布団で
健やかな寝息を立てていた。午前特有の硬い日ざしが窓の障子を通過して、青
い透明なシートになって、私達を静粛に包んでいる。
(ここは‥、)
くだんの人工的な匂いのせいか。正体のわからない昂揚を覚えて、私はとりあ
えず身を起こした。
(そうだ、G教だ‥。ああ、G教なのかな、ココ。それとも、真希ちゃん個人の
家かしら。)
衝動的に立ち上がって、理由もないまま障子をあけると、腐った湾と埋め立て
地が、眼下に清々しく広がった。
「う‥、ん。」
と、背後で小さく呻いたのは、物憂げに眉をひそめた梨華。差し込む太陽を嫌が
って、たった今ひそかに寝返りをうった。いまさらこんなの随分見慣れていたけ
れどいかんせん環境が新鮮だったので、私は普段よりもときめいてしまった。
これから何が起こるんだろうか。
真希ちゃんと仲良くなれるかな。
しばらくして梨華も起きたが、勝手の知らない場所で私達は、とりあえず何をし
て良いかわからなかった。障子を閉めた私は再び布団の上へと移動し、昨夜用意
されてあった木綿のパジャマを着たまま、梨華と2人何をするでもなく、手持ち
無沙汰にしていた。
すると、突然ドアがノックされて、こちら側のふすまが開いた。
「朝食の用意ができています。それともシャワーを、お使いになりますか。」
突如として出現した中年のふくよかな女性は白い上下を着ていた。その生地の
ガサガサとした具合が、なんとなく医者の術衣を連想させた。
ああここは、真希ちゃんと加護以外にも人がすんでいるんだな‥。と、私が妙
に納得していると、梨華が遠慮がちに口を開く。
「あの‥。」
敷き居の向こうに座ったまま女性は静かに頷いた。
「お風呂は、昨日いただいたので、今は、けっこうです‥。でもちょっと、身だ
しなみを整えたいので、できればドライヤーなんかを‥、お借り出来ないでしょ
うか‥。」
「では先に、洗面所のほうへご案内します。」
中年の女性はいかにも善良らしく、前歯を見せず微笑んだ。
ここにいる間ほぼ毎朝私達はこうして食事を告げられたが、当番制でもあるのだ
ろうか、呼びに来る女性は毎回違った。彼女たちは皆一様に親切で、落ち着き払っ
ていて、言葉少なだった。例えばトイレがどこにあるとか、豪華な風呂や洗面所は、
備品も含めて自由に使って良いとか、必要なことは懇切丁寧に教えてくれたけれど
も、何か特別な基準でもあるのか、意外と些細な質問がそれとなく受け流されたり
した。
新都心の凡庸な高級マンションと見えるこの建物は、本部ではないがやはり教団の
所有で、主には教祖の居住区と、その他に信仰者用の集会スペースがあるという。
ここにいる人々は皆出家信者で、側仕えというわけで随分高位の者たち。加護亜依
は正確には信者ではなく、主にその集客性を、要するに次期資金源として素質を買
われた一人らしい。従って教団内部での地位は低いが、どう取り入ったのか(とは
あくまでもその女性の言葉)真希ちゃん本人が大変加護を気に入っているため、特別
近くに接する事を周囲から許されている。
私達の質問にじつに淡々と答えた女性は、私達が食事を取る間に、どこかへ消え
てしまった。そして誰もいなくなった静まり返った食堂で、おいしく食事をいた
だいたが、食後、どこへ食器をさげてよいのかわからなかったので、テーブルの
上をそのままにして出ていったら、約30分後には、それらがきれいに片付いて
いた。トイレに行こうと再び食堂の前を通り過ぎ、そのピカピカに磨きあげられ
たテーブルを私は見たわけだが、なんだか、とても恐縮した。食べた食器は自分
で、といった習慣がしばらくの2人暮しでは当然だったからだ。
けれども、そもそも真希ちゃんと加護以外の信者と遭遇すること自体、朝の通例を
除けば私達には稀で、建物内は常に、ちょっと神経質なくらい綺麗に掃除されてい
て、確実に、それも大人数の気配があるのに、どの部屋あるいはどの通路も、私と
梨華が存在するかぎり、全くがらんとしていた。
これら顔のない群集といい、私達が毎朝早く起きようが遅く起きようがまるで監視
でもしているように絶妙のタイミングでふすまを開ける日替わりの女性信者達とい
い、メディアでの報道のされ方や教祖自身のパブリックイメージに反して、随分規
律だった組織のようだと私は思ったけれども、同時にこれまでの人生で全く馴染み
のなかったカルトという特殊な集団を、改めて意識せずにはいられなかった。
そして他でもない後藤真希こそがこの集団の教祖だということも。
あるいはある程度どこからか監視されていたのかも知れないが、私と梨華はほぼ
自由に施設内を動くことができた。もちろん特別に施錠された部屋もあるから、
完全にフリーというわけではないけれども。しかし私達はそれら教団の秘密のよう
なものに全く関心がなかったし、且つ敢えて距離を置いた。大量の少年少女を末端
の信者として有し、そして真希ちゃんを最高位に据えた集団だとしても、やはり好
んで踏み入れたくはなかった。
真希ちゃんと加護は朝から不在だった。私達は朝食後、あてがわれた和室でしばら
く過ごしたが、やがて昼間の和室がもつ独特の閉息感に耐えきれなくなり、携帯を
持って階段を上った。昨晩感じた通り、最上階はパノラマ壁紙の部屋でほとんどの
面積が閉められていた。
広大な部屋に2人きりは確かに心細かったけれど、思えばこの二日間、私達は開放
に飢えていた。サッシに寄って日射しを浴びると、少し生き返った気がした。
平行四辺形に切り取られた日光が、広さにしておよそたたみ3畳半くらい。2人し
て寝そべってなお高い空を見つめると、輝きのなかで私は全てを忘れそうになった。
私達は何も言わずしばらくそうしていた。やがて梨華は起き上がって光の帯から外れ
た。
「ダメ、焼けちゃう。」
そう言って立ち上がった梨華は、日陰でまた大の字になった。
この部屋はここちいい‥。人の気配がしない‥。
目を瞑っていると、頭上の方角から梨華の声が聞こえた。
「ひとみちゃん。」
「んー?」
「矢口さんに-----、電話、しようよ。」
まだ梨華も寝そべっている。おそらく仰向け。
「うん-----。」
かすかに鼻にかかった、声の調子でわかる。
「お昼だねー、ちょうど。そう思っていたトコ!」
私は意気込んで立ち上がって、よろめきながら梨華に近付いた。
学校は、お昼休みだ。
良し!一番手get!!!
さて読もう
でるかなー。
さあ。
最近ぜんぜん連絡とれなかったもんね。
私はそう囁きながら、ポケットから携帯をとりだした。
瞬間!
ブルルっと携帯が振動し、着信音が流れ出した。
「誰!?」
「矢口さん‥ッ!!」
計ったようなタイミングに、私は驚いて息を呑んだ。梨華と見つめ合
いながら電話を耳にあてる。
「もしもし‥?」
-----げんきー?やぐちだけど。
矢口さんの声の向こうには、がやがやした喧噪が聞こえた。懐かしい、この感じ。
学校。
「や、矢口さんは元気なんですか‥?」
-----まあ、元気だよ。
矢口さんは明るく答えた。