−− ドリームカー・モーニング2000開発秘話 −−
モーニング財団の切り札、
モーニング2000の開発には混迷を深め、紆余曲折の道を辿った。
そもそも、つんくが少年時代に見ていたアメリカのTVドラマ
“ナイトライダー”に憧れ、あんな車を作りたいと言う発想から
始まったモーニング2000の開発。
その後、芸能界で巨額の富を得たつんくは
“モーニング財団”なる組織を設立し、その財団職員に
芸能界を引退させた“モーニング娘。”を据えた。
そして、海に程近い関東近郊の某所に、
広大な土地にテストコースまでをも持つ
モーニング財団本部を建設し、
そこの代表として中澤裕子を任命したのだった。
周りを高い塀で囲まれたヨーロッパの古城のような
雰囲気を持つその大きな建物は、
普通は一般人がおよそ近寄らないような
崖っぷちに近い場所に建てられていたため、
この巨大な建物の存在を知る者はほとんどなかった。
そして、そこからドリームカー、
モーニング2000の開発が始まったのだった。
モーニング2000の開発初期メンバーは、
発案者である財団総帥つんく
財団本部代表の中澤裕子
コンピューターに詳しい保田圭
作業に強そうな?矢口真里
この4名から始まった。
この4名によって企画会議プロジェクトは進められていった。
その後、その道の専門家や学者などを招いて、
何ヶ月間も会議を繰り返していったが、
その中でも
ボディ素材として使用する鋼鉄をも跳ね返す新物質の開発。
人工知能を持ったモーニング2000の中枢コンピュータの開発。
この2点の開発は混迷を深めた。
プロジェクト第2段階となり、
いよいよ実際にモーニング2000の開発作業が始まった。
しかし、多数のメカニックや技術者が開発に参加しだした段階で
開発途中の車が、自動車窃盗団に盗まれると言う
予期せぬトラブルに遭遇したのだ。
中澤、安倍、矢口をはじめとしたモーニング財団のメンバー達全員の
活躍により自動車窃盗団から見事、車を取り戻す事が出来たが、
その後もモーニング2000の完成にはかなりの時間とスタッフを要した。
しかし、2005年の現在から
20年以上も前に描かれた「夢の技術」は、
近年の科学技術の進歩の前には、ほとんど夢ではなくなっていた。
あらゆる衝撃をも跳ね返すと言うボディの構想も、
「分子結合殻」という技術の開発により、
ダイヤモンドよりも硬いボディの実現にこぎつけた。
そして、完成は後一歩のところまで近づいた。
ただ、1点を除いて・・・。