JAかながわ西湘 の噂話

このエントリーをはてなブックマークに追加
260名無しさん@お腹いっぱい。
佐藤が戦後、海軍大学校の教官をしていたとき、梨羽時起(なしはときおき)という海軍少将があそびにきて、
「佐藤、どうしてあんなに勝ったのだろうか」
と、梨羽はかれ自身実戦に参加しているくせにそれがふしぎでならないようなことをいった。

(略)

「六分どおり運でしょう」
と、佐藤はいった。梨羽はうなずき、僕もそう思っている、しかしあとの四分は何だろう、と問いかさねた。佐藤は、
「それも運でしょう」
といった。梨羽は笑い出して、六分も運、四分も運ならみな運ではないか、というと佐藤は、前の六分は本当の運です、しかしあとの四分は人間の力で開いた運です、といった。
佐藤は決して自分の手柄であるとも秋山真之の手柄であるともいわなかった[*5]。真之自身が、「天佑の連続だった」といっているのである。(『坂の上の雲』文庫版八「死闘」)/(本書:p272-p273)