1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
うちの母親が「昔(江戸時代くらい)の農民はほとんど米が食べれなかった」
みたいなことを逝ってるんですが、自分としてはやっぱ、国民の約8割が農民だ
った時代に米が主要作物で作られてんのにそれが食えないのはおかしいと思うん
ですよね。
実際のところどうだったんですかね?そこらへん詳しい人、誰か教えてください。
いやー、税金で全部持ってかれちまったんだなや。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 00:00:44
農民にもいろいろあって
地主だとか奉公人だとかあるからどうなんだろね。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 00:04:33
そんじゃ上様もお困りになるだろうよ おいら百姓のせがれが皆死ぬっていうんだから。それも牛の糞喰って死ぬっていうんだから嫁たちも家はなれて身売りするんだべぇか
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 00:10:14
農民の常食は糧飯って昔からきまってるのよぉ銀シャリはみな藩のお役人に供出してしまうから 種芋の滓を干して粉にして稗飯にまぜるのよぉお世辞でもうめぇ飯だとは言えんがな
年貢がきつかったとは言え、米で納めた以上最後は誰かが食ったはず。
近代農業が始まる前は、米の収量は今の数分の一と聞いている。とすると、幕末の人口3000万人と食わせるには十分だった事になる。
人口の8割りを占める農民が常に飢えていたって、何かおかしいぞ。
地域差や貧富の差年次差は当然あるとしても、米が食えなかったというのは納得いかん。
収量の半分もある年貢は誰が食ったんだ?
農民が米を食えなかったというのはブサヨクあたりの捏造で、年貢米は最後に人間の口に入っていたと考えた方が自然だな。
小作人の次男なんかが常に米不足とか言うことはあっただろうが、それこそ階級に基づく構造的なもので経済的な問題でしょう
冷害などで不作が連続しない限りは、人口と生産量はバランスがとれていたと信じるに足る根拠はあるよ。
あ〜、
>>5さんのカキコを見ると、やっぱり農民の主食としての米は存在したみたいですね・・・
ウチの母親が言ってるのは「農民は銀シャリを食べることがめったにできなかった」が変形し
て出来ていった話なのかも
銀シャリじゃなくて、結構玄米を食ってたと聞いた
搗くのが大変だからというのはよくわかる
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 22:13:19
今と大して変わらないだろう。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 00:36:33
戦後間もない頃までは、毎日米を腹一杯食える農家は多くはなかったので、
米に麦を混ぜたり、お粥にして増量したりしていましたよ。
60代のうちの父親が言っていた。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 14:26:35
出来た米の半分近くは年貢として取られる。
残りの米の一部で、生活の品を買ったりします。
そうすると、自分たちの食べる米の量が少なくなるので、
麦やヒエを混ぜたり、お粥にして増量したのですね。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 14:35:35
最近はヒエをはじめとする雑穀の人気が上昇中らしい。あー昔はタダ同然で農民が食べてたのに今じゃ高級品の雑穀・・・おかしいと思いませんかみなさん 雑穀が高級品だって!
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 14:39:07
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 14:43:17
>>11 小作人だったんじゃね?
その頃の農家には飯米を分けてくれと
街から金品を持ち込む人が多かったようです。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 14:53:34
まるで大東亜戦争末期の日本だな
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 15:10:08
私の服と芋交換してください
18 :
1:2006/12/30(土) 20:56:45
>>13みんなに質問しといて答えるのもなんですが、昔の人が食べてた稗や粟は現在売ってるやつとは別物らしいですよ。
>>15 飯米を売って輸入米を買っていた農家も多かったわけで。
もっと前になるとコメが常食じゃなくてソバ、ムギ、イモが主食だったところもある。
戦後たけのこ族してた人が食料を出し渋ったとかとうらみスレがついたりするけど、
別に農家だって無尽蔵に食料があったりしないって落ちだからなー
現金での支払いがあるからね。
コメ単作なら現金収入があるのは収穫期だけ。それまで支払いを待って貰えば
利息もつく。
換金できるコメは全部換金して支払いや返済に充て、自分はクズ米や雑穀に
大根の葉っぱを混ぜたメシで腹を満たさざるを得ないという状況もあるわな。
これは想像だけど、娯楽は少なく行事じゃ必ず酒が出て、ビールもワインも
無かった当時、日本酒の消費量は現代の何倍かあっただろうと思う。
デンプン→糖→アルコールの変換率も現代の醸造技術に比べれば低かっただろう
し。
全ての米がメシになったんじゃなくて、酒に変わったのも相当あったんじゃない
だろうか?
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 00:20:27
公明党はここまで教育の現場から事実を隠してきたんだなと思う。
日本国の江戸期における農村の実態っていうのは
江戸の中期くらいには殆どの農民が米食べていました。
お米が食べられない階層は、小作人や水呑百姓などの社会的弱者と侍だけでした
統一された国体ではないので一概には言えませんが、平均的な年貢というのは
三公七民が基本です。私の家もこれで徴集していました。
これは太閤検地に従った税制で、働き手が戦にいき、碌な農具もない頃のもので
農民の収入は3〜5倍上昇しているにもかかわらず、税金はまったく上がらなかった
わけです。今の政府のほうがよほど厳しい税をとってますよ。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 22:55:48
村八分と強姦祭りが楽しみの生活が農家のすべて
恨みと妬み略奪と放火
すべて農家の楽しみたった
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 22:05:43
良スレ上げ
昔は盗み強姦暴力
これらを巧みに使い
憎しみを持ち生きていたのだ
すべての掟は農民で決める
そうして逃げるものも出さず輪となって
生きるのだ
27 :
兼業農家:2008/01/27(日) 15:09:28
農協職員なら、家の光購入しろ!
争いこそ農業の宝!
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 15:15:05
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 17:11:28
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 22:08:06
カムイ外伝を読むとよくわかるかと
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 22:52:08
★41歳女、新生児死なせ逮捕=自宅からさらに2遺体−岡山
自宅で産んだ男児を死なせたとして、岡山県警捜査一課などは9日までに、重過失致死の疑いで、
同県井原市笹賀町、青果店員佐々木博美容疑者(41)を逮捕した。自宅を調べたところ、さらに
死後1年以上経過した新生児の2遺体が見つかった。
佐々木容疑者は「(男児以外に)今まで4回、子供を産んで放置した」と供述。県警は2遺体に
ついても、同容疑者が出産したとみて、死体遺棄容疑で捜査する方針。
調べでは、佐々木容疑者は7月23日午前3時半ごろ、自宅3階で男児を出産し、血をぬぐおうと
男児の顔にタオルを巻いて窒息死させた疑い。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080809-00000064-jij-soci
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 11:36:36
一揆だ
もう一揆しかねえべさ
>>33 憎しみと恨みを頂点にまで貯めなければ一揆は起こせない
そして一揆を起こした首謀者の家系は絶える
なうすれ
わーすれ
寂しいスレ
偽善者なる農民よ
無責任に農薬や遺伝子操作の作物を栽培し
販売して私欲を得てるのは公然のこと
いずれこのつけは還って来る
お前らが知らぬと言っても真実は一つ
欲のために一般市民が最悪の事態に陥ったということ
氏んで地獄でわびるが良い
氏んで地獄でわびるが良い
偽善なる農民よ
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 22:18:37
age
憎しみや妬みが農家を生かしている
争いこそ農民の楽しみ
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 07:22:08
戦国時代の農村は最悪だよな
武装して武士を襲うわ新興宗教は流行るわ
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
岡田外務大臣キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku2ch/1256630318/1
早く記念カキコしないと埋まっちゃうwww