菅野美穂 part27 [転載禁止]©2ch.net

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785名無しさん@お腹いっぱい。
を襲ふ外物を遮り留めたりき。
 余が鈴索(すずなは)を引き鳴らして謁を通じ、おほやけの紹介状を出だして東來の意を告げ
し普魯西(プロシヤ)の官員は、皆快く余を迎へ、公使館よりの手つゞきだに事なく濟みたら
ましかば、何事にもあれ、教へもし傳へもせむと約しき。喜ばしきは、わが故里にて、獨逸、
佛蘭西の
語を學びしことなり。彼らは始めて余を見しとき、いづくにていつの間にかくは學び得つると
問はぬことなかりき。
 さて官事の暇あるごとに、かねておほやけの許を


ば得たりければ、ところの大學に入りて
政治學を修めむと、名を簿册に記させつ。


 ひと月ふた月と過す程に、おほやけの打合せも濟みて、取

調も次第に捗り行けば、急ぐこ
とをば報告書に作りて送り、さらぬをば寫し留めて、つひには幾卷をかなしけむ。大學のかたにては、穉き心
に思ひ計りしが如く、

政治家になるべき特科のあるべうもあらず、此か彼かと心迷ひながらも、二三の法家の
講筵(かうえん)に列ることにおもひ定めて、謝金を收め、往きて聽きつ。
 かくて三年ばかりは夢の如くにたちしが、時來れば包みても包みがたきは人の好尚なるらむ

、余は父の遺言を守り、母の教に從ひ、人の神童なりなど褒むるが嬉しさに怠らず學びし時より、官長の善き
働き手を得たりと奬(はげ)ますが喜ばしさにたゆみなく


勤めし時まで、たゞ所動的、
器械的の人物になりて自ら悟らざりしが、今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大學

の風に當りたればにや、心の中なにとなく妥(おだやか)ならず、奧深く潜みたりしまことの
我は、やう/\表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。余は我身の今の世に
雄飛すべき政治家になるにも宜しからず、また善く法典を諳(そらん)じて獄を斷ずる法律家になる
にもふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。
 余は私(ひそか)に思ふやう、我母は余を活きたる辭書となさんとし、我官長は余を活きたる
法律となさんとやしけん。辭書たらむは猶ほ堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。今ま
では瑣々たる問題にも、極めて丁寧にいらへし


つる余が、この頃より官長に寄する書には連
りに法制の細目に※(「てへん+勾」、第3水準1-84-72)(かかづら)ふべきにあらぬを論じて、
一たび法の精神をだに得たらんには、紛々たる萬事は破竹の如くなるべしなどゝ廣言しつ。又大

學にては法科の講筵を餘所にして、歴史文學に心を寄せ、漸く蔗を嚼(か)む境に入りぬ。
 官長はもと心のまゝに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。獨立の思想を懷きて、人

みならぬ面もちしたる男をいかでか喜ぶべき。危きは余が當時の地位なりけり。されどこれ