男が精神衛生に気遣うなんてすでに男らしくないので、どうでもいい。
西洋的な、顔や陰裂の重大化の行き過ぎによって、独立自尊的な心を蔑ろにしたままの状態で、
女が社会的に権利権力権威などを主張することは、日本的な男からすれば、いとわしいし、
イヤだと思うし、かえって有害である。そんな、部分的過渡的な格差是正だけで女が
満足してしまうのは、女への嘱望がより強いが故にこそ幻滅してしまう。
実際に日本にだって、日本特有のガサツな殺伐があるのである。ヤクザであれ警察であれ軍であれ。
ただ、そのようなガサツな殺伐の処理を、男が精一杯自分たちだけで、自分たちの中で処理する
ことで、女子供がそれらに近寄らずに、繊細な和気藹々の下で暮らせるよう画策してきた。
それが今は違う。女子供だけでなく、男までもが、僭越にも友好だの愛だのという、本来は
繊細な和気藹々に属する部類の方向性を積極的に嗜好する、侵食しようとすることで、かえって
女子供にまでガサツな殺伐への対応や、その処理を背負わせる結果になってしまっている。
ttp://www.robert-fisk.com/bloodied_iraqichild.jpg この世界全体が繊細な和気藹々と化するのが一朝一夕ではいかないことぐらい、日本人でも
よくわかる。ただその繊細な和気藹々を、性癖だけでなく身体器質的にも享受すべき女子供の
権利権力権威を、大人の男までが収奪することが、ガサツな殺伐の処理こそに性癖だけでなく
身体器質的にも専念すべき男たち自身の怠惰をも生み、引いては全体レベルにおけるガサツな
殺伐の垂れ流しおよび、繊細な和気藹々の蔑ろまでも促す、あたかも注連縄の朽ちた鳥居に
蜘蛛の巣が張るかのごとく。
男までが繊細な和気藹々に手を出すこと、女までがガサツな殺伐に手を出すこと、どちらも
僭越であるという点では共通する。これらもまたエントロピー・ルーズコントロールの一環だ。
男に対して、帯刀は許さないのにピアスは許すどころか大いに推奨する、明らかな男らしさへの劣後、
女に対して、丸十や三つ葉葵に下ることは許さないのに、ピースマークやドクロマークに下ることは
許すどころか、大いに推奨する、明らかな女らしさへの劣後、男らしい男や女らしい女の権利権力
権威を不可避に、全体的普遍的に奪い蔑ろにする、男らしくない男と女らしくない女の両性具有。
故にこそ、日本の男は、自分たちが精一杯男らしくあった上で、しかも両性具有な外人男どもに
劣後やみそくそにされることを徹底否定した上で、両性具有でない女らしい女たちをさらに
自分たちよりも優先させることを欲する。下水処理管理者だからこその上水への気遣い。
その代わり男に対して、男どもに対して繊細な和気藹々、上水への侵害を行うことは許さない。
なぜなら、男だから。男ってのは、自分たちだけでガサツな殺伐の処理、斬り捨てごめんや
土下座切腹も嗜好すべきであり、その上で友好だの愛だの精神衛生だのを介在させる必要など
微塵もないと、まさに自分たちこそが男らしい男でありたいからこそ考えるのだ。