高橋マリ子@クローバ畑でつかまえて Chapter20
生物としての女(特に成人の)に限っていえば、
非処女である内よりも処女である内に
犯す罪のほうが遥かに多いんだって!
男の欲求不満の解消にも協力してない点で。
緩衝材にならなきゃ。女として、
ほんの少しでも社会の役に立とうと思うなら。
傍目に剣呑すぎる男などが、世間の目に
最低限の社会性保持の証拠として映るように
女を遣うこともできるわけだ。クシナダヒメのように。
無力であることが、かえって他の誰かの力を
十二分に発揮させる上での器量になるんだ。
常時剣であるからこそ、常時鞘がいるんだ。
斬らないためではなく、効果的に斬るためこその。
別に居合に限らずとも。
鞘すら捨ててしまったが故に武蔵に負けた小次郎を見習わんと。
あんまり美装に過ぎるのもアレだが、どうでもいいというわけにも
いかない鞘その他の一切の拵え。最低でも刀身と同等ぐらいには
大事にする。武蔵などであれば、多分自分の服装なんかより
遥かに気を遣ってたはず。不可避に武と結びついてる美だ。
龍馬は逆に、暗殺される瞬間、鞘に納まったままの剣で
一太刀を受けて、鞘を大きく損傷した挙句、やられてしまった。
別にそれが殺された最大の理由とも限らんだろうが(風邪も
引いてたようだし)、抜く時は抜かねばならんという教訓でも
あるかもしれない。鞘ばかりに大きな責任を負わせてもな。
犯罪律の発祥が剣ではなく縄である点に留意されたい。
加藤ももちろん有罪だが、加藤を本当に有罪たらしめてるのは
剣そのものではなく縄のほうなんだ。剣や画しかなく、縄がなく、
あるいは縄を他者拘束に使わない世界には、罪も罰もなかった。
「刃」の恐ろしさに囚われて問題の本質を見誤ってはならない。
われわれを具体的に本当に縛っているものの本性をだ。
縄はいらないから、鞘をくれ、常時剣であらざるを得ない者に対して。
焼き鈍しや刃引きすらよりもずっと効果的かつ道徳的な安全策だ。
剣に斬られるのを恐ろしがっている側の正体も実は縄でしかない。
剣であることが不可避に勇気に結びつくなら、臆病であることもまた
不可避に縄に結びつく。勇気の代表としての剣、臆病の代表としての
縄、いつだってこの二つのせめぎ合いによって文明があったのだ。
しかも剣のほうが生まれたのは先。剣があって、画があって、その次に
やっと縄があった。少なくとも人間が活用するという側面においては。
無理ではなく、原初である道理としての剣や画、勇気や愛に戻るんだ。
縄、すなわち臆病に囚われ続けている現代人が、少しずつであっても。
そのためには剣を否定するのではなく、適当な場所、適当な鞘に納める。
もちろん抜くこともできなくはない形で。龍馬の復活を促すために。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 01:49:21 ID:PVJcrK6M0
確かドストだったと思いますが、自死するときの痛みと恐怖が無ければ
7割の人間は自殺する、という文章があったという記憶があります(原典忘却)。
革命前夜の時代のロシアでも、現在の「経済大国成れの果て先端技術で
生き延びよう時代」の日本でも、おおよそこの割合は変わらないと思います。
もしこの通りの割合であるとすればですが、20:80ではなく「30:70の法則」が
今とりあえず生きている人間一般にあてはまるやとも思えてくるわけです。
そこで、この「死ぬ痛みと恐怖」というのは、なんと素晴らしく、そして
むごい生得的バリアなのだろうか、と鬱陶しく思えてくるわけです。
このバリアさえ無ければ、と。