高橋マリ子@クローバ畑でつかまえて Chapter20

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101名無しさん@お腹いっぱい。
“半妖”ですね。女版犬夜叉ですね。あるいは妖怪人間ベラ。
問題は妖怪になりたがるか、人間でありたがるかですね。

「四魂のかけらを集めて」「早く人間になりたい!」
102名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 19:19:42 ID:3dAvP8Jl0
>>50のリンク先でも書いた通り、現人類の全文化文明の
従属対象である正当不当以前の人工――縄による文明の誕生以前、
石器や壁画、これがいわば純粋文化だ。

純粋文化の志向としての石器や壁画、あえて現代的な用語でいうなら
それぞれが「武や美」にあたる。武と美、剣と画、ローマ神話でいう所の
マルスとヴィーナス、創世記の記述に則れば、蛇(縄)による誘惑を
受ける以前の、楽園にいた頃のアダムとイヴってことになる。

でもすべてが本来的には後付けの定義、ローマ神話も旧約聖書も
縄による拘束を受けてから、縄文土器ピラミッド以降の記述形態、
マルスもヴィーナスも、ギリシャ神話時代のアレスやアフロディーテ
としてはかなり貶められた扱いだし、アダムとイヴも極端に不当な
原罪者の象徴として描かれる。でもそうではない。ギリシャ・ローマ
神話だの旧約聖書だのが作り出される遥か以前、ピラミッド以前、
さらには縄文土器以前に、すでに石器や壁画などの形でそれは
すでに存在していた。文明の束縛を一切受けていなかった頃の武と美、
剣と画、強い男と美しい女、200万年程度の「最後の楽園」のようなもの。

それいいじゃないか、画になる女、美しい女なんだから。
神話とか伝説とか、ぜんぶ文明の側の後付けなんだから。
自分自身が画になること、美しいこと、それだけを糧にして生きればいい。
それ以外の何物にも囚われぬ、言及以前の自由や独立や愛や平和の
顕現となれ。象徴ではなく顕現に。ただ光り輝き続けるだけの太陽に。
103名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 20:14:01 ID:3dAvP8Jl0
全世界にとっては「最後の審判」や「易姓革命」になるであろう大変革、
ことに日本だけの都合でいえば、それは「文明閉化」ってことになる。

文明開化に対する文明閉下、坂本龍馬、大政奉還、明治維新の後始末。
西洋側の不当性、クライモラルの志向によって極端に肥大化した人類の
文化文明を、ことに文明の束縛を断ち切るという形で終わらせる。

あえてその後の、ハングリスチャメリカチョンスラエルに相当するような
日本自身のパートナーを得ようと思うなら、最古の洞窟壁画のあるフランスとか、
純粋文化としての美術の発展した古代ギリシャとか、ルネッサンス期のイタリアとか、
別にダ・ヴィンチコードみたいな下衆の勘ぐりは一切ナシにして、仮に裏側の
寓意とかが埋め込まれていたにしても、それらは全く関与しないものとして。

ただ美しいもの、奇麗なもの、画になるものを、ただ美しく奇麗で画になるが
故にこそ愛でる。美や画の真のパートナーである、武や剣の復権の立役者として。
104名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 20:49:57 ID:3dAvP8Jl0
ユダヤ系やプロテスタント系であっても、
文明の肥大化に極力与しない文化だけなら、アリなんだ。
文明のバイアスを排すれば、正直しょうもないのばっかりだが
でも例えばドイツ・オーストリアあたりのクラシックとか、
アメリカやイギリスでもジャズやロック等の音楽なら、まだ分かるんだ。
これもやはりあくまで、寓意はナシとしてだ。ただ音響的に
心地よかったりするというそれだけの意味でだ。

文明の象徴である機械化、特に軍産複合体とかは
本来の武や剣を貴ぶ側からすれば、むしろイヤなものだ。
臆病であることと他者の殺傷をごちゃ混ぜにしてしまう。
それは、違うんだ、本当の武や剣の道からすれば。
もの凄く着心地の悪い道着とか、汗だくになる防具とか、
鬼のような師範とか、そういうのが本来の武や剣である。
引き金やボタン一つで撃ち殺したり爆撃したりってのは、本質的に
武や剣ではなく、臆病なんだ。ゴルゴ13ですらそれは認めてる。

武や剣の本質は、やっぱり勇気なんだ。プラトンあたりが嫌がってた。
でもだからこそ今の時代に武や剣はない。勇気と共にそれらは
文明の束縛を受けて内奥中の内奥にしまい込まれてる。
罪罰両面における文明の拘束を排することで初めてまた、本来の武や剣、
ついでに美や画、勇気や愛も真の評価を手に入れることができるんだ。