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朝日新聞4/9付「おやじのせなか」
吹石 一恵さん「家族と野球 9割」
好きな番号は「25」。
近鉄の内野手だった父の背番号です。
99年秋、対巨人のOB戦。大阪ドームで父を相手に始球式をしました。
バファローズのユニフォームに「25」をつけて。
登板が決まって初めて、実家でキャッチボールをしたんです。
「ちょっと(練習)やっとこか」と、誘ってくれて。
「投げる方向へ、ひじをまっすぐ向ける」というアドバイスを守ったら、まっすぐ投げられるようになったんです。
「本当にプロのコーチだったんだ」と感動しました。
始球式の後、「いい球投げたよね」と言ったら、「うん、まあまあやな」。
たぶんほめ言葉なんだと思います。
選手時代の記憶はあまりないですが、本拠の藤井寺球場の近くに住んでいたので、家族で試合を見に行きました。
知らない人たちが「かっとばせー、フキイシ!」と応援してくれるのがうれしくて、少し誇らしくて。
玄人好みの選手だったとか。
88年に引退したのですが、球場の真ん中にいる父に、幼稚園児だった私が花束を渡したのを覚えています。
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2/2:2006/04/09(日) 22:19:28 ID:cCdhBEFd
一言でいうと、まじめ。
家族と野球が父の9割を占めているんじゃないかな。
夫婦げんかも見たことがない。
パーフェクトな父すぎて、心配になるくらいです。
今は楽天のスカウトをしていますが、アナログ人間がパソコンで日報とか書いているんです。
近所のパソコン教室に通って覚えたんです。
びっくりです。
小さいころは、春から秋までキャンプや試合で家にいないことが多くて、ふれあう時間は多くはなかったかもしれない。
芸能界にデビューしたてのころは、よく「吹石徳一の娘」と言われて、窮屈な気もしました。
今はあまり気にならなくなりましたけど。
最近、映画の撮影で、失跡した父親の後を継いだ騎手役を演じたのですが、父親への特別な思いは共通していたかも知れないですね。
いつか聞いてみたいです。
結婚したときのこと、子供が生まれたときのこと、選手を辞めたときの心境も。
でもまだ、私が恥ずかしいかな。
(聞き手・小西良昭)
ふきいし・かづえ
女優。
14歳でデビュー後、ドラマや映画などで活躍。
映画「雪に願うこと」などに出演。
小学2年から習った空手は初段の腕前。
大阪府生まれ、23歳。