なぜ、みんなヤオイが好きなのか語ろう

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1風と木の名無しさん
「ヤオイ」は表面的には男性同士の関係を描いており、一部の作品は実際に同性愛者に受け入れられているが(注釈23)、同性愛者からはただ美少年がすきなのではないかという批判がある。描いている本人達も同性愛作品によって、社会に同性愛を認知させようという動きはなく、同人誌のなかには「本物のホモは嫌い」という意見もある。

 「ヤオイ」という奇妙な現象に注目するものは多いが、内面にまで突っ込んだ批評は少ない。わからないとお手上げするもの、ヤオイはつまらないから興味ないというもの、そして、何故か女性に多いのだが、過敏に反応し批判するものたちがいる。「ヤオイ少女」と呼ばれるヤオイを愛する少女たちは……中には結婚し、子供をもつ主婦もいるのに……性的に未熟であり現実の恋愛や男性に対して恐怖心を抱いている、もしくは、男性にモテずそのことへの欲求不満を架空世界において解消していると批判されることが多い。そして批判者たちは「私たちは女の身体で男の人との関係を充分楽しんでます」と胸をはっていうのだ。つまりは男性との関係が持てて一人前の女であり、男性を拒否するのは変だと言うのだろう。彼女たちは同性愛者に対しては理解している旨の発言をするが、ヤオイ少女に対し細かい実情を知ろうとしないで切り捨てているような気がしてならない。

 逆に、指差されたヤオイ少女たちは、もともと自らの嗜好に引け目を感じているために、親しい友人や親に対しても隠そうとするし、批判を受ければ身をひるがえし遁走してしまう。男性同士が絡み合うポルノグラフィを読んでいるのはおかしいと思っていてもやめられない自身の状況を隠蔽するベクトルに働く力が強い。そのため、(ヤオイ)同人誌が部屋の本棚を占めているために、万が一、不慮の事故などで死ぬようなことがあって親に見られる前に、同じ趣味の人間に「処分してね」と約束を交わしてある……などという笑い話があるぐらいだ。

 最近では、コミケ(同人誌即売会)の場が社会的に認められてきたために、「私、同人誌やってるの」「私はSMAPが好きなの」と同様に「ホモ(ヤオイの意味で)好き」と明言する者たちも増えてはいるが、それまで隠していた反動で明るくなったとしか見えない。大多数は疑問を抱きながらも、ひたすら隠蔽することに躍起になってしまい、なぜ自分が好きなのか語らないし、あまり考えようとしていないように見える。ヤオイ少女は批判を聞かないし、批評者はヤオイを大きなカタマリとして扱うために内部にまで踏み込んで考えない。何故、男と男でなければいけないのか? なぜこんなに屈折した形で女性によって描かれ、また屈折したものが少女たちに求められるのか。