最近の801情勢に不満を感じる人が色々と語るスレ 3
1 :
風と木の名無しさん:
早々に容量オーバーしたので新スレ立てました。
さすが長文の多いスレw
3 :
前スレ844:2007/07/11(水) 15:02:08 ID:1N6YRS3F0
>男に対しての初恋なら最初は友情やライバルと勘違いしてもおかしくないよね。
前スレの844に訂正。
友情・ライバル心と恋愛は両立可能だよね。同性同士だとより両立しやすいと思う。
こないだ電車乗ったら中三くらいの美少年が二人対面に座り、
互いに近い方の片足を座席に乗せて体を向き合う格好で話してた
ショタコンだがツンデレでもある俺は目を閉じて音楽を聞いてた
5 :
841:2007/07/11(水) 15:35:38 ID:qYYlQPjXO
>前スレ844
>844
そういうんでなくて、「恋愛対象内にない相手を好きになる」という展開が好みなんだ。
確かにバイっちゃバイなのかもしれない。
まあ一目ぼれとかじゃなきゃゲイでもいいのかもしれない。
深いこだわりじゃないんだ。
恋愛関係になる確率をなるべく下げて、それでもなっちゃったみたいなのがいい。
その無茶な中で可能な限りの説得力ができたらいいなと思う。
前スレ729のリンク先消えてるね。昨夜までは生きてたのだが。
管理人がここ見て消したのかな。特に叩かれてもなかったのに…。
コメントでゲイの人がゲイ漫画とやおい漫画の違いを分析したりしてて面白かったんだけどな。
>>1乙です。
>>5=前スレ841
仲間とかライバルの友情は、普通はそこで終わりの筈なのに
何故か(同性である垣根を飛び越えて)恋愛感情的に相手を見て
キスしたりセックスしたくなる
これは自分も萌えるけど、現実では普通ゲイと呼ぶのでは?
友情がいつしか恋愛に、ってのはやおいに限らず男女間の関係でもありえることだよね。
でも同性同士ならやっぱりゲイだという事になると思うよ。
少なくともそのキャラは、ノンケでなくゲイかバイの素養はあったという事になる。
パロやおいだと、原作キャラのそういう「性癖」を捏造するのが醍醐味だったりするけど。
だけどここで「これは現実じゃないから、このキャラはあくまでもノンケで、
受け限定で勃起するのです」っていうのは何なんだろうな。
>>3も言ってるけど、恋愛感情がありながら友情やライバル心も同立してるっていうのは
やおいならではだと思う。男女間だとどうしてもそのバランスが崩れてしまうから…
その辺にヒントがあるような気もするけど。
唯一無二の相手、男だから女だから好きになったんじゃない、お前だから…!
ていうのに萌える人がいるというのは理解できるけど、
そこでゲイじゃないと言い出すと「ゲイを何だと思ってるのか?」という
疑問は出てくるなあ。
すごく奥出でストイックなゲイ、もしくは、
限りなくヘテロ寄りでゲイとしては奥出なバイ、ではだめなの?
男を好きになってしまった戸惑いや抵抗感、自分への驚きなんかは
それでも十分描けると思うんだけど。
>>1 乙です、書いて投稿しようとしたら出来なくて焦った。
前スレ
>>842 判りました、手間かけさせてごめん。
前スレ
>>844 理由としてよくあるのは
・二次創作なので元からゲイないしバイ設定は無く、
キャラの主観台詞を書く場合には、それを踏まえて
「ゲイじゃない(当人の自己認識)」という表現になる
本人のそれまでの自覚の無さの表現なので
実際にゲイじゃないことが大事なわけではないタイプ
・「特別さ」の演出
本人の性嗜好を逸脱してしまうほどの存在だと表現したい場合
このケースの人場合、ちょっと上の方で例に出てたけど
同性愛者の人が異性を好きになるというパターンもアリと考えると思う
重要なのは「ゲイじゃない」ことじゃなくて
「考えたことも無いような恋に落ちた」事というタイプ
・妙に誇張された同性愛者像を本気で信じ込んでしまったり
ゲイはこう、男性はこうでないといけないという偏見のあるタイプ
自分が今まで見てきた中では大体このうちのどれかないし複合型だった
他にもあると思うけど。
問題になってるのは3番目のタイプの人なんじゃないかな。
ゲイフォビアというより、女性嫌悪じゃないかと感じる人もいる。
女性性を感じさせる男がいたり
自分の許容できる範囲から外れた男がいたりすると
やたら嫌悪&攻撃する人たち。
実際には男女どちらにも男性性も女性性もあるわけで
比率は人によって違うし、現れ方も違うけれど。
ゲイ・バイと異性愛者の違いの前に、男と女の性欲の違いのが大きい。
性指向が両者とも男であっても、男の性欲と女の性欲では性質が異なる。
このことを考えた方が801女と男のゲイの溝の深さがわかる。
>>10 801好きが必ず女とは限らないよ
801の好きで性指向は女の男性の存在も無視できない。
それとも、801好きの男性とゲイの間には溝はないと感じてるのかな?
修正しのこしがあった orz
801の好きで×→801が好きで
9割以上女だろうな
最初から自分が納得する解に合わない例を
特殊な例外として排除してしまうのでは
どんな理屈だって通ってしまうよ。
どんなセックス描写を好むかなんて
801好きなの間でだって千差万別、
女性にも、いわゆる男性向け成年誌のようなひたすら汁だく、
物語抜きの獣性の発露のようなエロを求める人もいれば
隣を歩く友達の手を取っていいのかどうかで迷うような
プラトニックをこそ求める人も居る。
男女エロ、ショタ問わず、男性向けの描き手には女性も多い。
そこは男女の身体的性差というよりメンタリティの違いじゃないかな。
気分によってどちらが見たいか変わる事だってあるわけだし。
前スレ
>>838 正しい認識っていうか、自分がゲイである場合はどんなとんでも妄想をしても
経験を通して補正することができるけど、ゲイとして同性愛体験を
することがない801女には(精神的には可能かもしれないが)
少なくとも肉体的には現実とのすり合わせが不可能、ということが言いたかった。
まぎらわしい使い方してすまんです。
その結果、たとえば801穴のように実際とかけ離れたものであっても、
あたかもそれが真実だと勘違いしてしまうことがある。
801作品がそうした齟齬を是正しようとしているかというと、
そんな必要を感じている人はあまりいないんじゃないだろうか。
最近はゲイとホモの意味って曖昧になってんの?昔は女性に偏見がない→ホモ、女性蔑視→ゲイだったけど。
ゲイカルチャーが全盛だった頃はゲイとカミングアウトしてた人でも女友達が居たり、あの辺りから曖昧になったのかな?
旧式の考え方だとゲイと801は完全に相通じない物になると思う、蔑視してる女性がゲイを描く事が先ず気に入らないと言う偏見が入るから。
>>15 その辺は異性の性を描く上でどうしても欠落する部分だと思います。
アナルセックスならとりあえず試すことが出来ても
いわゆる攻め・タチ側の味わう快感は
観察する事によってしか捉えられないですから。
女性、ないしゲイでない男性の同性愛表現に
体験者として違和感を覚えるというのは判ります。
実体験としての修正がない分、夢想的になりがちだというのも。
同性愛者の人の手記や作品を読んで出来るだけ理解しようとしたとしても
作品として発表された時点で、
より面白くしたり興味を引くための誇張もあるでしょうし。
ギリシア、中近東、衆道や男色、稚児制度に見られる少年愛的関係
近代硬派の主張や美学を通して
男性による男性との性愛の視点を調べても
両性愛趣味としての男色と男性同性愛は
近代まであまり厳密に区別さえされておらず、
同性愛視点からみて、衆道や硬派の美学が
今どう受け止められているのかも、類推する事しか出来ません。
描き手は真剣に是正しようとしていても、同性愛者の人から見れば
更におかしな方向へ突っ走る可能性も十分ありえます。
ここはスレタイにもあるとおり
現在の801作品に対して意見は違っても
それぞれ何らかの不満のある人の集まるスレなので
是正すべきと考える人も少なくないのではと思います。
>>16 そんな区別あったっけ?
自分的にはホモは男性同性愛、ゲイは女性同性愛やバイも含む同性愛全体という認識だったけど。
でも最近はどっちも男性同性愛者の意味で使ってるなー
他者の経験が経験不可能であることを理由として、他者理解が不可能であることを
必然だと考えると、それは別にゲイと女性とのあいだに限らず、
すべての他者経験の理解の不可能性を帰結することになる。
あなたの痛みは、私にはわからない、という。
そして、女同士だから、ゲイ同士だから、何かが理解できる、
ということでもないのは、経験的に了解されているんじゃないだろうか。
それでも「誰かの痛みがわかる」という体験はあって、それはたんに
想像や類推といったものに還元することができない。
また、理解不可能なものである、ということは、理解する必要がない、と
いったこととは別のことで、理解不可能なものが理解したいという
欲望をかきたて、理解しなければならないという倫理を成り立たせる。
理解不可能なものを理解しようとして、何かを理解するが
自分でも何を理解したのかが理解できず、最初に理解しようとした
理解不可能なものとは別の「理解可能でないもの」を他者と自分との
あいだに産み落とすのが、「理解する」という経験で、
言語をはじめとしてメディアというのは、そうした「理解する」という
誰かの経験を刻み込むと同時に別の誰かの「理解する」という経験を触発する。
エミール・ゾラは男だから女のことはわからない、と「ナナ」を読んだあとで言えるか。
谷崎潤一郎は男だから女のことはわからない、と「細雪」を読んだあとで言えるか。
それと同じことだと思う。
20 :
風と木の名無しさん:2007/07/11(水) 21:52:32 ID:93MFI5xdO
「俺はゲイじゃな(ry」というセリフは、
「ノンケなのに男を愛してしまった(お前という人間を)」という、
「究極の愛」を強調するためにゲイを踏み台にしている
ということではないだろうか。
男が男を好きになったら、ゲイ(バイ)じゃねーの?と私は思うけど。
問題なのは、この「ゲイを踏み台(スケープゴート)にしている)」ということだと思う。
801 で「他者を理解する」ということを描いたものとして思い浮かぶのは、
菅野彰の毎日晴天シリーズの第6巻「子供たちの長い夜」の
勇太の父親の形見のお守り袋をめぐるエピソードと、
第9巻「君が幸いと呼ぶ時間」の秀の亡くなった祖父が
高校生の大河に渡そうとした法外な額のお年玉をめぐるエピソード。
たぶん、他にもあると思うけれど、とりあえず思い浮かぶのはこのふたつ。
確かホモだと侮蔑用語なのでゲイっていうようになったんじゃなかったかなー
>>18がいうようにゲイは総称ってのもあるけど確かにゲイは男性がいうことが多い…っていうよりも女性のカミングアウト自体少ないってのもあるけど…
>>20 踏み台か、確かに。
私はずっと「ホモじゃないのに」という801テンプレに若干の違和感や不快感を
感じてたんだけど、その原因がわかってきた。
でもその手の801が踏み台にしているのはゲイだけでなく、男女もだよね。
男女もゲイも踏み台にして、性を超えた特別な愛を追求…という事なんだろうか。
これ考えるスレ向きの話題かな。
>>18 美術系の学生時代にバイの教授から教わった時にはこう言われた、業界的にゲイの人いるから女性的偏見持ってる場合があるから関わるならホモとカミングアウトしてる方にしろとか変なアドバイス…
ゲイの人は基本的に男性至上主義とかそんな事、まぁそう感じる人が男性視点的に多かった時代かも知れなかったのか?
確かに作品が好きだと言っても冷たい感じの人はいたなぁ〜
ホモセクシュアルという言葉は、精神医学において
「異常」を指す「他称」として発明されたもので、
それが社会的な差別につながっていたので、
それに対する「自称」として gay (陽気な人々)という言葉が選ばれた。
ただ、それでゲイやビアンに対する差別が
なくなったわけでもないので、「蔑称」である「ホモ」を
自称し、差別の存在とそれへの抵抗を表明するひともいる。
26 :
20:2007/07/12(木) 03:35:53 ID:kGUU1DNKO
「自分はゲイじゃないけど〜」というフレーズ、
嫌われるパターンとしてよくこうやって話題には上がるんだけど
自分は実際の801で目にした事って実のとこ殆ど無い。
それなりに有名どころで思い出せるのは尾崎南が
欄外にゲイに対する偏見は無いですと注釈つけたうえで
「ゲイだったのか?」と問われた攻めが
「ゲイじゃないし、アンタ以外には勃たない」というような
使いかたしてた覚えくらい。
ここで何度か上がった801小説でも
江森三国志(2巻以降未読)では孔明は寵童の過去のあるバイ
(史実として奥さんがいるので、ただしゲイ寄りの描写だったと思う)
間の楔では、世界背景としてリキは普通に男と寝てたはず
パタリロの世界では、男が好きな男は全てゲイだったし
登場人物のゲイ比率も半端じゃなかった。
青池保子のイヴの息子たちでも、
同性に惚れる人間はほぼ同性愛者だったと思う。
エロイカでも伯爵以下その手下はゲイだった。
801好きから名作といわれて評価を受けてる801作品で
同性を好きになった人間が「ゲイじゃない」と言う作品を
思い出そうと思って頑張ったけど、自分は思い出せなかった。
一体、どこで生まれた流れでどこで使われだしたんだろう?
801を読む層の拡大とそれにあわせて生まれた
比較的新しいものだと思うのだけど。
まりしんや夢の碑、風木は覚えてないので
どなたかフォローできたらお願いしたい。
>>27 具体的に「自分はゲイじゃないけど〜」というフレーズが
あるかどうかというより、どっちかあるいは両方が
明確にバイ設定になっていて、男同士のカップルが1組で
固定されていて、その運命的な結びつきが強調される
エピソードが目に付く場合に、そういうフレーズが耳に響く印象がある、と
いうことなんじゃないのかな。
そこからすると、風木だとセルジュはどんなもんかな、という気がする。
まりしんに関しては、そのへんは両者ともに微妙じゃないか。
夢殿さんというのがいるにしても、まりしんはともに結婚して
子供をもうけ、運命的な出来事をあのように共有する、という
特別な関係に置かれているわけで。ネタバレを微妙に避けたので、
わかりにくかったらごめん。夢の碑は私も覚えてない。
私の印象としては、最近はむしろそういうカップル幻想を
「共依存」として問題としたうえで、それを超える関係を
描こうとしている 801 があって、そこが JUNE と違うところかなと
思ったりするんだけど。あ、ちなみに私は JUNE の創刊号を
リア厨で読んでる世代ね。
すべてが交換可能なものとされ、おまえなんかいくらでも
とりかえがきくという扱いを受ける現実の社会のなかで、
「かけがえのないあなた」と「かけがえのない私」とのカップルが
夢見られるというのはあるわけで、JUNE はそうしたものが多かったように思う。
でも、そうするとそのカップルだけで関係が閉じてしまって、
社会のなかでカップルが孤立する。なので、現実の社会を舞台にすると
バッドエンドや死にネタで終わる。あるいは、カップルの孤立が問題とならない
学園ものやファンタジーにする、といったやり方でその結末を回避する。
今の BLの 893 ものはそのへんが微妙かな、と思う。
JUNE に評価すべきところは他にあることを前提としたうえで、
以上のような限界があることも、認める必要はあるんじゃないかな。
>>28 運命的な恋なんてのは異性だろうと同性だろうと
実際には滅多にない夢物語なわけで、
それはゲイを否定する印象を与えるかという事とは別の話と思います。
>>29の意見にはほぼ完全に同意です。
最近の803もの見た事無いのでそこだけは判りませんが。
>>30 「自分はゲイじゃないけど〜」の「〜」は「男でも他ならないおまえだけとは〜」
ではないのかな?
>>29が問題となるのは、その「運命的なカップル」幻想が
現実に存在するゲイカップルの社会的な承認や社会的な生の問題を
ネグってるからだと思う。その意味で「踏み台」という言葉は重い。
>>31 「自分はゲイじゃないけど〜」
というのがそういったカップル幻想がベースであるとは思います。
尾崎南はまさしくそれでしょう。
ただ、上でも書きましたが
よく言われる801の名作を思い返してみても
まずそういう「自分はゲイじゃないけど〜」という
自覚の無いバイだったというような作品的に意味のある以外の
男を愛しながらゲイorバイの自覚が無い801自体を
あまり見た記憶がないのです。
読みこなした量の違いかもしれませんが。
最初から男が男を性欲の対象としてみる
性愛について性別を気にしないお気楽荒唐無稽な801世界
(801学園とか見下される事も多いですが)
などは、二次創作オリジナル問わず比較的よく目にします。
>>32 せりふとして吹き出しのなかにそういうフレーズがあるとか、
モノローグでそういうことが書かれているとか、そういう作品は
私も読んだことはないように思う。現在のネット上の創作、
二次創作は知らないけれど。
ストーリー展開その他で、言外にそのフレーズを言っているのと
同じととられそうな例として、風木とまりしん、大半の JUNE 作品を
挙げているんだけど、それはどうかな?
昨年、初来日したジュディス・バトラーが講演で、なんで「2」やないと
あかんのよ、「3」でも「4」でもええやんけ(ニュアンスは関西弁の勢い)と
言って、聴衆の笑いを誘うとともに満場の拍手を浴びたんだけど、
私が「運命的なカップル」幻想と言う時には、それを思い出していたりもする。
>>33 それは私はあまり感じない側面なのでわかりません。
カップル幻想が存在するということと
恋愛に於いて自分の同性愛性を否定するという事が
私の中では一本の線には繋がらないので。
>>34 私も、「カップル幻想が存在する」というだけなら、
それだけで「恋愛に於いて自分の同性愛性を否定する」ことに
つながるとは思わない。
>どっちかあるいは両方が
>明確にバイ設定になっていて、男同士のカップルが1組で
>固定されていて、その運命的な結びつきが強調される
>エピソードが目に付く場合
という場合に限り、問題となっているフレーズが言外に響くんじゃないかと思う。
「男はおまえだけ」という設定やストーリーが「自分はゲイじゃないけど〜」と
登場人物に言わせているのと同じになるというか。ひとつ訂正すると
明確でなくても暗黙のうちにバイ設定になっていても、
言外にそうしたフレーズが響くことはあるんじゃないかな。
>>27で挙げられた作品で「自分はゲイじゃないけど〜」と言外にも
言わせずにすんでいるのは、それらが「非日常もの」だからじゃないかな。
まりしんと風木はどっちも「近代」の設定でこれは読者の日常と
どこかで交差している。19世紀のフランスも大正時代の日本も
現在からみれば遠いし、差異もあるけれど、古代中国やスパイ設定も含めた
「非日常」よりは読者の「日常」に近い。フィクションにおける
「近代的な日常性」の度合いにも、「自分はゲイじゃないけど〜」という
フレーズの問題は左右されると思う。
考えたことも無かった相手と恋に落ちる、「○○な人は恋愛対称にならない」という価値観を持った人間を主軸に
それをひっくり返すようなストーリーを考えるなら「○○な人を好きになるなんて…自分はどうしちゃったのか」と
そういう台詞を言わせることは変なのかな
少女漫画なんかにも腐るほどある典型的なスタイルの一種だと思うんだけど
「あんなお調子者を好きに」でも「あんな不良を好きに」でも「いままでただの幼馴染だと思ってたのに」でもなんでも…
嫌われそうな表現だけどそれこそテンプレなのでは
>>37 そういうのとは別な話のような気がする。
「究極の愛」を際だたせるため、そのコントラストを強めるための比較対象として
ゲイを持ち出すということが問題なのであって。
「一対一の至高の愛」を際立たせるために、
「乱交的な化け物」としてゲイが貶められているんだよな。
>>35 やはり私には感じとれないもののように思います。
まりしんはカップル幻想よりも、思春期の性愛のあやふやさが
友情と性愛と信頼との境界を薄くしてしまったことから生じる
エロスの物語だと思ってます。
かなり昔に一度読んだきりなので、自信は無いですが。
姐さん自身の感性の照り返しの面もあるのではないですか?
>>37 流石にそれは穿ちすぎじゃないだろうか。
同性愛を貶める対象だと考える人は
最初から男同士の恋愛に幻想なんて求めることが無いと思う。
まず最初に、自覚があるなしはともかく、
同性同士の恋愛を
>>38さんの言う所の
「一対一の至高の愛」の主軸にすえる時点で、
その見方は崩壊してると思う。
描き手が本気でゲイを怪物として見下してたら、
同性恋愛が常識の世界の中
異端でありながら異性愛を貫く二人、みたいな世界設定になると思うよ。
男女カプにだって同種のストーリーはあるわけだし。
むしろ、その発想は801、同性愛嫌いな人の発想か
同性愛は嫌われているものだと考えてる人の発想に思える。
文脈的にコントラストの対象はゲイじゃない。
性嗜好に沿った性別との恋愛、だよ。
>>38さん自身が
>>26でも言っているけど。
>>39 うーん。正直、何を言っているのか分からん(すまん)
男が男を愛しているのに、なぜ、「俺ってゲイ(バイ)なのかも」とはならず、
「俺はゲイじゃない、お前がお前だから!」と言う必要があるのか?
なぜ、「わざわざ」、ゲイ「でない」ことを強調するのか?という疑問。
それこそ少女漫画によくある芸能人の彼(彼女)とのドキドキラブストーリーとかにある
「(芸名)さんが芸能人だから好きなんじゃなくて、ふだんの(本名)であるアナタが好きなの」
と、大差ないと思うんだよね
>>42 その論理で行くと、
「俺はゲイじゃない、お前がお前だから」という台詞はまるで
「ゲイってのは男とみれば誰かれかまわず好きになる人間達」
と言っているようじゃないかな?
>>41 ちょっと端折りますが
そもそもそういった強調は、
良作とされる801作品に良く見られる表現ではないのでは?ということです。
むしろ、探そうとしても自分の読書範囲では見つかりませんでした。
カップル幻想のある作品はそれなりの割合でありましたが。
幾つか、二次創作では見かけましたが
この場合は原型になるキャラが存在しているので
オリジナルと同列で考えていいのかはちょっと疑問です。
自分が読んだ二次創作の範囲での話になりますが
>「俺ってゲイ(バイ)なのかも」とはならず
これは、なるほうが多いと思いますよ。
最終的に、俺の好きなのはお前だけなんだ、に行き着くにしても
途中経過では自分はゲイorバイだったのかと悩んでました。
ゲイなんだろうかと自問自答してためしにゲイAVを通販してみたり
逆に常識が崩れるの怖れて
恋人への恋心を忘れるために女性に目を向けようとしてみたり
キャラや世界観によって色々ですが。
少なくとも、一目ぼれのように突如好きになって
「自分はゲイじゃないがお前は〜」というような展開は見た事ないです。
惚れ薬とかでのギャグ落ちでなければ。
話題にされる場合、経過すべてを無視して
最後の「お前だから〜」だけが抜き出されるから
余計な誤解を招いてる気もします。
>>44 なんか話が噛み合ってないな
>>38は
>>37へのレスであり、「俺はゲイじゃない」という台詞それ自体について言ってるのね。
実際どれぐらいの作品中にこの台詞が見られるかというのは、
それとはまた別のトピック。
「俺はホモじゃない、お前だから好きなんだ!」という台詞をはじめとして
やおいがホモフォビックなんじゃ、と言い出したのは多分2000年くらいの溝口彰子が初めくらいだよね。
まあ「いつ誰が言い出したか」ってのはあまりここでは意味のない事だけど、
その論が口コミやネットで広まってくるにつれて、そういう「テンプレ」的な表現は
最近ではめっきり見なくなってきた。
このことは、書き手にとっては「俺はホモじゃないry」っていう表現自体にはあまり意味はなく
文字通り「テンプレ」として無意識的に使っていた人たちが、「そう言われてみればホモフォビックかもなー」と
自己批判して使わなくなった、と言えるんじゃないだろうか?
そういう意味で、「最近のやおい」には(意識的/無意識的にも)ホモフォビアなキャラクターは減ってきてると思う。
実際一番上の行の台詞を
「男が男を好きになるのがホモだと言うなら俺はホモでも構わない。だけど今はお前が好きなんだ」
と置き換えても「究極の恋愛」を描くのに、たいして意味は変わらないからね。
>>45 上手く表現できるか不安ですが、
「俺はゲイじゃない」という表現に
「自分は同性愛者じゃない」ではなく
「自分は同性愛者なんかじゃない」という意味合いを感じるという事ですか?
そういう意味合いであれば、
>>46さんのも多分ダメでしょう。
連投スマソだけど、
>>37のような
>考えたことも無かった相手と恋に落ちる、「○○な人は恋愛対称にならない」という価値観を持った人間を主軸に
>それをひっくり返すようなストーリー
ということだと、「美女と野獣」がそうなんじゃないかな?
「あなたのスペック(見かけ)はこうだけど、中身に惚れたの」という「究極の愛」。
その乗り越えるべきスペックの壁として、「美女と野獣」は獣という外見であり、
やおいは同性同士であったと。
でもここで「お前は男だけど」っていうのと「あなたは獣だけど」っていうのが置き換えられるといっても
別にゲイ=獣として貶めているわけじゃないよね。
「私は獣姦趣味じゃないけど、あなたが好きになっちゃったの」というのが獣姦フォビック。
>「俺はゲイじゃない、お前がお前だから」という台詞はまるで
>「ゲイってのは男とみれば誰かれかまわず好きになる人間達」
>と言っているようじゃないかな?
男と見れば誰かれかまわずという理論にどうしてなるのかがわからない
「俺はゲイじゃない(自分は何の疑いもなく異性のみを恋愛の対象にしなければならないと思い込んでいた)
お前がお前だから(でも好きになった・そういう愛もあることに気づいた)」
というレベルの問題なんじゃないのかな
>>49 「俺はゲイじゃないと思い込んでいた」に続くのが
「でもお前を好きになった、だからゲイなのかも」ならすんなり読めるんだけどね。
「お前だけが例外で他の男は好きじゃないから俺はゲイじゃないんだ」というのには
ひっかかりを感じる。
この板でも、多数と関係を持つ801キャラに対して
「それじゃリアゲイじゃん(801じゃない)」という否定はよく見かけるよね。
ゲイでは夢は見れないと感じている801者はそれなりの数いると思う。
「ホモじゃない」と作者や登場人物が言うのはよく見たし、今でも見かける。
でも昔よりは減ってきたかもしれないね。
あれこれ色々考えて思い当たった例があった。
この板的に応用するなら
「私は801は好きじゃないけど、このカプだけは特別なの」
というような用法と混同されやすいんだ。
確かに一見そっくりだし。
「私は"801好き”じゃないんだけど、このカプは好きなの」と←嬉しい
「私は801は好きじゃないんだけど、このカプは好きなの」との←ムカつく
この違いが判ってもらえればと思う。
あれ、でもちょっと違うのかな?
>>50 801を好む層の断絶もあると思う
スレの趣旨に沿った話題に戻る事にもなるけど。
>>52 以前に多く好まれていた801 → カップル幻想が濃い・特別の愛
最近台頭してきた801 → リアル寄りの常人の愛
ってこと?
少なくとも今でも前者は人気だと思うけどね。
昔は前者に圧倒的人気があり、今はどちらも人気
ということじゃないかな
>>53 いえ、過去と現在の断絶ではなくて
嗜好が細分化し、選択肢が増えたことでの
801好き同士の認識の距離が遠くなってる感じがするという意味です。
こういうものが801だ、という領域が
重なりづらくなってきたというか。
ネット上で簡単に他の人の認識に触れられるようになって
浮き彫りになってきただけかもしれませんが。
ある人にとっては801以外の何物でもないのに
ある人にとってはそれは801じゃない、という衝突は
2chのスレでもよく見かけるいさかいの種なので。
>>53 リアル寄りでも常人だとは思わないけどな。
別に自らの性嗜好を宣言しなくても、攻めと受けの代替え不可能性は表される訳で、
そこであえてホモフォビックな事を言わせるのは避けようという動きが最近のやおいにあるような気がする。
リアル寄りというのとも少し違うような。
>>38 >「一対一の至高の愛」を際立たせるために、
>「乱交的な化け物」としてゲイが貶められているんだよな。
そうだと思う。これは「モノガミー」の規範性の問題で。
「乱交性」がまず道徳的に断罪され、それをどのカテゴリーに押し付けるか、ということになる。
ただ、ハッテン場通いする「乱交的なゲイ」を嫌う「モノガマスなゲイ」というのも少なくない。
AIDS の存在が知られて以降はさらにその傾向は強い。
男女ものでも
「普段あんまり男(女)に関心が無いけど、この男(女)は好きになった」
みたいなパターンは時々見るよね。
他に恋愛したことないってこともない場合もあるから801の
「ゲイじゃないけど〜」程はっきりしたものじゃないけど。
ややこしいのは、乱交を肯定するかのようにみえる一部のゲイが、
実は一番それに対する罪悪感というか負い目のようなものをもたされていて、
乱交を肯定するのに「純愛」を否定するという回路を選択するために、
前スレ713のコピペのようなことがおこる。
男は「処理」で腐女子は「純愛」だとかね。「処理かつ純愛」とか
「非処理かつ非純愛」とかそうした現実の複雑さは捨象される。
「乱交性」を肯定するのは「乱交」を肯定するのとは別だし、
であるがゆえに、その肯定を行うにあたって「純愛」を否定する必要はまったくない。
713 名前:風と木の名無しさん 投稿日:2007/07/07(土) 04:59:40 ID:dErIyb/E0
名前:薔薇と百合の名無しさん
腐女子は純愛が好きとか言ってるけどホモにそれを求めないでほしい。
名前:薔薇と百合の名無しさん
そこだな。
男達は処理、快感、発散、肉、汗・・・
腐達は純愛、葛藤、女みたいなあえぎ声、性交=二人のゴール・・・
実際求めてるもんが違う。
前スレ713ってこれ?(その下にもあるけど関係ないので省略)
単に、自分&周囲のゲイが求めていないもの(純愛)を他人から一方的に押し付けられる事への反発であって
>乱交を肯定するのに「純愛」を否定する
目的には見えないけど。
>>60 そう、それ。
引用された2つめのレスの対比をみれば、意図的かどうかはさておき、
「純愛」は「2にこだわる主としてメンタルなもの」で
「処理」は「2にこだわらないフィジカルなもの」となっている。
本人に自覚なく、乱交を肯定するのに「純愛」を否定している、ということ。
無意識が彼にそういう単純な分類と対比を行わせ、男達=自分を肯定するために
腐達=他者を否定させている。引用されたレスはそれを素直に表現している。
語る、書くという行為は、そのすべてが語り手、書き手の
意図にしたがって行われるわけじゃない。
自分でも思いもよらない真実が、そこに響いたり、記されたりする。
そしてそれを解読するのは、語り手、書き手以外の自分も含めた
読み手という「他者」だったりする。なので、
>>乱交を肯定するのに「純愛」を否定する
>目的には見えない
というのは別におかしくない。彼はそれを目的としてそのレスを書いたわけではないから。
でも他者の視点や解釈には他者自身の像も投影されるからね。
自分が正しいと感じたことを自分の視点からもう一度覆すのは
並大抵じゃない。
大抵は、今までの自分の確信を補強する方向へ流れてしまう。
連投すまんがあとひとつだけ。
>>59では、
>>60で引用された2つめのレスの彼個人のことは何も問題にしてない。
彼がそれをどんな目的で書いたかということはどうでもいい。
というのは、その対比は「紋切り型」で、そのレスに彼の個性は何もないから。
彼にはいわば何やら「霊」が取り憑いていて(これはもちろん比喩。
でも「無意識」とは憑依するものでもある)、
それがそういう「紋切り型」を書かせる。問題はその「紋切り型」と
それを書かせるものとしての無意識、の方にある。彼はいわば依り代として
言葉に使われているにすぎない。彼本人は使っているつもりなのだと思うけれど。
フローベールの「紋切型辞典」とそこに収められた紋切り型を
口にしてしまう人間との関係と同じ。人間が言葉を生産する主体なのではなく、
言葉の再生産に人間が利用されていると考えることができる。
女が労働力としての子供を生産する主体なのではなく、
労働力としての子供の再生産に女が利用されている。
「交換可能な産み、育てる機械」として。同様に「交換可能な語り、書く機械」として、
人間は言説(再)生産に動員されている。
よく分からんけど
「オタ男はメイドが好きとか言ってるけど、女に従順を求めないでほしい」
という心理と同じなのでは?
本当に否定したいのは「従順な女(純愛)」ではなく、
「勝手な妄想してるオタ男(腐女子)」なのであって。
その裏に、「従順じゃない女(乱交的なゲイ)」を肯定したいという心理があるのかもしれないけど。
いずれにせよ、やおいの「俺はゲイじゃない〜」は、
モノガミックなゲイの存在を無視している上、やおいの「究極の愛」を相対的に際立たせるための道具として
(無意識に?)ゲイを利用しているという点で、ホモフォビックであるということは言えそう。
モノガミック じゃなくて モノガマス だった(恥)
>>65の喩えで言うなら、オタク男がメイドさん好きで従順な女が好きだとしても
別に私に対して「もっと従順な女になれ」と言うわけでも
広く世間に対して「女は全て従順でなければならない」と言うわけでもないなら
ちっとも腹は立たない。
「へー、メイドさん好きなんだ、そうなんだ」で終わる話。
そういう風に婦女子が純愛の物語を求めていても
コピペの人に純愛なんて求めてないんだけどな。
自分の好きなように暮らしたら良いじゃんと思うけど。
戦争ものの小説が好きでも実際の世界は平和なのがいい、
ミステリーが好きでも実際の事件に複雑な謎なんて求めない、
喋る猫が出てくる漫画が好きでもうちの猫が喋ればいいとは思わない、
それと同じで純愛な801が好きでも実際のゲイが何してても構わないと思う。
801は物語、妄想、お話であって現実じゃないんだから。
という考えをする私は最近の人なんだろうか。
>>68 実際に存在している人々、しかも社会的にマイノリティな人々を素材にしてるんだから、
適当な知識しか持たず萌えのために勝手なイメージ付け(プラスにせよマイナスにせよ)を
されるのはかなわない、と相手方が思うのは当然だと思うよ。
例えば「黒人はこういったものだ」と白人が勝手に描くようなね。
妄想やお話であっても実在の人々への影響をわきまえなければ、批判はされて当然だよ。
フィクションだからで全て許される訳がない。
おっと自己レスだった
上のは>67へのレスね
セーファー・セックスの概念を 801 に持ち込んだのは野村史子だ、
という話が前にこのスレであったけれど、養子縁組を最初に商業で
ストーリーのなかに入れたのは、どのあたりなんだろう。
確か、月とサンダルの板前と教師のカップルは養子縁組する話があった。
あれは別に「究極の愛」がどうこうではなく、社会的な必要
(賃貸住宅で同居するとか、臨終の際に立ち会えるとか、
遺産や保険金の受取人に指定できるとか)から選択される
モノガマスな関係、という同性婚も事実婚も認められていない社会での
現実を淡々と描いていたような。
モノガミーを唯一の正しい婚姻形態としない、ということは
別にモノガミーを否定して、非モノガミーを推奨するということではない。
非モノガミーの存在を否定しなければ維持できないような
ダメダメモノガマスな関係を問題とするだけで。
市民契約によって平等に社会的権利を保障される
さまざまな関係が結べるという条件のもとで、
モノガマスな関係を選択する、ということは別に問題ではない。
で、現状においては、一方で養子縁組を行いながら、
もう一方でそれ自体を問題とする、ということになる。
そうした現状において、モノガマスな関係を「究極の愛」から
どれだけ引き離して描くか、という点で、よしながさんは
あの時点で際立って見えたということはあると思う。
あれは花音連載だっけ? 養子縁組の話は同人誌だったかも。
あ、野村さんの話があったのは今スレじゃなくて前スレね。
それ以前にもどこかでその話は出たことがあるんだけど、
どこだったか覚えてない。
>>67 「世界」「事件」「猫」と違って、「ゲイ」は人権を付与された
社会的存在だから、その4つを同列に置くのがまずいように思う。
じゃあ801作品が描くべき事って何になるんだろう?
ゾーニングとか、腐女子がゲイに迷惑をかけないとかは当然として、
作品内容について。
まずはゲイフォビア的表現をやめる。
とすると、お決まりの
「俺はゲイじゃない、おまえが好きなんだ…!」も
レイプ→両思い、もダメってことか。
学園総同性愛者とかはどうなんだろう。ありえないから×?
それとも作品内容はそのままで、ゾーニングをもっと厳しくして
人の目に触れないようにすればすむんだろうか?
>>73 妄想にアディクトし続けるというのは、書き手、描き手にとっても
読み手にとってもあまりいい結果にはならないと思う。
斎藤環が「社会的ひきこもり」をアディクションとして問題とするときに、
ひきこもりの遷延化がうつなどにつながる可能性をいうけれど、
あれと似た「物語内かつ社会内ひきこもり」が、作品内容をそのままで
ゾーニングすると起こるんじゃないかな。というか、すでにもう起こりつつある。
公共空間でのTPOをわきまえない 801 話というのは、それと無関係じゃない。
ひきこもる空間が自宅以外の場所にもひろがる、というか、
どんなに移動してもひきこもってるのと同じになるというか。
結果は、腐女子が「歩く問題含みの 801 作品」になって、
ゲイとの対立が悪化すると予想される。
「妄想にとりつかれる」という表現があるけれど、
「妄想」というのは「とりつく」もので、それを招き寄せるのは
まだ現在の自分が意識していない自分の社会的な欲望だったりする。
「なぜ、自分はこんな妄想にとりつかれるのか?」という自問を
必要としない空間を制度的につくるのは、個人としての腐女子にも
好ましくない結果をもたらし、それを通じて、
社会的にも好ましくない結果をもたらすと思われる。
すでにもたらしつつあるのかもしれない。
>>73 お決まりの、というけど
上でも出てたが、そんな多いの?そのパターン
自分も、見た事無い
>>74 それは流石に創作性への暴力になりかねない
現実に即した物語以外を書くべきではないとでも?
あれもこれもとがんじがらめになって一歩も動けなくなるのがオチだよ
なんか何度かこういう流れがあったけど、いたちごっこに見える
同性愛について知りたい⇒女が興味本位で来ていい世界じゃない⇒
歴史とかで調べる⇒現実にあってない、所詮腐女子の妄想⇒
じゃあ801はフィクションです⇒現実の同性愛を無視するな⇒ふりだし
どうせいっちゅうねん、という状況だと思う
それぞれの意見が同じ人から発せられてるのなら、
二枚舌乙で済むけど、
それぞれ別の人の不快感を呼び起こすんだろうから
801は現実の同性愛の人とは無関係ですよ、と
強調する人が多くなってきたんだと思う
ドラマとかのこの物語はフィクションで人物は架空です、
みたいのと同じ発想でかかれるようになってきたんじゃないかな
>>76 創作というのは、そうした暴力との対決において行われるもので、
言論統制と無縁の近代小説はないし、規範と無縁の芸術作品もないと思う。
その対決の痕跡が作品にあるなら、レイプも「究極の愛」も
描かれることに何の問題もない。
中上健次の小説がその点では何の問題もないように。
あれをフェミの立場から、女性を道具扱いしている、と
批判しても意味がないと思う。
>>77 創作性と作家の力量と市場での価値が別である以上
市場が拡大すればゴミ屑のような801作品も当然増える
それにつれて目にする人も増えるし、
目にした人の不快感も降り積もっていく
作品としてよく出来ていても、
それが読んだ人の不快を呼ばないかどうかとは別だし
全く解決にならない気がするんだ
気にされてるのは作品としての質でも、意味合いでもなくて
作品が誰かを傷つけてしまってるらしいという事だから
どんなものを書いても801だというだけで目の仇にされるのであれば
気遣いなんて不要だと開き直る人も出てきてしまう
>>76 ゲイの人が憤慨してるのが、その部分である事が多いので、
お決まりなんだと思うよ。
実は私も、それらのパターンの作品はあんまり読まないから、わからない。
今ぱっと思いつくのは尾崎南とフジミくらい?
そういう作品がなくなったとしても、個人的には全然困らないんだけど、
そういうのが好きな人は困るんじゃないのかなあと思う。
しかし、801(BL、JUNE)の名作と言われる作品も当てはまらないし、
このスレにいる人達も、あんまり見た事がないつってるこのお決まりって
実はお決まりじゃないのかね?
>>74 私の書き方が悪かったですが、
この場合のゾーニングというのは801者だけで引きこもるという意味じゃなくて、
書店流通や18禁制限をもっと厳しくするっていう意味。
801が一般人やゲイの目に触れないようにするため、
これは今後進めていくべきだと思う。
>>78 剽窃の問題も含めてこのあたりはすでに芸術批評においては
語られている問題なので、たとえば、松浦寿夫と岡崎乾二郎の
「絵画の準備を!」の連続対談はこの問題を考えるときには
参考になると思う。現在の 801 はピカソの絵と子供の落書きとが
売れるということで同じ扱いになってるのと同じなわけで。
現実との対決を回避するところに妄想が生まれる、ということを
忘れるとその妄想は個人にもその個人が生きる社会にも災いをもたらす。
>>80 ゾーニングの意味はそのように理解した上で、その結果は腐女子の
「物語内、社会内ひきこもり」になるんじゃないかというのが
>>74です。
ゲイという社会的存在に承認されることが必要なイメージと自分たちが
戯れていることを、ネグれる条件をそんなに簡単に忘れられては困る。
>ドラマとかのこの物語はフィクションで人物は架空です
雑誌だとディアプラスはこの種の断り書きを作品ごとにつけてるね。
作品の最初の見開きの右側ページの左余白あたりに。
>>81訂正
忘れられては困る、ではなくて、作られては困る、です。
>>76 「自分はゲイじゃないけど〜」は10年位前同人でよく見たし自分でも使ってた。
「自分はゲイじゃない」(ノンケ男のセリフ)と
「お前(男)が好きだ」(女性側の解釈)が
ねじれたままくっついた801らしいネタだと思って使ってたなぁ。
>現実との対決を回避するところに妄想が生まれる、ということを
>忘れるとその妄想は個人にもその個人が生きる社会にも災いをもたらす。
同意。
「どんな801作品を描くべきか」ではなく、「801者がどのように自己認識するべきか」
が問題なんだと思う。
801に限らず、自分勝手な妄想がもつ他者への攻撃性を認識することは必要だし、
どれだけ表現の自由が認められても、性妄想関連のコンテンツが
永遠に「こっそりと楽しむべき」日陰の趣味であることは変わりないよね。
前スレを読んでいると、そういう認識を欠いた上で、自己肯定をしたくてしょうがない
801者が結構いるのかなという感じがした。
「注意書きなんて弱い奴のすること。JUNEは魂の叫びであり文学なのだ」、というレスや、
「801は現実逃避」という意見に対する「そんな否定的な言葉を使うな」という反発レス・・・
なんだかなあ・・・。
>>84 同意って…ここまで読んだ限りだと
ID:iXx2k+KP0さんの意見は
>>84さんの言ってる事と正反対に読めるんだけど
「現状を肯定して、理解の無い人の目には
触れないように隔離するべき」じゃなくて
「誰かの目に触れる事を自覚して、
社会との関わりを維持すべき」じゃないの?
>>85の下段は
ID:iXx2k+KP0さんの意図する所の話ね
本人で無いと私の受け取った解釈が正しいかは判らないけど
>>81 わかりました。
内容を改善した上でゾーニングをすべきという考えですか?
それともゾーニング自体すべきでないという考え?
>「なぜ、自分はこんな妄想にとりつかれるのか?」という自問を
>必要としない空間を制度的につくるのは
これはつまりゾーニングを指して言ってるの?
801者の内省と書店流通の問題は別問題として捉えたほうがいいと思う。
ゾーニングは社会との関わりを断絶するためでなく、
未成年や801が嫌いな人の目に触れないためにするためにするべきだと思うんだけど、
それには反対ですか?
88 :
84:2007/07/14(土) 16:44:50 ID:+esyF+fX0
>>85 あー、私はID:iXx2k+KP0さんの意見に全面的に同意っていうわけじゃなくて、
コピペした部分↓にのみ同意してる。(文脈を無視して誤解を生んだかな。ごめんね)
>現実との対決を回避するところに妄想が生まれる、ということを
>忘れるとその妄想は個人にもその個人が生きる社会にも災いをもたらす。
ID:7Ds98Dab0さんやID:v7fZAfjl0さんの意見に反対しているわけではないです。
個人的には、「俺はゲイじゃない」のような「明らかな」ホモフォビア発言を止めたり、
書店流通や18禁の制限はするべきだと思う。
ただ、それをしたからといって、
801が801として存在する限り、他者を傷つける性質をもつことに変わりはないし、
それをしていることで免罪になったり、他者から批判されることへの弁解にもならない・・・と思う。
じゃあどうせいっちゅーねんと問われれば、「どうしようもない」って感じかなあ。
男性向エロ本と同じだと思ってる。
むしろ「801はエロ本とは違う!」とかたくなになっている801者が個人的には問題かと。
>>88 そこも正反対に見えるよ
>>88さんは「だから、はっきり隔離すべき」という意見のようだし
ID:iXx2k+KP0さんは
「だから、対決を回避したりせず、
独自の世界にならないよう801は社会性を保つべき」
という意見じゃないの?
>>88さんの意見は常に
他者から受け入れられるか否か、
受け入れられない存在は社会的に悪である、
という視点にのみ立脚してるように思う
社会的にうまくやっていくための建前としては否定しないけど
もしもそれが本音であるなら
それは、フォビアの根本発想と全く同じに思える
多数に支持されない存在への嫌悪感というか
許容されないものに属する恐怖感というか
そういったものがレスの根底に感じられる気がする
>>89 書店流通や18禁の規制って「はっきり隔離」したことになるんだろうか。
そして「独自の世界にならない、社会性を保った801」ってどんな801?
というのが私の疑問です。
そもそも「はっきり隔離」ってできるものなのかな?
ゲイは801を読まないで下さい、ゲイはコミケに来ないで下さい、
万が一801を目にしても忘れて下さい、とか、ゲイだけでなく、
レイプされた相手を好きになる男を見て不快になる人はこの801本を読まないで下さい、
むしろ801嫌いな人は801の存在を脳内から抹消して下さい、とか?
「独自じゃない、社会性を保った801」っていうのは・・・想像すらできんw
>他者から受け入れられるか否か、受け入れられない存在は社会的に悪である、という視点
社会的に悪かどうかという問題ではなく、「受け入れられない人がいて当然」
ということを覚悟しておくだけだと思う。
エロそのものより、他者からいかに性欲を肯定されるかってのが801のテーマなようですね。
女性の性欲の肯定以外、他はどうでもいい妄想世界の話。
801を読み書き売り買いする人には、ゲイフォビアも社会的責任もどこ吹く風なのは
もっともでしょう。
92 :
81:2007/07/14(土) 18:25:05 ID:YqOQr9Bu0
>>85 >>89 そういうことです。
私は現在言われているゾーニングというのは、
道徳的、教育的配慮を名目にして、まずは市場そのものが
なくなることを回避し、さらに現在規制がかかっているような
より過激な妄想も商品化することで、あわよくば市場を拡大しようとする、
商業上の戦略にすぎないと思う。ゾーニングを
>>87さんのように
他者への善意から行ったとしても、それは変わらない。
文章や画像はコピペでき、ネット上でデータとしていくらだってグローバルに流通する。
文章も画像も本質的にそうして無責任に漂流するもので、
これは書店流通をストップするとか、身分証の提示を購入時に求める、と
いった程度のことでは、どうにもならない。
>>87 >「なぜ、自分はこんな妄想にとりつかれるのか?」という自問を
>必要としない空間を制度的につくるのは
は、現在のようなやり方でゾーニングをすれば、結果的にはそうなるだろうということ。
ゾーニングについての私の考えはこのレスで述べたとおり。
93 :
84:2007/07/14(土) 18:36:28 ID:+esyF+fX0
>>89 コピペ部分は完全に私の曲解だったみたいですね。すまぬ
>>92 言っていることが抽象的過ぎて、現実味がないような気がする。
「現実との対決を回避しない、社会性を保った801」って、私も想像できない。
むしろ現実との対決を回避する色が濃いからこその801なのかもなと思ったり。
そもそも801ってリアルで考えるとシャレにならないことだらけかも。
共依存、脅迫、ストーカー、レイプ、DV、近親相姦、猥褻物陳列などなど
がフツーに許されちゃってるし。(そんな801ばかりでもないけどさ)
セックスでも、ありえないほど汁が出てたり感じてたり。
現実と真剣に対決しようとすると、「萌え」にするのが難しい。
そういう身勝手でズルいのが腐女子かと。で、そういう自分達であることを
自覚することが大切なんじゃないかな。でなければ、
801のほとんどが消えて無くなるべきだという結論になってしまう。
95 :
81:2007/07/14(土) 21:47:20 ID:PebAQBFN0
>>94 その自覚を作品にすることが必要だというお話。
自覚していると言い募ったり、思い込んだり、するだけですませずに。
そして自覚させるもの、腐女子にその自覚を迫るものを「現実」と呼ぶ。
現実と真剣に対決することなく、
>>94さんのいう自覚は生まれない。
「そういう自分たち」というのは、「自分が生きるこの現実のなかで、
現実との対決を回避して、身勝手かつズルく、ある妄想を抱く自分たち」で、
それを自覚する、というのは、「どうして、そんな妄想を、身勝手かつ
ズルく、あなたは抱くのか?」と問う誰かに対して行われる。
つまり、自覚はその誰かからの問いを引き受け、「どうして、私は、
そんな妄想を、身勝手かつズルく、抱いてしまうのか?」という自問をともなう。
あと、リアルで考えるとシャレにならないことだらけというのは、
美術、文学、他のサブカルチャーでも同じことだと思うよ。
それは 801 に限ったことじゃない。
>>95 そりゃあ801に限ったことじゃないわな。
しかしその自覚を作品にした時点で801とは呼べないものになるのではないか?
と言っている。
あるいは、これまでとは全く違う801になるか。
例えば具体的にどんな801作品を想定しているの?
>>96 それで 801 とは呼べないものになるなら、その程度の強度のものだということだと思う。
そして、これまでとはまったく違う 801 になるなら、今の段階で
具体的に作品を想定することは原理的に不可能だと思うよ。
というのは、「私」をめぐる問いに一般的な答えはないから。
それは未来の書き手、描き手も含めて、まだ誰も知らない。
今のままではだめだ、とわかることが、すぐによりましな自分に
たどりつくわけではないように。
なので、これまでの作品では、すでに過去スレでも挙がった
JUNE の作家たち、江森さん、野村さん、石原さん、須和さん、
佐々木さん、といったひとたちの作品かな。それぞれ問いに
対してのアプローチは違うけれど。
>>97 そもそも、自分の身勝手さの自覚を作品にする必要があるというのなら、
男性向エロ漫画・小説や、実写エロビデオ、
女性向ハーレクイン小説、レディコミ、少女漫画、少年漫画の多く、
果てはゴシップ新聞や雑誌まで、というか個々に見ていけば、
あらゆる形態の作品に該当すると思うのだが。
例えば江森さんの三国志にしても、どこらへんにその「内省」が入っているのだろうか。
見方によっては、「なんと自分勝手に三国志を…」となるのじゃないの?
>>97 そういうことだと思うよ。その点では 801 はいろいろ試みがなされている方だと思う。
「内省」というより、江森さんの場合は新装版のあとがきに書いていたように、
キャラに好き勝手させないために資料を読み漁り、その量がどんどん増えていく、
そういうかたちで、問いに、問いかける現実に、アプローチしていたと考えられる。
>>99 なんじゃそりゃ?
三国志の登場人物をホモ化させる自分の身勝手さを自覚することと、
資料を読み漁りキャラに好き勝手させないことが、どう関係あるの?
資料を読んでキャラに好き勝手させなければ、
その身勝手さの自覚を「作品にしている」と言えるの?
物語を紡ぐことを困難にする現実と対決することで生まれる物語や
「萌え」がある、と江森さんはおそらく考えているし、聞けばそう答えると思う。
キャラが自己主張するままに好き勝手させたら物語が壊れる、と言うんだから。
>>100 勝手にどんどんホモ化しそうなキャラの好き勝手と戦うことを通じて、
三国志の登場人物をホモ化させる自分の身勝手さを自覚した、ということだろうね。
なので、そんなふうに、一般化はできない。これは江森さんと三国志とのあいだに
起きたことで、他の場合はわからないから。
>>100 いや、違うか。むしろ逆か。
なんでホモ化させるんだ、とそれを拒むキャラの好き勝手に対して、
どこまでホモ化させられるか挑むことを通じて、三国志の登場人物を
ホモ化させる自分の身勝手さの自覚を繰り返した。
これかな。
というか、両方あると考えられるのか。キャラはいろいろいるわけで。
同じキャラでも場面によってどんな好き勝手するかは一定していないから
「好き勝手」なんだろうし。
>>100-102 すまんが意味不明
仮にそれを「自覚を作品にする」と呼べるとしても、それは作者にしか
分からないことだよね。後書きで自己申告することは「作品にする」とは言えない。
どれだけ作者がホモ化を抑えたとしても、実際ホモ化してるキャラがいるわけで。
読者はそんなの分からないよね。
だったら自覚を作品にしようとしまいと同じだと思うのだがどうかな。
「自覚を作品にする」というのは、
例えば「俺はゲイじゃない」というキャラをどう描写するかで
考えると私には理解しやすいな。
同じ「俺はゲイじゃない」というセリフでも、
作者が自覚を持ってキャラに言わせているのと
作者が自覚なしのままキャラに言わせているのでは
細かな描写が違ってくるよね。
自覚のある作者の場合は、キャラの「ゲイじゃない」というあがきの身勝手さ、
ゲイに対する見下しや抵抗感、そういったものをキャラの欠点として
わかるように描いてある。
(で、その欠点が人間味として読者の共感を呼ぶ事もある)
キャラがその欠点とどう向き合っていくかも作品内で描かれる。
自覚なしの場合は、作者も「ゲイじゃないよねー」とキャラを支持しているのが
読者に伝わってくる。
キャラの欠点だとは思わず美徳とさえ思っているから、そこに内省はない。
反感を呼ぶのはこちらのタイプの作品じゃないかと。
>>104 書かれたものとしての作品には、その自覚の痕跡が刻まれる。
語の選びや連なりのうちに。描写や台詞にだって違いは出る。
読み手はそれを読み、何かしら触発される。読み手は「意識する」という
かたちで何かをわかるわけではないけれど、何かを受け取り、わかってしまう、
ということはある。
>>106 それにつけくわえると、最初、自覚なしに、「俺はゲイじゃない」というセリフを
キャラに言わせてしまい、そのことを引き受けざるをえなくなって、
作者が自覚を迫られる、というパターンもあると思う。失地回復型というか。
身勝手さが問題なのは、都合の良い妄想を他者に押し付けているからであって、
それを自覚し、細かなニュアンスを変えたところで、根本は解決されないと思う。
(いうまでもなく、自覚がないのは論外)
たとえばノンケ男がゲイ男にレイプされるとする。
レイプシーンを一切の快楽もなくリアルに描き、その後の男の苦痛・苦悩や、
それとは反する恋心を綿密に厳密に描写した果てに、「それでもあいつが好きだ」となる物語でも、
「ねぇよw」と不快に感じる人も当然いるわけだよね。
「結局お前が萌えるために書いてんだろ。きんもー☆」と感じる人もいる。
どんなに自覚しようと、801の攻撃性はゼロにはならない。
>>109 あることをすることが不可能だということを、そのことをする必要がない、と
いうことに結びつけるのは、短絡だと思う。
世界平和の実現が不可能である、ということは、その実現に向けての努力の
不要を意味しない。そして、その努力のすべてを無意味だと判断できる場所に
立っている者はいない。
自覚が作品化されても 801 の攻撃性はゼロにはならない、ということは、
自覚を作品化して攻撃性をゼロにする必要がある、ということとは
別のことだと思う。
>>110訂正
最後のパラグラフの「必要がある」は「必要がない」に訂正。
待ってよ、自覚が作品化されても801の攻撃性はゼロにならない。
これは間違いないよね。
というかどんなジャンルのどんな作品でも、必ず誰かへの攻撃になり得る。
極論、サザエさんみたいな人畜無害っぽい作品であっても、ああいいう家庭に恵まれなかった
人間の一部には攻撃性がある。家庭とはあああるべき、そうでなければならない、と思われて
はかなわないとか、自分だってあんな家庭が欲しかったのに、という気持ちをかき立てられる
とかいったような形でね。
だけど自覚を作品化して攻撃性をゼロにする必要はあるんだよ!と言われても、じゃあどう
やって?と思うんだけど。
それこそ「ファンタジーです」「フィクションです」と言った文言で逃げる以外に道はないように
思えるけどなあ。
世界平和とかの場合って、要は世界中の人々が欲望を抑え、優しく清い心を持つことがもし
仮にできたとすれば(それができない理由なんだけど)、不可能ではないかもしれない。
でも物語が構造的に特定の人々にとっては攻撃的な側面を持ってしまうっていうのは、回避
不可能なんではないかなあ。
801じゃなければ物語が人に攻撃性を持っていてもいいのか。801なら攻撃性は決して許され
ないのか。なんか無理があると思うんだけどな…
>>110 必要がない、と言っているのではないよ。
例えば「俺はゲイじゃない」に現れるホモフォビアを自覚することは必要だと思う。
でも、表現の細かなニュアンスから「私は自覚している」ということが現れていれば、
他者に及ぼす攻撃性が減るのか?というと疑問だよ。
むしろ「自覚してるのに止めないんだ、結局萌えたいんだ」で
倍増のキモさを感じる人も当然いるだろうし。
例えば個人的には、江森さんの三国志で、最初からキャラ全員をホモ設定にして、
資料丸無視で、萌え萌えのホモ展開にしたほうが、
「勝手さの自覚を作品化」していると言えると思う。(そんなの読んでも萌えないけど)
801は世界平和ではないから、攻撃性をゼロにする方法はあるよ。
ただ単に妄想を作品にしなかったらいいだけ。
それをしなければ、結局は同じことだという気がする。
>>112 「攻撃性」というより「暴力」という言葉を使って「人権」の問題として
考えた方がいいと思う。「人権侵害の暴力」ね。
801 に限らず物語が「暴力」をふるう。その場合問題は、誰にどんな
「暴力」をどのようにふるうのか、ということで、サザエさんに対して
暴力を受けたと訴えるひとがいるなら、それは長谷川町子が
創作上の困難として引き受ける必要のあるものだし、
彼女のあとに創作する誰かが自覚し引き受ける必要のあるものでもある。
801 という物語は誰にどんな暴力をどのようにふるっているのか、
それは問われる。
>>113 そういう「過剰な自意識」「私は自覚している」ということが作品に
刻まれるわけではなく、自覚が作品化される、というのは、
たとえば、江森さんの場合だったら、読み込んだ資料にあった言葉を書いた
他者の承認を受けた言葉が、その承認の必要を自覚した結果として
選択される、ということで、選ばれなかった言葉としての無意識が
過剰なんだと思う。
その結果、オリジナルキャラのために恣意的に選択した名前が、
実際に三国志演義に登場していた、なんて不思議なことが起こる。
このエピソードも新装版のあとがきで書いている。
資料丸無視は、「勝手さを作品化」していても、「勝手さの自覚を
作品化」してるということにはならないんじゃないかな。
そして、物語の暴力ゼロか100パーセントか、という選択しかないとは
思わない。もっとアナログだし、作品のなかでもさまざまに変動している。
「世界平和」というのは理念で、それを構築する対象と考えることもできるし、
その理念に照らして自分たちのふるまいを考え直すことに用いることもできる。
「801 作品における暴力ゼロ度」も同じだと思う。なので、そこから生まれる
>>106さんのいうような違いは無意味ではないと思う。
うーん…そうなるともう私の頭が悪いせいもあるだろうけど、「物語」はフィクションであろうが
ノンフィクションであろうが、とにかく何らかのストーリーを紡ぐものを読み書きする際は、この
世のどこかにいるであろうこの作品に不快感や暴力性を感じる人のことを想定しながら後ろ
めたい気持ちを抱き続けなければならない、それがイヤならそういうものを一切読むな書くな、
という感じがしてなんかイヤだな。
つかこれ言い出すとジェンダー問題みたいになってきてイヤなんだけど、かつて女ってのは
男性の身勝手な性的ファンタジーを一方的に投影されるだけの立場だったでしょ。
でも今って逆に男性に向けて自分たちの身勝手な性的ファンタジーを投影する側になってる。
それがなぜか801の形になったりしてるわけだけど。
「俺はゲイじゃないけど〜」ってのは、ゲイを否定してるというより限りなく、「私が女だから好き
なんでしょ?おっぱいついてて好みの顔だったから好きなだけなんでしょ?別に私じゃなくても
良かったんじゃない?でもそんなのイヤだよ、私が私の心を持ってたら、あなたは私が男だった
としても好きになってくれた?それでも私を抱きたいと思ってくれた?」という、男性が女性に向
ける性欲の否定なんだと思うだけになあ…。
たとえば、ある時代のアメリカの小説に「白人女性をレイプする
好色な黒人男性」という紋切り型のイメージが頻出するとして、
現在、その時代と同じように小説に登場させることは難しい。
しかし、
>>106さんのいう意味での自覚の作品化が行われれば、
そうした社会的存在が物語に描かれることは、現在のアメリカ社会の
問題を照らし出すものとして、読み手が受け取りうる、ということがある。
たとえ、その読み手が黒人男性であっても、その物語にその「好色な黒人男性」が
登場人物として不可欠であると、承認するということがある。でも、別にそのような登場人物や
その人物の行為の暴力性、それを描くことの暴力性がゼロになったということではない。
同じ問題は 801 で「黄色人男性をレイプする好色な黒人男性」を
物語に登場させる場合にもある。
>>116 そうした男性が女性に向ける性欲の否定が、ゲイの否定につながらない、とする
理由は何もなく、むしろ、「男だったら相手は誰でもいい」というのをゲイに
押し付けていることを、
>>116の最後のパラグラフは素直に告白してると思う。
要するにその男性の性欲の否定の帰結は「誰でもいいわけではなくて私」ということで、
ゲイは「私でなくても誰でもいい」と考えている存在としてイメージされているわけで。
>>117 ゲイは、ではなく「男性は」なんだよ。ゲイも男性だよね?
男性的な性欲のありかたの否定。
裏返すとゲイの男性が女性に恋して、「俺はゲイなんだけど、でもお前が好きだ」と言うの
と、自称ノンケの男性が男性に恋して「俺はゲイじゃないけどお前(男)が好きだ」は同義
だということ。
普通の男性にとって女性は時として「女なら誰でもいい」という側面がある。
たとえ一途に恋していて、彼女でなくてはならないと思っていても、「自分が女の肉体を
持っているから愛されただけだ」という不信感はどこかにしこりのように存在する。
そうじゃなくて、本来ならば性的な対象や恋愛対象にはなり得ない人物であるのに恋した、
それを乗り越えてでも触れたいと思った、ということが重要。
女性でも男性に恋するのも当たり前、時として男であれば誰でもいい、妥協してこいつで
いいか、みたいな打算とかあるよね、そういうものの否定でもある。
「あなたが男だから好きなんじゃない、あなただから好きなの」と言ってもやっぱり「男だから
好きなんじゃないの?」という感覚があって、本来レズではないのだけれどもそれを乗り越え
て女を愛するという形でもいいといえばいいんだけど、根底に「男性に愛されたい、だけど
この人は私じゃなくても良かったんじゃないか」があったり、読者の大半が異性愛者の女性で
ある以上、男性の物語の方が魅力的だし、ほどほどに生臭みが消えることもあって801に走る
のだと思うんだよ。
だからゲイであっては(言い方は悪いけど)困る。
ゲイの男性が男性に恋するのは、ノンケの男性が女性に恋するのと変わらないでしょ。
すごく普通で当たり前、全然特別でもなんでもない。対象が少し珍しいけど、基本的にとても
普通で健康な恋愛でしかない。それは801にならないと思う。
>>116 後半部分。
その「一部女性の一部男性への不信感」を物語で昇華させる為に
ゲイを踏み台に使う事に無意識でいいの?って問題だよね。
自分の不満を解消するために、自分がやられたのと同じようなやり方で
他者を傷つける事に無頓着でいいの?という。
攻撃性ゼロの作品を作るのは不可能だと思う。
でも「無理だもん」と開き直るのも、新たに人同士の不信を煽るだけだよね。
そこに同じ世界に住む者同志としての気遣いや、共存への配慮は必要じゃないのかな。
「801は身勝手な欲望で人を傷つけているのかもしれない」
「でも801は私にとって必要なものだ」
「では私はどう801と付き合っていけばいいのだろうか」
そう自分に常に問いかける姿勢が大事だよね。
・・・というだけの話だと思うよ。
そこで出てくる答えが「では私は801を捨てる」にせよ「妥協点を模索する」にせよ
他者を無視して己の快楽のみ求めるよりはずっとずっとましじゃない?
私自身、男性がメディアで描く女性イメージに不快感を持つ事はある。
男性と女性では立場が違うから、どうしても利害が一致する事はないだろうと
諦めてはいるものの、そこに女性への配慮があるかないかは非常に大きな違いだと考えるよ。
「女性達がどう受け止めるのか、できるかぎり女性への暴力性を下げたい」と
作り手側が考えてものを作ってくれるのであれば、そうでないものよりも
不快感はずっと少なくなる筈。
後ろめたい気持ちを常に持っていたい、という意味にもなるかもしれない。
でも心の隅にいつもその意識を持つ事が、801好きにとってそれ程の負担になるだろうか?
>>118 そういう物語が自分にとってどうしても必要であるのなら、
他者を傷つける覚悟を持ち、かつ言葉を選んで創作しよう、という話じゃないの?
私自身はそういった801は嫌な感じがするので好みではないけれど、
ゲイに失礼だから書くなとまでは思っていないな。
>根底に「男性に愛されたい」があったり、
>読者の大半が異性愛者の女性である以上、男性の物語の方が魅力的だし
だけどここは不思議だった。
118自身は、自分の性指向に沿って男性を選んでいるのに、
男性が同じ理由から女性を選ぶと不信感を持つんだね。
>そういう物語が自分にとってどうしても必要であるのなら、
>他者を傷つける覚悟を持ち、かつ言葉を選んで創作しよう、という話
118は多分そういう覚悟は基本的に「持っている」というのを前提でプラスその台詞には
「誰でもいい」という考えもはいっていないから一生懸命説明していると思ってたんだけど…
言葉を選ぶはともかく、覚悟を持つべきだというのは十分わかってると思う
>自分の性指向に沿って男性を選んでいるのに、
>男性が同じ理由から女性を選ぶと不信感を持つ
ではなく、女性の性指向に沿った男性の選び方にも不信感を持っているから801なんじゃないのかな
だから「男性のみ」の物語が魅力的に思えるんだと思う
女性が混じると、どうしても自分の指向や思考と重ねてしまってどこかに不信感が湧いてしまうから
>>95=
>>117 自分の勝手な欲望を他者に重ねている時点で「現実との対決を回避」
しているのだから、
それをやめない限り、「現実と対決」していることにはならないのでは?
なんか江森氏を美化しすぎているような気がした。
三国志キャラのホモ化・非ホモ化を自分でコントロールしたり、
資料を読み込むことが「勝手さの自覚を作品化する」=「現実と対決する」
ことだと言われると、なんか違和感あるなあ。
>>121 後半はそうじゃなくて、自分の事は棚に上げてて気にならないの?と
言いたかったんだ。
「自分は性指向に沿って異性を選んでいるのに、
他人が同じ理由から異性を選ぶと不信感を持つ」
と言い換えればいいかな。
自分自身にも不信感を持っているのであれば、性指向に沿って801を好んでいる自分を
どう受け止めているんだろう。
自分は性指向通りに楽しみながら、登場人物が性指向通りに恋するのは否定してるんだよね。
やはりかなり身勝手な気持ちが表現されていると思うし、その勝手さは
自覚の必要ありだと思う。
>>118 カテゴリーの混乱があると思う。
セクシュアリティを問題にするなら「ヘテロ男性」と「ゲイ」は違う。
生物学的にどっちも「オス」だ、ということは言えるけれど、
性欲というのは、生殖とは別に文化的にかたちづくられる欲望で。
生殖につながらない性欲はある。
そして、
>ゲイの男性が男性に恋するのは、ノンケの男性が女性に恋するのと変わらないでしょ。
その2つの関係には「他ならない私と他ならないあなた」という関係はない、と
いうことなら、それは変じゃない?
近代において女性の性的自由が制限されたのは、そうしないと
「他の男に走り、自分を選ばない」ということがあるからで、
そこには男性の根深いミソジニーがある。
「法」というものが制限を課す対象の寓喩として、
「a loose woman 」ふしだらなまでに自由な女、というのを
歴史的な法律文書の研究を通じて取り出した法哲学研究者もいたりする。
なんというか、
>>116のレス(
>>116さんではなく)は、
そうした「男性のミソジニー」をものすごく内面化して、
自分に向けた挙句、自己否定の極限で、「男性」にではなく
「ゲイ」への否定に転化させているように思う。
前にどっかの板で、「男性」に性的搾取されている「女性」が「ゲイ」を
性的搾取しているのが 801 、というレスを見たことがあったけど、
そのときの違和感を思い出した。なんで、「男性」じゃなくて
「ゲイ」に搾取の対象がずれていくのか、そこが不思議で。
>>119 「身勝手だけど必要で、どうやってつきあうか」で、結論に「妥協のしようはない、イヤだと
いう人はいるんだろう、わかっちゃいるけどそういう人が許せる作品は私にとってまったく
面白くない、だからもう開き直る。ごめん!」という結論が「801はファンタジー」なんじゃ
ないかなと思うんだよね。
これあくまでファンタジーですから、本当のゲイの皆さんとは違うのは重々承知です、でも
こういうのが好きなんです、こういうのじゃないとダメなんですごめんなさい、という。
ファンタジーですとかフィクションです、というのはそういうところから出てきた言葉だと思う。
少なくとも私はそういう使い方をする。
>>123 棚に上げるというか、「そんなこと現実にあり得ない」と思ってる。
異性愛者の女である以上男が好きだし、異性愛者の男性だってそうである以上女が好きで
当たり前だと思う。
ただ時としてそれが不満だったり不信感を持ったり、イヤだなあと思うことがある。自分自身に
ついてもね。彼が女の子でも私は彼を愛せるかなあとか、このまま付き合うならやっぱ将来
結婚とか考えなきゃいけないけど結婚相手としてどうなんだろとか考える自分が嫌だとか。
だからこそ、そういうの全部ぶっちぎった果ての、究極的な恋愛に憧れる。
あり得ないものだからこそ。
本能に従うのでもなく、経済的な面や世間体とかの打算や妥協に流されるのでもない、魂だけ
を見つめ合うようなあり得ない恋愛があったらいいなあ、という。
>>124のレスのなかの
>>116は
>>118の誤り
>>122 自分の勝手な欲望を他者に重ねない創作、って定義矛盾だと思う。
欲望はその欲望の存在自体の承認を他者に求め、
他者に承認可能なものとして欲望が自己を提示する際に、
「他者に承認されたいという自分の勝手な欲望」を
他者に重ねない、ということはありえず、他者に承認可能なものとして
自己を提示することのない創作はないから。
江森さんについては、キャラをコントロールしてるわけではなくて、
キャラにコントロールされることに抗ってるんだと思う。
キャラが自己主張する、と言うわけで、これはやすやすと
コントロールできるものじゃない。
「俺はホモじゃない」とかいうのは明らかなホモフォビアだから、
自覚するべきっていうのは異論ないんだけど、
「身勝手さの自覚を作品化するべき」ってどういうことなのかよく分からない。
例えば男性向エロのレイプもので、
レイプされる女が抵抗しまくり、押さえつけられて殴られ、ボコにされて
青アザついた状態で、鼻血・涙を流しつつ、マンコ切れて血が流れつつ犯されてて、
それを見て、レイプしながらもちょっと罪悪感感じちゃってる(でも興奮してる)男。
という作品と
知らない男に押し倒されて少し撫でられただけなのに感じまくって従順になり、
マンコ汁だくだく、「らめええぇぇぇぇぇぇ、もっとおおおおお」とか言ってる女、
「犯されて嬉しがりやがって、やっぱりお前は淫乱だな♪」とか調子に乗ってる男
という作品。
身勝手さを「自覚して作品化」しているように見えるのは前者なんだけど、
結局、そういうエロ妄想本を書いてる・読んでる時点でどっちも身勝手なのに変わりはなく、
レイプ妄想がもつ「暴力性」も、なんら変わらない。
>>125 その開き直りが、社会的存在としてのゲイにとっては
「謝罪」にはならない、という「現実」を自覚する必要があるかも。
ごめんなさい、ですまないことが起きている、という。
謝罪すれば、ファンタジーやフィクションが
現実と縁が切れるというものでもない。
黒人差別が制度的に存在する時代に、「白人女性をレイプする
好色な黒人男性」をヒロインが経験する不幸をもたらす単純な悪役として
描いておいて、「ごめん、こういうの好きなの」ですむかどうか。
>>127 それはたんに、男性向けエロ作家が「身勝手さの自覚の作品化」を
まったくしてない、というお話だと思う。
たとえば、英田サキの DEAD LOCK でユウトが BB たちに
レイプされるまでの流れで、アメリカの麻薬取り締まりの現状と、
政府組織間の複雑な関係、人種問題があり、刑務所内部の勢力争いがあり、
さらにそのなかでレイプされる場所にユウトを誘導することに利用される弱者がおり、
といったような描写が積み重ねられて、読者にさまざまにやりきれない思いが残る。
それは、BB に対してだって向けられるやりきれなさ、だったりする。
レイプによるアナルバージン喪失というエロ妄想を、英田さんのように
書けるかどうかは、問われていいと思う。レイプという陰惨な出来事の当事者に
このひとびとはならずにすんだ人生が、あったんじゃないか、それはどんな人生なんだろう、と
思わせるレイプ描写のシークエンスが、中上健次の小説にもあるけれど、
その場合、レイプの最中の男の快楽が
>>127の2つ目のように描写される方が、
情けなさが強調される、といったことが起こる。これも
>>106さんのいうことの例だと思う。
>>127 犯罪と男同士の性愛を同列で例えるのはちょっとどうだろう?
言いたい事はわかるけど。
>>125 それも一つの結論だと思う。
他者への影響をきちんと考えた上でなら、作品の取り扱いにも慎重になるよね。
当事者から批判されても逆ギレしたりしない筈。
また、嗜好の違う801好きからもその身勝手さを批判される覚悟もあっていいかと。
自分の暴力性を自覚しようという意識が多くに広まって、当たり前になればいいと思う。
今はまだそこまでいっていないけれど、徐々に意識が芽生えつつはある段階かな。
でも「801はファンタジー」という言葉は、私は妄想を妄想だと理解しているという
エクスキューズや開き直りの言葉であって、他者への配慮から出た言葉ではないと思う。
そこで自覚されているのは身勝手さや暴力性ではなく妄想性の高さでは?
129=123です
ID変わった
連投ごめん。
「801はファンタジー」という言葉自体に、ゲイの否定やネグレクトを私は感じるよ。
>>128 128さんのその独善的な基準が分からんよ。
江森氏の三国志も、ある人々にとっては、「自覚の作品化」でも何でもない。
江森氏がキャラにコントロールされることに抗っていようと、何にもならない。
暴力性は失われない。ただの暴力、ただの蹂躙、ただの江森氏の萌えの道具でしかない。
>>129 >犯罪と男同士の性愛を同列で例えるのはちょっとどうだろう?
801でも露骨なエロ表現が無かったり「純愛」物語だったりすると
自覚が失われがちになるのかもしれないが、
他者に自分のカタルシスに奉仕する属性を付与した時点で、
それはもうポルノ的であり、暴力的であるということに変わりはないと思う。
レイプも、男同士の性愛も、同列だと思うのですが。
>>132 何にもならない、ということはない。江森さんの作品の暴力性を
>>132さんが読み取ることに意味がある。
そして、「ある人々」にとって暴力だということは、
「ある人々」ではないがそれに気づく
>>132さんのようなひとが、
まだ足りない、と江森さんにつきつければいいこと。
そして、江森さんはさらにその暴力に対する責任を引き受けて創作する。
批評と創作のきわめてありふれた関係だと思う。そして作家によっては
その責任の引き受けを、他者との共存の試みとして楽しみとするひともいる。
作品におけるさまざまなレベルの暴力を感知し、具体的に指摘し、
作家に書くことの困難に直面させるのが、同時代の批評家の仕事。
そして作家はその困難を越えて書く。批評家というのは
作家に連署する存在だといえる。
>>133 ロムってたけど、
なんかすれ違ってない?
人種の差別表現・偏見表現やレイプなんかの
暴力表現を好む事に対する罪悪感や嫌悪感というのは
それを好む人が表現された差別や暴力を
肯定的に見ているのではないかっていう不安からくるものだよね?
翻って同性愛・両性愛表現を好む事に対して
罪悪感や嫌悪感を感じるってのは
当事者でない人間が憧れで勝手な事を書いてるのではないかという
描き手や読み手の不安と不満から来るものだよね?
この二つを同じものとして喩えに出したりするのは止めた方がいい
それこそ、読み方によっては
同性愛に、差別的な意味合いで嫌悪感を持ってると
ごっちゃになりかねないよ
>>135 確かに殴る蹴るレイプする「暴力」と、心理的な「暴力」があるけど、
自分の脳内お花畑で、他人を自分の都合良い「道具」にしているという点は同じなのでは。
他人の関係性を自在に操作するというのは、「関係性の暴君」になることでもある。
例えるならどっちかいうと「ネコ耳ロリっ娘メイドさんが僕にベタ惚れで夜のお世話まで
万全の体勢でしてくれるとかいいなー」というような話に近い感じはするね。
いやメイドじゃなくてもいいけど、金持ってるからとか、顔に惚れたとかじゃなく、ぱっと
しないスペックの主人公をただ一途に愛し、自分だけに、自分の望みに応じていつでも
身体を開く、性的な意味でも魅力的な美少女。
んなこたーあるわきゃない。そんな女の子いない。801同様無茶な妄想であり得ない
話には違いない。
そんなことは分ってるし、生身の女性をバカにしてんのか、女はそんな簡単な生き物じゃ
ないよ!とか、そんなやりたいばっかの男に惚れるか!とか、そんな年中都合良くサカ
ってる女いねえよ!とか、そういうこと言われりゃいやもうこれは生身の女性とは似て非
なるものとして萌えて夢見てるだけなんでほんとごめんなさい(身勝手な妄想と認識し
つつ罪悪感を持っている場合)…とか、っていうか俺は三次元の女に興味はねえよ!
(色々諦めて開き直った場合)とかなる、というような。
>>136 違うと思う。
なぜなら傷つく人の理由が違うから。
>>136姐さんの言う暴力はあくまで主観から見た暴力性だけに
言及してるように思える。
何もかもすべてが違う問題なんて存在しないし
色んなことが絡み合って問題になってるわけだから
問題の中のある「点」だけ抜き出せばそりゃ同じにも見えるけど
全体像を把握する時には
部分を抜き出して同一性を言うのは違わない?
同一の問題として扱っていいのは
全く同じ事例だけだと思うよ。
>>137の例でいくと、そういう自分の身勝手さの自覚を「作品化する」
というのはどういうことなんだろう。
本気で真剣にそれをやったら、もはや原型を留めないものになるような気がする。
身勝手で暴力的な妄想だからこそ、切実に必要とする部分があると思うんだよね。
インモラルでない、無菌状態の801は私は面白いとは思わない。
妄想を妄想と認識し、その暴力性を自覚するのは必要だけど、
必ずしもその自覚を「作品化」する必要あるのだろうか。
妄想に溺れきって、現実なんかどうでもいいよ状態になることを避けるべきであって、
妄想の中でまで現実と闘うというのは、現実と全く同じ夢を見ているようなものじゃないのか。
男の子が、自分勝手で暴力的な妄想でオナニーするのと同じで。
そしてそのオナネタが山のように流通しているのと同じで。
追加
もちろん当事者への配慮は必要で、批判や罵倒を受けることも当然とした上で。
>>139 >現実と全く同じ夢を見ているようなものじゃないのか
これがよくわからない。「全く同じ」って「現実」と「夢」が「全く同じ」に
一致する、ということ? この場合、「夢」は「妄想」と同じになっているから、
「現実」と「妄想」が「全く同じ」になるということ?
どんな妄想でも何らかの媒体で表現されれば、
それは現実の断片の組み合わせからできていて、
だから言語や描線や色で描かれもする。紙の上に文字であれ、
線と色とであれ、描かれた架空の動物というのは、
現実に存在する動物のパーツを組み合わせたもの。
古くから「結合術」「アルス・コンビナトリア」という名で
知られる、現実の断片化とその(再)結合が妄想の製造を可能にする。
妄想というのはそれが「作品化」されるだけですでに
現実と交差し、現実と戦っている。なので、妄想は
精神分析において、その妄想を抱く当人の現実との葛藤や、
現実においての当人も意識していない欲望を表現するものとされる。
そして、暴力性というのはこの「現実においての当人も
意識していない欲望」としての無意識に由来する暴力の暴力性で、
主観的にふるわれる暴力じゃない。
妄想を妄想と認識し、その無意識の暴力性を自覚するには、
何かをたとえば「言語」を通じて「作品化」する必要がある、
ということで、「暴力性の自覚の必要」を認めるということは、
何らかの媒体を通じての「作品化」を必然的にともなう。
というより、われわれは「作品化された妄想」、
すでに「現実と戦いを開始している妄想」しか知らないはずだと思う。
>>140のように、
>もちろん当事者への配慮は必要で、批判や罵倒を受けることも当然
なのは、「作品化された妄想」がすでに現実と関わっているからで、
現実が自分の思いのままにはならないものであることが、
わかっているから、「現実」と「夢」ないし「妄想」を区別しながら、
現実との戦いに他ならない「作品化」が自分の思いのままになると
思っているのが、矛盾している、というお話が続いてる。
「書くことの困難」「描くことの困難」という言葉は、そのことに関係した言葉だと思う。
「作品化」というのはつねにすでに「妄想を妄想と認識し、
暴力性を自覚しているかどうか」を試されるということに
他ならず、その自覚の十分さは、できあがった作品に対する
その暴力性を受ける他者の評価、承認が得られるかどうかにかかる。
暴力を受ける他者の目にはそのままでは見えない自分の自覚を、
作品として目に見えるものとし、暴力を受ける他者の
批評にさらす、というのが「作品化」とここで呼ばれているものだと思う。
自分の暴力性に対する自覚というのは、自分で主観的に「自覚している」と思うだけではだめで、
繰り返しその暴力を受ける他者によって客観的に試される、ということを必然的にともなう概念なので、
「自覚の必要」を認めながら、その「自覚」を他者に試される必要はない、というのが、
>>139の
>妄想を妄想と認識し、その暴力性を自覚するのは必要だけど、
>必ずしもその自覚を「作品化」する必要あるのだろうか。
では矛盾している。「作品化」というのは自覚が客観的に試される契機だから。
「試される可能性」をただ
>>140のように主観的に
想定するだけじゃなくて、現実において客観的に試される必要がある。
「自己」を「覚る」には「自己の思いのままにはならない語る鏡」として他者が必要。
そして自覚は一度やればそれでいい、というものじゃなく、繰り返し試される。
「身勝手さを自覚し、『作品化』するべき」という言葉遣いがややこしいのではないかと思った。
本気で自分の妄想の「身勝手さ」を「作品化」しようとしたら、
「男女の物語につきまとう生々しさを回避しようとする自分の身勝手さ」
「自分とは関係ない、架空の、男同士の人間関係を楽しみたいという身勝手さ」
まで「作品化」しなければならず、
また、「なぜ私はそのような男×男の物語を必要とするのか?」まで言及することになり、
もはや男×男の物語である必要がなくなる。
>>106は、わざとキャラに「俺はゲイじゃない」と言わせて、その問題点を浮き彫りにする
っていうのは、そりゃあ「過去の801テンプレの身勝手さを作品中で意図的に発露させている」
とは言るのかもしれないが、「なぜ私は男×男を必要とするのか?」という、
肝心の問い、肝心の「身勝手さの自覚」を「作品化」しているとは言えないのではないの?
例えばレイプものにしたって、「レイプ後に両思いにさせる自分の身勝手さ」
を自覚しているからといって、
レイプ→洒落にならないトラウマ→レイプ犯逮捕→当然、愛はない
とかいう流れの801作品を書く「べき」なのか?という疑問。
そして仮にそうしたとしても、
結局は、そのような物語を必要とする自分の身勝手さの「自覚」を「作品化」していることには
ならないと思うんだけど。
>>144 >例えばレイプものにしたって、「レイプ後に両思いにさせる自分の身勝手さ」
>を自覚しているからといって、
>レイプ→洒落にならないトラウマ→レイプ犯逮捕→当然、愛はない
>とかいう流れの801作品を書く「べき」なのか?という疑問。
そんなことは誰も言っていない。 それで自分の身勝手さの「自覚」が
「作品化」されたわけではない。「レイプ後に両思いにさせる自分の身勝手さ」を
諦めろ、という話ではなく、むしろその身勝手さをどこまで他者が
承認可能なものにできるか、が問われている。だから、「他者との共存」
という話を出すひともいる。「身勝手さ」が0か100か、
自分が他者にすべてを譲るか、それとも相手にすべてを譲らせるか、って
あまりにも人間関係を単純にとらえすぎている。
>>145 >むしろその身勝手さをどこまで他者が
>承認可能なものにできるか、が問われている。
他者が承認可能な身勝手さって何?
自分好みの萌え展開を無理のない、「リアルっぽい」ものにするということ?
それが「現実との対決」だと?
それって結局、「自分はなぜ男×男の物語を必要とするのか?」という
根源的な「身勝手さ」を言及していることにはならないのでは。
>>144でも書いたけど。
また、
>>106さんが挙げたのは作品中のひとつの場面だけど、
作品というのは複数のそうした場面から構成される。
そのひとつひとつに
>>106さんのいうような問題が生じる。
ひとつのセリフ、ひとつの描写を、それによって暴力を受ける他者が
承認可能なものとする努力の積み重ねが、作品を構成する。
それぞれの登場人物がその日、その場に至るまでに、
それぞれ別々の場所で、どんな生活を送っていたのか、
その日、その場以外にいられたかもしれない時間と空間はどこなのか、
にもかかわらず、どうしてその日、その場に居合わせたのか、
「経験の条件」で岡崎乾二郎がティツィアーノの「田園の奏楽」を
複数の時間と空間が多声音楽的に構成された作品であると分析するときに、
問題となっている、過去が流れ込み未来を胚胎する現在、として
そのレイプ場面が描けるかどうか、たとえば、そういうことが問われる。
これは現実という意味でのリアリティじゃなくて、物語のリアリティの問題。
物語のなかの過去と未来だけでなく、物語の外の過去と未来も、
紙面や画面としてのその作品という深さを欠いた表面で遭遇し、
そこに現在が現れる。レイプ場面を書く、描くときに、
それまでに小説や映画、絵画等で描かれてきたレイプ場面を
思い浮かべない作家はいない。
どれだけ多くの場面を思い浮かべることができるか、というのもまた、
作家の力量に関わる問題であったりする。
>>145 >他者が承認可能な身勝手さって何?
>自分好みの萌え展開を無理のない、「リアルっぽい」ものにするということ?
>それが「現実との対決」だと?
それが何なのかは、
>>145さんの生活で、自分がどう承認されているか、と
いうことを想起すればわかる。
>>145さんは周囲から「身勝手さ」を
承認されているはずだから。「現実と対決」しながら。
そして、やっぱり誤解されているけれど、「リアルっぽい」ものにするというのではない。
「こんなこと現実にあるわけがない」、しょせん小説、漫画にすぎない、と
口にする相手に、「事実は小説、漫画よりも奇なり」ということをその小説なり
漫画なりを通して、虚構、フィクションそれ自体のリアリティとして描く。
中上健次の紀州サーガには姉と弟や兄と妹との近親相姦の場面が描かれる。
あれを、実際にあったことかどうか、と問うのは意味がない。
そういう条件のもとならば、その経験はありえたかもしれない、と
自分はそんな経験をしたこともないし、これからもすることはないかもしれないし、
自分の周囲にもそんな経験をしたひとはいないし、これからもいないかもしれないが、
そういう条件のもとでならば、その経験はありえるのかもしれない、と
思わせる描写が、作品に描かれることがある。
「自分はなぜ男×男の物語を必要とするのか?」というのは、正確には
「自分はなぜ他者がそんなことは現実にはありえないと非難するような
男×男の物語を必要とするのか?」ということで、なので、
>>106さんの
いうようなことが、根源的な「801 の身勝手さ」の「作品化」になる。
連投すまないが、もうひとつだけ。
「自分はなぜ他者がそんなことは現実にはありえないと非難するような
男×男の物語を必要とするのか?」という問いは、そのつど、たとえば、
「自分はなぜ他者がそんなことは現実にはありえないと非難するような
男×男のキスシーンを必要とするのか?」といったかたちで別の問いとして
変奏される。問いはそのつど発せられ、そのつど応答される必要がある。
>>148 自分の妄想を「勝手だ」と感じる他人に「事実は小説、漫画よりも奇なり」
と納得させるために、「フィクションそれ自体のリアリティ」を描くことが
「現実との対決」ってこと??
それって単に、「自分の妄想は勝手じゃないんだ」と認めてもらおうとしているだけで、
他者を自分のカタルシスの道具にしているという「自覚」、
自分の妄想の暴力性の「自覚」があるとは言えないんじゃないでしょうか。
フィクションそれ自体のリアリティを追求するのは、別に無意味とも思わないけど。
>
>>106さんのいうようなことが、根源的な「801 の身勝手さ」の「作品化」になる。
ならない。
私が言っている根源的な「身勝手さ」とは、「現実にはありえないようなこと」のことではないです。
「男女の物語につきまとう生々しさを回避しようとする自分の身勝手さ」
「自分とは関係ない、架空の、男同士の人間関係を楽しみたいという身勝手さ」
が、根源的な「身勝手さ」。
>>106では、その「身勝手さ」を「作品化」していることにはならないし、
「なぜ?」という問いに対して応答してもいないのでは。
肝心の「自分自身」という現実と対決はしていないじゃないですか。
>>151 >私が言っている根源的な「身勝手さ」とは、「現実にはありえないようなこと」のことではないです。
それはわかってる。
>「男女の物語につきまとう生々しさを回避しようとする自分の身勝手さ」
>「自分とは関係ない、架空の、男同士の人間関係を楽しみたいという身勝手さ」
>が、根源的な「身勝手さ」。
これを、「現実にはありえないようなこと」を求める自分の身勝手さ、と私は言っているんで、
>>151は私が
>>150で述べた、
>
>>106さんのいうようなことが、根源的な「801 の身勝手さ」の「作品化」になる。
ということの証明にはなっても、反論にはならない。
>>142 >できあがった作品に対する
>その暴力性を受ける他者の評価、承認が得られるかどうかにかかる
つまりは801はゲイに読んでもらって承認が得られるか試さないといけないってこと?
>暴力を受ける他者の目にはそのままでは見えない自分の自覚を、
>作品として目に見えるものとし、暴力を受ける他者の
>批評にさらす、というのが「作品化」とここで呼ばれているものだと思う。
ゲイに801を批評されるまでが、「作品化」なの?それって何かおかしくない?
作品批評は、創作者の手を放れて一個のテキストとして他者によって行われることであり、
創作とは峻別するべき。
作品を書き終わるまでが作品化でしょう。
なんかあなたの中の独特の感覚で「作品化」って言葉を使っているようですが。
それから、801をゲイに批評してもらうって、それこそほとんど暴力なんじゃないの?
例えば私は女性レイプエロを、俺の作家魂をかけて書いたものなんだ、
己の身勝手さを自覚し、それを作品化したものなんだ、読んでくれって言われたら
「嫌だよ」ってなるんだが。
例えそれがどんなに真摯に書かれたもんであっても嫌なもんは嫌だよ。
ゲイも同じじゃないの?
それに人によって全然受け止め方が違うよ。
NYNYをいいというゲイもいれば、ケッというゲイもいる。
風と木の詩が好きだというゲイもいれば、とんでもない代物だっていうゲイもいる。
何をもって「暴力を受ける他者の承認を得られた」とするのか?
あとね、「納得させる」とは誰も言ってない。
「承認可能」とは言っているけれど。そして
>>148で「思わせる」のは
「描写」で、その「描写」を描いた作家、ではない。
他者との共存に必要なのは「相互承認」であって、「納得させる」と
いうことではない。「わたしたち」というのが主語。「わたしがあなたを
納得させる」というのではない。「わたしたちは相互承認する」。
他者と自己との関係の把握が、単純すぎると思う。納得させるか、
させられるか、といった関係だけじゃない。
>>154 「作品化」されれば、作家がいやがおうにも他者も読みうるものになる、と
いうだけのこと。「批評されるまでが作品化」とは誰も言っていない。
もう少し、ちゃんと文章を読んでほしい。
「作品を書き終わる」というのは「批評にさらす」というのと同じこと。
その批評を行うのは、書き手としての自分に対する読み手としての自分である場合もある。
その場合は書き直す、といったことが行われる。
書き直し、描き直しを迫る他者がいない創作というのはありえない、という
しごく普通のことで、プロならば実際に編集との関係で日々経験しているだろうし、
アマチュアでも、自分で書き直したり、描き直したり、友人・知人のアドバイスで
書き直したり、描き直したり、という経験はあるはずで、その延長線上にある
お話だと思うが、実際に創作していて、もし、これまでのような抵抗がある、
というんだったら、それは逆に驚きかも。
書き直し、描き直しが可能なものを他者が読みうるかたちにしておいて、
批評するな、というのも無理がある。何をもって、というのであれば、
とりあえず、暴力を受ける他者に書き直し、描き直しを要求されない、
ということだといえる。そして、要求されたからといって、その要求が
不当だとおもえば、そのとき、相手と戦えばいい。
>>156 よくわかんないんだけど、批評に晒して承認を得る「作品化」ってのは、本来その作品を求め
ているわけではない、むしろそういった作品群は嫌いだ、読むと傷つく、と感じている人たちに
無理矢理読ませて、「まあ、これなら許せる」と言わせることなの?
たとえば田亀先生の漫画とかをノンケの男性に読ませて「うげっ」って反応があったらその
田亀先生の作品は作品化されておらず、批評に耐えうるものではない、とか。
なんかどんどんわかんなくなってきてるんだけど…。
>>156 作品を書き終わったら批評にさらされるのなんか、当たり前だ。
誰もそんな事に異論はない。
あなたはまるで、他者に批評されるまでが作品化だって言ってるようにしか
聞こえなかったんでね。よく読んでもね。
それの何が気に食わないかというと、創作の段階では、創作者は自分のために書いてる。
その作品内で暴力にさらされる人に対する思いが真摯であろうとなかろうと、
自分のために書いてるんだよ。
その時点では他者の批評など一切創作者には関係のないことだ。
創作が終わるまでは。
そして、一切他人に見せない、自分のためだけの創作というものもある。
それの創作だって「作品化」だ。
暴力を受ける他者の評価だって個人によってバラバラだ。
書き直しを要求するゲイもいれば、絶賛してくれるゲイもいる。
承認されたかどうか、など判断しようがない。
>>154 作品として公開されるということは、「嫌だよ」と読むのを拒まれる可能性を
引き受けることでもある。「嫌だよ」というやつがいるのに、
見させようとするのは暴力だ、といったら、さまざまな創作の
すべてのジャンルのすべての作品がそうなる。
その暴力がさまざまに関係するところで、創作も批評も行われている。
だからこそ「暴力のゼロ度」が統制的理念として、自分たちのふるまいの
暴力性を対象化し、考え直すものとして要請されもする。
>>158 「無理矢理読ませる」とは言っていない。
また、「批評に晒して承認を得る「作品化」」というのも違う。
「わたしがあなたの承認を一方的に得る」ということではない。
田亀さんの漫画に対して、「うげっ」というあるノンケの男性の
反応があったら、それはひとつの「批評」で、それに対しては、
描き直しも、その男性との時間をかけた折衝も、いろいろ対応は考えられる。
「納得させる」「承認を得る」どちらにしても、他者と自分とのあいだの
「承認」というのが、すごく一方的なものとしてとらえられているのが不思議だ。
>>160 描き直しとか折衝を考えるべきだと?
つまり、私はこの男性向けエロ本が気に入らないの。こんなバカ女の出てくる話なんて許せ
ない、そんな作品がこの世に存在するなんて許せない、だから私の好むように書き直してよ!
それがダメならこの作品がこうであることの必然性を私に納得できるように説明して頂戴、
とか言っていいということ?
「それなら、あなたの好むような女性の出てくる作品をお薦めします、これはこういう話が好き
だという人のためにある作品ですよ」と突っ返す選択肢は作者にはない?
もうそれ作家性とか作品の多様性とか言論の自由とか色々な意味でヤバいことじゃない?
>>159 >そして、一切他人に見せない、自分のためだけの創作というものもある。
>それの創作だって「作品化」だ。
死後に人目にふれる、ということがある。自分のためだけの創作、
というのは、語義矛盾で、人目にふれる可能性があるから、場合によっては
自分が生きているあいだにその作品を処分しなければならないという
ことになったりもする。
>承認されたかどうか、など判断しようがない。
書き直しを要求されるというのは、「相互承認」が行われていない、と
いうことだということで、「一方的に承認されたかどうか」ということとは
何の関係もない。そして、「相互承認」が行われているときには、
それが「相互承認」であるかどうかの判断は本質的に不要。
繰り返す「相互承認」によって相互の信頼というものは支えられる。
見知らぬ他者が調理したものが商品として提供されるのを、
その見知らぬ他者にとって見知らぬ他者が食べ、
代価として貨幣を支払い、調理した者が貨幣を受け取る時、
「相互承認」が行われているが、そこでそれが行われてるかどうか、
ということはメタレベルで判断する必要がない。
「相互承認」が行われているかどうか、という判断が問題となるのは、
調理されたもののなかに異物が混入されていて、作り直しが
要求される、といった場合。それと同様に、書き直しを要求され、
「相互承認」が行われていない、ということにどう対応するか、
といったことが問題となるだけ。
絶賛するひともいれば、書き直しを要求するひともいる、と
いったひとそれぞれ、十人十色、というお話は何の関係もない、
社会性、公共性のお話。
>それの何が気に食わないかというと、創作の段階では、創作者は自分のために書いてる。
>その作品内で暴力にさらされる人に対する思いが真摯であろうとなかろうと、
>自分のために書いてるんだよ。
>その時点では他者の批評など一切創作者には関係のないことだ。
>創作が終わるまでは。
創作が終われば、他者の批評は創作者に関係がある、というのは
当然のこととして、言葉というのは他者と分有し、他者によって
解釈されるものであるがゆえに、「自分のために書く」ということの
困難さを書きながら意識しない創作者というのはいない。
言葉が自分だけのものではない、という至極当然のことを言っただけで
「気に食わない」と言われても困る。
書かれうるが、まだ、書かれてはいない批評が作品が書かれる「前」にあり、
それを意識しないで創作する、ということはありえない。
批評というのは作品のパロディで、ある作品の批評は、
作品が書かれる「前」に存在する。この「前」は物理的な時間の順序とは関係がない。
「ひげのあるモナリザ」は「モナリザ」の「前」に存在する。
ダ・ヴィンチはデュシャンの存在を意識して、「モナリザ」を描く。
創作者というのはそうした時間軸を壊乱する場で遭遇し、
ネットワークをつくっている。
>その時点では他者の批評など一切創作者には関係のないことだ。
と言う人間は、そのネットワークとも創作という営みとも無縁だと思う。
>>161 書き直しの要求、異議申し立てが可能だから、作品の多様性も、
言論の自由も保障されている。そうした要求に応答できない作家に
作家性はない。
そして、書き直しは「承認可能に」であって、「好むように」とは
誰も言っていない。「好き嫌い」と「承認可能」は別。
じゃあ、いっしょに書いてみましょう、というのもありでしょうね。
実際、編集といっしょになってほとんど共著とでもいうべきものがあるけれど、
別に創作というのは、ひとりの身体で担われなければならない、というものでもないから。
突っ返す選択肢はあるけれど、それはその作者が、作家としての才能も力量もない、という
ことになるだけ。女性の行う要求は、「編集者」が行う要求と本質的に同じだから。
(゚Д゚) ポカーン
>>164 同じではないと思うよ。
編集者が行う要求というのは、本来の希求対象にとってどう感じるか?ということがメイン。
たとえば男性向け官能小説レーベルの編集者が、女性の要求を念頭に置いて要求をするか?
ジャンプなどの少年漫画誌の編集者が、80代の女性の要求を念頭に置いて要求するか?
少女漫画誌の編集者が、少年の要求を念頭に置いて要求をするか?
それを考えてみればわかること。
少女漫画のヒロインが憧れる少年の像が、実際のその世代の少年から見て非現実的で
ちっとも魅力的ではなく、むしろそんな都合のいい男なんかいるかよ!そんな少年でないと
女の子に憧れてもらえないなんてたまったもんじゃない!と怒りを感じさせるものだったからと
いって、それを念頭に置いて「もっとリアルな少年を描くべきだ」と言う編集はいない。
その状況が発生するとすれば、少女漫画が少女にとっての少年漫画のように、少年たちも少女
漫画の重要なお客さんになったときぐらいなものだろう。
ミケランジェロはパトロンにダビデ像の鼻はもっと低い方がいい、削った方がいい、と言われた
けれども削ったフリだけして実際には削らずその意見に肯わなかった、という逸話(本当かどう
かは知らないが)があるけれど、それを以てミケランジェロには作家としての才能も力量もない、
とは言わないだろ。
安易にパトロンの意向に添わず、自分の美を貫いたという美談にすらなっている。
「この作品は自分の気に入らない、このように書き直すべきだ」という要求全てに答え続けて
いたら、作品はテーマがぼやけて作品たり得なくなるだけだろう。
100人の人が作品を読めば、「このままがいい、すばらしい」という意見、「Aの部分が気に
いらない、Bに書き直すべき」という意見、「Aの部分が気に入らない、Cに書き直すべき」という
意見、「Dの部分が…」「Aの部分が素晴らしい、Eの部分は書き直すべき」などなど、それぞれ
の批評が出てくる。その全てに答えることは可能なのか?
たとえ可能だったとして、それをした作品は最早その作家の作品ではないんじゃないか?
という疑問が出てくるんだけど。
読書に「ここが気に喰わん、書き直せ」って言われて
書き直す作家の書く作品なんて面白くなさそうだな。
つかそんなにホイホイ書き直すなら最初から書くなって余計に腹が立つな。
そんな気持でよくも読者の感情を害したな、と。
そこに前スレだか前々スレだかで話題になった「魂の叫び」なんて無さそうだ。
まだ「こうこうの理由で書いたんだから口出すなボケ」とでも言われる方が許せる気がする。
>>166 ミケランジェロというのは彼を代表とする工房のアルティザンの総称で、
それと近代小説なり漫画なりの作り手とは別。そのエピソードは、
映画監督がスポンサーの意見を適当に受け入れる、というのと同じ。
集団でアイディアを出しながら製作しているものを、
工房の他の職人たちと何の相談もなく、変えなかったというのは
わかるし、変えたふりをしてみせた、というのは
作家の才能と力量があった、ということ、そして、それですんだ、
というのは、相手の批評はその程度のものだった、ということ。
「ゲイじゃないけど〜」やレイプ後の両思いへの批判を
その程度の批評と同じ扱いするのはどうかと思う。
また、一挙に100人出てきたとして、ひとつずつ答えていくしかないだろうし、
それは「別の作品を書く」というかたちでの応答になることもある。
そして、編集者は「差別表現」や「問題のある表現」についても作家に対して
要求をするんじゃないかな。BLでもあとがきでそういう表現を含むプロット、
ネームなどを編集のアドバイスでつくりなおした、なんてことが書いてあったりする。
たんなる「クレーマー」扱いするんじゃなくて、「共作者」として
批評する他者を遇する、歓待する、というのは、きわめてありふれたこと。
作家は資料を読んだり、過去の名作と言われているものを読んだり、
絵画や映画、演劇や音楽を鑑賞したりして、「歓待の技法」を学び、
そうしたひとびとと「共作」する。それだけでなく、友人や知人の
批評を受けることもあるだろうし、批評家の批評を受けることもある。
プロでなくても、これまでに出会った他者の言葉、描線、色使い等と
無関係に作品をつくる者はいない。「共作」に自分の名を署名できるかどうかは、
その作家の才能と力量の問題で、場合によっては「剽窃」とみなされることにもなる。
>>167 自分だけでそれがちゃんと判断できるなら、それに越したことはない。
作家の中にはすでに名作とされているものを、死ぬまで書き直しつづけたり、
一生をかけて習作以外は、ひとつの長編作品しか書かない、というひともいる。
しかし、たいてい、自分だけでは書き直すべきところの判断はつかない。
「魂の叫び」が響く作品でも、具体的な描写を問題にすれば、
書き直しが必要だったりすることもあるし、実際に編集の段階で
リライト、リテイクはやっていると思う。書き直しが必要だから、
つまらない作品、「魂の叫び」が響かない作品、ということにはならないと思う。
要するに批評をちゃんと受け止めよっていうだけの話?
しかしね、そういう作家がこの世に何人いるんだろうか?
多くの場合「ここはもうちょっと長く引っ張って下さい」とか「ここは意味が通りにくいのでもう少し
表現をどうにかできませんか」とかそういうものでしょ。
「このヒロイン像は一般的な女性から見て不快です、もっと活発で知的な少女にできませんか」
「この主人公が障害を乗り越える姿は非現実的で、本物の障害者に失礼です」とかはないと
思うけどな。
徹底的に角を取って取ってとり続けて、何が残るんだろう?
「この表現じゃないとダメなんだ!」という作者の主張と「でもその表現では売れない!」という
編集者の主張のぶつかり合いの結果素晴らしいものができることはある。
だけど「この表現は危ない」「この表現もダメです」「これはいけません」の連続では、それに対する
対応だけで疲弊して何も残らなくなってしまう気がするんだけど。
>>171 それは編集者の才能と力量の問題で、たとえば、
>>106さんのようなひとなら、
ダメ出しだけ、ってことはないと思われる。はき捨て系のレスはここと
同じようにスルーすればいい。
でも、「ゲイじゃないけど〜」やレイプ後の両思いに対して出ている
批判は、はき捨てではないし、
>>106さんが示したように、
対応している作家もいるだろうと思う。具体的に挙げれば、
榎田さんの「普通の男」なんてのが思い浮かぶ。
批評に応答するということは「徹底的に角を取って取ってとり続け」ることを
通じて、別のところの角を鋭く尖らせる、ということでもある。
前スレで話題になってたね、「魂の叫び」。
「誰にも理解されないかもしれない、でも私は書く。皆から書くなといわれても書くんだ」
という気概をもってこそ本物だ、みたいなJUNE世代のレスが結構あったような。
時として、他者への激しい暴力性をもつからこそ「魂の叫び」なんだと思ってたけどな。
自分の妄想がもつ暴力性を、腹をくくって引き受けるしかないよ。
他者を傷つけるかもしれないことを承知の上で。
「承認」されるレイプ後の両思いって、どんなんやねん。
承認しない人は永遠にしないと思うし、それが当然だと思う。
>>173 私は JUNE創刊号を読んだ世代で、その「魂の叫び」と「相互承認」が
両立することを、たとえば野村さんや須和さんの作品を通して、知っている。
「魂の叫び」というのは、「相互承認不可能かもしれないが、
相互承認を求める」という叫びに他ならないから。
「腹をくくって引き受ける」をスローガンにしないで具体的に
「作品化」という行為としてやれ、ということで、やる気はあります、では仕方がない。
「引き受けた」結果を目に見えるものにする、ということが必要。
たんに「腹をくくって書けばいい」というのは観念論だと思う。
相互承認しないひとは永遠にしない、ということは、
「相互承認」が可能なレイプ後の両思いを書く必要がある、
ということとはまったく別のこと。むしろ、そういうひとが
いるからこそ、「相互承認」が可能なレイプ後の両思いを
書く必要があり、それに挑む作家がいる。たとえば、
木原音瀬の「WEED」や「箱の中」はそれに挑んでいるといえると思う。
これも
>>106さんのいうことと結びついている。
永遠に相互承認を行えない他者がいる、ということは、
その他者とのあいだに相互承認が必要ではない、ということとは
つながらない。「できない」ということは「やる必要がない」とは何の関係もない。
逆に聞けば、「自分の妄想がもつ暴力性を、腹をくくって引き受ける」、
「他者を傷つけるかもしれないことを承知」する、というのは具体的には
創作において、どう文章を書き、どう漫画を描く、ことなのか。
>>173さんのそれは「社民党のスローガン」と変わらないと思う。
決意表明でしかない。
私は「自分の妄想がもつ暴力性を、腹をくくって引き受ける」、
「他者を傷つけるかもしれないことを承知」する、というのは、
創作においては具体的にこのようにすることではないか、ということを
言っている。その点では、
>>106さんに完全に同意する。
決意表明やスローガンのぶちあげはもういい。創作において
どうすることがそれにあたるのか、そういうことをやっている作家が
いるなら、誰のどの作品がそうなのか、それを教えてほしい。
>>174-175 >>106が相当お気に入りなんだなw
他人を自分の萌えの道具にしている時点で、それはもう暴力なんだよ。
あなたは「0か100か、そんな単純なものではない」と主張してるけど、
それはあなたの身勝手な主観であって、
あなたが2だと思うものが、他人にとっては120だったりするのだよ。
(そもそも801の暴力性を数値化すること自体が無意味というか不毛なんだけどね。)
あなたが挙げた木原音瀬の「WEED」、
あなたから見れば「相互承認に挑んでいる」のかもしれないが、
現実に男にレイプされた経験のある男性から見れば、
腐女子の身勝手で、ご都合主義な、暴力以外の何物でもない
かもしれないでしょ?
他人を萌えの道具にすることは否定しないくせに、「相互承認」に向けて努力しろ
なんていうあなたの主張の意味が分からん。傲慢に思えるよ。
>>176 もうちょっと論理的にものを言ってくれはしまいか。
>「0か100か、そんな単純なものではない」
は、当然のことながら、
>あなたが2だと思うものが、他人にとっては120だったりする
となんら矛盾しない。
>あなたが挙げた木原音瀬の「WEED」、
>あなたから見れば「相互承認に挑んでいる」のかもしれないが、
>現実に男にレイプされた経験のある男性から見れば、
>腐女子の身勝手で、ご都合主義な、暴力以外の何物でもない
>かもしれないでしょ?
私はその可能性はこれまでまったく否定してないが。そうだとしたら、
それは木原さんが引き受けるべき問題だ。「かもしれない」と
いうことならいくらでも言える。私が言ってないことを
言ったことにして、非難するのは勘弁してくれ。
そして、
>他人を萌えの道具にすることは否定しないくせに
というあなたは、それを否定するということらしいが、
それは創作において具体的にどうすることなのか。
もしあなたが
>>173なら、
>>175の問いと合わせて
きちんと説明してほしい。ちなみに、そんなふうに「否定」という
言葉を使うから、「暴力には0か100しかないのか」と
私はたずねたまでのことで、不毛な数値化を無自覚にしているのは
そちらだということもお忘れなく。さらに、
>他人を萌えの道具にすることは否定しないくせに、「相互承認」に向けて努力しろ
>なんていうあなたの主張の意味が分からん
「他人を萌えの道具にすることを否定しない」から、
「相互承認」に向けて努力が必要だ、と主張できるんだが。
そこの論理もあなたはとりそこねている。そのレベルで誤読されては
話にならない。そんな誤読をしていて、「意味が分わからん」と
開き直る方がよほど「傲慢」だろう。あなたのように、主観的に「思える」
んじゃなく、客観的に「傲慢である」と言える。
あなたがいくつでどんな学歴でどんな職業についてるのかわからんが、
はっきり言って、リアルで他人と仕事として議論ができるとは思えない。
今後、私にはかまわないではもらえないか。あなたが、
>>106が理解できずに
どんな因果応報を受けようと、私にはどうでもいいことなので。
>>177-
>>178 このスレをもう一度ちゃんと読めば分かると思うが、
多くの人が、あなたの言おうとしてることの意味が理解できんのだよ。
おそらく「(相互)承認」と「作品化」という言葉の使い方に一番の問題があるんだろうけど。
あなたのレスは独りよがりでめちゃくちゃです。あなたの中でしか筋が通ってない。
>>178 「自分の妄想がもつ暴力性を、腹をくくって引き受ける」と何の具体性もない
スローガンを繰り返す前に、
>>176が内容ではなくその論理性の欠如によって、
どれだけ書き手の「頭の悪さ」を不特定多数の人間にさらしているか、
ということを自覚した方がいい。
私が主観的に「論理性が欠けている」と「思う」から
「論理性が欠けている」ように見える、ということではない。
>>177-178の説明は、あなた自身が書いた文章をとりあげて、
その論理的構成の破綻を客観的に指摘している。
で、それを指摘すると今度は「多数派工作」。いやごりっばなことだ。
他のひとが理解できない、ということと、あなたが理解できない、
ということとは独立の事象。「他のひとが理解できない」から
「私も理解できなくて当然」とは、論理的に言えない。
そして「多くの人」で「すべての人」ではないなら、それは何の問題もない。
>>179 まだ、話を続けたいなら、とりあえず、
>>175に答えてからにしてほしい。
おそらく何も答えられないと思うが。
理解できないのは「多くの人」であって、「すべての人」ではないので、
「相互承認」であれ、「作品化」であれ、それはどういうことなのか、と、
論理的に問う相手には、ここでやっているように、いくらでも応答するが、
問いが論理性を欠いている相手には、まずその問いの間違いを指摘することしかできない。
私は仕事でも他人の文章の論理性の欠如を指摘しているが、
それをやってここでスレを進めても、スレの内容とははずれるばかりで、
なんとも不毛だろう。
あなたもそうは思わないか? そして、あなたは自分の
>>176の文章に
客観的に論理性が備わっていると本当に思うのか?
冷静に判断してくれはしまいか。>179
火病りだしたなぁ…
ん? IDが変わったのかな。
もう、スレ非論理ストーカーはやめてもらえるんだろうか。
それは大変助かる。
>他人を自分の萌えの道具にしている時点で、それはもう暴力
申し訳ないと思えば何をしてもいいのか、という意見もあるのは重々承知だけど「萌えの道具」というか
「萌えの素材」にして申し訳ないとは常に思ってはいるよ
でも変な話、男女ものの突飛なストーリーを考えている時よりも、801で突飛なストーリーを考えているときの方が
より「申し訳ない」という気持ちになるのが我ながら不思議なんだよね…
男女ものでのネーヨwという創作よりも、801の創作の方が罪悪感が強い
「これ該当するような人が読んだら〜」という自分の中での勝手な決め付けが大きいからなんだろうけど
それはそれで逆差別的なかんじがするので申し訳ないことだったのかと今は思う
小説を書く、漫画を描く、という行為によって、妄想を作品化するのであれば、
801 の場合「他人を萌えの道具にすること」ことそれ自体は、
避けられない。そうであるがゆえに、「他人を萌えの道具にすること」の
「暴力性」を「自覚」し、それを「具体的かつ客観的に」、たとえば、
>>106の「ゲイじゃないけど〜」というセリフが口にされる場面の描写を
どうするか、ということのように、作品のうちで暴力を受ける他者の目に
見えるかたちで示し、その暴力を受ける他者とのあいだの「相互承認」を試みる必要がある。
とりあえずさ、議論ぽいことをやってる以上、読み手の大半に
イマイチ意味を理解して貰えない書き方しかできないってのは
致命的だと思うんだよね。それこそ編集者がいたら書き直しを要求するだろう。
貴方の中では恐らくすごく高邁で無謬な完全な論理が組み上がって
るんだろうけど、俺用語と俺前提と俺定義の多用でみんなついて
いけなくなってる。
そういう「自分の中でだけしか通じない俺定義とかを万人に共通
の共有概念と思い込んでて、解らないのは理解力や読解力に問題
があると決め付けるのは傲慢。
>>188 よかったら、
>>187の文章でどれが「俺用語と俺前提と俺定義の多用」に
あたるのか指摘してはもらえまいか。きわめて辞書的な用語法だと
私は思うんだが。
>>188 あと、「読み手の大半」と、「みんなついていけなくなってる」、
「自分の中だけでしか通じない」とは矛盾している。almost と all は別だ。
今ぱっと思い付くのは「相互承認」かな。
古い携帯からなんで今全部のレスの謎単語さらうのは無理だけど。
なんつか久々に知的な羞恥心と公共性を思い出す感じ。
言語明瞭意味不明。
貴方が貴方の理屈を正確に理解出来ていると思えたレスはいくつ
あった?
今までの即レスがピタリとやんだね(笑)
193 :
風と木の名無しさん:2007/07/16(月) 17:16:04 ID:sQaV4U2u0
>>191 「相互承認」という言葉は、
>>119さんの
>攻撃性ゼロの作品を作るのは不可能だと思う。
>でも「無理だもん」と開き直るのも、新たに人同士の不信を煽るだけだよね。
>そこに同じ世界に住む者同志としての気遣いや、共存への配慮は必要じゃないのかな。
>「801は身勝手な欲望で人を傷つけているのかもしれない」
>「でも801は私にとって必要なものだ」
>「では私はどう801と付き合っていけばいいのだろうか」
>そう自分に常に問いかける姿勢が大事だよね。
>・・・というだけの話だと思うよ。
>そこで出てくる答えが「では私は801を捨てる」にせよ「妥協点を模索する」にせよ
>他者を無視して己の快楽のみ求めるよりはずっとずっとましじゃない?
を受けたもので、その「妥協点を模索する」というのを、
>>106さんのレスを参考に、
「他者と自己とのあいだの妥協点を作品を創ることにおいて具体的かつ客観的に模索する」と
敷衍したうえで、しごく普通の辞書的な意味で、「相互承認」と言っているだけだったりする。
なので、「編集者」と「作家」、「批評家」と「作家」というカップルの話にもなる。
「暴力性の自覚」の「作品化」についてはいろいろ問われた記憶はあるが、
「他者との共存」が不必要だと言うひとはさすがにおらず、それには
「他者と自己とのあいだの相互承認」が前提となることは理解されているので、
「相互承認」って何?、と直接問われてはいないと思うんだが。
しかも
>>187の
>その暴力を受ける他者とのあいだの「相互承認」を試みる必要がある。
は「俺用語と俺前提と俺定義」なのか。
「他者との共存」の前提となる他者と自己とのあいだの「相互承認」が、
「私があなたに承認される」とか「他者を納得させる」といった一方的な承認ではなく、
「わたしたちはわたしたちを互いに承認し合う」というものであることが、
理解できないレスに対して、それは違う、ということは何度か説明した。
そのほとんどはその口調や内容から、
>>179さんのレスだと思われる。
最後の質問に関しては、私が
>>95で言ったことを正確に受けとめてくれたのは、
とりあえず、
>>106と
>>119、正確な理解にもとづいて問いを出してくれたのは、
>>161、
>>166、
>>171、直接私とレス交換していないけれど正確に理解してくれているのは、
>>129、今読み返しただけでそのあたり。
>>173以降はごらんのとおり。
>>195 あら、じゃあ私理解してたんだ。
帰ってきた返事がさっぱり意味不明だったからてっきり話が通じてないんだと思ってたけど。
一部理解できてたとしても理解できたかどうかも本人自覚できない有様って相当ひどいと
思うけどなー。
真面目な話、相互承認とか私もイマイチ定義がわかってなかったよ。
承認しあうというのがこの話の時に具体的にどういうことなのかがわからない。
辞書的な用法はわかるけど、あなたがどういう意味で使っているのかがどうも自分でわかって
るのかわかってないのか手探りしながらで、返事を読んでもよくわからない。
というか、「私があなたに承認される」とか、「他者を納得させる」といった一方的な承認のことを
何故か相互承認と呼んでいるのかとさえ思っていたからやっぱり理解はできてないと思う。
>>161、
>>166、
>>171って晩ご飯前、後、寝る前で時間とびとびでID違うけど全部私なんだけ
ど…。
描き手側はとにかく読み手の気持ちや都合や心の傷を慮らなくてはならないが、読み手側は
とにかく気に入らないなら気に入らないと叩きつけ、「こんなに深刻に我慢ならない」と主張
さえすれば気に入るように書き直してもらえるべきである、どうしてもそれがイヤなら納得できる
ような説明を要求して然るべきである、というようにしか思えないんだ。
すごく一方的な印象。
>>195 >そのほとんどはその口調や内容から、
>>179さんのレスだと思われる。
ちょw 中の人扱いw
つまり読者の「我慢できない、許せない」という声に応じて描き方を変えていくのが「相互承認」ということ?
でもどの部分に「我慢できない、許せない」とどの程度感じるかは人それぞれだから、全てに対応はできないよね…。
「それは編集者の才能と力量の問題」と
>>172で言ってるけど、
そうすると対応しなかった人とは「相互承認」しなかったということになるんだろうか。
つーかその取捨選択は結局描き手や編集者の俺基準に基づいてるわけだよね。その取捨選択自体も読み手との「相互承認」?
>>197 >描き手側はとにかく読み手の気持ちや都合や心の傷を慮らなくてはならないが、読み手側は
>とにかく気に入らないなら気に入らないと叩きつけ、「こんなに深刻に我慢ならない」と主張
>さえすれば気に入るように書き直してもらえるべきである、どうしてもそれがイヤなら納得できる
>ような説明を要求して然るべきである
横レスだけど、それはさすがに感情的に誤読しすぎじゃないか。
195の人は断定多すぎだけど言ってる事は間違ってないと思う。
言い方が気に入らない人もいるだろうって感じではあるけど、レス内容は正論だと思うよ。
>>200 そうなのかな?
どうもそうとしか読めないんだけど…。
あ、ひょっとして「なるべく読んだ人が嫌な気持ちにならないように心がけて書くことは大切だよ
ね、間違いを見つけたり指摘されたらちゃんと訂正するなり、間違いではなかったのならこれは
間違いじゃないですよと説明ぐらいはするとか、誠実な対応を心がけた方がいいよね」ってこと
だったの?
だとしたら正論だけど。
>>201 > あ、ひょっとして「なるべく読んだ人が嫌な気持ちにならないように心がけて書くことは大切だよ
> ね、間違いを見つけたり指摘されたらちゃんと訂正するなり、間違いではなかったのならこれは
> 間違いじゃないですよと説明ぐらいはするとか、誠実な対応を心がけた方がいいよね」ってこと
> だったの?
自分はそういう意味で読んでた
ただそれにしてはあまりにも高尚なお言葉が並んでいたので自信はないw
>>197 ああ、なるほどね、3つとも同じひとのレスだったのか。
なんで
>>195で「正確に受けとめてくれた」と「正確な理解にもとづいて問いを出してくれた」を
分けなきゃならん気になったのか自分でも不思議だったんだが、それでわかった。
>>161が典型なんだけれど、あなたのレスの特徴は理解は形式的に正確だけど、
出された問いが「取り越し苦労」というか「杞憂」というかでものすごく一貫してる。
異議申立てという行為ができるということ、その行為可能性があるということが、
言論の自由を保障するんであって、その逆の事態を心配している
>>161は
「取り越し苦労」だということを私はレスで言っている。あとの2つについても同じ。
小論文の試験で、課題文があり設問が要約問題と論述問題に分かれているときに、
要約は見事にできるにもかかわらず、その要約を解釈し、論述の主題を設定しようとするときに
ミスするタイプに分類されるのが、その3つのレス。形式的な理解はできている、が
内容を理解しようとして解釈するとたんに間違う。なんで要約はこんなにできるのに
論述はこうなの?、と採点する側は言いたくなる。
一貫してるから「正確な理解にもとづいて問いを出してくれた」なんて
妙なカテゴリーつくらなきゃならない気になったわけか、我ながら職業病だ、これは。
>>200 曖昧さが許されず、周囲がみんな断定でしかものを言わない職場なので。
これでもかなり、普段にくらべれば断定を避けて、おとなしめだったりする。
ひとことでいうと、あなたの文章は曖昧すぎるんだ。
口調は断定調なんだけど、どうにでも取れる。
>>201 で、それが違うのはね、「嫌な気持ち」にはさせていいの。
そうさせたことを作品中でどう引き受けるか、ということ。
ひとつのやり方としては、登場人物にその「嫌な気持ち」を感じる人物を配置する、
というのがある。あくまで「ひとつのやり方」なんでそのへんは誤解なきよう。
榎田さんの「普通の男(ひと)」で、光也が「僕たちは普通の男なんです」という。
これはゲイが読めば「嫌な気持ち」になる。しかし、作中でその言葉を聞いて
ゲイバーのママのコーちゃんが「普通ってなんやの?」とつっこむ。
すると光也があわてて、「いや、なんていうか、つまりノーマルっていうか」と反応し、
さらにコーちゃんを怒らせる。「もっと悪いわなァ。そしたらうちらみんな
アブノーマル、つまり異常者っちゅうこと?」とコーちゃんが言うと、
「そんな意味じゃなくて、つまりゲイじゃないっていう・・・・・・」と
光也がしどろもどろになり、コーちゃんはため息をつく。
おそらく溝口さんの協力があるんだろうとは思うけれど、
「ゲイじゃないけど〜」のゲイという他者に対する
暴力性の自覚を作品化しようとしているひとつの例になる。
>>106さんが書いたやつの具体例ね。
「なるべく嫌な気持ちにさせないように」じゃなくて、それでいうなら、
「読み終わってもお互いに嫌な気持ちのままにならないように」かな。
>>206 その作品内部にカウンターを入れるというやり方は既に、作中で解毒作用が発生してるから
読者は別に嫌な気分にならないと思うけど。
「このキャラは嫌なキャラだな」とは思うけど「この作品は嫌な作品だな」とはならないわけで、
総体的に嫌な気分にはなり得ないでしょ。
ところで、あなたのレスは「読み終わっても嫌な気持ちになる」ことが多いのだけど、
レス内部でそれなりの安全弁かける気とかはない?
いいことを言おうとしているのかもしれないけど、「はい、私の言いたいことがきちんと
読みとれるかしら? ダメね、読みとれてないわ、やり直し」「そう、よくできました。そういう
ことが言いたかったのよ、でも間違いもまだ残っているからもう少しがんばってね」
という雰囲気が出ちゃってる。
自分が正解を持っていて、他の人間はその正解にたどり着けるか、間違った解釈をしている
か、それを採点している。自分が絶対的な正解を持っていることは揺るぎない事実であって、
他の意見の入り込む余地はないし、書き方で誤解を与えているのではなく、誤解するのは
そいつの頭が悪いから。間違った意見は正されるべき、この世から消えるべきで、例外は
認めない。
…というようなね。
どうやらそういうつもりはないんだろうとは思えてきたけど、どうしてもあなたが正しいことを言っ
ているようには思えなくて、しかしどうやらそれはあなたの意見を誤読していることが原因っぽい
ことだけは常にわかっちゃいるけど実際何が言いたいのかいつまでたってもわからない。
「先生、こういうことですか?」「うーん、だいぶ近づいてきたけどまだ正解にはたどり着けてない
わね、もっとテキストを読み直してもう一度答案を提出しなさい。ヒントは出しておくわね」
これ以外の会話をしている気がしない。疲れてきたのでいい加減やめておく。
>>207 いや、それでもなお、嫌な気分になるゲイはいるかもしれない。
たとえば、コーちゃんの反応の紋切り型に不快を覚えるとか。
そんなふうに怒るんじゃなくて、なんで余裕をもってほめ殺さないのか、とか。
でも、とりあえず、コーちゃんがいるといないとでは違う。
まとまって引用ができるところを
>>206では引用したけれど、
このあと、光也と的場は「普通って何?」と自問し始める。
「嫌なキャラ」でなくなる試行錯誤を開始する。
「嫌なキャラ」ではなくなることが、「この作品は総体として
嫌な作品ではない」というところにつながる。
「ゲイじゃないけど〜」と言葉としてであれ、言外にであれ、
言うことに何の疑問ももたない「嫌なキャラ」が最後までそのままいれば、
総体的に嫌な気分になる読者はセクシュアリティに関わらずいるから、
「ゲイじゃないけど〜」を問題としてとりあげることができる。
>>208 それは私が「絶対的な正解」を求めてはおらず、問いをねりあげ、
いっしょに考えつづけることを要求しているからで、
>>208さんがそのように受け取るのは、私と違って
>>208さんが
「絶対的な正解」をもちたい、という欲望をもっているから
そう見えるんだと思う。むしろ、私がやっているのは、「絶対的な正解」のように
見えるものがそうではないことを、他のひとたちといっしょに確かめるということで、
>>208さんが「嫌な気持ち」になるのは、「絶対的な正解」を与えてくれそうに
見える誰かが、にもかかわらず「絶対的な正解」を与えない、という宙吊りの
状況に
>>208さんを置くからだと、考えられる。
でも、それは
>>208さんの「欲望」の投影で、そういう状況に
>>208さんを
置いているのは、私ではなくて
>>208さんだと思う。逆に問えば、
なんで「絶対的な正解」を個人で占有しうると思うのか。私にはそれがわからない。
連休から帰ってきたら、えらくスレが進んでるな〜、とオモタら
自分がスレで一番頭が良い自慢大会会場になっとるorz
とりあえず、他人に意味が取れない文章は悪文である、という自覚を持ってはどうか。
あ〜痴的羞恥心の記憶が蘇る。
>>210 >自分がスレで一番頭が良い自慢大会会場になっとるorz
私にはこの文章の意味と最後の記号の意味が取れないんだが、
そうすると悪文なんだね、あなたの文章は。で、その自覚はおありかな?
orzは2ちゃん語だよ。少なくとも、痴的羞恥心だとかよりは広く知られた表記。
2ちゃんでは知らないやつのが少ない。
で、ここは2ちゃん関連板なので、2ちゃん語の表記を使用することに何の不都合が?
「自分がレで一番頭が良い自慢大会」に参加してるのは1名だけのようなので、
大会会場になっとるという表記は、不適切だった鴨な。
鴨は普通に「かも」と読んでね。
レでって何だw
スレで、だ罠。
罠は「わな」と普通に読んでね。
wは世間で表記するところの「(笑)」に近いが、ニュアンスはいくぶんか違うw
>>213 このスレで一番頭が良いはずのあなたがあまりにも
頭の悪いことをなさっているので、心から気の毒に思い、
遊んでさしあげただけなので。こういうことはこれきりに
していただけると、大変よろしいかと。
>>214 1人でわけのわからない自己完結したあげく、何火病ってんの?
ID:jFXGYkOo0さんはあたまはいいのかも知れんが
場の空気察したりはしないんだなぁ
別にこんな場末のスレでそんなことする必要はないと思ってんのか
それとも本気でそういう人なのか
どっちにしろちょっと怖い
>>215 ん? レスがあったかと思えば、お利口なお方が
何やらおかわいくお怒りのご様子。
連休疲れもさぞかしおたまりで、自慢のおつむも
いつものようにはお働きにはならぬかと。今宵はもうやすまれませ。
他者というものをサパーリ理解できず、私は悪くないもん、私の意見を分からないやつが馬鹿なんだもん、
と必死になってるID:jFXGYkOo0が、他者との共存だの相互承認だとか言ってるのが
茶番にしか見えない件について
>>218 >他者というものをサパーリ理解できず、私は悪くないもん、私の意見を分からないやつが馬鹿なんだもん、
>と必死になってるID:jFXGYkOo0が
この文章の意味が取れません。悪文のようです。
まだおやすみにならぬなら、よろしければ
「火病って」の意味を教えてはいただけませぬか。
最近の特定レスに不満を感じる人が色々と語るスレになってる
>>219 もっと分かりやすく言ってあげると、
会ったこともないどこかのゲイだの、いるのかどいうか分からない読者よりも、
その前に、このスレでレス返してくる人が、他者であるはずでしょ?
しかしID:jFXGYkOo0は自己他者境界の全くついてない人のようなので、
そういう自己他者境界の曖昧な状態の人が、他者との共存だの相互承認だとか言ってるのは
お笑いにしか見えません><
ということです。
流れをぶった切って
最近のヲシャレな絵、ヲシャレな話で中身も萌えもないやおいが嫌い。
同人なんて話の面白さや個性なんて二の次、商業だっていちばん重要なファクターは萌えなんだから…
>>222 私はID:jFXGYkOo0さんのような気色悪い主張はしておりませんので><
>>223 >最近のヲシャレな絵、ヲシャレな話で中身も萌えもないやおい
どういうのか想像できん。たとえばって聞いてもいい?
これはマンガの話だよね?
ID:jFXGYkOo0って溝口本人?
かどうかはどーでもいいが、801者としての立場の人間の発言じゃないよね。
ゲイがゲイとしてこういうスレで発言するのは別に支障ないとは思うが
801者のふりして書き込んでる非801者がいるなら、ちと不愉快だな。
>>226 いや、溝口彰子でもないしゲイでもないと思うよ。
(溝口氏ほどの論理的な文章力があるとは到底思えん)
ID:jFXGYkOo0 はリアルJUNE世代の801者。「古株」だな。
で、当時のJUNEマンセーな人だと思う。
ID:jFXGYkOo0 の素性に興味はないんだが、こういうことを考えてみた。
ID:jFXGYkOo0 がゲイであるとする。
そうすると、彼の言っていることは
>>106のような創作上の配慮によって、
801 によって暴力を受ける他者であるゲイである自分に
そうした具体的配慮が 801者の暴力性の自覚として受け取られうる、
というゲイ側からの証言になる。たとえば榎田さんの「普通の男」はそうだ、という。
その場合、暴力性の自覚が必要だという点では一致している 801 者が彼による
そうした創作上の努力要求を拒む理由は、あるとすれば、
「身勝手な萌え」への開き直りしかないと思われる。
そんなのはおまえだけだ、という数の問題として矮小化し、
その努力を放棄するのは、自覚の必要性を口だけで言っているのと
変わらなくなる。多数決原理の乱用というか。
ところで、彼の提案は、彼のようなゲイの立場に対して想像力を
働かせることのできる 801 者(
>>106さんのようなひと)にも
行うことができる。ID:jFXGYkOo0 がゲイなら彼の要求する提案を
(仕方なく)受け入れるのだとして、「古株」の 801 者なら
同じ提案を受け入れる必要はないんだろうか?
ID:jFXGYkOo0 は「古株」であることはすでに自己申告しているから、
「古株」でゲイということもありうる。
ゲイで 801 で萌えたいと思っていて、いろいろ読んでいると。
それに対して、嫌なら読むなと言うのも、暴力性の自覚の必要を
801 者が本当に感じているなら、変だろう。
ここにいる 801 者の他者への想像力(の欠如)と排他性が問われるんじゃなかろうか、この場合。
想像力の欠如は言い過ぎか、貧しさ、にしておく方がいいのかも。
他者を理解することはせず、他者を自分の都合に合わせてねじ曲げて解釈するのが
801腐女子の一番の特徴だからな〜。
自分を世界の中心に据えて、自分は自分、他人も自分の延長。
世界に自分しかいない人達だから、いつまでも経っても話し合いにならないね〜。
>>228 あーあ、とうとう自演しちゃったか…。
独特の文体なのですぐに分かるよ。無駄に冗長で解読困難な文章、勝手な前提。
たぶん貴方が言わんとしていることに真っ向から反対する人は少ないと思うよ。
問題はそれ以前のレベルにあると思うんだよね。
貴方の文章があまりにも意味不明なので、まともな議論のキャッチボールができない。
あと、一連のレスから滲み出る、意地の悪さ。それが反発を買ってる。
自演って決め付けるのはさすがにちと乱暴と思う
けど、これを言いたいんだってのが先走りすぎちゃって
空回りしてるようには見えるかな
暴力性の存在の仕方について、
存在させるのであれば作品性の一部であるべきって
意見(と私は受け取っているけど)は同意だし。
萌え要素の付いたキャラと
エロさえ入れておけばいいや、っていう水準の物が
増えすぎてると思ってるから。
ちょっとズレるけど、萌のパターン化マニュアル化が進みすぎて
どうしてそのシチュエーションが萌えるのかが
置き去りになってるのも見るし(ツンデレの拡大解釈とか)
>>230 ここは話し合いをする所じゃない。
どこ見てそう思ってるの?
>>230 > 自分を世界の中心に据えて、自分は自分、他人も自分の延長。
> 世界に自分しかいない人達だから、いつまでも経っても話し合いにならないね〜。
これ腐女子というかむしろ2chそのものじゃないか?w
ああ、いわゆる腐女子叩きってそれが原因なのか
前スレの容量オーバーに気づかず
一週間ぶりに発見して一気に読んだ
つかれた
書き方が意地悪と言われるID:rvg3d0aH0=ID:jFXGYkOo0?は
801は801好きだけに向けた特別な創作などと思わず
「801はファンタジー」「現実逃避の癒し」といった言葉に甘えず
一般の作品と同様の視点で作られ、評されるべきと言ってるように読めました
そして、ゲイを扱うならゲイの読者も想定してしかるべきだと。
ゲイの読者も気に入るように作れって意味じゃなくてね
なんつうか「大人になれよ」みたいな感じ。
で、それに異を唱える人は、このスレではほとんどいないように読めたんだけど
間違ってるかな?
一般の人の目にふれないよう、より厳密に隔離するべき、という考えの人も
いたみたいだけど。
上の解釈であってる場合、自分もその意見に異論はない
ただ、自分は90年代以降の801はほとんど二次創作ばっかりで
商業作品はあんまり読んでないんだけど、
作家や作品が大人になると、商業的には成り立たないんだろうなというイメージはある
そして、この傾向はだんだんつよくなっているような気もする
801に限らず、男性向けや一般向けの作品でもね
いや、もちろん実力のある書き手は大人として書くことも可能だと思う
でも、とくに801は、大人になってしまうとそこが「あがり」みたいになって
そのあとが続かない印象があるかな
悪い意味じゃなく。
>>237 そんなことは無いんじゃない?>801は大人になっては成り立たない
JUNEは大人になっては成り立たない、というのならわかるけど。
かつて花ゆめとか、少女漫画の一ジャンルとして
普通に楽しまれてた時期もあるわけだし
>>225 223じゃないが東京漫画社のマンガみたいな作品のことじゃないかな
あとはオノナツメとか猫田リコみたいな感じ?
自分語りになるが、以前草間さかえの『はつこいの死霊』を腐友に貸したら
「意味分からん」と切って捨てられたことがあるorz
>>238 かつての花ゆめというのがどのへんを指すのかわからないけど
観念としてじゃなく、商業的に難しくなってるかなってこと
>>239 ああいうのを指すのか。
私は古株だが、結構好きだ、そのあたり。
前にこの板の別スレで、猫田リコの作品のことを「 801 界のサルガッソー方面」と
誰かが呼んでいたが、うまい!、と心中で座布団ひとつ進呈した。
basso も草間さかえもおそらく今年の書店の売れ筋で、個人的には
「古株」と「最近」の橋渡しになることが期待できそうな気がするんだが、
案外、古株受けは悪いのかな。簡単にドラマCD化できなさそうなところ、
よくできた短編小説っぽいところが好きだ。
最近のBLで例を挙げられてもサパーリ分からないんだが、
とりあえずヲシャレな絵っつーのは、画風で言えば
岡崎京子とか桜沢エリカとか魚喃キリコとか安野モヨコとか多田由美とか楠本まきとか
あの手の作風っつーことでおk?
ヲシャレな絵が萌えないっつーのはある意味当然で、萌えをそぎ落とす方向で
絵を洗練させていったのが、ヲシャレ絵っつーことジャマイカ
と思ってヲシャレ絵漫画家にどんな面子がいるのか考えて、
女の漫画家はいくらでも思いつくのに、男の漫画家が1人も思いつかなかった。
男の漫画家は、どんなに絵を洗練させていっても、萌えが残ってる気がする。
だから男のヲシャレ絵漫画家は成立しない。ヲシャレと萌えは、たぶんある意味対立概念だから。
男の漫画家が萌えを排除する方向で描こうとすると、ガロ系とかそういう方面に行く。
いや、ガロ系も萌えは排除してるわけじゃないかも知れない。根本敬の漫画には、たぶん萌えはある。
で、萌えというのは、もともと男の特性に付随するものだったのではないか、とふと思った。
男の漫画家は萌えを切り離せない人が多いように見えるが、女の漫画家は易々と萌えを切り離す。
TLやハーレクインの読者や作者は、萌えを感じてるのだろうか。そうではないようにも見えるのだが。
>>242 買ったスレ見ると、basso、草間は萌えたという感想が結構あったりする。
反対にうけつけない、ってのも少なくはない。好き嫌いが大きく分かれる作家だといえる。
中村明日美子も同じ分類に入るのかな。
>>242 >萌えというのは、もともと男の特性に付随するものだったのではないか
いや、それはさすがにないと思う…。
「萌え」の意味をどう定義するかにもよるんだろうけど。
漫☆画太郎とか、『北斗の拳』の人とか、ビッグコミック系の絵とか
萌えがほとんど入ってない絵柄の男性漫画家、結構いるのでは?
>>244 漫☆画太郎はともかく、北斗の拳は萌え漫画だろうと思うんだ。
何かとりとめもなく書いちゃってるけど、「萌え」の正体を考えてみよう、という話で、
萌えとは、「見るもののまなざし」としてのみ発生するものではないか、と。
あくまでも自分を主体と定義して、客体であるものに向ける視線との間のみに発生する。
そしてその逆はない。
漫画文化自体は男の漫画家たちによって作られたもので、60年代から女の漫画家も活躍するようになって
多くの少女漫画が作品を生み出していくわけだけど、60〜70年代の時点では
「自分があくまでも主体であり、自分が見るものが客体である」というような強い自我は
まだなかなか表明しづらい時代でもあった。
で、80年代に唐突に、岡崎、桜沢、内田春菊あたりがほぼ同時期に登場するんだけど、
この人らの漫画て、それまでの漫画とは全くの別物、という印象だったんだよね。
過去の漫画と全く根っこで繋がってない印象。
それまでの漫画はあくまでも過去の漫画の文脈を受けついでるのに対して、
唐突に現れたヲシャレ系漫画は、漫画ではなく女性雑誌の文脈でつくられたものだ、という印象があった。
「欲望される客体として世界の中心にいる私」を描いたものというか。
欲望するべき対象を自己の中に内在化させてしまったら、萌えようがないっつーか
見る、欲望する主体である自己→見られる、欲望される客体である他者、という一方向の視線にのみ
萌えが発生するのだろうと思うので、もともと男の特性に付随するものだったのでは、と書いた。
最近のBLのヲシャレ絵漫画のことは分からないが、
801それ自体が、見る、欲望する主体としての視線を獲得する作業でもあるので、
ヲシャレBLが嫌いな人は、801に見られる客体としての文脈を持ち込まれることが嫌だとか
(その作品が「欲望される客体として世界の中心にいる私」を描いたものでなくても
そういう作品を連想させる絵柄な時点で嫌だとか)があるのかも知れない。
また、近年の801の裾野の広がりで、欲望される客体であることを全肯定できる層も増えてるだろうから
そういう層にとっては、「欲望される客体として世界の中心にいる私」なBLであっても
全く気にせず楽しめるのかも知れない。
オシャレ系の極みともいえる楠本まきでも、Kの葬列やキスなんかは、凄く萌えるよ。
あの静謐な色気溢れる絵そのものにも、ストーリィにも萌える。
オシャレ絵=萌えない、てことでもないのでは?
オシャレ絵=萌えないじゃなくて、そういう絵柄に多い(?)何となーく話が流れ、
何となーく終わり、「で、何だったの?」みたいな5分後には忘れてるみたいな話が
萌えないってことじゃ?
「絵柄」というより「話」が問題なんじゃない?
腐女子はもともと濃い人間関係さえ描かれていれば、
絵柄のいかんを問わず萌えられる人が多くない?
北斗の拳とか福本作品とか荒木とか、いわゆる「萌え絵」には程遠いけど
人気あるし。
男のオシャレ絵というと、上條淳士か?
作品を読んでみて萌える、という流れじゃなくて
萌え要素を求めて作品を読む人が増えたようには思う
読んでみて求めた萌えが入ってなかったりすると
「内容を詳細に書いて置けよ、それなら読まないんだから」、と
烈火のごとく怒ったりするのを見てると
強くそれを感じるかな
描き手が何が言いたかったか、何を表現しようとしたか
そういう視点はそこには無くて
自分が期待したもの、見たかったものがそこにあるかないか、でしか
作品を評価しない人たちに、凄く違和感を覚える。
補足しとくと、
>期待したもの、見たかったもの
っていうのは、面白いか面白くないか、という意味じゃなくて
読み手の萌えに合致するパターンかどうかって意味です。
好みのキャラ同士が絡んでるかとか。
801好きのゲイだけど、作品にゲイへの配慮を求めるなんて事は無いなあ
自分の知る限りでは大半のゲイは801自体に興味無いよ
創作でのリアリティを重視するかは801に限らず個人の好みだし
801作品の表現で傷つくほど馬鹿じゃない
ただ、作者が「私はゲイの理解者です」ってアピールしてくるのは不愉快かな
偏見が無いのはありがたい事なんだけど、作品はそれを語る場所では無いでしょうと思う
だいたい、理解されたいとも思って無いし、テレビの腐女子特集みたいなもんで
大半が偏ったゲイのイメージで語られてるから逆に偏見だと感じてしまう
創作は創作、現実は現実としてきちんと区別して欲しい
>>76 創作の為の知識であれば、ネットでも書籍でも得られるでしょ
必要以上に踏み込んだり、場違いな所で知識を得ようとしたり、
私は「取材してますよ」ってアピールしたりすれば嫌われるのは当然かと思うけど
うん。たぶん必要なのは、
801者が、二次元と三次元は別物だと分かっておくことと、
自分達の身勝手さを自覚しておくことだよね。
自分のキモさを自覚していれば、他人にキモイと言われても切れたりしない。
作品はその自覚を語る場所ではない。
別に語ってもいいと思うけど、語る「べき」だとは思わないな。
(明らかな差別発言は問題だし、内容によっては年齢制限はするべきだと思う)
セクシュアリティを問わず、若い世代に多いんだろうけど、
「傷つく」という暴力の主観的認識とは別の構造的、客観的暴力といったものに
鈍感な傾向がこのスレでもある。
たとえば、黒人に対してある小説で差別的描写がなされていて、
白人である作家自身はそのような描写をする「自分たちの身勝手さ」を
自覚しており、ある黒人が文盲でその小説を読むことができないがゆえに
「傷つく」ことがないとしても、現実の社会においてその黒人が差別されると
いう出来事は、黒人差別が存在する場所では起こり得たし、今でも起こりうる。
つまりある黒人が「傷つく」かどうか、暴力を主観的に認識するかどうかと、
その黒人が構造的、客観的に暴力を受け、差別されるのとは関係がない。
「自分たちの身勝手さ」を自覚していると「作品の外」で言い募る白人作家は、
結果的に、黒人差別を助長する、というのは「人類の歴史的な経験」だと思う。
同じことは女性差別にもあり、19世紀のイギリスにおいて女性に参政権を与えない
「科学的理由」が骨相学や精神医学を総動員して捏造される一方で、
その理由を視覚化することに美術史でいうラファエル前派がどれだけ貢献したかについても
日本語でも読める。ブラム・ダイクストラの「倒錯の偶像」にはそういう図版がたくさんある。
801 と暴力との関係はこうした過去の歴史の新たなバージョン、変奏にすぎない。
現実の社会における差別の再生産と自分たちが趣味でつくりだしている
イメージ、表象との客観的関係を考える必要がある。
大半のゲイが 801 に興味がなく読んでいないので「傷つく」ことがなかったり、
801 を読んでも「傷つく」ほど馬鹿ではないゲイがいるということは、
801 が現実の社会におけるゲイに対する差別を再生産しているかどうかとは別の問題だ。
それに関していえば、「 801 はゲイフォビアのテクストだ」という定式化は誤解を招きやすい。
その定式化は「 801 はゲイフォビアのテクストであるがゆえに、
ゲイフォビアの克服を可能にするテクストでもある」と理解される必要があると思う。
801 は作家自身、読者自身のゲイフォビアが対象化される場、空間で、
作家自身、読者自身は対象化された自己のゲイフォビアと向かい合い、それを克服するチャンスを得る。
そこからみると
>>247さんの違和感は、801 がゲイフォビアのテクストでしか
なくなりつつある傾向に対する違和感、ではないかと思われる。
>>251に挙げたラファエル前派の絵画は「ミソジニーのテクスト」であると言われる。
高山宏の『テクスト世紀末』はその主題を扱った名著で、関心のあるひとには
一読をおすすめしておく。
>>251 ID:jFXGYkOo0 再登場?
言ってることは間違ってないと思うんだけど、
801の「暴力」を少し単純に捉えているんじゃないかなという印象を受けた。
もし「『萌え』などかなぐり捨てろ」と主張しているのなら、筋が通ってると思うけど。
801の暴力と言っても、それを受けるのはゲイだけとは限らないよ。
例えば「お前の(バックの)バージンは俺のものだ」的な表現(たまに見る)、
考えようによっては、処女崇拝が変な形で801に表出しているとも言える。
ハーレクインでは、「金持ちでハンサムで逞しくてセクシーで家柄が良く
仕事が出来て強引なくらい積極的なのに30過ぎても独身で彼女もいない男」が、
さして美人でもないそこそこキャリアのヒロインに、なぜかベタに惚れたりするが、
これもある意味では男性の気持ちを無視したある種の「暴力」と言えるし。
男性向非エロでも、何の取り柄もないつまらん男が、絶世の美女軍団にモテモテだったり。
でも、だからこそ萌えるんだ、という「身勝手さ」があって、
良い男が良い女にモテてたり、ダサ男がダサ女にモテてたら「萌え」じゃなくなってしまう。
レイプでアンアン言わせる801も「暴力」だし、
初アナルセックスでアンアン言わせるのも「暴力」かもしれないし…
登場人物が全員ゲイなのも「暴力」かもしれないし。
極端な話、異性愛者の女が同性愛の男をネタにハアハアすること自体が、
ゲイへの「暴力」だとも言える。
(実際、そういう意見のゲイのレスが前スレでコピペされていたしね)
真摯でいたいのなら、「萌え」は捨てなくちゃいけない、と個人的には思ってる。
それとも
>>251は、真摯さの「程度」を問題にしたいのかな?
>>253 >良い男が良い女にモテてたり、
>ダサ男がダサ女にモテてたら「萌え」じゃなくなってしまう。
これは萌え関係なくない?
自分はいまいち萌え自体が理解できない口だけど
萌え=ときめきだと解釈して使用してる人のレスを見て
そういうものかと納得してた。
>>254 萌えられる漫画、と
萌えを充足させる事を目的に描かれた漫画の違いって意味と思うよ。
ここで再三、801はゲイへの差別だ配慮しろと言ってる人に対して、非常に違和感を感じるのは
差別だ配慮しろと言ってる人て、801それ自体がマイノリティだという自覚が欠如してると思うんだよね。
801者と、マジョリティであるところの普通のヘテロ女を同一線上に考えてるぽいし、
801は自発的に選び取れる趣味だと信じてるんだろう。
だから、差別だ配慮しろと言ってる人は、801者ではない外部の人間だろうと思うし、
仮に彼もしくは彼女が801者を名乗っているにしても、801アイデンティティを持たない超ライト層だと判断する。
なぜなら、801は自発的に選び取れる趣味じゃないのだから。
人種の話で言えば所詮プアホワイトあたりであって、
プアホワイトは普段虐げられてるから黒人差別しても良い、という話にはもちろんならないのだけど、
これは全体の構造の話でもあるのだから、プアホワイト=801者のみを攻撃してどうにかなる話でもないだろう。
801が仮にゲイフォビアのテクストだとしても(この言説にもかなり疑問がある)、
差別だ配慮しろと言ってる人の物言いは、自己の存在そのものの根っこに801が深く絡みついてると自覚している私としては
「おまえの存在そのものがゲイの皆様には不愉快なのだから、生きていてすいません、と謝れ」
と言われてるのと同じ意味であるので、
はいそうですか、ゲイの皆様生きていてすいません、などと素直に謝るわけにはいかない。
>>252 何その上から目線。
ゲイフォビアのテクストだと自覚して配慮すれば、ゲイフォビアを克服できるでしょう、てか?
801はあなたが考えてるような単純なものではなく、もともと
「ゲイフォビアもゲイへの共感も、さまざまなものを内包したカオス」であったと私は考えてるよ。
>>255 その違いはわかるけど、
>>244と
>>245のやりとりからすると
北斗の拳は萌えられる漫画だから萌え漫画かなーと
>>256 わかるよ
やめようと思ってやめられるものじゃないよね
時々思うんだけど、もしも、自分の伴侶から、お前の801好きがどうしても不愉快だから
おれと別れるか801好きをやめるかどっちかにしろ、と本気で言われたら
泣く泣く彼と別れるしかないと思うもの
801やめろと言われるのは自分をやめろと言われることで、それがどうしても不愉快というのは
自分の核が不愉快だと言われてるのと同じだから、そういう彼と一緒にはいられない
でも、いつも難しい言葉をつかう長文の人は、短絡的な配慮を求めてるわけじゃないと思う
創作する上で、読者としてゲイを疎外するなと言ってるんじゃないかなあ
(読み違えてるかもしれないから自信ないけど)。
私は長文の難しい人より「自分たちのキモさを自覚すれば、キモいと言われても切れない」
という意見のほうに、生きててすいませんと謝れと言われてるように感じるよ
>>253 「萌え」一般を捨てる、ってのは具体的にどういう行為ないし状態を指してるの?
801 であろうとなかろうと、何かに身勝手に「萌え」ちゃう
>>253の身体は存在している。
それって、たとえば、「脳神経刺激物質を分泌しない身体になる」ということではないよね?
そうじゃなくて 801 の「萌え」を捨てる、っていうこと?
それから、例を挙げておっしゃるように、 801 は「ミソジニーの上にゲイフォビアが
上書きされたテクスト」だし、それを言うのであれば、黒人差別だって、そう単純ではない。
レイプされる白人女性についての描写もあるわけで。
>>251ではそうした重層性についてはあえて無視して、
暴力に対する主観的な認識と構造的、客観的暴力の存在とは別、
という話をしているのだと、理解してほしい。
>>254 同じじゃないでしょ
801者の視点で現実の同性愛を語られると、トンチンカンだし
語る必要も無いのになあと思って不愉快になるってだけ
俺は801がゲイ差別とも共感とも思えないし、
基本的に現実のゲイとは無関係なもの
読み手も書き手もそれを理解して楽しむものだと思ってるよ
801に限らず、創作と現実の線引きができないってのは
個人の問題だし、規制や配慮でどうにかなるもんでも無いでしょ
>>259 >「萌え」一般を捨てる、ってのは具体的にどういう行為ないし状態を指してるの?
801の脳内妄想を、脳内だけに留めておく状態。
801を描かない、読まない、もしくは801テクスト根絶運動の実践とかかな?
ものすごいアホらしいけど(笑)
ノンケ男が、レイプされてるにも関わらず気持ちよくなっちゃって
アンアンする801って、「暴力」なんだけど、別にそういう暴力的な801があっても
いいんじゃないの?と私は思うんだよね。
そこで現実と妄想の区別ができない801者はただのアホだとしか言い様がないし、
それで萌えてる自分を他人が「キモイ」言うことに切れる人は、
自分の妄想の暴力性に本当には気付いていないんじゃないの?と思う。
同じレイプものでも、萩尾望都の『残酷な神が支配する』では、
レイプされたほうが生死に関わるほどのトラウマを抱えた上、最終的にはレイプ犯を殺す。
「作品」として、ものすごく素晴らしい作品だと思うけど、
『残酷な〜』のレイプシーンで萌えるかというと、(私は)全然萌えない。
(そもそも『残酷な〜』を801と呼んでいいかどうかも分からないけど)
やはり最終的には、個人個人の認識のありかたにあると思う。
自分がブサイクだと自覚してる人がいるとして、
その人が他人にブサイクだと言われて、キレてはいけないものかね?
>>256 >>259の
>>253への疑問を見ればわかると思うけれど、
801 を自発的に選び取れる趣味だと私は考えていない。
でなければ、気がつけば30年、なんてことにはならない。
801 がなかったら今の私はないだろう、とも思う。
だからこそ、
>>251のようなことを考える。
>>257 「ゲイフォビアもゲイへの共感も、さまざまなものを内包したカオス」だからこそ、
「 801 はゲイフォビアのテクストであるがゆえに、ゲイフォビアの克服を可能にするテクストでもある」。
別に違ったことは言っていない。
一部の 801 者が
>>256さんのように、自分のミソジニーとゲイフォビアは現在の自分の
存在と骨がらみなのだからということを理由に、それらを克服する必要がない、というとしたら、
それは「プアホワイト」というイメージで自分を規定させるほどまでに、
801 者に構造的暴力をふるい続けている現実の社会の思う壺以外の何物でもない。
>>262 そういう話じゃないんだが…
女子高生レイプエロが大好きで、そういうエロを描いてるオタク男が、
女子高生に「キモイ」と言われてキレたら、アホじゃねーの?と思わない?
>>264 私はそれはアホじゃねーのと思わないなあ
女子高生がキモイと言うのと、
うるせーてめえらを犯したいんじゃねえ黙れ三次元ブス、とオタク男がキレるのも
同じくらい当たり前だと思う
もしそのオタク男が「君たちのために描いたんだよ」と女子高生に
エロ本を開いて見せて回ってる、とかいうなら話は別だけど
>>261 >801の脳内妄想を、脳内だけに留めておく状態。
これができるなら、人間は「芸術」を必要としなかったし、
それ以前に「言語」を必要としなかったと思うよ。そうは思わない?
>>261で言われていることは、アホらしい以前に、「できない」と
言っているのと同じじゃないかな。
アルタミラやラスコーの洞窟絵画で描かれた動物たちは、
それがいかに現実に存在する動物であろうと、
描き手の脳内妄想と無関係ではない。動物が目の前にいない洞窟の中で
描いているわけだから。
ID:oAnWKbvn0は結局何がしたいの?
具体的に801者にどうして欲しいの?
ただ議論とか問題提起をしたいだけ?
で、「できない」は「やらなくていい」とは別なので、
「萌え」を捨てなきゃならない、と真摯に思うのであれば、
脳内妄想が脳の外に表出されることを前提に、
どこまで「萌え」が捨てられるか、ということを考えざるをえない。
人間は他人に対して自分の暴力性を完全に放棄することはできないことを
前提として、「社会契約」「人権」というフィクションが構築され、
そのフィクションのなかで、どこまで自分の暴力性を放棄することができるか、が
試されるのと、それは同じことだと思う。これは「程度」の問題と
言ってすませられることではないと思うよ。
>>267 それについては
>>236さんがレスの最初で述べてくれている。
もっと具体的にというなら、
>>106さんのレスのようなこと。
しかしながら、具体的に何をなすかは、その場その場で 801 者が
自分で判断すべきこと。そのときに最低限ふまえるべき「歴史的経験」は
>>251。
物凄く簡略化して解釈するけど
要するに、801好きでないと楽しめない作品じゃなくて
「801好き以外が読んでも楽しめるレベルの作品作りをして欲しい」
って事ではないの?
>>268 一切のポルノグラフィを認めない、という立場なのかな?
もし性妄想に貴賎があるとでも思ってるなら、ずいぶん変わった人だねぇ、と言うしかない。
あと、
>「自分たちのキモさを自覚すれば、キモいと言われても切れない」
>という意見のほうに、生きててすいませんと謝れと言われてるように感じるよ
という
>>258さんに同意。順序立てていうと、あることを「キモい」と価値づける社会がある。
そのなかで「キモさ」を非自発的に身にまとわされた者には、
「生きててすいませんと謝れ」という類の要求がなされる。
その場合、自分の「キモさ」を当人が自覚することは、その社会の中で
自分が「他人に対して謝らなければならない存在」であるという事実を
より確実なものとするにすぎない。
あることが「キモい」と価値づけられることのおかしさを批判し、
「生きててすいませんと謝れ」などと要求されるいわれはないことを、
はっきりさせない限り、
>>258さんの思いは消えない。
あるものに萌える自分の「キモさ」を自覚するだけでは、
>>258さんの思いは消えない。
>>265 どこにも存在しない女子高生なんだからいいだろ、という問題じゃないと思うんだよね。
性的妄想の対象は「女子高生」という存在そのものだから。「女子高生」観というか。
暴力的な妄想を表出する自分自身を棚に上げて、他人からの暴力にはキれる人間って、
やっぱりその暴力性の自覚がないんだろうなとしか思えない。
自分自身を「キモイ」と思う必要はないけど、人によってはキモく感じて当然だという
心構えが必要なんじゃないだろうか。
>>268 なんかひたすら「人の嫌がることをしてはいけません」と繰り返してるだけのように見える。
「801は暴力だけど、なるべく暴力的要素の薄い暴力にする努力が必要だよね」ということ?
>>268 それって単なる自己満足じゃないかな
実際に801がゲイ差別を再生産してる事実とか根拠ってあるの?
「ゲイじゃないけどお前が好き」ってのは
ストーリー上のデフォルメであって、主義・思想では無いでしょ
矛盾点を排除したり、整合性を持たせるのは
作品のクオリティとして必要かもしれないけど
矛盾だらけのゆるい作品が面白い事だってある
>>272 「人権」というのは「人の嫌がることをしてはいけません」という
レベルのお話ではないよ。
身体の自由が保障されている、というのは、あるひとが呼吸をしつづけるにも
「人権」が必要だ、ということ。たとえば、領主に連れ去られ、水責めの拷問を
されるなんてことはないようにしよう、というのが「人権」。
これは「人の嫌がることをしてはいけません」と同じではない。
そして途上国であれ、先進国であれ、そうした人権を侵害されるひとは今も確実にいる。
バーチャルに発生している人権侵害する暴力に対して、それが現実のものとなるのを
その場その場でかろうじて繰り返し回避することで人権は保障されている。
回避しきれないところで暴力が現実のものとなり、人権侵害が起きる。
そしてふるわれた暴力に対しては責任が発生する。
バーチャリティの構造は重層的で、現実に対して小説の文章はバーチャルだが、
すでに描かれた描写に対して次に描かれる描写もバーチャルの関係にある。
前の描写がふるった暴力に対して、次の描写が要求される責任を
たとえば
>>106のように果たす、ということがある。
>>273 書き手、描き手の自覚の有無にかかわらず、何らかの主義・思想と
無関係な創作上のデフォルメはないと思うよ。
その主義・思想を自覚していれば、社会風刺、サタイアになる。
『ガリバー旅行記』のようにね。むしろデフォルメは、
それがどんな主義・思想とつながっているのか、と問われるべき
創作上の技法だと思う。
>>274 なんか話がかみ合って無いね
ID:oAnWKbvn0の言ってる配慮ってのは誰の為なの?
俺が言いたいのは、801作品に「ホモきめぇ」「ノンケを輪姦」みたいな
露骨な表現があったとしても、それをゲイ差別と受け止めるかは
ゲイ、ノンケ、801者に関わらず、個々の感性や成熟度によって変わるでしょって事
むしろ、あくまで女性が書いた創作なのに
ゲイに対して配慮してますと公言する事で
801作品をゲイの実態と受け止められる方が、ゲイとしては迷惑です
>>274 悪いけど言ってることの意味がサパーリ分からん。
「俺はゲイじゃない」の例からいったん離れてほしいんだけど、
そういう分かりやすい「暴力」じゃない暴力はどうする「べき」だと思うの?
>>261の、レイプの例で言うと、どうなるのかな。
レイプされて簡単にアンアン言っちゃう801は暴力的だから「けしからん、やめろ」と?
全てのレイプものは『残酷な〜』的なスタンスで描かれなければいかん、と?
具体的なところがぼやけてる。
>その場その場で 801 者が自分で判断すべきこと。
という書き方は、やっぱり「けしからんものはけしからん」と言ってるだけで、
どうとでも受け取れるというか、実際にはほとんど何も言っていないような。
だから違和感を感じるというか、「で、何が言いたいの?」というモヤモヤを感じる。
>>272 身勝手に萌えない、というのは、自分が何かに萌えてしまったあとで、
それを「仕方ない」ですませずに、それに萌えてしまったことの責任を
事後において具体的に取るということ。
創作をする人間はそれを創作の楽しみとすることができるし、やる必要がある。
そしてそれは必ずしも萩尾さんのようにストーリーといった感知されやすい
ところで行われる必要はない。レイプ後両思いに萌えてしまったことの
作品内での責任の取り方はキャラ設定とそれらが関係する描写の数だけ、
つまり原理的には無限にある。
責任を取ることを創作し、読む楽しみとつなげていく、ということは
文学というジャンル、小説というメディアにおいては
そんなに特別なことではないと思う。
あー、単純にポルノグラフィの全否定とか、そういう単純な話なわけね。
「残酷な〜」は漫画の手法が用いられてるだけの文学作品であって、
ポルノグラフィとは無縁のものだし。
>>277 つまり身勝手に暴力的に萌えまくるのはOKだが、それと同時に、作品内で
「いやあ身勝手な萌えかたしてるのは自覚してるんですよ」というフォローを
作品内で読者に伝わりやすいようにやっておく必要があるってこと?
ID:oAnWKbvn0さんは
創作者の意識、美意識、あるべき姿勢のようなものを語っていて
ID:Q/VraBzS0さんや ID:FZy59lEb0さんは、読者(消費者)モラルを語ってるから
話が噛み合わないんだと思うよ
噛み合わないと同時に対立するものでもあると思うけど
>>277 なんだ結局「書き手の説明が欲しい」だけなんじゃん
そこにゲイ差別だの何だの絡めるなよ
ID:oAnWKbvn0は、801に限らず書き手でも読み手でも
創作物に対しての楽しみ方が偏ってるだけじゃないの?
説明がつかない部分を読者の想像力に委ねるって手法もあるじゃん
部分的に矛盾や破綻があっても楽しめる読者、
作品のテーマを強調する為に、あえて説明を省略する書き手もいる
手法や傾向は個人的な好みなんだから「やるべき」とかじゃないよ
>>280 その通りなんだけれど、現在の小説にしても漫画にしても、
作品を読む前に読者がすでにその作品の作り手として動員されている、
作家といっしょになって書いたり、描いたりしているんで、
読者(消費者)が個人的なモラルをもつだけでは不十分で、
創作者(生産者)の意識、美意識、あるべき姿勢を
もたないとまずいという問題であると思われる。
>>279 伝わればいいので、萩尾さんのように伝わりやすいレベルでやる必要はない。
そのシーンまでの描写の積み重ね、語彙の選択と接続の仕方、文章のリズム、
キャラが物語内で反復するさりげない動作、エピソード等、
その責任の取り方に関わるものは小説内にはたくさんある。
小説というのはストーリーやシーンに還元されないもっと多様なものから
できあがっているし、漫画についてもそれは同様で、その多様さを前提にして
たとえば、と例を挙げたのが
>>106だと理解する必要がある。
>>282 素直に「低俗ポルノ801は許せん」と書けばいいのに・・・
>>281 中上健次の小説には作中に書き手の読み手に対する何の言い訳がましい説明もないが、
そこで描かれたレイプシーンをフェミニズムの立場から批判しても意味がない、
と思わせる「描写の暴力に対する責任の取り方」がある。
そのシーンだけ読めば低俗なポルノと変わらない。
それでも、そこを批判することの無意味さは、批評家としての読者に伝わる。
それが作家の才能とか力量というものだと思う。
「作家が意図的に作中で行う言い訳がましい説明」と
「描写の暴力に対する責任の取り方」は、何の関係もない。
「書き手の説明」は作品には不要だ。
それでいくならば、「これはフィクションであり、実在の人物、団体等とは
関係がありません」というのは、もっとも単純で稚拙な言い訳がましい
書き手の説明にすぎない。近代の初期の小説によく見られた、
この物語はどこどこで見つかった何十年か前の日記に書かれていたもので、
私はそれを写しているだけです、という断り書きと同じこと。
何でそこで、中上のような典型的な文学持ち出すんだ?
素直に、私はポルノは嫌いなのよ不愉快なのよ!!て書けばいいじゃん。
そのほうがまだ賛同者得られると思うよ。
だからさあ
低俗なポルノは存在すら許されない訳?
そういう低俗ポルノを楽しく書いたり読んだりする腐女子がいても別にいいんじゃない。
ポルノが許せないならこのスレで長大なレスするだけでなく、
男性向エロ板やレディコミ板でも同じこと書けばいいじゃん。
単に
>>284の好みに合わない801にイチャモンつけてるだけでしょ
>>285 「ポルノ」の定義によると思うけれど、とりあえず、
日活ロマンポルノをポルノと呼んでいいなら、
私は嫌いでも不愉快でもない。
中上が原作を書いた神代監督のロマンポルノ作品もある。
>>285さんが文学とポルノをどう分けているのかがわからない。
>>284 >そのシーンまでの描写の積み重ね、語彙の選択と接続の仕方、文章のリズム、
>キャラが物語内で反復するさりげない動作、エピソード等
俺は、これを説明という意味で使ったの
要は納得したい、させたい、それが無い低俗ポルノが駄目って事でしょ?
アナタが低俗ポルノが嫌いなだけで
ゲイ差別は全く無関係じゃないですか
>>285>>286 そういうことを言ってるわけじゃないと思うよ
求めてるのは厳しいっちゃ厳しいことだけど
作り手として、そうできたら嬉しい、読者と美しい関係を築けることだと思う
現実なかなか追いつかないけど
>>286 まあ「不満を感じる人が色々と語るスレ」だし。
ポルノが気に入らないのなら、素直に気に入らないと書けばいい
黒人差別とか世界平和とか持ち出して、
俺理論を展開して高尚ぶるのが気に入らない
高尚ポルノはお好きなですってよ。
でも高尚ポルノって、ポルノの衣を借りた別の何かであって
ポルノじゃないんだけどね。
>>288 >俺は、これを説明という意味で使ったの
それはいくらなんでも言葉の使い方として無理でしょう。
創作する=書き手が説明する、なの?
>>289 でも ID:oAnWKbvn0は「やるべき」と言っているよ
ゲイ差別とも
手法の一つとしては有りだと思うけど
作品の傾向によっては重要じゃなかったりするでしょ
ギャグ、低俗ポルノ、ライトノベル、萌え重視作品とかは
ある意味、無責任さを楽しむジャンルだったりもするから
>>293 ああごめん
じゃあ説明を責任の表現として読んでみて回答してください
>>294 責任を取る、ということと「取ったということを言い募る」ということは
別なので、「責任の表現」というのも言い換えにはならない。
責任を取る=相手を納得させる、ではないし。ああ、わかったよ、
責任を取ればいいんだろ、これで納得したかよ、ということではない。
暴力を受けたことを相手に納得させても意味がない、というより、
暴力の被害者が発生するところでは、すでに納得が社会的かつ強制的になされている。
それゆえに、それを告発したり、抵抗したりといったことが難しい。
無責任さを楽しむジャンルの作品に特有の責任というものを考えることができる。
暴力に対する無責任と責任とは「無責任なジャンル」「有責のジャンル」ということで
分けられるようなものではなく、創作する、作品をつくる、というところに関わるものだから。
むしろ、無責任さを楽しむジャンルにおいてこそ、責任が問われる。
>>294 無責任さを楽しむジャンルっていうのはわかるけど
ほんとに全員、作り手も読み手も無責任でいいわけじゃないよね
どんなものでもどこかに必ず責任は存在して、それを引き受ける立場の人はいる
ただ作り手は、往々にしてそういった部分を読者には見せないようにしている
そうして、責任の存在を隠すのがうまいというのも一つの誠実だと思うし、
見なかったことにして楽しむのも読者として誠実だと思うけど、
無責任さを作り手と読み手で共有することで、
責任そのものをなかったことにするのは違うように思うんだ。
>>295 責任を取るという事は具体的に言うと
>>106みたいな事なんでしょ?
表現じゃないの?
例えばギャグでレイプしたら受けがよがって大変みたいな
シーンを入れたら具体的にどういう責任の取り方があるの?
アナタの言う「責任を取る」「配慮」ってゲイ差別とどう関係してたの?
>>275に答えて
801 だけの問題ではないけれど、801 にも関わる、「創作する」という
行為の暴力性が必然的に発生させる責任に対して
「創作しない」という以外の責任の取り方があるというお話をずっとしているわけで、
低俗ポルノには低俗ポルノなりの作品中における責任の取り方がおそらくある。
801 も含めて「無責任なジャンル」には作品中におけるそれなりの責任の取り方があり、
創作において「ジャンル」というのが分けられるとすれば、
それは作品中における「責任の取り方」の違いによる。
「無責任なジャンル」には責任があたかもないかのように
事態が進んでいるのが問題だということは、今までのやりとりでよくわかった。
>>297 「表現する」ことを通じて「責任を取る」が、「責任の表現」ではない。
で、おたずねの責任の取り方については、「ゲイじゃないけど〜」とは
作品における働きが違うので、具体的には答えられない。それを考えるにはどんなキャラが
どんな状況でそうなっているのか、ということが情報として必要で、つまり、
そこに至るまでの経過がわからないとどうしようもない。
こうすればいい、という一般的なマニュアルがあるわけではないから。
「ゲイじゃないけど〜」は物語のなかのひとつのシークエンスを開始する
作品中の要素なので、
>>106だけですませることもできる。それまでの
経過がわかれば、もっと具体的に考えることもできるだろう。
誰のための配慮かというならば、ゲイ差別のうちに亡くなったすべてのゲイと、
これから生まれてゲイとして生きるすべてのゲイのためかな。
ゲイのイメージ、表象の生産、流通、消費を通じて発生する
構造としてのゲイ差別、ゲイへの構造的暴力を問題にしているので、
創作するという行為、創作された作品が問題となる。
過去を生きた誰かと未来を生きる誰かへの配慮が、自分たちが生きる現在を変える。
そうした配慮がゲイ差別を解消し、結果的に構造的暴力に鈍感なゲイのためにもなる、
ということはある。どんな差別にもそういうことはある。
>>106についても一般的に適用ができるマニュアルではない、
ということはすでに言ってある。
>>297の問いは「一般的」な答えしか出せない問いで、
その問いに具体性が欠けているので、答えが具体的になりようがない。
たとえば、
>>297が何か作品を書いていて、そういうシーンを描くところまできて、
そのあとどうしよう、ということになっていて、そこまでの作品を読ませてくれたうえでなら、
具体的にどうするか、ということは言えるかもしれない。
「強姦!監禁!ショタ!流血!ホヒィ!萌え!」
をやったあとに、
「ところでこれが自分勝手な妄想なのは分かっております、
責任は取れないかもしれないけど取る気概はあります。
強姦されて亡くなっていった全てのレイプ被害者のために。
監禁被害者のために。幼少時に性的犯罪の被害者になった人達のために。
暴力被害者のために」
って完全にハア?なんだけど。責任って・・・
>>301 「気概」だけではだめというのは、私が言っていること。
他人事として801を糾弾してる人が801歴30年などと自称するのはちゃんちゃらおかしい。
自己批判も自己嫌悪もそこには全くなく、本当に他人事じゃん。
>>298 現実の社会じゃレイプは犯罪、それを前提として書くのと
「801世界では愛があればレイプOK」を前提に書くことの違いで
前者が責任を取ってるって事?
他の人のレスからだと、必然性とかモラルに対しての表現だと
思ったんだけど違うのかな
作品自体のクオリティ、創作者のモラルとして
言ってるなら、一意見としては、わかる気もするんだけど、
ID:oAnWKbvn0はゲイと801も同じ同性愛として括って
無責任な表現がゲイのイメージを悪くするって言ってるんだよね?
それ自体がトンチンカンな発想だと思うんだけど
>>304 セジウィックというビアンの研究者が書いた『クローゼットの認識論』という本がある。
文学や哲学において描かれた同性愛のイメージと「クローゼット」の形成との関係を
作品の分析を通して論じたもの。それの影響で類書は膨大にある。
「クローゼット」の形成は現実の社会にゲイ差別が存在するという事実と切り離せない。
描かれたゲイのイメージが現実のゲイへの差別にどうつながるか、
というのはすでにきわめてありふれた発想だと思うよ。写真や絵画の批評でもある。
>ゲイと801も同じ同性愛として括って
これは差別する側が意識的ないし無意識的に混同すること。
別のものであるがゆえに、混同し、差別の根拠とすることができる。
で、これは「イメージを悪くする」というところにとどまる問題ではない。
書き手や描き手がすべて死に絶えても、残されたそのイメージが
どう政治的に利用されうるか、という問題。
局所的には、現在でも「白人女性をレイプする黒人男性」のイメージをもち、
黒人を差別している白人はいる。むしろ、目に見えにくくなっているところが問題になっている。
かつて小説を通じて拡散した紋切り型としての「黒人男性のイメージ」が現在の差別につながっている。
>>303 自己批判が必要で自己嫌悪を抱えた自分を、どうやったら
肯定できるか考えているだけ。その肯定は主観的な思い込みではできない。
自己批判も自己嫌悪もないように見えるとすれば、その試みが
ある程度うまくいっているということだろう。
ID:FZy59lEb0 と同じ感性や同程度の成熟度をもっているなら、
問題はないかもしれない。しかし、それをすべての人間に期待することはできないよね。
そして、ID:FZy59lEb0 はある人間の感性の欠落と未熟さに責任をもつことはできない。
聡明なID:FZy59lEb0 にはできる区別ができない人間もいることを想定して
ものを考える必要がある。「俺は差別しない」「俺は傷つかない」は、
誰かを「差別させる」社会構造がある、誰かを「傷つける」暴力がある、と
いうこととは切り離して考えるべきこと。
>>305 801が現実のゲイに対して影響を与えるという考えが傲慢なんだよ
前提として女性が書いた同性愛的な創作物なんだから
仮に801の知識でゲイを差別する人がいたとしても
一般的な常識を持った人であれば相手にしないよね
それすら理解できない人への配慮が必要であれば
ゲイや差別に対する教育を徹底するべきであって
801者は「801はファンタジー」を徹底させるくらいしかないよ
歴史や未来と大層な事を言う前に
801者が801を通して現実のゲイについて語る・干渉する事が、
今を生きているゲイに対して、どれだけ失礼かという事をまず認識しなよ
ショワジールのやおい論争って、激しく平行線だったよね。
もううろ覚えだが。
ID:oAnWKbvn0は801者ではなく、騙りだと思っている。
>自己批判も自己嫌悪もないように見えるとすれば、その試みが
>ある程度うまくいっているということだろう。
全くの認識違いもいいとこ。
その「他人事」としての姿勢が、欺瞞を孕んでると思われてるというのに。
>>245 >「欲望される客体として世界の中心にいる私」
岡崎、桜沢、内田春菊 等これらのオシャレ漫画は、
何だかすごく「私とは人種が違うわー」と感じていた。その理由が、これだったんだなあ。
言葉にならなかった違和感が、今はっきりとわかったよ。
私は、フィクションの世界でまで「欲望される客体」になりたくないタイプなんだ。
>801それ自体が、見る、欲望する主体としての視線を獲得する作業
自分にとってはここが凄く大事で、欠かせない部分。
自分が欲望する主体になりたい。
>見る、欲望する主体である自己→見られる、欲望される客体である他者、という一方向の視線にのみ
>萌えが発生するのだろうと思うので、もともと男の特性に付随するものだったのでは
萌えをそういうものと捉えるならば、元々男性の特性に付随するものだったというのはわかる。
最近では女性も欲望する主体になりつつあるんだろうね。
>「欲望される客体として世界の中心にいる私」なBL
ってどういう物になるんだろうね。実際そういう作品ってあるのだろうか?
>>307 >一般的な常識を持った人
こういうひとばかりなら世の中に差別はないだろうね。
そして教育というのは「作品」を通しても行える。
テクストというのは教育するものでもある。
読者は読むことを通じて、気づかないうちに教育を経験をしている。
教育というのは教える側が一方的に学ぶ側に情報を伝達することじゃない。
どのように教えればよいのかがわからない側が学ぶ側とともに試行錯誤を重ねて、
ともに別々の何事かを学ぶ、というのが教育。それは作家と読者のあいだにもある。
で、私もゲイなんだ。ゲイではない同人活動やってる 801 者の友人、知人もいる。
前スレで話に出たけれど、801 がゲイカルチャーとクロスオーバーしていた時期があって、
私たちはそれを覚えている。さまざまなサブカルチャーが合流したところに
801 があった時代をね。現実のゲイと 801 者は「住み分け、絶縁する」以外のやり方で
共存ができるし、する必要がある。野村史子は 801 を書くことも含めて、
現実のゲイとのコミュニケーションを試みていた。アカーと関係があったと
前スレで教えてくれたひとがいたけれど、それ以外にも、AIDS関連のイベントに
協力したりだとかしている。彼女の創作とその活動は切り離せない。
創作の暴力を社会運動で償うということでなく、自分も萌えられるし、
ともに生きている周囲のゲイのひとたちにも読んで萌えはしないまでも
読めるもの、それを読んだあとでもともに生きつづけることができるものを、
書こうとしていたことは作品を読めばわかる。
それからどこまでいっても構造的暴力の客観的存在というのが、わからないようだ。
構造が存在するとき、気がつくと暴力をふるわされている、ということが世の中にはある。
高齢者に話しかけるときにわれわれの声の大きさと抑揚は幼児に話しかけるときと
同じになっている、というデータが存在する。これが高齢者の自尊心にどう影響するか、
ということが高齢者医療の現場で問題になり、コミュニケーションのあり方の
問い直しが行われる。
自分の声の大きさと抑揚を変化させるものが、この社会のなかに構造として存在する。
しかし、その自分の変化が暴力であり、差別であると気づいているひとは少ない。
そして、それに気づいたときにひとが行うことは、高齢者とのコミュニケーションを
遮断することではなくて、新たなコミュニケーションを試みることだ。
高齢者と自分とのあいだで言葉を通じての教育がなされると言ってもいい。
言葉や絵、音声や映像を通して行われるコミュニケーションにおける暴力、差別は、
当事者間のコミュニケーションを通じて具体的に克服、解消される必要がある。
>>310 それでいえば、「まなざされつつ、まなざしかえす」ところにも萌えは発生しているのでは?
801 それ自体が、見る、欲望する主体としての視線を獲得する作業であるという
>>245の指摘は妥当だと思うけれど、801 においてその視線を獲得する主体化のプロセスは
「まなざされる」こと、自分を「まなざす視線」を受け入れる、ということを含みうると思う。
相手から「まなざされる」ばかりだった自分が相手を「まなざす」ばかりの自分になる、
というのではなくて、「まなざされつつ、まなざしかえす」自分になるというのが、
オシャレ絵 801 であると考えられる。
それとは別に、
>「欲望される客体として世界の中心にいる私」なBL
は小説でいえば、野村史子の「レザナンス・コネクション」がそうではないかと思う。
主人公は陽子という女性で、プロローグで、彼女は了と真紀(まさき)たちをまなざすひとだが、
真紀にまなざされ恋に落ちてもいる、そして最後まで彼女が物語の視点人物になっている。
真紀に愛されたいと望む陽子は「欲望される客体として世界の中心にいる私」だと思う。
欲望される側であることを完全に客体とみなす感覚には
自分は同意できないかなぁ
欲望させることで渡り合うすべを持ってるわけだから。
>>313 全然違う。
たとえば、ヲシャレ漫画と一条ゆかりの漫画の違いが分からない?
一条の漫画の女主人公は、恋のライバルたち(時に男を含む)と男の獲得を争い、勝ったり負けたりする。
古典漫画の文脈の上に立つ一条の女主人公たちは、あくまでも行動する主体だ。
主人公は「男を獲得する」ことが目的であって、その美貌は目的達成のための手段として使われ、
「客体たることそれそのもの」が目的化することはない。
「レザナンス〜」の陽子も、一条の女主人公たちと同様、あくまでも行動する主体でしょ。
>>314 現実社会では、欲望される側であっても相手と渡り合うことができる
けど、フィクションの世界ではどうだろう。
受けも攻めも、創作者と読者に欲望される客体ではない?
>>316 フィクションの人物と実在の人間をその視点で測るのは
正直、無意味にしか思えない。
でも、フィクションであっても、完全な客体ではないと思うよ。
作家の力量が必要ではあるけど
読み手や描き手にとって
キャラクターが必要な記号の集合体ではなく
誰かを共感させうる個性をもった存在になれば
それが読み手に影響力を持つことはよくあること。
物語を読んで登場人物に感銘を受けて人生の進む道を決めた人なんて
それこそはいて捨てるほどいるし。
801を舞台にしていたとしても、
実力さえあればそれは変わらないと思う。
作品の形態を問わず、創作物に触れた時に感動するということは
すなわち創作物からの影響(働きかけ)を受けているということだから。
腐女子は優しいね
男の百合萌えなんか「ビアンを無理やり犯したい」ぐらい言ってるのに
しかも本物のビアンも住んでる板でさ
>>311 >私もゲイなんだ。
これまた後出しだね
ゲイといってもあなたは男なの?女なの?
>現実のゲイと 801 者は「住み分け、絶縁する」以外のやり方で
>共存ができるし、する必要がある。
自分の意見が絶対正しいと思ってるみたいだけど、
あなたはここにいる801者にもゲイにも理解されてないし賛同を得られて無いじゃない
私には他の人の意見の方がまともに感じたよ
他人の意見を受け入れずに、一方的な高尚ぶった主張をしてるだけにしか見えないよ
>構造的暴力の客観的存在
これもあなたの一方的な主張で、黒人差別の例が801とゲイの関係が当てはまるとは限らない
実際に801がゲイ差別の原因となった根拠も実例も無いよ
将来を危惧するにしても見当違いな解釈だと思う
人の意見もきちんと聞いてから考えてみなよ
>>317 創作物から何らかの影響を受けて自分が変容する事はいくらでもあるので
317さんのレスの内容そのものには異論は全くないよ。
私は欲望される側というのを「性的に」という意味で話してた。
下世話だけど。
フィクションの世界では自分が欲望する側に立ちたい、見る側に
立ちたいっていう思いがあるんだね。
で、801は登場人物どちらも、そういう自分の欲望の客体かなあと思ったの。
違うのかなあ。
>>320 現実の人間同士と同じ事は絶対に起きないので
どうしても空論になりがちなのではと思う。
ただ、性欲であってもやっぱり情動の一つだから
感動や共感が存在するのなら、
絶対に客体でしかない、ってことはないのではない?
姐さんが欲望する側に立ちたいという意識を持って見る限り
>801は登場人物どちらも、そういう自分の欲望の客体
っていうのは100%肯定されるし、
それは「登場人物は主体になりうる」というのとは両立できる。
自分にとって相手が客体である、ということと
相手にとって相手自身が客体である、ということは別だから。
客体としてしか求めていない層は存在するとは思うけれど
例えば読み手が物語やキャラクターに色気を感じて
劣情を感じたり心惹かれたりするのは
読み手が性において客体となっているいえるとも思う。
最後の行、修正しそこね orz
>客体となっているともいえると思う
の間違いです
>>321 >自分にとって相手が客体である、ということと
>相手にとって相手自身が客体である、ということは別
そうだね。私は一行目の意味でしか語ってなかった。
自分にとって、相手が客体であるという意味でしか。
>客体としてしか求めていない層
そして自分はどっちかというと、読み手としてキャラや話から
何らかの感銘を受けたいタイプです。
それがない話には魅力をあまり感じない。
ということはその時は客体となってるとさえいえる、
客体となることが好きな層だともいえるんだね。
わかりやすく説明してくれてありがとう。
>>315 まなざしの交錯の話で、「行動する主体」ということではなく、
物語において、他者にまなざされる、他者をまなざす、ということで
「視線の客体」「視線の主体」と
>>245さん、
>>310さんは言っているのではないの?
岡崎京子の『Pink』のことを考えたわけね。あれはワニを飼うために
昼はOL、夜はホテトル嬢をやってるユミちゃんが主人公で、
客の男性を手玉にとっているということでは
>>314さんのいうように
「主体」でもある。でも、まなざしの話をすれば、彼女は
自分が客の男からまなざされ欲望される「視線の客体」
「視線の対象」であることを知っているし受け入れている。
それでも物語の中心にいて、相手にまなざしを返しつづける
欲望する「視線の主体」でもあり、ワニを飼いショッピングをし
旅行をし恋愛する。モノローグは彼女のだよね、あれ。
男を値踏みするモノローグもあったような記憶が。
岡崎京子が
>>245や
>>310で例として挙がるのであれば、それに類似したものは
レザナンスかな、と思っただけなので、別に違っている、というのであれば
それはそれでかまわない。
ちなみにあれは、Newパンチザウルスという男性向け漫画雑誌に
新田たつおや山上たつひこの漫画なんかと並んで連載された。
つまり想定された読者は男性。
岡崎さんは漫画ブリッコ、パンチザウルス、スコラコミックなんて
男性向け雑誌に描いていたのから、フィールヤング、
ヤングロゼといった女性向け雑誌へと移動する。
245=315ですが何か?
視線においても、一条漫画の主人公(「レザナンス〜」の陽子も)は違うでしょ、という話してんだが。
一条漫画の主人公は単なる主人公であって、
読者にとっては感情移入先でもあるので、客体ということにはならない。
ヲシャレ漫画というのは、女性雑誌のグラビアのような文脈で描かれてるわけだから、
欲望であれ羨望であれ、読者のまなざしによって全ては規定される。
で、「レザナンス〜」の陽子に欲望したり羨望のまなざしを向ける読者がいるの?
そもそも陽子の主な役割は、狂言回しじゃん。
岡崎京子語るのに、何で「pink」のような古い作品持ち出すかね、と思うんだが、
さわらぎのい(漢字出ねーや)が「pink」について詳しく書いてたんだっけ?w
漫画っつーのはそーやってお勉強するものじゃないし、基本的に時代の気分を反映するものだから
リアルタイムで読まないと分からないこと多いよ。
んで、「pink」は連載中に男の識者によって「これぞ新時代の女像!」だとか絶賛されたんだけど、
意地の悪い岡崎さんは単行本化に際して、悲劇的な結末の最終章を描き加えましたとさ。
でも、水槽の中でガラス越しに起きてるような悲劇なだよね。
水槽の中で綺麗な熱帯魚が悲惨な状態になってるの見てる気分というか。水槽越しの「見られるための」悲劇。
そういうへんてこな感触が、「pink」という漫画。
>>325 岡崎さんの漫画はリアルタイムで読んでいる。『Pink』のあとがきで
「すべての仕事は売春である」というゴダールの言葉の引用があるけれど、
あの単行本の結末はゴダールの初期の映画のラストの引用だとどこかで
本人も言っていたような。確かに、『軽蔑』のラストなんかを思い出させる。
>読者にとっては感情移入先でもあるので、客体ということにはならない。
ユミちゃんには感情移入できない? 私はしたけどなあ。感情移入できるかどうかと
読者も含めてのまなざしの主体、客体とは別だし、メデューサのまなざしが
相手を石化させるように、まなざしによる客体化、主体化という変化として
考えた方がいいと思う。物語の内外において。
『勝手にしやがれ』のラストでジーン・セバーグにまなざされて
たじろぐ観客はいるんで、物語のなかから読者を客体化させるまなざしが
発せられることもある。なので、
>欲望であれ羨望であれ、読者のまなざしによって全ては規定される。
は、岡崎さんの漫画についてこれはどうかなあ、と思う。
読者のまなざしがすべてを規定しているわけではないから、
あの単行本の結末が描けた。男の識者の欲望するまなざしを無効にしているよね。
だから「意地悪」でもある。むしろ、メデューサのまなざしで凍りつかせている。
まなざし、というのは必ずしも生きている人間が生きている人間に
注ぐものではなく、人間以外の生物やもの、出来事などの非人称のまなざし、
というのがあると思うんだよね。目をそむけたくなったり、逆に、
魅入られ目が離せない、ということがある。『Pink』のあの出来事(わかるよね?)は
男の識者のユミちゃんを欲望するまなざしをはねかえし、メデューサのまなざしで凍りつかせている。
たとえば、
>でも、水槽の中でガラス越しに起きてるような悲劇なだよね。
>水槽の中で綺麗な熱帯魚が悲惨な状態になってるの見てる気分
これは、そうした出来事の非人称のまなざしに魅入られ目が離せなくなっている、と
いうことではない? 読者としての自分をあくまでまなざす主体としてしか考えないなら、
>>325さんのいうような表現になるのはわかるんだけど。男の識者に「見させる悲劇」ではない?
サルトル的なことを言いたいのか?
もっとマシな日本語を書けないのか?
他人のレスを勝手に解釈して否定するし、
ゲイの人のレスも突然完全無視してるし。
自己肯定しかできないのかこの人は。
>>327 ひょっとして、古典的文脈の漫画とヲシャレ漫画の区別がついてない人?
私は、一条ゆかりの漫画を読んだことのない女は少ないだろうと考えて、分かりやすい比較のために
「男に欲望されるいい女を主人公に据えた、古典的文脈で描かれた漫画」の典型例として一条の名前挙げてるんだけど
あなたはどうやら一条漫画読んだことないみたいだね。
まー一条て、アカデミズムで取り上げないもんね。
で、漫画について詳しくないならROMってるという選択はないわけ?
何でID: yFB1YLj00は勝手にID: XbdhdoOg0を少女漫画の土俵に上げて
勝手に「〜な人?」と認定してあげくに黙れとか言っちゃうんだろう。
長文のID: XbdhdoOg0よりも、自分はそっちの方が気になるよ。
少女漫画の論の延長線上にやおいが出てくるものだとしても、
自分の得意分野に引きずり上げて煽るやり方は卑怯じゃないか?
一条ゆかり程度で、詳しいも糞もないだろうと思うのだが如何
つーか、誰にでも分かる例として提示したはずのものを、全く分かってもらえず
話が堂々巡りしてるのはよろしくないと思うんだがどうよ。
>>331 姐さん、主張や意見そのものに違和感があるとか
納得できないとか、反論があるのはともかく、
煽り口調は止めた方が良いと思うよ。
煽り口調になったのは悪かった
まあ長文レスの人も、他人をバカ呼ばわりしたり
上から目線の発言を散々してきているわけで
どっちもどっちですな。
長文の人は具体的なことも言わないし、都合の悪いレスは無視するし
一方的に啓蒙してるけど、的外れな感じで何が言いたいか分からない
責任を取れと言うなら、SS一本書いて説明した方が早いんじゃない?
長文カムアウトの人は、今後もこのペースで投下するのであれば
トリップつけて欲しいんですが…
>>331 245さんだよね?
>「欲望される客体として世界の中心にいる私」なBL
私はこの言葉から、BLに登場する女っていう構図じゃなくて
攻めか受けが、「欲望される客体として世界の中心にいる私」に
なっている話だと思ってたのだけど、
BLに出てくる女の話だったのかな?この流れ見てると。
>>337 801に出てくる女は想定してなかった。
しかしなぜか「レザナンス〜」の陽子を持ち出す人がいて、それは関係ない、ということを説明するために
比較対照としての一条ゆかりを持ち出して、話がこんがらがってたとこ。
>>338 そうか。私もレザナンスは読んでいたけど、どうも陽子とオシャレ漫画の
女性主人公達との共通性がわからなくて混乱してたとこでした。
ここ数日というもの、長文レスの文章にムカムカさせられながらどこまで踊り続けるのか、楽しみにロムしてるよ。
ところで「ゲイじゃない」がホモ嫌悪なら、ゲイとして登場した人物が、複雑な家庭環境を経て育ってきていること、
例えば母親が男を次々と連れ込んでいたり等という過去の記憶とそれに対する彼の嫌悪感やトラウマを描いたりすることによって、
なぜ彼がゲイになったかをほのめかすようなBLもたまにあるけど、それについてはどう考えるんだろう?
何々だからゲイになったと殊更に理由付けしたがることは、ゲイという存在をはなから普通とは違う異常なもの、トラウマによってなるものだと決め付けているような感じがしてあまり好きじゃないのだが。
こういう描き方もホモ嫌悪になりはしないかな?
なるべくなら、長文レスの人以外の意見が知りたい。
>>340 それって、そのキャラに限ったトラウマであって、
全てのゲイがそうだと言ってる訳じゃないよね
「ゲイじゃない」も、今の世の中で自分がゲイと気づいてしまったら
自分の中の性を否定する人がいるのも当然
例えばゲイの人に対して明らかな嫌悪感を持つのはホモ嫌悪だと思うけど、
自分の中の性に対する否定は男女問わずノンケにだってありえる事だし、
特別異常な感情でもないんじゃないかな
>>340 個人的には、801の中で描かれる人間関係と現実のゲイは全く別物だと思ってるよ。
女が女の肉体を持つことの煩わしさから逃れるためのファンタジーが801であって、
801者が、ことさらゲイに共感したり、理解者ぶるのは傲慢だと思う。
ただ、だからといってゲイ差別的な表現が積極的に許されていいとも思わないし、
無意識のうちに出てくる自分達のゲイ差別表現みたいなのには、
逐一自覚していくべきなんじゃないかな。
物語のリアリティを得るために、ゲイを描き、その生い立ちとかを描写するのは
どうなんだろね?そこは作家の力量で変わってくるのかなあ。よく分からない。
>>340 どういう経緯で同性を愛するようになったかは
色んな人が居るはずだから、
物語でそういうほのめかす描写があったとしても、
それは、そのキャラクター個人が
同性愛という性癖を持つに至った過程についてのことであって
ゲイ全てについて病理として語ってると感じるのは
ちょっと早合点のように思うかな。
例えば、100作品ほどにゲイや同性愛のキャラを登場させて
すべてがそういう描写なのなら
それは描き手の偏見と見られても仕方ないけれど。
一作品でも許せないというのであれば、
同性愛者が登場する作品すべてのゲイが
性環境において、一点の曇りもない人生を歩んでいないと
許されないことになってしまう。
それは逆に、性環境において傷を負ったゲイの存在を
完全否定する事でもあるのではない?
傷のある人も、ない人も、生まれ持った性嗜好で同性を愛する人も
後天的に同性を(も)愛するようになった人もいるだろうし。
性嗜好じゃなくて性指向
そんな白黒はっきりつけなきゃダメなのか
なんでこんな断定口調なのかわからない
ゲイは必ずしも「なる」ものではないと思うけど、
長文のひとはそう思ってる節もあって
そっとブラウザを閉じたくなる
今と昔の対立(よくもわるくも)じゃスレもたないだろうとは思ったけど
なんで匿名掲示板でここまで熱心になれるんだ…
と更新合間に眺めに来て思いました。
>>340 描き方だと思う
たとえば腐女子が登場する作品に、男にイタズラされたトラウマのせいで
現実の男が嫌いになり、腐女子になりましたって描写があったら、
それがすべての腐女子を生んでるみたいに書かれてたらおいおいと思うけど
そのキャラの場合はそうでした、というスタンスだったらそういう人もいるかもねで終わる
それと一緒じゃない?
でも、その作品自体のメジャー度にもよるかなあ
801が好きな人には「男だからいい」という人と「女じゃないからいい」という人がいるでしょう。
後者は女でさえなかったら男じゃなくてもいいわけで、
でも女じゃないなら男しか残らないから男×男にするわけだ。
(もし人間に男・女・▲と三つの性があるなら男×▲でもいいかもしれない。)
ちょっと乱暴な説明かもしれないけど、まあそこは許して。
そういう人にはゲイフォビアとやらはあるのだろうか。
そういう人はあんまり実際のゲイには興味ないような気がするけどどうだろう。
>>347 そこに+で
「性別自体どうでもいい」というのを足して欲しい
自分が心惹かれる関係があれば
男同士も女同士も男と女でも、なんでも好き。
801だから好き、じゃなくて
801も好き、になるのかな、この場合。
>>347 その場合、男でも▲でもない女が、自分と無関係な男×▲を想像で描いたら
本当に▲が好きな男(男が好きな▲)から見たらどう思うかって事になるのかな?
中の男(▲)に「本当は▲(男)が好きではないんだけど」とか言わせる心理はなんだろうって事じゃないの?
女の側にフォビアがあるかどうかは別にして、
見た方は「じゃあ▲(男)が好きな自分って…?」と思う可能性もあるという話ではないかな。
まあ女の妄想だから本気にすんなよで終わる話だけど。
てかややこしいw
商業801では女体化って出てきてるのかな?
同人801では、以前に比べて女体化が多くなってきたような気がする。
といっても、「もともとは男(無性?)である人間」が女体化するわけだから、
本質的に801だっていうことに変わりはないんだろうなと思うけどね。
百合萌えスレで「ふたなりと百合は違う」派の声が大きいのと似てるね。
私もTSものと同性愛ものは別物だと思ってる。
でも「男でも女でもないキャラ」「性指向を超越した愛」を
801に求める層には、女体化はうってつけの題材なんだろうな。
女体化に拒否感や嫌悪感を感じる人はいるだろうなとは思ってたけど、
「女体化と801を同じにしてスンナ」
「女体化は女体化というジャンルであって801ではない」
って人もいるんだね。
>>351苦手スレ
まあ私も好きではないけど、801と一緒にすんな!とまでは思わないけどなあ。
801の中にも好き・嫌いがあるし、地雷もあるだろうし。
もともと肉体的には男である受が女体化するわけだから、
愛される前提に「女の肉体を持ってる」があるというわけではないんだよね。
(男の時は攻に見向きもされなかったのに、女体化してから
いきなりモテて愛される女体化モノってあるのかな?)
ああ、「最初っから受けが女」っていう設定の女体化もあるのか。
女体化って801に昔から感覚としてある
「(男が男にやられることで)女にされる」「女になる」を
素直に、あるいは逆転してポジティヴに表現してるんだと思ってた
あとは、重要なのは受けがそのキャラ(外見、設定)であることだから
セックスの際の肉体が女の形でも、それはもう801化デフォルメの一種みたいな。
これは二次創作じゃないとなかなか成立しないと思うけど
あとNLって何?
初めてきいた
リンク先のスレ見てもとくに解説ないんだけど、同人用語?
BLがボーイズラブ、MLはメンズラブ、GLがガールズラブ、
NLでノーマルラブ。
つまり、男女カプ。
やっぱりそうか……ノーマルラブ=男女カプってなじめないというか、いやな感覚だな
ここの考えるスレでも男女カプを「ノマ」「ノマカプ」って言う人が何人もいて違和感あった
ゲイの人が聞いたらうんぬんではなく、個人的に、
ある組み合わせがノーマル、健全と当たり前に考える感覚が好きになれない
そういう思い込みから離れた世界が801じゃないかと思うんだけど
以前は二次創作限定用語だった気が<ノーマル
キャラの関係や性指向を捻じ曲げて捏造する(=ノーマルではない)801に対し、
原作で恋愛関係にある男女をそのままの設定で描いた二次創作=ノーマル、と言う意味であって
別に801=ゲイ=異常、男女=ノーマル・健全、と言う意味ではなかったと思うけど。
>>358 レス内容には同意だけど、
ノマって表現は男女カプの人たちが自称し始めた用語だから
801板で不満を漏らしても仕方ないけどね。
どんな年齢制限かかるような内容でも男女であれば
健全ですと言い切る人も男女カプには少なくないし。
>>360 801・男女両刀の人が「こっちは801、こっちはノーマル」と自称し始めたのが最初じゃなかったっけ?
「腐」と同じく、801者の自虐が込められている感じがする。
>>361 ノマっていう自称は
同時発生的に増えていったから
腐と同じで厳密にここが基点とは言いづらいけど
アンソロとかで同人=やおいっていうようなイメージが出始めた頃に
「パロだけど801じゃありません」っていう主張を込めて
使いはじめたトコが多かったように思う。一気に広がったし。
自分の周囲のやおい嫌いの男女カプの人は
喜んで飛びついてた呼称だったから、余計そう思うのかもしれないけど。
>>359 その場合、原作で恋愛関係にない男女カップリングは「ノーマル」ではないことになるけど、
実際は、男女であれば、原作の関係がどうあれ「ノーマル」と呼ばれているように思う
逆に
>>360の推測が当たっていて、男女者が自称しだしたのなら、
ずいぶんと無神経な話だと思うが
たしかにそれなら801板で愚痴ってもしょうがないね。
>>361 自虐だから言葉に鈍感でもいいよねってことはないと思うんだけどね
つか「腐女子」にしてもそうなんだけど、意味のない自虐自体がいやだ
>>359と
>>360はまったく逆のこと言ってるけど、どっちがほんとなんだろうね
>>363 厳密に誰がいい始めたのかはわからないから、
両方事実かもと思うよ。
ネットすらまだ普及してない時の言葉だし、
男女カプ扱ってるサークルがミケのサークルカットで
ノマカプやってますと書けば、
男女カプをノーマルと表記したい人たちにそのまま伝染したりする。
その場合、一体最初に使った人がどういう意図で使ったかは
一切伝わらないしね。
自分の場合は周囲で使い出した人の例を見てそう考えたけど
>>359さんの周囲でノマと使い出した人は
原作どおりという別の意味で使ってた可能性もある。
法律や規範じゃないから、大元が一つとは限らない。
でも、異性愛者を「ノーマル」と言う事って
一般社会でも多様されてるよね
別に同性愛の存在を否定してる訳じゃなく、
単純に普通の(ごく一般的な)性指向という意味じゃないの?
受け取る人、使う人の意識によって変わってくるけど
ノーマルって表現自体は、「普通が正しい、それ以外は悪だ」
と主張してる訳じゃないんだし
個人的にはノマよりも、801者が使う「リアルゲイ」という言い方の方が気になる。
現実の世の中では「リアル」の付かないただの「ゲイ」の方が一般的なゲイ認識なのに、
801の側では「リアルでないゲイ」の方がスタンダードになっていて
現実のゲイの事を「リアルゲイ」とわざわざ「リアル」を付けるべき存在になってるんだな〜と。
「あのふたりがホモだったらいいのに」と
「本当にホモだったらイヤだな」との間でゆれる腐女子が浮かんで来て興味深い。
>>365 あるものをノーマルと規定するとき、無意識のうちに
その対立概念はアブノーマル、と規定する作用が働くからでしょ。
私もノマ、ノーマルという表現には、不快感を覚える。
>>366 リアルゲイに違和感あると言ってる人は、ゲイという概念の亜種、サブカテゴリとして
リアルゲイという言い方がある、ととらえてるみたいだね。
私は、ファンタジーゲイの対立概念としてリアルゲイという言い方があると認識してた。
腐にも色々いるからね
801好きな時期と801なんて気持ち悪いという時期を
行ったり来たりしてる友人が居るけど
端からみてると不思議
801が好きかどうかわからないまま
好きなのかどうか確かめるために801読み続けてる友達も居る。
>>365 ノーマルって意味は「一般的」「多数派」ではなくて「正常」「標準」でしょ
「これが正しい状態」というニュアンスがはっきり含まれてるよ
同性愛の否定というより、自分=正常(他は異常)とあっさり受け取る感覚がいやだ
同じことをゲイや801者が言っても、やっぱりいい気持ちしないと思う
しかも同じオタク内のカテゴリ分け、フィクションのジャンル表記なのにと思うと余計に微妙
フィクションの選択の仕方にまで、正常異常を持ち込まれたくないよ
>>371 いやオタクだからこそ瑣末なカテゴリー分けに必死になるんじゃない?
そういや「ノーマル」という表現が一般化する前は
「健全(健全本)」っていう言い方してたよなー
その言い方に
「801じゃありません、私は健全な性志向です」
というニュアンスが感じられてなんとなーく不快だったものだが
>>370 確かにノーマルって言葉には正常って意味があるけど
普通というニュアンスも含まれてて、そこにポイントを
置いてるんじゃないのかと言いたかった
(正常も異常を否定する言葉では無いから)
確かに適切な言葉では無いし、
気持ちのいい表現じゃないよね
>>372 健全本ってエチーのない同人誌のことじゃなかった?
エロじゃなかったら健全っていう発想もなんだかなあ(二次で)
原作を歪曲して妄想してることに変わりはないし
>>373 あるカテゴリに属する人達と属さない人達がいて、
いっぽうが、自分たちのカテゴリを正常、普通と当然のように位置づけ
そうでない側を異常、普通でないと言外に否定していることに気づかないのなら
それはやっぱり鈍いと言われても仕方ないと思う
想像だけど、801嫌いの人達が「ノーマル」という言葉にぱっと飛びついて広がったなら
そこには801嫌悪、否定の気持ちが少なからずあったんじゃないかなあ
べつに嫌うのは自由だけどさ
男女=健全ていうのも変だよね
でも健全は、エッチなしの意味だと自分も思っていた
男同士でも男女でも、子どもに読まれてもとりあえず問題ないみたいな
基本、健全はエロなしの意味で使われてると思うよ。
私が上で書いたのは男女なら健全だと言い張る人も少なからず居る、
という事だから。
>>374 あ、そうかも
「健全ギャグONLYです☆」みたいに使ってたもんね
要は「801じゃない、801はありません」っていう
意味合いが強い言葉だと思ってた
元々ゲイでない男キャラ同士をくっ付ける行為は全くノーマルとは思えないけどなあ。
すっごく、とっても、滅茶苦茶アブノーマルとも思わないけど。
>>379 ナマを例に挙げるが、
本人ヘテロのナマ同士を801カプにして創作するのと、
本人がゲイであるナマで801創作するのでは、
その失礼さも含めて、何も本質的には変わらないと思うんだが、どうかね?
>>380 まあ、そうなのかもね。
他人の恋愛やセックスを想像してそれを表に出すこと自体が下世話な行為かもしれない。
それで言えばどっちもノーマルさ(又はアブノーマルさ)で差は無いか。
しかし私が思ったのは、客観的に失礼かどうかじゃなくて
「そんな妄想をする自分はおかしいのじゃないか?
見るからにフラグ立ってるこの男女で妄想する方が素直じゃないか?」
みたいな、内面的なこと。
萌えるのに一旦ねじまがった解釈をする必要があるってあんまり素直な感じがしないんだ。
>>381 どんな解釈しようが自由じゃないか
そんなところで正常と異常の線引きなんかされたらたまらん
話変わるけど、第三者に801を「気持ち悪い」とか言われた時に
キレる801者って何なんだろう
「他人の趣味なんだから放っておいて」って気持ちは私にもあるし
否定・攻撃されて当然とは思わないんだけど
キレてる人を見ると何か違和感がある
キレるかどうかは801ものかどうかとは関係ないよ
どんな趣味にだって、悪意をはっきり表に出されれば怒る人は居る。
いや、そういう意味じゃなくて
801って第三者が見て不快になる可能性がある特殊な趣味じゃない
801のコミュニティに乗り込んで難癖つけられてるなら怒るのも当然だけど
今は第三者が偶然目にしちゃうことも多い状況で
それ以外の場所で801を語る人も多いよね
801を否定されてキレる人は、そういう特殊性の認識が薄くなってるのかなと
多いよねといわれても
そんな人多いと思わないので
気のせいじゃないのとしかいえない
まさか2chの印象とか言わないよね?
話の趣旨とは違うけど、テレビでも腐女子特集やるくらいだし
ネット以外でも801について語る人は多いです
それは801好き以外が801について語ってる事が増えてるだけじゃない?
話の趣旨がよく見えない
801を否定されてキレるというからには
801好きが801好きでない人の前で801を語って
否定されて切れる人が多いよね、という前振りからは
全然繋がらない説明だと思う。
修正ミス
>否定されて切れる人が多いよね、という前振りからは
じゃなくて
>否定されて切れる人が多いよね、という前振りだと思うけど
元レス読み返してみたけど
801を語る人が多いよね、という文章と
否定されて切れる人は特殊性の認識が薄いというのとが
上以外の解釈だとどう繋がるのかわからない。
>>388 801者以外が801を否定的に語る事について、キレる801者という事でしょ
それ以外の場所は、801コミュニティにかかるんだよ
どういう場面でキレてるのか分からないけど
直接キレてる訳じゃなければ、単に愚痴りたいだけじゃないかなと思う
私も職場の人が腐女子・やおいって気持ち悪いねって話をしたとき、
「気持ち悪くてすみません」と思うけど
「人の趣味にケチつけんな」とも思ったし
ネットとかだと直接キレる人もいるけど、
それは個人差というか厨なだけだと思うw
801好き同士の会話で、
マスコミとか適当なこと言うのムカつくよねって
愚痴ったり怒ったりするのは、多少キレ気味でも仕方ないし
別にスレに取りあげて
違和感に同意を求めるような事ではないと思ったから
それ以外の意図だと思ったんだけど、まんまなのかな。
それならただの愚痴だと自分も思う。
801が嫌い、興味ない人に批判されるより、
801に興味ない、よく知らないやつが、変にメディアなどで801持ち上げるほうが
余程薄気味悪いと思うのだ。
そんな噛み付くような書き方しなくても…
別に噛み付くような書き方はしてないよ。
>>391のどこが気に障ったのかはわからないけど
そんなつもりもないし。
横だが、
>>391は噛みつくような書き方には見えんが。
反論=噛みついた、という定義なら、しょーがないが。
反論といえば、ここだったか考えるスレだったかで、反論するときには
「あなたの考えはそうなの?うん、分かる分かる。
それでね、私の考えは、あなたと違ってこうなの。
でも、あなたの考えを否定するわけじゃないのよ」
という風に書くべきで、そうじゃない書き方は失礼だ、
とか言ってる人がいて、非常に驚愕した。
>>395 ちょっと攻撃的に感じたんだけど
そんなつもりがなかったのならごめん
場所をわきまえずに語ったり、むやみに感情的になってキレる態度が嫌がられるのは
801話に限ったことじゃないと思う
普通に人としての常識でしょ
そういう、外に出す態度の問題はべつとして、内心の問題だけでいえば
自分は801が万人に受け入れられるなどとはまったく思っていないが
「キモくてすみません」のようにみずから卑下してしかるべき趣味とも思っていない
前に、昔の漫画はことさら同性愛に悩む描写はなかったという話が出てたけど、
そういう漫画を読んで育ったせいもあるかもしれない
70年代の少女漫画は、男同士の関係を、危険だが、美しく魅力的なものととらえていた
イブの息子とか、木原敏江とか岸裕子のそれ系の漫画とか、
もちろんそれに否定的なキャラも出るんだけど、結局は美の前に無力か敗北する形だった
「翼あるもの」も、嫌悪する読者のことは想定しつつ、作中では、男同士であることは
否定も肯定もされてなかった
詳しくないけど、こうした美化は、昔から、漫画以外の表現でもあったと思う
この美化自体に批判も当然あるだろうけど、批判のほうが正しい見方だとは思わない
801コミュニティってどこからどこまでを指すんだろう。
2ch(&関連板)内で例えると、801板は間違いなく801コミュニティだし
漫画アニメゲーム芸能系や文芸系の板は間違いなく801コミュニティではない。
では同人板は?
同人板住人の大半は801者だろうけど、同人=全て801ではないし801者ではない同人者も同人板には当然居る。
でも同人板では801話が当たり前のように行われているし、誰かが801キモイと言おうものなら袋叩きだよね。
なら同人板=801コミュニティで、同人板で801に難癖つける人=801コミュニティに乗り込んで難癖つける人、なんだろうか。
あそこが本来は同人全般を扱う場であって、801専門の場ではなくても。
801者は自己卑下しなくてもいいと思うけど、積極的に誇るのもなんか違う気がするな。
801に過剰にアディクトしたり耽溺したりするのは、
その人にとって危険なことなんじゃないかと思うんだ。うまく言えないけど。
人間対人間、一対一の究極の愛を多くの801は描いていて、
801の物語の中にいる間は、客体である自分とか、ジェンダーの傷とかを
忘れることができるので、一時的には「救われる」んだけど、
リアル世界ではそういう問題はなんら解決されておらず、不可避的に自分に付いて回る。
「801は現実逃避のファンタジー」という言葉に反発する801者が多いけど、
多くの801者にとって、801が現実逃避のよりしろになっていることは事実なんじゃないかな。
(「だから801は下らない」と言いたいわけではないです。
自分も801がどうしても必要な者のうちのひとりだし。)
それにしても801には中毒性があるというか、その世界に陶酔してしまうと
現実の何もかもがどうでもよくなってしまいそうで怖い。
>>401 >「801は現実逃避のファンタジー」という言葉に反発する801者が多いけど、
>多くの801者にとって、801が現実逃避のよりしろになっていることは事実なんじゃないかな。
言葉に反発してるんじゃなく、自分にとってそうじゃないから何度も異論を述べているのに
なぜ強引に自分の結論を事実だとするのかわからない。
あなたにとって現実逃避=多くの801者にとって現実逃避、じゃないでしょう。
誰しもが、つねに現実を優先して生きてるわけじゃなく、そうしなきゃいけない理由もない。
そもそも何をして現実というかも曖昧だって話も何度も出てる。
そういう観念的なところを離れても、態度じゃなく内心の問題なんだし、
ハマりたての厨房ならともかくいい歳の大人なら、どう現実とバランスをとるかは
個人の状況、それぞれの判断でいいと思う。
>>402 ???
別に私は断定もしていないし、自分の考えを述べてるだけだけど。
>そもそも何をして現実というかも曖昧だって話も何度も出てる。
二次元と三次元は別物だよ。脳内恋愛とリアル恋愛も別物だし。
あなたが現実より妄想を大切にするのは自由だけど、
「何をして現実というか曖昧」って、なんかおかしく感じるんだけど・・・
現実逃避という言葉がそんなに気に入らないの?
>>403 姐さんは801好きの多数派の例が結局自分でしかないから
そういう事を突っ込まれるんだと思う。
毎回現実逃避って言葉を使う同じ人のような気がするけど
801に耽溺しない人、
801に現実逃避を求めない人の多寡を
完全に無視した状態で
多くの801好きは〜、と語ろうとするからでは。
>それにしても801には中毒性があるというか、
>その世界に陶酔してしまうと
>現実の何もかもがどうでもよくなってしまいそうで怖い。
こことか、結局自分が感じる恐怖が根っこにあるのに
801者は〜みたいに十把一絡げにしようとするから
反感もたれるんだと思う。
>>403 あなたは、現実=真実、フィクション=嘘っこの世界、と勝手に定義して、
その考えに沿わないやつは馬鹿だ、と決めつけてんじゃん。
あなたのような二元的な考えが有効だったのは近代までで、現代人はもっと複雑な世界を生きている。
近代人たる乱歩が、「うつし世は夢 夜の夢こそまこと」と言ったとき、それはその時点では異端だったけど
もはや何が現実だか分からなくなってる現代においては、既に普遍的な感覚とも言える。
我々は、この現実を感じ取っているはずの「私」の五感は電気信号で成り立ってるに過ぎない、
という理論的裏付けすら手に入れてしまっている。
>>403 現実現実というけれど、仮に801へ傾倒して問題から逃避していたとして
その逃避行動をとっている部分までを含めてが自分の現実ではないの?
それにあなたが使う現実逃避という言葉からは「現実と向き合えずに目を瞑り
何一つ解決行動をとらない者」というニュアンスを感じる。
>リアル世界ではそういう問題はなんら解決されておらず不可避的に自分に付いて回る。
>現実の何もかもがどうでもよくなってしまいそうで怖い。
特にこのあたりから。
あなたがどうなのかは知らないけれど、他の人にとって801が逃避なのかはわからないし
逃避をすることが必ずしも行動を怠った問題回避でもない。
あなたの指す問題をどこまで解決(=それは具体的にどうこと?)するかは個人によって違う。
また解決しなかったからといって、あなたがいっているような視点から責められるのは
ちょっとおかしいと思うよ。
まあぶっちゃけ、何かに入れ込むことを独断と偏見で現実逃避と呼んでいるだけだね
と言うか何から逃げる必要があるんだろう?
別に今、逃げたいこととか特にないんだけど
仕事もそれなりにうまくいってるし、交友関係も別に問題ないしなあ
気掛かりなのは某作品のアニメ化が延長になるかもしれないってことぐらい
でもなんとなくわかるよ
コミケ行くと小汚い女多い。
中古同人屋で脇目ふらず物色しまくってる女も。かもし出すオーラがコワイ
小汚いとかはともかく、
同人専門店で本を漁ってるのまで気になるなら
気にしすぎだよ。
飲み屋にいってここ酒臭いとか
カラオケ行って気合い入れて歌いすぎとかいうのと同じじゃん。
現実逃避というと、散らかりまくった部屋を内心片付けてないとと思いつつ
まあそれはそのうち、と部屋を見ないようにしながら801本を読むようなイメージ。
片付けの合間にちょっとだけ801を読んでまた片付けに戻るなら
現実逃避とは言わない気がする。
ここで403を批判してるのは後者か、普段から部屋を綺麗にしてて
部屋の片付けてになんて思い煩わず悠々と801を読んでる人かな。
部屋は散らかりまくってますが何か?
>>410は何か話の本質を外してるような気がするんだが。
現実逃避にネガティブイメージしか持ってないというか。
現実逃避にポジティブなイメージはないよ
ポジティブにいいたいなら、息抜きとか気分転換って言葉がある。
森茉莉は最後は、散らかりまくったど汚い安アパートで
ドッキリチャンネルなど書きながら野垂れ死んでいくわけだが、
あの最期を、哀れと思うかカッコイイと思うかの違いかな。
私は、森茉莉の最期は、カッコよかったと思うのだ。
なぜなら、心は最後まで何者にも支配されぬ、貴族だったからな。
哀れと思う人は、それを現実逃避(ネガティブな意味での)と思うのだろう。
現実逃避って言葉自体に、
ポジティブな意味なんて最初っから含まれてないって意味ね。
>>401 > 801者は自己卑下しなくてもいいと思うけど、積極的に誇るのもなんか違う気がするな。
うん、自分もこのスタンスでいいと思う
オタクってとにかく極端な人が多いのは事実じゃない?
極端に居丈高だったり極端にナイーブだったり極端に攻撃的だったりして
(だからオタクなんだという気もするけど)
「卑下はしないがおおっぴらに言うことも無い」
というのはオタクの中では特殊かもしれないけど
自分はそれが一番801者には合ってると思う
現実逃避って言葉、自分は全然違和感ない。
気分転換で現実逃避してる感覚。自分の場合
ネガティブイメージ云々言ってる人は、キモイって言われてもキレる人なんじゃない?
ホントにフィクションに真実を見いだす孤高の人は、どんなに嘲笑されても
何も感じないし言わないでしょ。
ましてや“現実逃避”程度のネガティブな言葉使われたくらいで。
宝石で飾られた奴隷であるより、
散らかり放題のボロアパートでも心は貴族でありたいと思うのだ。
だから801やってんだし。
しかし、宝石で飾られた奴隷であることを是とするような801も昔からあるので
そのへんの感覚は、人によって結構違うんだろうな。
森茉莉ってそうだったのか…
なんか希望出てきたワーイ\(^o^)/
ちなみに汚部屋を見殺しにしてBLに逃避はできないなあ。
むしろ映画館に行く時みたいな「さあ、見るぞ(読むぞ)!」みたいな感じ。
もちろんあくまで自分の例なんだけど、動機は人によってさまざまだよね。
他人の動機なんかいちいち気にしてたらやってらんないよ、BLに関わらず。
と思いつつ、前からの流れを見ていると
何かに入れ込みすぎている自分に恐怖を感じて、
その入れ込みようにバランスを取ろうとするところまでが楽しみの範囲って人も
いるんじゃないかなと思った。(本人の無意識下で楽しんでるってことね)
そういう人は永遠に自分とのバランスを取っていればいいんじゃないかな。
昔の自分がそうだったからなんだけど。
今は
>>401さんの言ってるようなスタンスに近い。
過剰にびくつくこともおおっぴらにすることもない。
間違えた
>>415さんの言ってるようなスタンスに近い、だ…
ある人にとって、801が、あるいは創作に触れることが現実逃避か否かが、
部屋が散らかってるか片づいてるかで決まるわけないじゃん
服装なんかでも決まらないよ
もはや古株と最近の違いという問題ではないだろうが、
ここまで話がつうじないことにびっくりだ
>>413 私の部屋は片づいてるけど森茉莉の最期はかっこいいと思う
なかなかそんなふうにはなれないけど
私は誇りたい人は誇ればいいと思うよ。
「801は現実逃避の、よくない趣味。なのに誇るなんておかしい」
と思う人がいるのはいいけど、
誇りたい人を「誇ってるのは痛いよね」というのは違うんじゃない?
誇る=一般人の前で801趣味を語る、じゃないんだから。
後ろめたさの話と似てる流れだなって思う。
後ろめたくない人にまで、「後ろめたいと思わないなんて痛いよね」という。
自分がどちらの立場であれ、他人を自分の価値観にあてはめようとすること
そのものが痛いと思う。
現実逃避だと思う人は思えばいいし、思わない人は思わないでいいじゃないか。
>>421 後ろめたさの話と流れが似てると私も思った
現実逃避か否かはそれぞれが自分で決めればいいのに
「多くの801者にとっては現実逃避」
「現実逃避という言葉に反発する」みたいに繰り返し言われる、
それが不愉快なんだよね
だいたい「反論」ならともかく「反発」って言葉を選ぶあたりに
上から目線=現時逃避が正解、当然という意識を感じるよ
反論は相手に言い返すことだけど、反発は抵抗して受け入れないって意味だもんね
服装つーか身だしなみは現実逃避と関係あるでしょ
ハンサムで清潔な男同士の801描いて「これこそ真実の愛」的なこと言ってた
知り合いがいたけど、見た目全然気を遣ってなくて小汚かった。
現実逃避してるようにしか見えなかったよ。真実の愛なんてどうでもいいから目を覚ませと思った
秋葉原のオタクがレズ萌え同人を山ほど抱えて
「自分は見た目は汚いけど心は貴族」なんて言ってたら、考え直せ、現実に帰れ、
と思うのと一緒でさあ。余計なお節介なのかもしれないけどさ
気付かないうちに大きなものを失ってしまわないかと心配だよ
他人の内心に続いて、服装まで勝手に規定するのか。
別に他人が人生の何に重きを置いてようが、その人の自由じゃん。
そりゃ、会社で営業職についてる人が、取引先に不快感を与える格好してれば困るが、
内勤ならその会社の上司や同僚が容認するおいうなら構わないし、
カメラマンなどかなり汚らしい服装でも周囲が容認する職種もある。
ましてやアキバに百合同人誌買いにいくのに、何でお洒落しなければならないんだ?
>>423 >余計なお節介
それ以外のなんでもないっていい加減に気づいてくれないかな……
>>424 お洒落しろって言ってんじゃないの
現実逃避と身だしなみは関係あるんじゃない?って言ってるの
さっきも書いたけどさ
ホントに空想の世界に真実を見出す人は、他人に笑われても平気なはずなんだよ
だって空想の世界こそがその人の真実であり救済なんだからね
そんな自分を他人に否定されたくないっていう人は、
ホントは空想の世界に真実なんて見出してないんじゃないの。
ちなみに、えらく外見に気を遣ってる男ヲタ知ってるけどね。
いまどきの服装して、アクセサリーまでつけまくってる。でも中の人はキモヲタ
放っておけば、朝から晩まで、ゲームの話とハルヒの話と夏コミの話してる。仕事中でも。
あれ見て、「ヲタでも素敵な外見の人もいるのね。ヲタやってるのは単なる気分転換で、
現実は現実としてちゃんと分かってる人ね」なんて思うやついないと思うよ。
「何だ、外見少々お洒落してるだけで、中のやつキモヲタかよ('A`)」と、
まあ彼は周囲から呆れられてるわけです。
>>426 自分の周囲のごく小さい範囲の1ケース取り出して、一体何言ってんだか。
お洒落してるつもりのあなたのその厚化粧も、職場では「うわー、あの女化粧臭えー」と
嫌がられてるようなケースも多々あるしね。
アキバにはアキバの、有明には有明のドレスコードがあるわけで、それに沿ってりゃ何の問題もないと思うが?
話がかみ合ってないように見える
反論するのは否定されたくないから、じゃなくて
納得できないからだと思うよ。
それは違うと思えば違うというのが当たり前なのに
反論する=必死すぎw本音は別でしょ
って論調に持っていくからウザがられてるのだろうに
2chと追従以外でまともに人と会話した事ないのではないだろうか
ID:4pzcwDn0O先生にとって、他の人のレスは「反論」ではなく「反発」ですので。
この人、このスレで一体何をしたいんだろうね?
>>426 現実逃避と身だしなみの関係と、
801や創作に触れることがその人にとって現実逃避か否かが服装で決まるか否かは
関係ないじゃん。
で、なんで自分にとってフィクションの世界が真実なら、
フィクションの外では他人にいわれのない決めつけをされても平気なはずだなんて思うの?
それは逆に、自分にとって現実の世界が真実なら、
フィクションの世界で自分が共感する人物がどんな目にあっても平気なはずだ、と言うのと
同じだと思うけど。
どちらか一方だけが絶対的に意味のある真実であり、
どちらかはまったく価値のないものだなんて誰もいってない。
どこにどれだけ価値をおくかは、それぞれで決めればいいことなのに、
こうだったらこうあるべきだとか、こうじゃないならこうしろとか、なんでそんなにお節介なの?
>>432 お下品な口調はおやめくださいね、大先生。
ここって、「最近の801情勢に不満を感じる人が色々と語る」スレなんだよね?
>>433 何が下品だよ。
お前の散らかった汚部屋を片付けてから言いなよ。
801そのものは、「女」を受容したくない女達の願望、というか現実逃避
のあらわれだと思う。これは昔から色々な人が言っているね。
(この説に反論のある人はいるんだろうか?)
だから801を読むという行為には、現実逃避的な要素が入ってると思う。
単純にストーリーが面白いとか、絵が好きとか、そういう人もいるかもしれない。
でも特に801というジャンルが好きで、その中から自分好みのものを選んでる人は
現実逃避を求めてると言えると思うんだけど、どうなのかな。
>>435 私の部屋が汚部屋で、ぬりかべID:4pzcwDn0O先生に何の不都合が?
ちなみに、外に出るときにはそれなりの服装してますでございますよ。
汚部屋なんか他人に見せなきゃ済むものだしね。
ぬりかべID:4pzcwDn0O先生が他人の部屋ののぞき見が趣味の方なら、
まあ色々ご苦労を察しますが。
>>436 私も同じように思ってる。
801だけでなく物語や二次元、芸能人に入れあげてキャーキャー妄想するのは
現実逃避だろうし、幼い趣味だと言えると思う。
でも現実と妄想とのバランスさえとれていれば、趣味が幼くても何の問題もないよね。
あるいは、素晴らしい作品を作る事のできる作家であればバランス崩壊していても
プラマイでプラスだと思うし。
幼い所のない人間なんて逆に少数だろうと思うし
801は幼稚な現実逃避だと言われても、そうですねと肯定しちゃうな。
その中にも美しい作品や素晴らしい作品はあるって自分は知ってるけど
ことさらそれを力説する気にはならない。
>>436 >「女」を受容したくない女達の願望、というか現実逃避
それはあるかも。
無意識にそういう理由で801に魅かれている腐女子だと、
いきなり「現実逃避」と言われてもハア?(゚Д゚)となるかも試練。
801に魅かれる理由はいろいろあるんだろうけどね。
オタ男の服装の話はなんとなくだけど、
二次元の美少女で自分の願望が満たされて、リアル女子へのハングリーさが
失われる→リアル女子にモテる必要がなくなったので外見気にしなくなる。
現実の代用品だったものが、現実以上の「真実」みたいになって、
手段が目的化してしまったような感じじゃないかな。
>>436 反論あるよ
私は男同士も女同士も男女も全て好きだから
勝手に801好きはこう、と判断されるのはとても苦痛。
801好きを勝手に「女性からの逃避で男性同士の恋愛へ向かった人」
なんて定義しないでくれ。
しかも、それ以外を「いるんだろうか?」ってどこまで傲慢なの。
自分たちと同じ傾向以外目にも入ってませんか。
やおいも大好き、あからさまなエロより
切ない恋とか忍ぶ恋とかに惹かれるからやおいにより惹かれることが多い
百合もそうなのかもしれないけど基本男性向けになってるから
あんまりそういう面が書かれたものが見つからないから。
カプとして気に入ってる百合カプも男女カプもあるけどね。
>>440 男同士も女同士も男女も全て好きなら、436の言う
>特に801というジャンルが好きで、その中から自分好みのものを選んでる人
ではないんじゃないの?
好きで読むジャンル多数の中に801も入っている、と言うだけで。
カチンときたのでちょっと語調がきついね、ごめん。
でも、801好きの中に女性性からの逃避で801を好む人もいる、
というのならともかく
801を好きな人は女性性からの逃避の側面を持つ、といわれたら
納得は出来ないです。
801好きは女に限らないしね。
>>441 連投ごめん、自分が気になったのは
>801そのものは、「女」を受容したくない女達の願望、というか現実逃避
>のあらわれだと思う。これは昔から色々な人が言っているね。
>(この説に反論のある人はいるんだろうか?)
>だから801を読むという行為には、現実逃避的な要素が入ってると思う。
この部分なんだけど
まず例に挙がってる説が801そのものを逃避の表れと言っていて
かつ、それに反論のある人の存在すら疑問視してるところ
で、この説を完全に肯定して入ってると思う、と〆るからには
反論のある人は居ないという前提で話が進んでるとこなんだ。
ストーリーが好きという人も居る「かも」しれない、とか
逃避以外で801が好きな人間の存在は
未確認物体扱いで目に入っていないようだし
801=女性性からの逃避、という思い込みがあるっぽいので
801の範囲を酷く狭めて考えてると思う。
女性性からの逃避で801を好むことについて考えるのはいいけれど
それは801好きの「一集合」でしかないと思う。
>>443 えと、(この説に反論のある人はいるんだろうか?)は
「もしこの説じゃない人がいたら、その意見を聞きたい」と思って書いたんだけど
反論の存在すら無視してるように見えたのなら悪かったと思います。
「〜と思う」「かもしれない」については、正直そこまで言われる筋合いはないと思う。
自分の考えを述べるたびに
「この考えが万人に適用されるとは思っていません」「自分の意見が絶対と思わないです」
という注釈をつけているとキリが無いです。なんか重箱の隅を楊枝でつつかれた気分だ。
>>444 やっぱり微妙に話が通じてないと思います
私が反感を感じたのはそういった注釈の有無ではなくて
801好きの定義があまりに狭い事です。
「女性性からの逃避」が誰にも納得されうる
801の普遍的な意義だというあなたの持ち出した意見への反論です。
801そのものが女性を受容したくない女の願望だという前提は
そうじゃない女性を持ち出すまでも無く、
男性が描き手の場合はどうしますか?
男性が読み手の場合はどうでしょうか?
801そのものの因って立つ意義としては脆弱すぎて
前提としては意味を成さないと思います。
801そのものの意義の話と
逃避として801を求める人にとっての意義の話が
ごっちゃになっているので、分けて話を進めて欲しいというだけです。
>>445 801は主に女性を読み手として創作されてる、って前提が
そんなに特殊な前提だとは思えないけどなぁ…
確かに男性が読み手や書き手である可能性は排除しないまでも
ほぼ女性の、女性による表現形態じゃないでしょうか
だからと言って「男は読むな」とかそういう話じゃないよ
単に現実としてそういう認識なのは別におかしいことじゃなくない?って意味
>>446 姐さんの言う、
主に女性を読み手としてるという前提は否定してませんよ。
主流が女性なのはその通りですし。
前にも書きましたが
「女性性からの逃避」が誰にも納得されうる
801の普遍的な意義だという意見への反論です。
801そのものの意味を考えるのなら
逃避として求めている層だけを考えても
結論は偏ったものにしかならないのでは、という事です。
逆に逃避として求められる801とは何か、を語るのであれば
801全体を語ることは出来ません。
それに、主流が女性であることは
>801そのものは、「女」を受容したくない女達の願望、
>というか現実逃避のあらわれだと思う
これを直接肯定することではないと思いますよ。
ここまで書いて思ったけれど
逃避として求めている人にとっては
自分にとっての801の普遍的な意義と
逃避として求められる801の意義が
当然、本人の中で綺麗に合致してるはずなので
違う理由で801を好んでいる人には
両者が全然別のものに見えているという感覚自体が
掴み難かったりするのかな?
セックスすると妊娠する女性の肉体の不便さや、
欲望の客体とされる不自由さから解放されることは、801の快楽の一つだと思うよ
ただ、それが801の存在意義か、801を読む目的かっていうと違う気がする
自分はね
現実逃避という言い方への違和感にしてもそうなんだけど、
現実の、女性である自分にとって、何かの効果、効能があるから801を求めてるわけじゃない
それは、最近よくある「泣ける映画」みたいな宣伝文句への違和感と似てる
映画は映画としてまず存在して、それを見て泣くか泣かないかは結果なのに
「泣ける」という効能が、映画より先に伝わるのは変だし、泣くのを目的に映画を観るのは
(まあそういう作り方をした映画もたくさん存在するけど)公平な観方と思えない。
そして、そうした効能が、映画の存在意義とは思えない。
自分が801を大事に思うのは、そこに美しいものを見るからだよ
もちろんありがちな美形が絡んでるという意味ではなく。
SMとか、性的にも興奮するんだけど、見た目も精神性も美意識を感じる、それに似てる
そうした美しいものを感じるときに、現実の自分を、逃避であれなんであれ引き合いに出すのは
美に対して失礼のように思う
801に限らずすべての美しいものに対してそう思う
美しいものに触れることで、結果として自分も、いろんな意味で美しくなればベストだけどね
なんて三輪明宏みたいなこと言ってる気がするけど、三輪明宏の本は読んだことないです
だからよくいわれる「801は癒し」も、実感として間違いだとは思わないけど
801は(主に女性を)癒やすためにあるんじゃないと思う
そういう、なんていうの一つのグッズとか、ツールみたいな位置づけをしたくない
>>447 あ、すいません
よく読んだら
>>446で自分が書いてたことは読み違いというか誤読ですね
ID:OI2HCP4K0さんの書いてることの意味は解りました
>>449 >美しいものに触れることで、結果として自分も、いろんな意味で美しくなればベストだけどね
>なんて三輪明宏みたいなこと言ってる気がするけど、三輪明宏の本は読んだことないです
ここちょっと笑った
確かに美輪明宏がこんなことを言ったりしてそうだw
あ、ごめん三輪→× 美輪→○なんだね
失礼しました
現実逃避に違いないって言いたい人は、自己と他者の区別がついていない感じがする。
自分にとってこうだから、他人にとってもこうであるはずっていう思い込みはイクナイ。
私は現実逃避な面もあるよなーと思うほうだけど、そうじゃないっていう人にまで、
現実逃避だと認めないのは痛いよ、なんていう気はさらさらない。
そうか、違うんだねって思うだけ。
自分は801が好きで、現実逃避な部分があるとも思うが、それって別に801に限ったことじゃあない。
少女漫画だって少年漫画だって、映画だってミステリだって、
およそフィクションという物はそういう面を含んでいる。
フィクションじゃなくたって釣りやパチンコで現実逃避してる
おじさんだって、韓流スターで現実逃避してるおばさんだっている。
「現実逃避=日常から乖離した、妄想の世界に生きる」ってことじゃないでしょ?
一時、現実逃避して、そこで心の栄養を蓄えてまた現実に向かっていく、
それの繰り返しみたいなもんじゃない?
801は現実逃避だって言ってる人に、反論が多いのは、
「801=現実逃避」という言葉からすぐに、
「汚部屋・洋服にかまわない・小汚い・現実見えてない」なんて連想するからじゃないの?
そこがおかしいよ。
すぐにそういう連想が出てきて、他の人もそうに違いないって感じる人は、
その連想は自分の内側から出てきてるものである、ってことをよく考えた方が
いいと思うなあ。
>>449 なんかいい意見だなあと思った私は美輪さんの本がけっこう好きですw
>801そのものは、「女」を受容したくない女達の願望、というか現実逃避
>のあらわれだと思う。これは昔から色々な人が言っているね。
>(この説に反論のある人はいるんだろうか?)
>だから801を読むという行為には、現実逃避的な要素が入ってると思う。
うーん、これとは別に、現在の社会においては否定的なものとされている
受け入れがたい「女」である自分(というか自分の「女性性」)を
どう肯定するかを、フィクションを通じて模索するってのがあったんじゃなかったかと。
そうした現実の相対化の試みは、「ジェンダーレス・ワールドの実験」なんて呼ばれた。
「現実逃避」になる危険性は抱えていても、最初からそんな否定的な価値判断が入った
言葉で考えられてはいなかったと思うな。
>>453同意。
>>410の言う「片付けの合間にちょっとだけ801を読んでまた片付けに戻る」のも現実逃避だと思うけど
それを何故410が現実逃避とは言わないと言っているのかがよく判らない。
つか、ここで言う「散らかりまくった部屋」と言うのは「現実の自分の人生に積み重なった数々の問題」を示す比喩であって
文字通り「汚部屋」の事では無いと思うんだけれど。
801が美しいから好き、って人は、801総体を美しく感じるってこと?
議論とは関係ない雑談になってしまうけど、
私は801そのものを美しいとは感じないな。
作品を個別に見て美しいと思うことはあるけど、そういう作品は滅多にない。
801=現実逃避 とは思わないけど
女としての自身を投影する必要ない美しい男どうしの愛が好きって、
それは現実逃避ですね。と他人が思うのは当然だよなとは思う。
>>457 801に美しいものを見る、というのと801が美しいから、は違うよ
味わう姿勢と味わわされる姿勢の違いがあるでしょ
「女としての自身を投影する必要ない」というのは
あなたが勝手にくっつけたオプションで、私は、美しいものを感じるとき、
そうしたオプションはいらないと言ってます。
>>458 頭悪くて申し訳ないけどどう違うの?
あなたは801に美しいものを見るんでしょ?
それは、個々の作品を美しいと感じるのではなく、
801というジャンル自体を美しく感じる、だから801が好き。
ということなの?
「女としての自身を投影する必要ない」っていうのは、
美とは無関係な話ね。「他人にそう見られても不思議じゃない」
と言っているだけ。
>>458姐さんのレス全てに共感するわけではないけれど
801に美しいものを見るという感覚はなんとなくわかる気がする。
姐さんの801に対する気持ちが
耽美主義(辞書どおりの意味での耽美ね)の一環として
801に美を見出して、801も好きという理解であってるなら、だけど。
461 :
410:2007/07/23(月) 21:18:42 ID:++8I2vTJO
>456
汚部屋の例えはその通りです。
で、現実逃避というとどこまでも逃げ切るようなイメージがあるので
後者の例えを現実逃避に入れなかったけど、確かに一時的に逃れるのも
現実逃避かもしれない。
そこは訂正します。
美しさか。
理想の男たちが理想の恋愛をしている以上、美しくて当然、と言えなくもない。
しかし作者の願望や自己投影が見え隠れすると、途端に醜く見えてしまう。
「美しい恋愛を描いている醜い801」という矛盾した感覚が私はあるな。
二次同人を読んでると、特にこの感覚が強いです。
自分にとって都合のいい妄想は、現実より素晴らしくて当たり前ですね。
自分を幻滅させない理想の世界では、悲劇や決別、死すらも萌えの素材。
ただそういうレベルを飛び超えて単純に美しいと感じる801もあることはある。
けど数えるほどしかないな・・・日出る処の天子とか。
風と木の詩やまりしんはあまり美しいと感じないが、単に自分の好みでないだけかもしれない。
ていうかこれ全部801じゃなくて少女マンガか。
石原郁子「月の男」は文句なしに美しいと思う。
小説世界はもとより、その文章も含めての全てが。
464 :
458:2007/07/24(火) 13:27:25 ID:tKOQMr4T0
>>459 説明するの難しいけど
「801に美しいものを見る」は、1回かぎりで瞬間的で主観的なイメージ
「801が美しい」「作品を美しいと感じる」「ジャンルを美しいと感じる」は
美が連続していて、その持続を美を感じる主体である私が期待していて、
かつ客観的な保証も含まれてるイメージ
もちろん後者の意味でジャンルを美しいと感じるところも、
個々の作品を美しいと感じるところもあるよ
ジャンルでいえば、倒錯の美
男性が女形を演じることで、女性以上の色気がとかよく言うじゃない、あの延長
むろん女装が問題ではなく。
個々の作品でも、上であげられてるものだと、すみません月の男は未読ですが
まりしんだったら、星男が死んでる篝にキスする場面は美しいと思った
ここで作品が少女漫画か、801ジャンルかはあまり関係ないと思う
前者的な美、感動って、二次創作でもけっこうあるよ
というか、二次創作だから生まれたんだなと思うときもある
801読んでて、あるいは書いてて、二次かオリジナルかに関わらず、
どうして自分がここまで泣くのか理屈ではうまく説明できない、
作者は(あるいは作者である自分は)ここまでは狙っていなかったはず
われにかえってもう一度読んだら次はこういう気持ちになれない、
でもいま、狂ったような気持ちだ私は、と思う瞬間て、私だけの経験じゃないと思う
>>460 美に功利的なものを求めないという点では字義どおりかもしれないね
求めなすぎて悪趣味にはしる傾向は自覚しています
801に限って見出す美ではないけれど、
801的世界はこの道のポールポジションのようにも思う
ちょい横レスでごめん
自分もこっちの方が自分の801との関係ではしっくりきたので
>>462 それは対象の美しさなので
理想の男が理想の恋愛をしてるかどうかは
801に見出される美とはあまり関係ないと思う
また、現実より素晴らしいかどうかも関係ないと思うよ。
美しい理想の801だから美を見るというのではないから。
でも、この感覚は現実逃避という人の意見が
私にとってはぴんと来ないのと同じで
801に別のものを見てる人には理解しにくいかも。
二次創作は確かに感動したりするんだけど、ひとりよがりな感動という感じ。
キャラクターに期待と願望を押し付けて、それらを丸ごと回収しているところが
みっともないと思う。
補足
まあひとりよがりな感動というのは二次創作に限らないんだけど
二次はそれが比較的はっきりと感じやすいのではないか。
>ひとりよがりな感動
あるあるw
少なくとも、キャラに自分の萌えに奉仕させてる二次801は功利的なんじゃない?
801ってそんな美しいだけのものじゃなくて、すごく汚いものでもあると思うな。
現実逃避というよりは、「現実の代用品」なのかもしれない。都合の良い代用品。
未だにジェンダー云々語りたがる人って多いけれど、
はっきり言って時代遅れだよね
現在は男女や女女どころか、無生物無機質までも許容する801者の方が多い気がする
女性性の否定だとか現実世界で受け入れられない自分の性がどうだとか
オタクはみんなリアル幼女誘拐犯罪者とか言うのと同じぐらい局一部を見ただけの偏見だと思う
>無生物無機質
これって、ものすごくジェンダーやらリアルのセックスに深く関わってる気がするんだが、
釣りか?
>>469 >多い気がする
印象でモノをいっちゃいけません
根拠のある印象ならいいじゃないか
ちなみに根拠
・サイト巡っても男女やら女女やらを平行してやっている率が高い
・やっていなくても日記等で他ジャンルの男女カプ好きをカムアウトしてることが多い
・目立つ腐女子(某ニコ動腐や801ちゃん)は大体百合も平行もえ
ちなみに視野を狭めて自分の周囲を見てみても
801以外駄目、と言う腐女子はいない
故に、逆に「……いるの?」と思ってしまう
>>470 電信柱×電線がリアルのセックスに及ぼす影響って何
>>472 触手みたいなの想定してた。
>電信柱×電線がリアルのセックスに及ぼす影響って何
それネタじゃねーの。
つーか、母数いくらのうち、それに相当するものがいくつか、ということが出せないなら
単なる印象論っつーか思いこみでしょ。
>>472 つーかさ、ネタ遊びという感覚が分からないかな?
テトリスで801でも電信柱で801でも、そうやってネタを転がしながら
友達との会話やスレで遊んでるのは、結構楽しいのよ。
で、たまにそういうネタに夢中になる人がいるが、そのときにはその人の脳内では
テトリスや電信柱の擬人化、キャラ化が完了してるときなので、
オリジ801の亜種でしかない状態になっている。
無機物なのに何故か攻めと受けという役割を宛ててしまうのは
少なからずジェンダーと関係があるのかもと
同性愛板の「タチとネコのジェンダー論」というスレの過去ログを見てて思った。
>>475 あのスレは現行スレはないの?
最初の頃は見てたが、ちょっと目を離したらとんでもなくスレが進んでて、レス読み切れなくなって
いつの間にか読まなくなったなー。
>>476 あるみたいだけど、最近はあまり議論が活発じゃないみたい。
とりあえず過去ログ見ただけで疲れたw
>>477 サンクス。いまちょっと過去ログ見てた。
確かに見るだけで疲れるw
>>473 >触手みたいなの想定してた。
つーかさ、ネタ遊びという感覚が分からないかな?
勝手に勘違いしてたことを棚に挙げて何を無理矢理立場逆転させようとしてるのだい
>単なる印象論っつーか思いこみでしょ。
決して少数派ではない、と言うことさえ主張できればいいんだから根拠を提示した印象論でいいだろう
証明はまず不可能だしね
ただし根拠を提示している以上単なる思い込みではないし、
根拠が否定出来ないのなら主張も否定出来ない。そういう繋がりだよ
別に「絶対こう」と言うわけでもないのに、何故「根拠」を否定するのではなく「意見」を否定しようとかかるかね
否定したいんならまず根拠を否定してから意見の否定にとりかかって欲しいね
「男女や女女は嫌いで男男に逃げるしかなくて女と言う自分の性が大嫌い」
と言う主張の上では不利なことこの上ない事実だが、実際ジャンルによっては男女カップリングの方が圧倒的に多かったりする
(平行でやおいをやっている人もいる)
流れからすると、「そういうのは真の腐女子じゃない、逃避してこそ」みたいなのがいるからね
他ジャンルのやおいカプと掛け持ちで男女なんて当たり前の世界からすると
そりゃあ「萌える関係なら何でもいいのに何真剣に女性性の否定だとか語ってるん?」ってことになるんだよ
>>479 このスレで何したいのか分からんが、それじゃ議論にならんと思うよ。
つーか、根拠という言葉の意味分かってる?
801に見る美しさってよくわからない。
それは男女カプだと味わえないものなの?
私は801も男女カプも美しさというか、「これはすげぇな!」と思う気持ちになった時
その差がわからない。
もちろん作品ごとの違いはあるんだけど、801か男女かの違いは無い気がする。
「タチとネコのジェンダー論」の手元に残ってた過去ログ見てて、
同板からこっちに荒らし?に来てるやつが、やっぱりいるらしいことが分かった。
ついでに、あのスレが廃れた(らしい)理由もよく分かった。まあ他山の石としよう。
ひとりよがりの801がみっともなく見えるのは
それがひとりよがりだからじゃない
ひとりよがりの度合いがヌルイからだと思う
キャラクターに自分の願望を押しつけたって全然構わないと自分は思う
作品の価値、美しさはそんなことでは決まらない
押しつけるべきだっていうんじゃないよ
何をしようと力のある作品は人に感動を与えるし
注意深く願望を排除したところでつまらない作品はつまらない
だったら、まして商業作品ではなく二次創作の同人なら、
傍目なんか気にしなくていいと思う
無茶なひとりよがりの渦に巻き込まれてうっかり美しいとか錯覚したい
>>481 男女では味わえないってことはないよ
自分の感覚としては、男女の関係の一般的な優位さゆえに
フィニッシュが遠くなる気がするけど、そこは人それぞれ
>>481 801に美しさを見る、というのと
801だけが美しいと言うのとをごっちゃにしてない?
前者の意見は出てるけど、後者の意見は出てないよ。
男女や女同士、つまり自分と同じ女が絡むのは苦手だ。
リアルで女の自分として他人に恋愛感情を持ったことがないくらい苦手だ。
女の衣装であるスカートを制服として強要される仕事に就けない。
テレビで動物の出産シーンとか映しているのが感動どころかグロにしか見えない。
いっそ無生物や無機物の方が、女じゃないからいい。
だから、801は好きだが、乙女系?(ヒロインの周りがイケメンの集団 例:アンジェとか)は萌えない。
時代遅れで悪かったな、と感情的に言いたくなるし、
逆に、女が絡むものと平行してやれるタイプが、自分にとっては「最近」の人に思えてた。
美少年が抱き合っててキャー
みたいな感覚は女性なら誰しもあるものでは?
それがやおいの原点だと、個人的には思う。
同人の歴史で言うと、90年代頭セーラームーンとか野火ノビタのあたりで
女性が書く女性向け百合とか男女モノが出てきたよね。
その辺から腐女子の方でも百合や男女モノへの抵抗感が少なくなってきた感じがする。
でもそれらも性を超越してるっていうか、やおいの延長線にある
というところで男性向けとはちょっとテイストが違う。
女性に受ける百合カプって
最初はベルバラとかヅカみたいな
男装の麗人っぽい要素があったと思う
今はそこから随分間口も広がってきたけど
好まれるパターンなのは変わってないと思うし。
同じ男女両性の魅力を兼ね備えるパターンでも
ふたなりみたいに両性の特徴が+されたものは男性が
男装の麗人みたいに両性の特徴が−されたものは女性が
好みそうなイメージがある。
百合カプも支持な801者だけど、
そこにも801同様の「性別を超えた愛」の世界があるからで、
自分の場合ジェンダー問題とは大きく関わってるよ
>>485 うん、801だけが美しいと言ってないのは分かるんだけど、
あえて「801に美しさをみる」と言うからにはもしかしたら男女とは違う何かがあるのかもしれない、
あるなら見てみたい、見方を知りたいと思って。
知らない私はもしかしたらちょっと損してる?みたいに思ったんだ。
考えてみたら801板なんだから「801に〜」という話になるのは当然か。
ところで私が男女カプに抵抗が無いのは自分が女だという意識が希薄だからかもしれない。
自分の性別を意識しないことが多い。女として干物みたいな。
だから物語に女が出てきても女だからの共感みたいなのがないんだな。
男・女以前に他人・人間。
だから801も男女も百合も「自分以外の人間同士の恋愛」として同じもの。
時代遅れの人間がいろいろ語るスレにきて
「はっきりいって時代遅れ」とか言われてもな……
その人にとって、801を求める理由や801とは何かという認識は、それぞれ固有の大事なもの
時代の流れや多数決、他人の押しつけで簡単に変えられるようなものじゃない
無神経な言葉で否定していいものでもないと思う
私は801を現実逃避とする考えには同意できない派で
自分が女性であることへの違和感もまったくない立場だけど
だからといってジェンダー問題と801が無関係だとも思わない
で、この認識は矛盾しない
801を選ぶことは、現実にあるジェンダーの問題から目をそらして逃げること=現実逃避ではなく、
そこに存在する問題への小さな抵抗の表現だともいえるわけでしょ
逃げるのではなく、意識して、向き合っているからこういう形になるわけで
その葛藤から結果として美しいものが生まれる可能性はおおいにある
問題を安易に「なかったこと」にして、快楽の一つとして片づけ、掘り下げを否定することこそ、
現実逃避なんじゃないかな
>>483 本気で言ってるんすか?
重症?…どうしょうもないナルシストですか?
反吐が出る。
>ひとりよがりの801がみっともなく見えるのは
>それがひとりよがりだからじゃない
>ひとりよがりの度合いがヌルイからだと思う
これは痛い
久々に「もにょる」という言葉を思い出した
二次創作なんて全部イタイもので、イタくない二次創作なんてないでしょ。
どうせ同じくイタイのなら、本気で萌えて本気の創作物作ったほうがいいじゃん
というだけの話じゃねーの。
反吐が出るだのもにょるだの言ってる人は、イタくない二次創作があるとでも思ってんだろうか?
そのほうがびっくりだ。
>>494 なに都合の良い解釈してんの。アフォ?
もっとちゃんと
>>483読みなよ
>ひとりよがりの801がみっともなく見えるのは
>それがひとりよがりだからじゃない
>ひとりよがりの度合いがヌルイからだと思う
ひとりよがりの度合いがヌルくない801はみっともなくない(イタくない)
って言ってるでしょ
>>483は
そんくらいの気合を見せてほしいって意味では?
ひとりよがりも突き抜けたらカコイイと言いたいんじゃないのかな、
>>483は。
それはそんなに変なことでもないと思うのだけど…
>>495 すぐに火病って他人をアフォ呼ばわりする子供ちゃんは、早くおねんねしてね。
別に変なことは言ってないと思う
やるなら恥ずかしがらずに全力でやれってことでしょ?
舞台に上がった役者が、役を演じるのを恥ずかしがってたら
いい舞台にならないのと同じことじゃない。
少なくとも、描き手が自分の書きたいことに本気じゃなきゃ
読んだ人にだって失礼だと思うよ。
なんでそれがナルシストになるの?
>>495にとっては自己肯定、自己表現の肯定=ナルシストなの?
おかしくないんじゃない?って意見にも
見境なくキレて口汚く噛み付く方が相当ダメに見えるけど。
>>497 姐さんも煽らない煽らない
「気合が感じられる二次同人はみっともなくないのよ!
気合がヌルい二次同人がみっともないのよ!」
って主張が変じゃないってか。すげぇな
>>497 で、反論はできないわけですね
>>499 昨日もいた、根拠の意味を分かってない人かな?
反論の意味も分かってないみたいだね。このスレで何したいのか知らんけど。
私はあなたのような人に構うことは時間の無駄だと思うので、以降あぼーんするので
勝手に勝利宣言でも何でもしちゃってください。
反論も何も、それはキモイと噛み付いてるだけで
>>495は何も自分の意見言ってないのに、
一体何に反論するの?
>>500 >昨日もいた、根拠の意味を分かってない人かな?
別人だよ、つーかこのスレに書き込むこと自体初めてだし
>>501 あなたの
>>483の解釈が都合がいいですねということだよ
NGIDに入れたのでスレがすっきりした。
身勝手な理論ながら一応勉強はしてる長文さんと違って
これは相手する必要はなかろう。
>>503 都合の悪いレスは無視ですか。お好きにw
二次創作は全部みっともないでしょう。。。特に801は。
気合とか、ひとりよがりの度合いは関係ないよ。
>>483はそんなつもりで書いたのではないのかもしれないけど、
>>495のように読まれても仕方がないような書き方だと思うよ。
私も読んだ時、え?と思った。
私はイイトシなので、数学の時間に逆とか裏とか対偶とかを習った記憶があるんだが、
そのあたりを習ってない層って、どのぐらいの年齢なんだろう?
私は
>>483じゃないけど、別に二次創作が全部みっともないとは思わないし、
その中でも特に801がみっともない(801が特にというのは何で?)とも思わない。
だから、別に
>>495の解釈でもいいんじゃない?と思った。
二次創作がみっともないと感じる人には、483のレスって捨て置けないほど
モニョるもんなのかな。
>>483の
「ひとりよがりの801がみっともなく見えるのは、ひとりよがりの度合いがヌルいからだ」
という書き方は
>>495のような解釈されても不思議じゃないと思うよ。
ヌルかろうとヌルくなかろうと自分勝手に萌え改変してることに変わりないよ。
(二次創作の中でも、特にキャラ萌え系の二次同人ね。
「二次著作物」と区別するために801と書きました)
>>495は逆とか裏とか対偶とかの概念が分からない人でしょ。
>>508 そもそも大元は二次創作についてじゃなく
801についての話。
二次云々は、商業の損益考えなくて良いから
しがらみが薄い、という例に出てるだけ。
姐さんは、二次創作についての話だと決め付けて解釈してない?
それに、解釈自体は
>>495の解釈であってるよ
ただ、
>>495はその意見に会話不能になるくらいキレてるけど
私はおかしいとは思わない。
創作物に対する感動は、
その創作者の美意識に読み手を引き込んだ時に生まれるものだから。
だから、本気で美しいと想うことなら、ためらってたら
中途半端なものしか生まれない。
>>509 あなた私のIDあぼーんしてるんでしょ
私の解釈が大間違いだとというのなら正しい解釈を教えて
>>510 なんだ、自分が都合のいい解釈してたことは認めるんだね
「AならばB」という命題があるとき:
ゆとり「AじゃないならBじゃない!!」
…こんな日本に誰がした。
>>513 はあ?何的外れなこと言ってるの
>>483が命題だとすると
>>495は命題の対偶で、真偽が一致するでしょ
逆・裏・対偶の意味が分かってないのはあなたのほうじゃん
しょぼ。
煽ること自体が目的なやつはスルー汁
何でもかんでも構うのが、このスレの悪い癖だ。
間違ってないのに間違ってると言われ、ゆとりだの何だの言われてもね。
どっちが煽りなんだか
どうせ都合の悪いレスはIDあぼーんで無視するんだろうけどさ
二次創作はみっともないとか、
801はみっともないとか、
各々が思ってる分には勝手だけど、
他人に押し付けるのはどうかと思う。
その上、それ前提に延々と口論されちゃたまらんよ。
ID: LKZZLoLS0 も ID: aOwR6W280 も、
独自の美学の差異でぶつかりあってるようにしか見えないよ。
>>516 自分の意見らしい意見も述べず、質問にも答えず、
ただ煽ってるだけで、それで議論してるつもりとは恐れ入った。
ひょっとして、議論という言葉の意味も分かってない?
>>517 原作やその登場人物に自分勝手な妄想を「押し付けて」公開し消費するのは許せるが
それを見た他人に「みっともない」という感想を「押し付けられる」のは許せない、ってか?
自分のことしか考えてない、都合のいいダブルスタンダードだな
美学は結構だが、随分と「ヌルい」美学ですね
>>518 見当違いな難癖をつけた挙句、ゆとり教育バカと決め付けるのは議論なんだ?
へえこちらこそ恐れ入りましたわ
520 :
517:2007/07/26(木) 12:11:50 ID:r8YI8M3o0
>>519 架空のキャラクターに妄想投影するのと
リアルな人間に思想を押し付けるのがなんで一緒なの?
てか、519が特定の趣味にみっともないという感想を抱くのは勝手だけど、
あくまで感想でしか無いものを基準に話題をすすめる事は出来ないし、
519が「お前等全員同じ感想を抱け!」と叫んだところで、
誰も相手にしてくれないと思うよ
521 :
483:2007/07/26(木) 12:54:11 ID:NTXNoOHp0
>>510が言うように
>創作物に対する感動は、
>その創作者の美意識に読み手を引き込んだ時に生まれるものだから。
>だから、本気で美しいと想うことなら、ためらってたら
>中途半端なものしか生まれない。
とは思ってるし、
>>483の本筋では、こういうことが言いたかった
でも揉めてるのはそこじゃないよね
「何がみっともないか」ということでしょ
私はどんな同人も801も「みっともない」とは言ってない
これこれこのような801はみっともない、二次創作だとよく感じる、と
>>466が言い、
>>468が同意してる
それに対して「みっともなく見えるのは」と言ったので、私自身はそう思ってない
レスアンカーないからわかりにくかったかもしれないね
そこはごめんね
そもそも、ひとの創作を「みっともない」とかいう感覚、私はいやだよ
作品に向けた言葉じゃなく、ななめ上から勝手に想像した作者の姿勢、
感情の部分だけに反応してる
内容より体裁を重視してる
失礼な見方だと思う
でも、自分自身も、ついついそうした見方で見てしまうこともある
そこで体裁を繕う=よこしまによこしまで対処するより、
思い入れの力でよこしまな見方を粉砕してほしい
なぜなら、以下最初の
>>510の引用という感じ
>>481 心のどこかで男=美しいもの、自身の体=醜いもの、という刷り込みがあるからじゃないか?
これおもしろいことに男は女を美しいものと思っていて自分の体を醜いものと思ってるんだよな。
女の、自身の体を醜いと思う根幹は男のそれとはまた違う所から発生しているけど。
>>482 多分そこのスレに居た(関わった)人はたまにやおいにも来てるな。
数年前にもこのスレ中盤と全く同じ流れの討論が起きて、難民にも飛び火したけれども、
結局平行線のまま終わっている。
>>526 >これおもしろいことに男は女を美しいものと思っていて自分の体を醜いものと思ってるんだよな。
多くの男は、男の肉体を醜く、女の肉体を美しいと思ってるようだ。
しかし一方で、男の精神を美しく、女の精神を醜いとかも思ってたりする。
で、非801者な女むしろ、女の肉体を美しく、男の肉体を醜い、と思ってるんじゃないかと思うが。
で、801者も非801者も女は、男の精神は醜く、女の精神は美しい、と思ってる人が多いのでは。
>>490 男女カプや百合カプに見る美しさも
私にとっても同じですね。
人が真剣に人に恋焦がれる事自体が美しさを含むと思うので。
>>526 スレを読んでいると誤解されやすいみたいなのですが
美を見出すという点は同じでも、違う視点の姐さんもいましたが、
とりあえず私に限っての話で言えば
801が美しいから美しいと思うのではないです。
どうも、そこが上手く伝わってないようです。
男=異性を美しい、自身=醜いと思ってるからではないか、
という発想は、801に美しさを見るという視点を
801が男女より上だという認識だと思われたようですし。
念のため、女性や自分の身体を醜いと思ったこともないです。
男も女も美しいものだと思ってるので。
そんな発想があることに今驚いたくらいです。
美しさはやおいという形を取って表現される事もある、という事です。
801が、とか、百合が、とか、
個別の対象が美しいから見る側が美しさを感じる、
という意味ではないです。
私もそんな考えじゃないな
ていうか、あるポジティヴな感情が存在するのは、ネガティヴな感情の反動じゃないよね
甘いものが好きなのは、辛いものが嫌いだからじゃない
男同士の関係に美しさを見出すのは、男女や女同士の関係に醜さを見るからじゃない
フィクションの世界で幸せを感じるのは、現実が不幸だからじゃない
むろん、そういう人やそういう場合もあるだろうけど、
誰もがつねに、ネガティヴから始まっているわけじゃないと思う
ゲイ漫画とか読んでいると「女にしてやる」みたいなセリフ言う攻いるよな…
挿入される側=女に見立て、イカニモな男に伏される描写が多い。作品を見ていても女に対する嫌悪感なんかが透けて見える。
じゃあ読まなければいいじゃんって話しなんだけどね。
集団内では支持される描写なんだしそれをイヤだと非難する気はないな。
801板でも、女性的なものを貶めるか
完全に閉め出そうと必死な人はいるね。
エプロンつけてたら男じゃない
料理が出来たら男じゃない
髪が長いのは男じゃない
甘いものが好きなのは男じゃない
線の細い顔だちで綺麗なのも男じゃない
あえいだら男じゃない
こんな感じで「そんなの男じゃない」っていう叩きはどのレス見ても
とにかくちょっとでも女がしそうな事や、
レス主が女性を想起させると考える振る舞いをすると
「そんなのは男じゃない、ありえない妄想、
男と女の混じった化け物(この貶し方最近増えてる気がする)」
と叩いてる。
料理する男性なんて珍しくすらないし、実際の男性よは無関係に
「レス主にとっての女性らしさ」を叩いてることが多いから
そういう人は女性嫌悪なのかなと考えてしまう。
無茶苦茶言ってるようにしか見えなくて
興味深いと言えば興味深いけど
本人たちが、おそらく真剣に、自分たちが考える
「レス主にとって女性的と判断される要素が一切ない男」の像だけが
正しい男のあり方だと思ってるのが
レスから伝わってくるのがなんとも複雑。
>>531 「そんなの男じゃない」と過剰に要求?する人達は、いっぽうで
「801が好きでも女を捨てず、おしゃれして恋愛して遊ばなきゃ」と主張してるんじゃないかなー
どんなときでも、中身より「らしさ」に必死というか。
もちろんストレートに女性嫌悪の反動という人もいると思うけどね。
中身より「らしさ」にこだわるのは、自分の印象では、やはり若い人に多いと思う
歳とっていろいろ経験して、自分が出来あがってくると、らしさという判断は
必要なくなるから
よくあるフレーズとして例にしたけど、考えてみると
「801が好きでも」と、それ以降の文章ってべつに関わりないよね
ありがちな女のイメージにこだわるなら、単に
「女なら、おしゃれして恋愛して遊ばなきゃ」と言えばいいことだ
干物女のように、801の好き嫌いと関わりなく「女を捨ててる」人はいる。
面白いのは、801が好きでも仕事して納税して暮らしていればそれでいいじゃない、
という所にたどり着くんじゃなくて、
801が好きでも恋愛しておしゃれしなきゃ、という所に着地するんだよな。
つまり、やおい女性の考える成功とは仕事面で成功することではなくて、
恋愛、結婚といった一般女性の幸せな女性観が大きく浮き出ている。
女性にとって、社会的に認知されることは恋愛、美といったイメージに囚われすぎ。
535 :
534:2007/07/27(金) 14:35:20 ID:wIO9pPN40
ごめんなんだかレスの流れとはちょっと違う事を投下してしまった。
でもやおいスレで同属嫌悪めいた意見が投下される時は、大抵
やおいばっかりにうつつ抜かしてブスや喪でもいいのか、という切り口から始まるのに
おかしいなとは感じていた。
やおいばっかりにうつつ抜かしてフリーターありえないm9(^Д^)プギャー
とかなら解るけど。
>>534 それは、801のほとんどというか、ほぼ全部が恋愛やセックスを描くこと、
そして大抵は美しい男が登場することと関係あると思うよ
801のメインがサクセスストーリーだったら、
>やおいばっかりにうつつ抜かしてフリーターありえないm9(^Д^)プギャー
となるんじゃないかなあ。
いや。
全然わからないが、男社会では島耕作を愛読する男に
しまこうにうつつ抜かしてフリーターありえないm9(^Д^)プギャーとは言わない気がする
でも、エロゲやギャルゲにハマる男に
エロゲにうつつ抜かして童貞m9(^Д^)プギャーはうんざりするほど言われてるよね
つまり、恋愛やセックスが絡むと、突然こういった見方が混入するのかもしれない
これが恋愛資本主義ってやつなのかね
ビジネスで成功すること以上に?恋愛で成功するのが大事で、
成功しなければ人じゃないみたいな
と、書いたら
>>533の自分の疑問に答えが出た。
ついでに、ずっと疑問に感じていた
「なぜ、801は現実逃避と認めろと何度も主張するのか」という疑問の答えも
少し見えた
>>534 と言うか
仕事して納税して暮らすのは当たり前、その上で恋愛しておしゃれもしなければならない、と言う意味じゃないかな。
実際、恋愛・結婚はしたけれど仕事はしていない主腐もよく叩かれているし。
直接迷惑かけられたとかじゃなければ、
他人の人生が自分にとって不快だからと
叩く事自体がおかしいんだけどね
しかし、駄目(本人が駄目だと思っている対象)なやつのせいで自らの評価も不当に貶められている、と感じ他者を攻撃する人がいるのも事実。
仕方ないと割り切るのが一番なんだけどなー他人はそう簡単にコントロールできないよ。
私はいわれのない攻撃にはそれは間違ってると言い返すよ
それで相手をコントロール出来るなんて思わないけど
自分のためにも相手のためにも、割り切るのが一番とは思わない。
念のために言いますが、煽りにマジレスするという意味じゃないです
>>541 540が言ってることを誤読してると思われる
うん、何か読み違ってると思う。
>>532 >「そんなの男じゃない」と過剰に要求?する人達は、いっぽうで
>「801が好きでも女を捨てず、おしゃれして恋愛して遊ばなきゃ」と主張してるんじゃないかなー
それは少し酷い決めつけじゃなかろうか…。
801でどういうキャラを支持してるかと、ジェンダーに対するスタンスなんて、
人それぞれバラバラだろうし、そう簡単にイコールで括れるもんじゃないでしょう。
特定の嗜好に対して思想を決めつけて、
その上「中身より「らしさ」に必死」とか「若い人に多い」とか、
未成熟さのレッテル貼りまでするのはどうかと思う。
>>543>>544 誤読だったか
それはごめんね
>>545 どういうキャラを支持しているかっていう話なのかな
「男なら男らしくしろ」「そんなのは男じゃない」みたいに、
キャラ以前に「男らしさ」にこだわる傾向についての考察なんだけど。
ちなみに
>>545は、801者にしばしば見られる
「男らしさへの妙なこだわり」についてはどう思う?
むろん、全員がそうだなんて前提はなしで。
>>546 問題は根拠のなさだと思う。
>>532 >「そんなの男じゃない」と過剰に要求?する人達は、いっぽうで
>「801が好きでも女を捨てず、おしゃれして恋愛して遊ばなきゃ」と主張してるんじゃないかなー
って、一行目と二行目に何にも根拠も関連性もないもの。
あなたの中でそういう印象があるのなら、それについて少しは他人が納得できる
理由を言ってくれないと…。
>>545はそういう事を言ってるんだと思うが。
ジェンダー規範にとらわれて、男はこう、女はこういうものであるべき、
と思いこんでる人、というくくりなのかな。
「男はこうあるべき」と「女はこうあるべき」が密接になってる人もいるだろが、
「女は色んな人がいるが、男は全員テンプレ男」みたいに思いこんでる人も少なくないみたいだから
(考えるスレあたりからの印象として)
必ずしもその2つが直結してるということでもない、という印象がある。
私が気になるのは、一部ナマジャンル(芸能や音楽など)で目立つ、
「男は全員ヤリチンの鬼畜。男に変な幻想抱いてるおまいらm9(^Д^)プギャー」
みたいな主張を必死でしてる人。
801者である以上、本人も幻想抱いてるはずなんだが、そういう人らは判でついたように
「私は現実と妄想の区別がついている。現実と妄想の区別のつかないおまいらアイタタタ」
と、必死に他人を叩く。
「男は全員ヤリチンの鬼畜」というのもまたその人の妄想である、ということには気づかずに。
非常に病的なものを感じる。
>>546 801板での話だし、作品上のキャラに向けての発言ではないの?<男らしくしろ
もし現実の男に対して「男らしさ」を求めてるっていう話なら、
私はそういう光景自体、801板で目にしたことが無いので
「ジェンダー規範を他人に押し付ける人はどこにでもいるんだなー」って感想にしかならない。
そして、「801者にしばしば見られる」という前提自体が不思議に感じます。
キャラに対しての発言として考えるなら、(見当違いなレスだったら失礼。)
自分も801萌え対象のキャラクター(特に受)には男らしさを求めるけど、
それは「世間でまかり通る男ジェンダー規範に沿ったキャラクター」が
801というフィールドでは同性同士でツガイになり、犯される側にまわるあたりに
興奮と爽快感を感じるから。
「らしさ」にこだわるというより「らしさが逆転する世界」にこだわりがある。萌えツボとして。
これは結局の所、単なる嗜好の問題だと思います。
「かわいい男キャラへのこだわり」や、「耽美な男キャラへのこだわり」など、
色んな人が各々で抱く801世界のキャラへのこだわりのうちの一つでしか無いと思う。
「その方が私にとっては萌えるんだ」というだけの話だし、
これをもって、キャラ叩きや批判をする人は、単に厨なだけだと思う。
>>548>>549 そうか
よくわかったよ。
思い込みでものを言ってごめんなさい。
自分に実感ないことをヘタに考察するのはダメだねやっぱり
なんていうか
「男に迫られたら死ぬ気で抵抗するような男に萌える」
「ベッドでも必死で声を押し殺す男に萌える」
と
「男に迫られたら死ぬ気で抵抗しなければ男じゃない」(だからこの801はおかしい)
「男が安易にベッドであえぐはずがない」(だからこの801はおかしい)
って違うと思って。
上の意見は萌え嗜好の一つとして理解できるんだけど、下のは
「男は全員ヤリチンの鬼畜。男に変な幻想抱いてるおまいらm9(^Д^)プギャー」
と似たものを感じるんだよね
ダラダラ書いてたらIDかわってしまった…
補足のために連投失礼。
>>545レスの趣旨はおおむね
>>547氏の補足通りです。
で
>>549の長文は
>>546氏の問いかけへの回答のつもり。
キャラに「男らしさへのこだわり」を抱く人間の一例です。
ついでに一応主張しとくと、
リアルでは「男はかくあるべし」なんて思想は持ってるつもりは無いし
「女はかくあるべし」という押しつけもごめんこうむりたいです。
> 「らしさ」にこだわるというより「らしさが逆転する世界」にこだわりがある
なら、女×男でもいいんじゃないか?
>>549 >これは結局の所、単なる嗜好の問題だと思います。
同意。
自分も801の登場人物(特に受け)には男らしさを求める。
が、それは世間一般のジェンダー基準と何ら関係のない、自分基準の「男らしさ」
例えば上で挙げられてた、料理好き・エプロン・長髪・甘い物好き・
綺麗な顔・喘ぐなんていうのは、
私の中じゃ男らしいか否かとは何にも関係がないのでこれらの要素を
全て備えていても全然OK。
「芯が通っている」とか「いざとなれば攻めをどつくことも辞さない」とか、
自分基準で「こいつ男らしい!」と思えればそれでOK。
この基準もキャラの性格によって色々変わる。
もはや単に人格的魅力と言ってもいいんだろうか?
しかしそれを「男らしさ」だと思ってしまう。
それと同時に
>「世間でまかり通る男ジェンダー規範に沿ったキャラクター」が
犯される側に回るのが好き、という嗜好も持ってる。
世間のジェンダー規範にのっとってそれを逆転したり、
世間のジェンダー規範自体にのっとらず、自分基準の男らしさ作ったり、
自分で勝手に楽しめるのが801のいい所って感じ。
この流れで自分の嗜好も含めて思い当たったこと(+推測)だけど、
男らしくない801に本気で違和感や拒否感を感じる人間は
もしかしたら、「男性性×男性性」や「男性性受」を801として愛好してるんじゃなくて
「男ジェンダー規範×男ジェンダー規範」や「男性ジェンダー規範受」を
801として愛好しているのかもしれない。
だから、801に「女ジェンダー規範的言動」が介入するのを避けたがる。
特に、受に関して言うなら、作品中で受キャラが女性的な言動を見せた場合、
「男ジェンダー規範のキャラが女ジェンダー規範のキャラを犯す」という構図になり
現実社会でよくある(押しつけられがち)な男女のセックスのあり方と同じ。
そうなるともう、その人にとってのそれは801では無くなってしまう。
これが
>「男が安易にベッドであえぐはずがない」(だからこの801はおかしい)
という発言の根底の部分なんじゃないかな。
そして、「受の男らしさ」にこだわる一方で「攻の男らしさ」にはこだわらない人。
それどころか、料理が得意だったり、優しくて穏やかだったり、弱腰で従順だったりといった
世間の女ジェンダー規範を攻キャラに求める(投影する)人も多いので、
『「男は全員こうだ」「男は全員ヤリチンの鬼畜」などと思い込んでる』
という意見は大きくはずれてると思う。
優しくて穏やか、弱腰で従順、でもヤリチン、という図式はなかなか成立しないね。
ふむ、確かに。
エプロンつけてたら男じゃない → フリルのエプロンはともかく、ギャルソン風など男にも似合うようなエプロンも
普通にあるし、DIY風エプロンなどむしろ男のものというイメージだ。
料理が出来たら男じゃない → 専門雑誌まで出るほど、男の料理などいまや普通の話。
髪が長いのは男じゃない → 70年代など、長髪男だらけだった時代もある。
甘いものが好きなのは男じゃない → コンビニのケーキ類が男客をターゲットに作られてるのは有名な話。
線の細い顔だちで綺麗なのも男じゃない → 人の顔など多種多様。
あえいだら男じゃない → 男は性的快感を得てはいけないのか?つらいのう。
もちろん個人が「料理する男は好きじゃない、長髪男は好きじゃない」というのは勝手だが、
結局のところ、そこで語られる「男らしさ/らしくなささ」は
リアル男の実情を無視した、その人の脳内男のイメージでしかないんだよね。
そこのところを分かってないなら、「男は全員ヤリチンの鬼畜」と変わらん。
分かった上で「でも好きじゃない」というのは、もちろん個人の自由だが
その理由を「男らしくないから好きじゃない」というのは、やっぱり違うと思う。
>>554 最後は微妙にずれてる気がする
>『「男は全員こうだ」「男は全員ヤリチンの鬼畜」などと思い込んでる』
これは、生ジャンルの話として話題に上がって、
男性に対して極端なイメージを強固に持っている人、という括りなわけだから
女のジェンダー規範を攻めに投影する人が多くても
反証にもならないし、何ら関係のない話と思う。
そういった前述のイメージを持つ人は攻めも受けも
その人たちにとっての「男性」の範囲から
外れてはならない存在なわけだし。
攻めに女を投影してる時点で別の括りに存在する人たちだよ。
>>557 リアル男の実情と比較して「男らしいか否か」じゃなくて
男ジェンダー規範と比較して「男らしいか否か」という話。
あるいは、
>>553のように、「自分にとっての男らしさ」という規範に沿うか否かという話です。
(「世間のジェンダー規範」というのも、
基本的に個々で感じ取るものだから当然個人差は出てくるわけだけど、
リアル男の実情と比較してどうこうという話とは、全く別の問題。)
好き嫌いの理由として「男らしくないから好きじゃない」というのは
「かわいくないから好きじゃない」というのと同様に
規範は人それぞれの心の内にあるもので、
理由付けとしては、合ってるも違ってるも無いものだと思う。
>>558 >これは、生ジャンルの話として話題に上がって
おK。了解です。
読み返すと最後は確かに蛇足だった。
>>559 その人が主張する男ジェンダー規範が、「世間の」リアル男の実情には沿ってないし、
それを男ジェンダー規範だと認めてる「世間」も、どこにもないのでは?
という話。
>「自分にとっての男らしさ」という規範に沿うか否か
「自分にとっての」なら勝手だと思うよ。
しかし「これが男ジェンダー規範だ」と主張するのは、違うでしょ。
まあ確かに「世間の男ジェンダー規範」が何を指すかは難しい。
559さんも言うとおり、それについての考え方も個人差があるから。
しかし、ジェンダー規範って、全く実情に沿ってなくても
社会に存在するものではないか?
そして、実情に沿ってないが故にそのジェンダー規範に苦しめられるのであって。
>それを男ジェンダー規範だと認めてる「世間」も、どこにもないのでは?
本当に、なければいいのにと思うけどね。
>>531が例に挙げてるもののうち、少なくとも「料理」「甘いもの」あたりは
今日日それを男ジェンダー規範だと考える人のが、圧倒的に少ないと思うが。
801者て、悪い意味で保守的な人が多いのかな、という印象がある。
>>562 実際にそういう例の叩きを見たけど
最初に叩きがあって、その理由付けになれば
なんでもいいって感じなんだと思うよ。
逆や嫌いなカプ・嗜好が描き手までも気に入らない、
何とかしてカプとそれを好きな人間自体を
「誰からも見下げられるものだと主張したい」
っていう動機がまずあって、屁理屈こねてる人が大半だと思う。
メアリースーなんかも、最近は叩く根拠によく持ち出されるけど
叩く事が目的だから、メアリースーという捉え方が正しいかどうかは
そういう場合ほぼ問題視されないし。
>>562 >圧倒的に少ないと思うが。
少なくてもいまだ存在はしてるし、
「料理は女がするもの」「女の子は甘いものが好き」のように
男側の制限だけ解除して、女側への押しつけは残ってたりもする。厄介なことに。
>悪い意味で保守的な人が多いのかな
「世間のジェンダー規範を認識」すること自体は保守的でもなんでもないし、
それを801の受キャラに投影する行為に至っては、保守とは全く逆ベクトルだと思うよ
>>531のようなタイプの叩き文句は
>>563の言うように
まず叩きたいという下心ありきで、
自分の叩きを正当化して見せるために出してきた言葉だと思う。
そうじゃなかったとしても、801のキャラに望むことと、リアルに抱く思想は別物なので
保守性によるものというわけでは無いと思う
叩きの大義名分として引きずり出されてるんだろうね
注目するとしたら、
大義名分として引きずりだすものが
「これを根拠に持ち出せば、周囲は私に同調するはず」という
裏返せば本人が重要視していること、とも言える事じゃなかろうか。
>>565 自分がそれを重要視している訳でもないけど
「皆がそうやって叩いているから私も」と言うだけの人も多いんじゃないかな。
皆が使っている叩きパターンをそのまま真似しているだけ、という人。
叩きパターンにも流行があるよね。ジャンル毎の傾向もある。
そうまでして他人の幻想を叩きたい気持ちがよくわからない
中学生の教室のいじめと同じ?
>>567 2chに極端なかたちで表れてるけど
「××がいかに嫌いか」で何かを語ることが
自己表現の手段のひとつとして確立されちゃったように思える
そういう人らにとっては
「××が好き」という行為そのものがイタくてキモい訳だ
高みから見下ろした気分で見ず知らずの誰かを叩いてりゃ
それで満たされる自尊心ってのもあるんだろう
ここの人達も「昨今の801がいかに嫌いか」を語ってるんだが。
現行スレも酷いが前スレ酷い。
今の801はクソポルノ、昔の801はブンガク!
“私達はそんなブンガク801をリアルタイムで経験した「違いが分かる」古株!”
これこそ貴方達のアイデンティティなんでしょう。
他を叩いて自己を確認している。自分を省みないとはこのことだなwwww
>>568 自尊心とはまた関係ないと思う
正しいものが一つしかないと考える人にとっては
自分と違う価値観を正しいと見ることは、
自己否定と同義になってしまう面もある。
自分の嫌いなものが主流になることを恐れて叩く人もいる、
こういう場合は自分の価値観が少数派だと突きつけられるのが
嫌だと言う人も見かける。
>>569なんかも一つのサンプルになると思うけど
一旦敵認定した相手と同じ属性を持つ人間は
全て同一視して叩く人も居る。
571 :
風と木の名無しさん:2007/07/28(土) 19:08:30 ID:v2yrx+g6O
はいはい、このスレだけは別だと思ってるんだね。
「○○がいかに嫌いか」を語る
このスレのことだろ。
本来の流れは「色々と語る」なんだけどね。
いかに嫌いかというより、「何故嫌いか」と「どうなって欲しいのか」を
あわせて語った方が建設的だし、興味深い話も聞ける気がする。
○○がいかに嫌いか、ならばどうなってほしいのか、を語るのと
○○を好きな人がどれだけ自分より劣っていて痛いか、を語るのは別モノだと思うんだ。
私も本来の流れは前者に近いと思ってるんだけど。
どうしてもその流れの中に
「○○が好きな人はこれ(=根拠のない前提)だけ痛い!!だから○○も嫌い!」
という人が出てきて、それに言い返す人がまた出てくる=今みたいな流れになる。って感じ。
ただ、「不満」という言葉がスレタイに入っている以上、
ネガティブな意見を言う場だと思っている人が入ってくるのは仕方ないと思ってる。
ポジティブに自分の萌え方を語るんなら、他のとこでいいんだもんね。
最初のスレからいる人、今どのくらいいるのかな?
ここは本当の最初には、古株が「最近」の嫌いな部分を語るための愚痴スレだったじゃない?
スレタイなんかそのままだったし。
正しいかどうかではなく、人それぞれの感覚で、
最近の何かに不満がある人が、それを好きに愚痴っていいはずの場所だった。
でも、古参だけが集まる場所って案外ないから
昔を知る者同士が、その感覚や歴史の違いも含めて色々語るような場所になって
その結果、感覚の違いは人それぞれということにもなり、タイトルから「古株・嫌い」の文字も消えることになった。
今は冷静に分析したり考えたい人が多いようだから
愚痴スレの性格はどんどん薄まって殆ど「考えるスレ別館」になってるけど
それでも、やはりここは「最近」に何らかの不満を感じる人が語るスレであって
それが許される場所のはずだとは思う。
特に前スレは最初のスレの性格を強く残してたから、古参の愚痴が多かったのも仕方ないと思う。
だって、それが許されるはずの場所だったから。
それに前スレは、違いを感じない不満もないって人が
違いを説明しろ、言えないなら不満なんて言うなと言い出したから、
不満を愚痴ることが許される場所へ愚痴りに来たはずの人が
仕方なくそれぞれが感じる違いを説明しないといけない流れになってただけで
大半の人は何かをことさら誇ったり、逆に貶めたりなんてしてはいなかったように見えた。
>>569はスレ住人の総意が
>今の801はクソポルノ、昔の801はブンガク!
>“私達はそんなブンガク801をリアルタイムで経験した「違いが分かる」古株!”
って書いてるけど、違いや区分けをしてる人がいてもそれを優劣で語ってる人はむしろ少数だったと思う。
私は違いを感じても、それは必ずしも優劣とは関係ないと思ってる。
その人が求めるものや接しているものが違えば、違いを感じないことだってあって当然。
また、大雑把な区分けをするとしても、それはジャンルの違いを表すための区別であって、どちらが良いということでもないと思う。
前スレは黙ってロムってたけど、とても全員があなたが言ったように考えてるとは読めなかったよ。
余分な意味を持たせて過剰に反応し激昂しているのは、何か
>>569自身の内面的な問題にも思える。
575 :
風と木の名無しさん:2007/07/29(日) 00:19:33 ID:t1aOo8gQO
なるほど。貴方達「だけ」が愚痴るのを許されるてるんですね。
数行しかない私のカキコにそこまで長文でレスしてる貴方は
「過剰に反応」してないのかね。ああ、それも貴方の内面的な問題ですか?
昨日の夜の話の続きだけど
自分にとっての男らしさ、実在の男性には求めない男らしさというのはつまり
幻想の男らしさなんだよね?
幻想の男らしさは、
自分が男に求める理想+現実を素材にした「男ってこんな感じ」という
自分の印象で出来ている。あってるかな
で、レスからの印象だけど、幻想の男らしさに拘る人の801世界は、
とても「自分の世界」色が強いんだね
現実の世界と、自分の幻想世界は別世界であり、求めるものもまったく違う
そして、自分の世界だから、この世界に住む801キャラには、
自分の規範=幻想の男らしさを強く求める
規範を外した801キャラは、拒否され、自分の世界から排除される
でないと世界そのものが消えてしまう
これがエスカレートした人が、自分規範にかなわないものを
「こんなの男じゃない」と必死に叩くのだとしたら、それは、
その人の幻想世界の脆さの裏返しなのかもね
自分にも、幻想の男らしさという感覚はある
というか、現実の日常を生きていて、持ってない人のほうが少数だと思う
でも、自分の場合、自分の幻想の男らしさと、そこにいる人物との距離が、
現実も801世界も同じなんだよね
同じように幻想を抱いているが、同じように規範として求めない、重視しない
どちらも自分の世界であると同時に、自分の世界じゃないと感じる
そういう点では「現実と妄想の区別がついていない」んだと思う
いや、つけてないのかな
自分が興味あるからかもしれないけど、ここで話してると、しばしば
そうした違いを感じるよ
>>575 あなたは「最近の801情勢について」不満を感じてるんじゃなく
ここで語られてる内容とそれ書いてる人を攻撃したいんでしょ?
579 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 00:49:57 ID:t1aOo8gQO
貴方達がこのスレで勝手にウンコしてるのは結構。
自分を省みず「他人を叩く人ってなんなの?」と大真面目にやってるのが笑えただけ。
そして「ここでは愚痴が許されている」「自分達は建設的な話をしている」
とひたすら自己肯定。
手酢さ
>>579にとっては、
このスレには自分自身ともう一人の他人しか居ないみたいだね
他人は全て同じ意見を共有してると思い込んでる
>>579 うんうん。それで?
あなたが若年801者なら、自ジャンルの萌えスレで萌え萌え言ってれば良い。
あなたが同板からの出張なら、今日見たいい男のケツの形にいついて、お仲間と語り合ってれば良い。
何か色々気の毒な境遇の人のようだが。
>>582 煽って遊ぶ場所じゃないんだし
姐さんも煽らないで欲しい。
まして、
>>579一人を煽るためにとても失礼な物言いはしないでほしい。
正直、同レベルに見えるので自演の気すらしてくる。
私もこの間から自演の人がすみついてるのかなと思ってた。
>>577 >実在の男性には求めない男らしさ
そうだね、本当は求めたいのかもしれないが、
そんなものは自分の都合のいい幻想だとわかっているから求めない、って感じか。
この点男は、幻想を実在の女性に投影する事が許されてきたけど、
(昨今許されなくなってきて嘆いてらっしゃるが)
女はそういう歴史がない上、自分達がされてきて嫌な事を男性にするのは
抵抗があるんだと思う。
その分801では、自分の理想とかこだわりを追求するのかもしれない。
でもそれも場合によるわ。
本命CPだとこだわるが、どうでもいい作品だったら流せる。
「あははこんな女みたいな男いるかよ、面白かったw」くらいの感じで。
あなたは作者の提示する世界を、現実世界と同じくある程度の諦観をもって
受け入れられるタイプなのでは?
男らしさ以外の点においても、許容度が高そう。
801において何を重要視するかは人によって違うから、
あなたは「男らしさ」以外に、何か重要視している点があるんじゃない?
>>584 >女はそういう歴史がない上、
>自分達がされてきて嫌な事を男性にするのは
>抵抗があるんだと思う。
このくだりなんだけど、私には他者に理想を求めるということは
マイナスイメージはないので、ちょっと面白いと思った。
誰かに夢を見られることはむしろ誇らしいと思える。
絶対無理だと思うような夢かもしれないとはいえ、
「女性は美しくないといけない」なら多少腹も立つけど
「美しい女性が居て欲しい」というのは、一種健気な感じがして。
もちろん、男女が逆でも、同性に対する憧憬でもね。
余談だけど、数十億もいるんだから、中に一人や二人、
誰かにとっての夢のように美しい人が居てもいいんじゃないかと思う。
>>584 この話も、考えるスレでもよく出るけど
>自分達がされてきて嫌な事を男性にする
これが「されてきて嫌な事か」どうかも考えが分かれてるよねずっと
>作者の提示する世界を、現実世界と同じくある程度の諦観をもって
>受け入れられるタイプ
「諦観」が「自分の幻想が受け入れられない」という意味だとすると
それを「諦観」ととるかどうかも、考え方の違いだと思う
幻想が受け入れられないことがストレスなら、諦観をもって受け入れることになるし
受け入れられないことが、なんというかM的な快楽なら、そこに痺れる憧れるになる
801において私が重視するのはエロさかな
最後まで読んだのにエロを感じられなかったらガッカリする
自分で書くときもエロをどうするかが重要になる
だけど、なんかものすごく、拘りとは違う気がしてしょうがない
801に見る「美」は、とても大切なんだけど、エロを重視する、とかいうときと
スタンスが違うから並べて語れない
>>585 社会的に女性を抑圧してきたジェンダー規範って、ある種
男の女への幻想、理想を守るためにできてきたともいえる。
同じ構造を男に押しつけるのは気が進まないという話。
男らしさから逃れたい、という男子が結構な数いる昨今だし。
自分の理想をもって「自分を変える」のはいいけど、
自分の理想をもって「他人を見る」というのは、実際に一対一の
関係においても、色々な破綻をきたすと思う。うまくいけばそれでいいんだけどね。
あなたが言ってるような夢は、私はフィクションの中に求めるタイプなのかも。
そういう、何十億人に1人の出会いを、カプに託すの。
>>586 これが、というのは、私はジェンダー規範による抑圧っていう意味で書いてた。
自分の理想とする「男らしさ」を現実の男性に押しつけるのは
嫌だなと思って。
嫌じゃない人もいるのかもしれないけど。
諦観は、「自分の幻想が受け入れられない」という意味ではなくて、
作者と私は違う人間だから、
「自分の理想とは違う男らしさを提示してきて当たり前」という意味。
諦観っていうと語弊があったかな。
自分でエロを書く時に、何らかの理想をこめてかいてるのであれば
それが重視する部分てことにはならないのかな。
拘りとは違うのかな。
>>577 >自分が男に求める理想+現実を素材にした「男ってこんな感じ」という
>自分の印象で出来ている。あってるかな
ちょっと気になったんだけど、
これは「男ジェンダー規範の投影」とは別の話だよね?
同じ「801に男らしさを求める嗜好」にしても、
>>553が言うように
・世間のジェンダー規範にのっとってそれを逆転
・世間のジェンダー規範自体にのっとらず、自分基準の男らしさ作る
の2パターンはあって、その双方は心理面のあり方は違うと思う。
前者の場合は理想というより、男が作り出した男ジェンダー規範(男にとって都合の良い男の美学等)を
801キャラに付与し、その規範を逆転(陵辱)する嗜好
理想男性像の構築という面は、後者のケースにしかあてはまらない。
このへん、しっかり分けて考えないと、色々ズレが出てくる気がする。
>>588 あ、そっちね。
私はいつもの「欲望の視線」のほうかと思って読んでました。失礼
社会的ジェンダー規範による抑圧はたしかに気持ちいいことじゃないよね
それをどこまで抑圧と感じるかは、その人の性格や、環境にもよるけど。
で、「本当は求めたいのかもしれないが」というレスから考えると
「本当は、世間のジェンダー規範にのっとるよう、男性に求めたいのかもしれないが、
自分がそうした規範を押しつけられていやだったので、求めない」と読めるんだけど
あってるかな。
だとすると、あなたにとって、あるいはそうした規範がらみで「男らしさ」に拘る人にとって
より重要なのは、ジェンダー規範の存在や、規範の中身ではなくて、
それを作り出し、守るよう求める側が男性だということにある気がする。
逆手にとりたい、逆転したいのもそこなのでは?
規範そのものは、どうでもいいカプの801を「こんな女みたいな男いるかよ」と
笑えるくらい、自然に根付いているわけでしょ。
上であってるかどうかわからないけど、
自分がより崩したいのは規範の主導権ではなく規範そのもの、その中身のほう。
でも、たぶん、すべてにおいて規範を崩したいわけではなく、
ゆるされた存在だけが規範を無視する姿に痺れ、憧れるんだよね。
だから、どうでもいいカプの801を見たら「こんな女みたいな男いるかよ」ではなくて
「お前がそれやっても素敵じゃない」になると思う。
それは主導権がほしい派(勝手にわけて違ってたらごめんね)も一緒じゃないかな
どうでもいい相手から主導権をまかされてもウザイだけ、
これぞという相手から奪うから痛快なのでは?
>>589 ・世間のジェンダー規範にのっとって
=現実を素材にした「男ってこんな感じ」
・世間のジェンダー規範自体にのっとらず、自分基準の男らしさ作る
=自分が男に求める理想
というつもりで考えたんだけど
それぞれ、たしかに中身は違うんだけど、ここで男らしさに拘る人のレス読むと、
両方が存在することで、相互に価値をあげてるように思えたから。
「801に男らしさを求める人」の考察は、どこに終着点があるんだろう?
自分の嗜好を解き明かしたり、主張したりするならともかく、
他人の嗜好についての語らうのって、よほど慎重にしないと
「○○な嗜好の人間は、××な考え方で、□□な人間なんだ」みたいな、
叩きに近い乱暴な決めつけが飛び交いがちになるよね。
(実際
>>532の決めつけから端を発してるし。保守的云々も失敬な話だ)
非801者に「801が好きな人間は全員こうだ」と語られてるのと同じような
上滑り感を感じるんだけど…
この話題を長く続けるようなら
何が疑問で、どこを解き明かしたいのか具体的に教えて欲しい。
801に男らしさを求める人がみんな嫌な奴みたいな書き方は何とかして欲しいです。
そんな書かれ方はしてないと思うけど
ここで疑問視されてるのは、他人の描いた自分の好みじゃない男を
「こんなの男じゃない、801じゃない」とやたら叩く人、であって。
じゃあ、その人たちが求める男らしさって?という話題と思う。
>>594 同意。
一部の人(あるいは同じ人)なんだろうけど、
印象や根拠の無い憶測で否定的な決めつけをするレスが、読んでいて非常に不快。
>>595 自分の気に入らないキャラを叩くような人は、どんな嗜好にも存在するでしょう。
そして「叩き」って行為自体はそいつの人格の問題。嗜好とは別。
そのへんを線引きしないで、一部の厨の言動をダシに嗜好を語る事自体が
すでにその嗜好に対する暴力じゃないか。
嗜好について本気で考察するなら、まず「叩きをする一部の厨房」を切り離して考えるべき。
逆に、「叩きをする厨の心理」について考察するなら、特定の嗜好だけをターゲットにしないで
別の嗜好の厨も引き合いに出したらいい。
>>596 「(その人の考える)男らしい人やキャラの801が好きな人」と
「(その人の考える)男らしい人やキャラの801が嫌いな人」がいるのは、単なる嗜好の問題で、
嗜好にばらつきがあるのは当然のことに過ぎない。
「その人の考える男らしさ」および「その人が『世間はこういうのを男らしいと思ってる』と定義してるもの」
に完全にばらつきがある以上、そんな曖昧な規定では議論なんかできないじゃん。
で、「勝手に『こういうのを男らしい』と決めつけて、それに外れるものを必死に叩く人」
というのは、かなり変だね、という話が出てるわけだが、
それが一体何でそんなにあなたの気に障るのか?
>>595 勘違いしてると思う。
801に男らしさを求める人についての話じゃないし
801に男らしさを求める嗜好についてなんて話してない。
まずそこから食い違ってる。
“○○するなんて男じゃない、trnkついてる女、
女みたいな男居るわけない”
というような叩きをする人について、
「そういう人が思い込んでいる男らしさ」って何だろうって言ってる。
上にも出てるけど、喘ぐ男が嫌い、料理が出来る男が嫌い、
なら別に単なる好み、だけど
そういう男は「居てはいけない」
もしくは「801に存在するのが許せない」と思うなら
それはどこか変だよね?どうしてだろう?という話。
男らしいやおいが好きっていう嗜好が変とか厨とかの話なんて
最初からどこにもない。
文章の単語だけみて、自分の嗜好だと思い込んで話してない?
叩いてまわってる人をつかまえてなぜそんなことするのか聞き出すわけにもいかない。
厨行為を繰り返す一部の人のおかげで、男らしい801を求めてる人達は肩身が狭くなる。
>>598 >それはどこか変だよね?どうしてだろう?という話
だから自分の嫌いな嗜好を叩く人なんじゃないの?
>「そういう人が思い込んでいる男らしさ」って何だろうって言ってる。
一般的な男性像だと思う
例えば、転んで「いやぁーん☆」なんて言う男は殆どいないよね
それを「普通の男」として登場させて、周りのキャラも
当たり前に受け入れてるから違和感があるんじゃないかな?
>>590 あなたの考察にあてはまるタイプでないみたい。
自分が求めたいのかもしれないと言ったのは、世間のジェンダー規範ではなく、
自分独自の理想、ジェンダー規範です。
世間で男らしいとされるジェンダー規範には拘りはほとんどない。
だから、一般的に女らしい要素として挙げられてた点を全て兼ね備えていても
別にかまわない。
どうでもいいカプについて笑えるのは、規範そのものが根付いているからではなく、
どうでもいいカプには何も期待していないから、
変な事、自分にとって嫌な事になってても軽く流せるというだけ。
男性向けエロ見て本気でこんな女はいないと怒ることがないのと同じ。
なので、今世間にまかりとおってる規範そのものを重要視はしないし、
その主導権を握りたいとも思わない。
逆手にとりたい、逆転したいというのは、自分がその主導権を握る
というより、既存の価値観がひっくり返る事への痛快さです。
許された存在だけじゃなくて、全般的にそうなりゃ面白いのにと
思ってるって感じかな。
>>600 だから、男らしいやおいを求めること自体は
別に否定されてないんだって。
そういう「自分の許す範囲以外を男と認めない」人たちと
単純に同一視もしてないよ。
そもそも、そういう人たちのいう男性像は現実の男性ともほぼ無関係だし。
>>601 違うと思う。>一般的な男性像
それに転んで「いやぁーん☆」なんて女でも言わないよw
服装倒錯癖のある男性なら演技としてやるかもだけど。
極端な例だし、話がずれるからそれはともかく。
姐さんも誤解してるっぽいのでもう一度区別して欲しいのだけど
現実に居るかどうかとは無関係に
「自分の中の男性像以外の男性」を801において男性と認めない人、
に限定の話なんだ。男らしいやおいが好きかどうかとかじゃないんだ。
またなよっとした男が嫌いかどうかという話でもない。
嫌いとか好きはどうでもよくて、
嫌いなものを「存在するわけない」「しちゃいけない」
という感性の人に限った話。
喘ぐ男、エプロンつけて楽しそうに料理する男、
手先が器用だったり、化粧して無駄毛に気を使う男、
些細な事に感じ入って涙もろい男
セックスで感じまくる男、なんていうのはごく普通に居る。
逆にいえば「美しくない男の801は存在しちゃいけない」と思う人は
そういう「〜なんて男じゃない」って人と同類だと思う。
多分、区分わけの時点で別の区切りをしてしまってるんじゃないかな?
>転んで「いやぁーん☆」なんて女でも言わないよw
けっこう聞きますよ。(東京在住)
>>597.598
>「勝手に『こういうのを男らしい』と決めつけて、それに外れるものを必死に叩く人」
こうやって一文にまとめてるから、曖昧なまま嗜好叩きのような流れになってるってこと。
・『勝手に『こういうのを男らしい』と決めつける』という価値観について
・『それ(価値観)に外れるものを必死に叩く人』という行為について
この二つの問題を強制的に連結させたまま話が進んでいるけれど、
そもそも、後者に関しては、その人の懐の狭さの問題で、心理自体は至ってシンプル
価値観に合わないものを嫌悪し否定するという、ありがちな状態。
叩き自体は幼稚な行為ではあるが、考察すべき「変」な所は何もないじゃないか。
そして、残る前者に関しては、結局その人の価値観や好みの問題。
そこについて「変」という切り口で言及するというのは、
発言者にその意図がなくても、他人の価値観への暴力じゃないの?
二度目になるけど、線引きがあいまいなまま、他人の価値観と心理」を語るのは乱暴だと思う
語るなら、具体的に何が変だと思うのか、疑問点を明確にするべきだし
別々の問題を連結したりしない方がいいと思う。
>>605 あなたがいくら「議論するな」と必死になったところで、それを議論したい人が複数いれば
それを止めることはできない。このことは理解すべき。
異論を書き込むのはもちろん自由だが、「議論するな」は無理だ。
>>605 私はその二つの問題を連結させてる意図はないです
>>603の最後にも書きましたが
>逆にいえば「美しくない男の801は存在しちゃいけない」と思う人は
>そういう「〜なんて男じゃない」って人と同類だと思う。
というスタンスで延々書いてきました。
最初に明確にしなかったので混乱と不快を招いたことはごめんなさい。
お詫びします。
>>603 >「自分の中の男性像以外の男性」を801において男性と認めない人。
>「美しくない男の801は存在しちゃいけない」と思う人は
>そういう「〜なんて男じゃない」って人と同類だと思う。
これなら言いたい事はわかるし、嗜好や価値観叩きだとは思わないけど、
『自分の価値観にそぐわないキャラを作中で認めない』
「存在するわけない」「しちゃいけない」と思うというのは、
嫌いという感情が拡大された結果に過ぎないんじゃないかと。
「嫌いなものは見たく無い、認めたく無い、存在して欲しく無い」という感情の発露。
で、これを吐き捨てスレとか以外で叩き発言する人は、単に本人が幼稚(人格面に問題あり)か
そうでなければ、その人のおかれている環境とか、叩き対象としている作品次第だと思う
考察対象とするのは実質的に無理なんじゃないかな。
あと、
>・『勝手に『こういうのを男らしい』と決めつける』という価値観について
これについては、特に問題がある、とここで言ってる人はいないはず。
>価値観に合わないものを嫌悪し否定するという、ありがちな状態。
これで全部決めつけるなら、「総受けが嫌いな人」とか
「攻めがケツ掘られるの氏んでも嫌な人」とか
そのへんも「価値観に合わないものを嫌悪し否定するという、ありがちな状態」だから
語るな議論するな何も言うな、ということにならないか?
本当に「価値観に合わないものを嫌悪し否定するという、ありがちな状態」だけなのかどうかも
分かってないというのに。
>>606 605は「議論するなら叩きにならないように慎重に願いたい」ってこと。
ついでに、「議論になりようの無い主題について憶測で話すのは不毛じゃ?」とは思うけど
そっちは別に止める気は無いですよ。
>>607 了解です。
605のレスした後に
>>603を読んで意図を把握出来ました。
>>608 たとえば、「男は全員ヤリチンの鬼畜」と決めつけて、
それに外れるものを叩き必死にあげつらう一部の801者がいるわけだけど、それも
>単に本人が幼稚(人格面に問題あり)か
>そうでなければ、その人のおかれている環境とか
というような単純な話だと思う?
まあそういう人は大人ではないだろうし、本人のいないところで欠席裁判してもしょうがない、
という意見はあるにせよ、あなたが言ってるような単純な話とも思えんよ。
>>609 >「総受けが嫌いな人」とか
>「攻めがケツ掘られるの氏んでも嫌な人」とか
だから、それについて語るなら
今度は「叩き行為」と「嫌悪感」を分けて考えた方がいいんじゃない?
つか、「なぜ○○を叩くのか?」という問いの答えとして「嫌悪感」と言ったけど
「○○が嫌いな人はどういう状態か?」の答えは断定した覚えは無いよ。
>>603 「存在するわけない」と「しちゃいけない」を
同列に考えるとおかしくならない?
「存在するわけない」は
登場人物・言動に必然性や説得力を感じなければ
当然、違和感が発生する訳で、個人の価値観、嗜好、
作家の力量の問題だと思う
「しちゃいけない」は
自分の価値観以外は認められない人ってだけ
どちらも801に限らずの話
多かれ少なかれ誰にでもある事だし
>>613 叩きで使われる場合は、ほぼ同じ感情から発してると思う>その二つ
個人の力量問題なら面白くないとか下手糞とかの罵倒でもいいし
嫌いだから存在も認めたくない、という
感情の流れとしては類推できるけど、
801や男の範疇に嫌いなものが含まれること自体がダメというのが
やっぱり不思議。
801や男から余計なものを取り除きたい、
801や男は理想的であって欲しいという心理なのかな?
>>614 その叩きがどこに存在してるのか分からないけど
二次だったらキャラ改変になるのが嫌って心理もあると思う
私は、
>>601ならともかく、
>>603みたいな例で叩いてる人は見たこと無いし
例えば「料理する男」が「男じゃない存在しちゃいけない」なんて
「好きな男だっているじゃん」と返されると思うんだけど
何か極端にデフォルメされた801者を例にして語られてる感じがするんだよね
よく評論家なんかが「性的トラウマ」「閉じ篭った世界」みたいな結論出して
801を語るけど、大多数の当事者(801者)に反発されるのと似た感じ
>>615 とっても安直な理由で「あれは男じゃない」と気軽に言う人はいるよ
知人で「○○さんの作品(801)はおもしろいけどあれは男じゃないよね」と言った人がいて
「なんで?」ときいたら「睫毛あるから」って答えで驚いたことがある。
そこまで極端じゃないにしても「それ男じゃない、チンコついてるけど女じゃん」
「男のくせにアンアン言うな」「男なら男に迫られたら死ぬ気で抵抗しろ」といった発言は
ジャンルスレや、同人誌のトークなんかでも何度も見た
でも、どういう時に「男じゃない」と言うかが問題なのじゃないと思う
「それは男じゃない」「男のくせに」「男なら〜しろ」というのは、
「男らしい男が好き」「男らしくない男は嫌い」とは違うニュアンスの言葉だよ
男であること、男同士であることは、801として成り立つ最低条件のはずだから、
「男じゃない」と罵るのは、その801は存在を認めない、と言ってるように、少なくとも
言われた側には聞こえるよ
だから、たぶん自分が本当に気になるというか、実感として言いたいのは、
「あれは男じゃない」「男らしくしろ」と言う側の心理より、そう言われる側の心理なのかも
801世界で自分が好きで、感情移入している男が「男じゃない」「男らしくしろ」と言われるのは
リアルの自分に「女じゃない」「女らしくしろ」と言われるのと同じ窮屈さを感じる
「お前は女らしくないから嫌いだ」と言われても、そりゃ残念でした以外に何も感じないけどね
単に自分の気に入らないものを全否定するために言っているだけなんじゃない?
たとえば「女体化は801じゃない」と言う人は
「男×男じゃないと嫌、それ以外は801と認めたくない」という心理があるような気がする。
「女になる801なんてあるわけない」みたいな。
>>618 そのケースだって、「女体化は萌えないから興味ない」と思ってるだけの人と
「女体化なんて信じられない!!そんな気持ち悪いもの書いてるやつは全員氏ね!!」
とか騒いでる人では、全然違うわけで。
前者は単なる嗜好上の話だが、後者は女性の身体に関して、何か問題を抱えてる人の反応だ。
>>619 後者はただの頭がおかしい人なのでは?
そんなの801以外のジャンルでもよくいるのに
何で女性性の問題に結びつけるのかが分からない。
>>620 女性性を見せられて火病ってる人見たら、まず女性性の問題と結びつけて考えてみるのが普通だろう。
801以外のジャンルの人も、何か問題があって火病ってる可能性もあるわけで、
それをただの基地外と言い張るのは思考停止だろうと思うし、
ましてや他人に対して、考えるな思考停止しろ、と言うのは、さすがに違うだろう。
>>621 女性性の問題と断定するは疑問だと言ってるだけで
思考停止しろなんて言ってないけど?
女体化嫌いでも男女物が好きって人は山ほどいるよ
実際に女体嫌スレ見ればそんな感じなんだから
女体化が許せないってのは
自分の好きな男キャラがご都合主義に改変されることが
許せないって考えるのが普通だと思う
> ID: act6owaU0
ちょっと上に、「価値観」と「叩き行為」を分けて考えろってレスがあるんだけど
そのへんスルーですか?
自分の発言を考察だと勘違いしてるのかもしれないけど、
貴方のそれは憶測で他人の心理を決めつけて文句言ってるだけじゃないか。
思考停止しろとは誰も言わないけど、貴方は妄想停止した方がいい。
>>622 >自分の好きな男キャラがご都合主義に改変されることが
>許せないって考えるのが普通だと思う
それも単なる決めつけでは?
キャラの性格改変をはじめ、色んな面でご都合主義に改変する人はいる。
性格改変は気にならず、女体化のみが気に障るのなら、色々問題がありそうとは思わんかね?
もし「女体化嫌いな人は、男女を好む傾向にある」というのが本当なら、結構興味深い話とも思うけどね。
あなたのレスは、なるべく問題をなかったことにしよう、問題を見なかったことにしょう、
という傾向が見られる気がするんだが、気のせいかな?
>>623 叩き行為自体と、叩かなければ気が済まないほどテンパってる状態の話ぐらいは、区別つけてよ。
ID:bu9NrlVv0(ID:+LQxWmgG0と同一人物だよね?)の主張だけを読めってこと?
>>612 そういう主張をしてるのはID:bu9NrlVv0の
>>612だけのようだし、
そのレスにアンカーつくのはこれが初めてのようだし、
そもそも多くの人は、叩かざるをえないほど追いつめられてる状況を問題にしてるように見える。
単なる嗜好上の問題なら、特に問題はない、と考えてる人のほうが多いように見えるけど?
>>627 私はID:bu9NrlVv0と同じ人じゃないよ?
>>624 男女物がOKでも女体化は嫌って人も多く存在するんだから
女性性の問題と断定するよりは普通だと思うけど
逆にあなたのレスこそ一部の現象を大袈裟に捕らえて
ジェンダー論がしたいだけような気がするんだけど気のせいかな?
>「女体化嫌いな人は、男女を好む傾向にある」
これ違うから、男女はOKでも女体化は嫌って話ね
>627
ちょっと上の流れを全部読むといいよ。
>>603=607のレスとかも。
なんでもかんでもジェンダー論と結びつけて批判したいだけなら
他所でやればいい。
>>627-
>>628 一対一の構図でも無いみたいだから、私の意見をまとめてみたよ
■「○○以外は許せない」「存在してはいけない」
→自分の好きなもの以外を認められないのは、801者に限らず老若男女に当てはまる傾向
※他板に行けば一目瞭然、801者だけに多く見られる傾向では無い
「存在してはいけない」などは、ただの厨思考
■「男らしさ」
→「男らしさ」「女らしさ」は個々の価値観・許容範囲の問題
上記と同じく、許容範囲外に対する否定は801者だけの特徴では無い
また、許容範囲の問題なので実在しているかは否定する人にとって無関係
例:「子供と遊ぶよりギャンブルだ」→「父親らしくない」→「でもそういう父親もいるよ」
■「男らしく」「女らしく」という押し付けが嫌
→板違い
■外部の人が801者を語るときの特徴
@女性性に問題・コンプレックスがある
A男性嫌悪
B自分の世界に閉じ篭っている
C性的なトラウマがある
Bは男女問わずオタク、思春期に多く見られる傾向
Cは、どちらかというと思春期女子に多く見られる傾向
恋愛・結婚・出産・社会人を経験している801者は多数いるため
上記の例のような結論ありきで語ると当事者である801者からは不評
一晩中乙
>>633 何がしたいのか分からないんだが、自分の気に入らないレス、自分と意見の異なるレスを
外部の人間の仕業、男の仕業と決めつけるのはいいかげんにすべき。
ジェンダーうんぬん持ち出されただけで逆上してては、議論にもならない。
まあ全てがそうじゃないにしろ女体化嫌悪が女性性に問題ありとか
決め付けられちゃうと住人じゃないと疑う気持ちもわかるけどなぁ……
逆に「女体化する人は女性性を必要以上に崇拝している」って行ったらどうよ?
「男性性の嫌悪」とか。
やっぱり違うでしょう?
中にはそういう人もいるかもしれないけどさ。
「女体化」というだけで必要以上に嫌う人、に限定するのなら
>>619の言う事も分からないでもない。
好きな男キャラが女体化しているのが嫌、ならご都合改変が嫌だから、と言う理由の人が多いだろうけど
オリキャラや、二次キャラだけど知らない・興味ないキャラが対象だとしても「女体化」が嫌だ、
萌えないから興味ないだけではなくそれをやっている人が許せない、と言うのは
ご都合改変が理由ではないだろうし。
女体化が嫌な人は、女体の何かが嫌なんだろうし、
女体化する人は、女体の何かが好きなんだろうし、
そんな程度の指摘にまで、ジェンダー関係ない!と必死になるほうが不自然では?
そもそも元の話は男らしさの定義とそれに対する反応という、本人の男女観にダイレクトに繋がるものの話で、
むしろジェンダーの問題避けて通ろうとするのが無茶な話題だ。
どうでもいいが、「ジェンダー関係ない!ジェンダーの話持ち出すな!」と主張する人が現れたのって
「最近」の話だよね?
まあジェンダー規範の被害者である女が
801の中でその迫害を逃れたり、立場を逆転させる一面というのがあって、
しかし、そうした801の中の「自分が萌える男」は
ジェンダー規範に沿った「男らしい」男である、という場合、
被害者であると同時に加害者でもある自分に気付いてしまう、というのはあるかもね。
ジェンダー規範の被害者は常に女とは限らないし。
近代社会に限らずあらゆる社会で、フィクションの生産、流通、消費のプロセスは
現実を構成する営みとしてシステムのなかに含まれている。
近代社会の特徴は、技術の進歩によってその生産、流通、消費の速度と量とが劇的に増大したことにある。
フィクションの形式と内容はその社会の現実によって規定される。
規定されるレベルはさまざまにある。
たとえば、私の描きたい絵のスタイルは石版に鉄筆で描くのが一番適していると言い張っても、
それを現在の流通のプロセスに乗せることはまずできない。
また、その社会の規範と無関係に小説のテーマや描写は決められない。
フィクションの生産、流通、消費というのはこうした「検閲」と切り離せない。
何が許され、何が許されないか、ということを当事者が自覚的あるいは無自覚に
自分で自己検閲する場合もあれば、当事者以外の人物や機関が慣習や法制度にもとづいて検閲を行う場合もある。
そうした検閲がまったくなされていないフィクションは存在しない。
問題は、あるフィクションに誰がどんな検閲を行っているのか、ということにある。
自分だけで自分の好きなように自由に検閲を行うことができる人間は、ひとりもいない。
無意識という領域を自己のうちに抱える近代の人間は、何かによってあるいは何者かによって
検閲させられ、検閲される不自由な存在でもある。
フィクションというかたちで他者の目に見えるものとなった自己の欲望は検閲される。
精神分析という制度において、夢が検閲されるのと同様に。
自分がどんな検閲を行い、行わされ、受けているかをすべて認識している人間もいない。
自分がどんな検閲を受けているのか、それがどのような規範にもとづいて
誰によって行われているのかについて、すべてを認識している人間はひとりもいない。
日本における女性の年齢階層別労働力供給曲線はまだM字型のまま。
第3号被保険者問題も最終的な解決には至っていない。
非正規雇用における女性の割合、企業における女性管理職の割合を見ても、日本社会は「男女平等」ではない。
育児や介護の負担もまだまだ家族内の女性メンバーが負うことが多い。
そうした社会の現実が、女性である自分を肯定することを構造的に困難にする。
何もないところでむやみやたらに「女性性が否定され」たり、
何の理由もなくひとが「自分の性を受け入れられな」かったりはしない。
これは個人の主観の問題ではない。
ジェンダーというのは客観的な社会構造の再生産に関わる性規範に他ならない。
性規範としてのジェンダーとの関わりで行われるさまざまな検閲と無関係に
801 というフィクションの内容は存在しようがない。
そして、私たちは自由に私たちの好き勝手に検閲を行う、というわけにはいかない。
規範は私たちの思いのままに操れる道具ではない。
むしろ逆に、規範は再生産にあたって私たちの身体を利用する。
私たちの身体は、誰でもよいものとして規範に使い捨てられる。たとえば「産む機械」として。
801 はフィクションである、というのは以上のような意味を事実としてもつ。
これはさまざまな文献を通じて知識を獲得し、言葉で説明することもできるが、
自分の身体の感覚で感じ取ることも可能な事実にすぎない。
>どうでもいいが、「ジェンダー関係ない!ジェンダーの話持ち出すな!」と主張する人が現れたのって
>「最近」の話だよね?
ということで、これは「最近」の問題だと思われる。
「古株」は知識はなくとも感覚的にはわかっていた。
女体化苦手な者だけど、別に女体が嫌いなんじゃないよ。「化」が嫌いなだけ。
好きな女キャラが男体化されてても泣きたくなるから。
「女体化が嫌いな人は、女体や女性性が嫌いなんだろう」なんて
斜めすぎるトンデモな憶測で驚いた。
男女カプや男性向け専門で萌えるからこそ女体化嫌いな人も多いのに。
女体化というのは801同様マニアな特殊嗜好だと思うので、
萌えないのは変わってるみたいな言われようは心外だよ。
男の体には男の体の良さがあるし、女の体にも女の体の良さがある。
でも私には、一人のキャラにはどちらかだけの属性があれば十分なんだ。
男でもあり女でもある、両性を兼ね備えた空想の便利性別キャラには萌えられないってだけ。
ジェンダーというより二次元における性嗜好というか、単純に好みの差だと思うよ。
ネコミミ猫しっぽで動物化したキャラに萌えられるかどうか?という次元に近いと思う。
801嫌いな人が二次801を読んでその都合のいい改変に怒りを感じるように、
私は女体化には萌えがないから「キャラを勝手に自分好みに改造するな」って感じてしまうんだ。
自分も改変はしてるんだからそれが身勝手な怒りなのは重々承知してるけど、
自分の萌えない改変には誰でも多かれ少なかれ嫌悪感を抱くのが正直な所だと思う。
あと男×男が801の大原則だと思ってるから
女体化も男体化も801だとは思えない派なんだけど、
801に中性・両性を求める人にとっては801も女体化も大差ないのかもね。
もともと女体化の話は、単に話のついでとして出てきてるもののようだし、
いいかげん女体化の話から離れたほうがいいのでは?
つか、何で女体化の話題はこんなにも801者をヒートアップさせるものなのか。
女体化は微妙な存在だからなあ
801でもあり男性向けTSでもあり単なる性倒錯嗜好でもあり
女体化嫌スレを見てきたけど、キャラ改変しているから嫌だという人以外に
「作者の自己投影だから嫌だ」と言う人が多いね。
女体化じゃなくても受けが「男らしく」なく女みたいだと自己投影だと言って叩くタイプの人と被っているんだろうか。
何故それが自己投影だと思うのかが聞いてみたい。
受が男でも、なぜか子供を生んでたり、
「奥さん」や「お母さん」になってる801もいっぱいあるけどなあ。
長文難読の人は、でかいとこからちまちま積むから長文難読だけど
言ってることには共感できる
ある801を、これは男じゃない、男らしくしろ、男のくせにと言って嫌う側は
それはただの「嫌い」という主観の表現でしかないんだろうけど
「嫌い」に共感できない側から見ると、それ以上の意味を感じるんだよね
ちょうど、男性が男性同士で「男らしさ」のイメージで男としての価値をはかり、
「女のようなやつ」を貶めて笑うのと同じ構造を感じる
これは、前に長文難読自称ゲイの人が言ってた「ゲイじゃないけど〜」問題と
似てる話のように思う
「ゲイじゃないけど〜」発言を肯定する?801者の側は、それは801お約束の表現で、
ゲイ差別の意図はないんだから差別と騒ぐな、みたいに言ってたけど
長文難読自称ゲイの人は、そこに差別の意図があるかどうかと、
構造として差別になっていることは別だ、みたく言ってたでしょ
で、難読だったけど、意図はなくても差別だから書くな、と言ってたわけじゃなく
差別を感じるという見方の存在を否定すべきでないと言ってた気がする
単なる好き嫌いの表現でありそれ以上の意図はない、というのが
それを表現した人にとっては事実だとしても、
その表現を目にした側が、好き嫌い以上のものを受け取り、
そこにどういう構造(意図じゃない)が存在するかを考えるのを、
不愉快だからやめろと言うことはできないと思う
感情的なことでいえば、
他人の好きなものに対してそれは不愉快だと表明しておいて、
それに対して自分が不愉快になる反応をするなというのはおかしいと思う
嫌いに共感できない場合でも解釈は人それぞれなんじゃないのかな
二極構造では無ないんだし、分析した構図に「深読みしすぎだよ」と
レスがあるのは必ずしも否定だけでは無いような気がするんだけど
自分の嫌いなもの、嗜好に合わないものを否定するために、
社会的なジェンダー規範や、多数派による勝手な「原則」を持ち出して、
自分の嫌悪感を正当化している。ってことではないのかな。
そもそも個人の嗜好は、社会の規範と全くの無関係ではないと思う。
社会の規範が「萌え」になったり、規範に背くものが「萌え」になったり・・・。
先天的な嗜好ももちろんあるんだろうけど。
801者同士が、相手の萌えが気に入らないから「801じゃない」っていうのは
なんかバカバカしいよな。
>>648 自分は逆に、『受は(男にとって都合の良い幻想のような)女性的表現をされて当然』という
規定概念の人を見た時に、ジェンダー規範の抑圧を感じる。
受=挿入される側=可愛くなきゃいけない、おしとやかでなければいけない、
従順でなければいけない、抵抗できない、すぐレイプされる、
嫌よ嫌よも好きのうち、身長が低い、従順である、繊細で感傷的……
などなどの不文律を801作品に対して重視する人は古くから多数派だった
そして、それに該当しない嗜好はその多数派の人達に認められず、
「こんな女の子みたいなキャラは当然受だ」「こんな男らしいキャラは攻以外ありえないよ」って
「貴女の描くそれは(受が猛々し過ぎて)801じゃない」といった押し付けや、否定をする人も凄く多かった。
多数派ゆえ、かなり強烈な否定だったよ。
(男受好きな人の中には、この手の否定を直球で喰らう経験してる人多いんじゃないかな。)
で、自身の過去をふりかえると「否定する人が多い」っていうより、
自分の望むカプ傾向を叩かれるのが、当たり前の事になっているような801人生だった。
長年他人からの否定にさらされたことで、自分の嗜好を真っ向から否定される辛さは麻痺してきたけど
そこから強く感じる「挿入される側(女)は、こうでなくてはいけない」っていう
強制感と閉塞感にはちっとも慣れられなかった。
なので、今のこのスレの流れにビックリしてる。
思えば、ここ10年ぐらいで少しづつ801の多様化や、男らしい受好きの増加は感じてたけど、
叩きや否定が双方向になる時代になったのかね。
652 :
651:2007/07/30(月) 19:09:36 ID:hE1B2aLQ0
二行目訂正
>規定概念の人を見た時に、ジェンダー規範の抑圧を感じる。
○規定概念を押し付けてる人を見た時にジェンダー規範の抑圧を感じる
『〜〜で当然!』と考える=他人にも強制
って感覚で書いたけど、語弊がありそうなので訂正。
女性的な受というかチンコついてる女、で思い出すのは
「アーシアン」のちはやだな
あれはまさしく男って設定なだけの女だったように思う
あれは801作品なのかな?
それとも萌え漫画のはしり?
ちはやって女かな?当時も今もそう思ったことはない。
男らしいかというとそうではないが、かといって影艶もラファもミカも
全員男らしくない(私的には)から、ちはやだけが女って感じがしない。
男らしい・女らしいっていう一般的な価値観じゃなくて
作品世界独特の、がゆん的価値観にのっとって行動してる人達だから
そう思うんだと思う。
あれは普通に801作品では?
萌え漫画というのが何を指すのかわからないけど。
私もちはやは女とは思わない。
顔は女の子だけど。
がゆんスレでは、ちはやの性格は男らしいよねって書き込みを結構見たなあ。
>>656 理屈じゃなくて主観でしょ
現実でも男女の区別は曖昧な部分もあるし
理屈で判断しようとすると無理があるよ
私もちはやは女と思うことは無かったな
作者なりに設定で矛盾を消化してる部分もあったし
アーシアン好きな人多いのかな。
高河ゆん、CLAMP、尾崎南はバブル期の巨大サークル出身だね。
がゆんやCLAMPは未完作ほったらかしが多くて、
自分の中ではイチ作家としての評価は低い。
萌え作家としては秀でてるのかなと思う。
(女豹様の良さは自分は分からないがあの独走ぶりはスゲエと思います)
>>656 アーシアンは内容知らないけど
身体が男で、本人が自分の性別に違和感を感じてないなら
100%男でしょう。
なんで自分にとって男っぽさを感じなかったら女だっていう
理屈が通ると思うのかが判らない。
いわゆる男っぽさと男かどうかは別問題、
設定が男ならたとえ女の子っぽく感じたところで
「女の子っぽい男」だから男には間違いないじゃない。
本人が自分のジェンダーを女だと認識してるとか、
そういう設定でもあればまた別だけど。
>>658 未完やほったらかしは、人気作家だと
ない作家の方が少ない気がするw
とくに小説はほぼ間違いなく死にシリーズ抱えてるイメージがある。
>>659 横だが、多分そういう話してんじゃない希ガス
私は正直高河ゆんが苦手で、ついでに尾鮭あさみも苦手で、
しかし、この人らの漫画や小説は、いわゆる「古典的な女っぽい男」を主人公とするもの
(たとえば、ごとうしのぶのタクミとか。これも苦手なんだけどw)とは明らかに手触りが違う。
以降は個人的な考えだが、ごとうしのぶは私とは「男」「少年」の定義が違うだけで
ごとう本人はあれを「男」「少年」と思ってて、そのまま書いてるだけじゃないのか。
しかし高河ゆんや尾鮭あさみは、意図的にジェンダーを霍乱しようとしてるとか
そのような企みを感じる。まあ印象論だけど。
ジルベール(風と木の詩)とケンシロウ(北斗の券)の違いみたいな感じか。
高河ゆんはジェンダーとかあまり考えてないと思う。
己の萌えの赴くまま、感覚的に描いてるだけのような印象。
>>660 私はそういう話だと思うんだけど。
男っぽい、と男を混同してるままの人が
話に出てた「〜は男じゃない、tlnkついてるだけの女」という
否定の仕方になるんだと思う。
「〜なんて男らしくない」と「〜なんて男じゃない」が一緒になってる気がする。
ただ私はがゆんは幾つか読んだ気もするけど記憶に残ってないし
尾鮭さんは中国っぽい武侠もの?を一作読んだだけなので
その二人の事はよく判らないし、
ごとうしのぶもタクミも読んでないのでこれまた判らない、ごめん。
男は男らしくあるべき、という常識に対抗して
男らしくない男、中性的な男だって魅力的、
人間の魅力に性別なんてどうでもいいんだという流れが出来て
今度はまたそれに反発して
逆の流れのゆり戻しが来てるんじゃないかと思ってる。
価値観の間での振り子状態で
一方に対するアンチテーゼとして提示されるから
互いに否定しあう人も少なくないと感じるけど。
そんな簡単な構造ではないような気がするな。
確かに「あれはちんこついた女」という言い方は乱暴だと思うけどね。
801で描かれる男が、必ずしも作者や読者にとっての「魅力的な男」
とは言えないんじゃない?
やたら「女らしい」受とやたら「男らしい」攻の組み合わせがあって、
そういうのばかり描く作家もいるし。受キャラに自己投影する801者もいるしね。
(一般化するつもりはないし、それが悪いって言ってんじゃないよ念のため)
女っぽい受×女っぽい攻、男っぽい受×男っぽい攻とかもあるね。
あと今ってそんなに「男らしい」男の801が多いという印象もないな。
嗜好が細分化して、いろんな中から選べるようになってると思う。
>>662 「チンコついてる女」という言葉に反応しすぎでは?
貶し言葉として使う人が圧倒的に多いとはいえ、元レス
>>653に
はっきりと貶しの意図が見えるわけではない。
>男は男らしくあるべき、という常識に対抗して
>男らしくない男、中性的な男だって魅力的、
>人間の魅力に性別なんてどうでもいいんだ
そういう意図を持った作為的キャラとして「チンコついてる女」的なものを
「あえて」作り出している可能性もあるわけで。
もちろん「いや、私には男に見える」という人もいるだろうが。
>>663 全員にとって魅力的な男を書くってそうはないから
特定の好みの人にターゲットを絞って、
絞られた読者にとって魅力的なのであれば、
それは魅力的な男と表現するのに充分ではない?
一部にとって、と注釈を入れてもいいと思うけど。
何が魅力的とされるか、という
801に於いての主流の移り変わりの事だよ、念のため。
>>664 貶しの意図があるかないかじゃなくて
表現が区別されない理由はそこでは?という事だよ。
らしさ、と性別が一致するとは限らないから
そこは分けないと混乱するよという話。
男らしさ、を求めると男、を求める人は完全には重ならないから。
私は姐さんのレスにある、
>もちろん「いや、私には男に見える」という人もいるだろうが。
このタイプなので
身体の性別が男で本人が自分を男だと認識してれば
女装してても、化粧してても、立ち居振る舞い、言葉遣いが完璧に女でも
男にしか見えない。
だから余計にその感覚がわからないのだろうかとも思った。
>>665、
>>663は
>男は男らしくあるべき、という常識に対抗して
に対してみんながそんなこと考えながら
書いたり読んだりしてる訳じゃないって意味だと思ったんだけど
>>666 誤解かなとも思ったので、
>>665で最後にも書いたけど
何が魅力的とされるか、という
801の主流の移り変わりの事であって
描き手や読み手の意識の話のつもりはないです。
ある主流があって、別の流れが台頭してくるときの状況を
対抗して、と表現しました。判りにくかったのならごめん。
流れが見えにくいんだけど
人の嗜好を否定する人の心理、
「○○なんてチンコのついた女」って言葉、
↑を使う人の心理、
「男らしさ」「女らしさ」、801の主流、
どれについて議論してるの?
すでに古株に含まれる世代が、あの頃のこれが懐かしい、
あの頃は良かった、と語られがちな作品が
否定の対象に挙げられているところからすると、
最近どころか当時からずっと不満を抱えていた人が語るスレになっている?
横レス失礼
801って受にかぎるとバリエーション豊富だなと思った。
攻はチンコ生えてるのがデフォだけど、受けは極端な話女(女体化)でも
人によっては801なんだね。
精神的に801であれば801だ、という考え方なんだろうか?
私はどちらかというと男×男=801という固定観念があるから新鮮だった。
>>669 好き嫌いは言っても、否定してる人はいないと思うけど?
肉体が絶対「男」じゃないとダメっていうのは分からないよ私は。
前のレスでもあったけどさ、男の受が「お母さん」とか「奥さん」とか
呼ばれてる801が沢山あるじゃん。「受=団地妻」設定あったり、
酷いのになると受が攻の子を産んだり。
受が男でないとダメなら「攻のパートナー」とか「攻の夫」「相方」
と呼んでもいいわけだよね。でも主流は「奥さん」「妻」。
うまく言えないが、そんなことするなら男である必要ないじゃんと思ってしまう。
また、801が性別を越えた1対1の関係を描くものだとすれば、
「お前が男だから好きなんじゃない、お前がお前だから好きなんだ」が成立するわけだよね。
つまり受が男でも女でも関係ないという。
萌えにくいというのは分かるけど「801じゃない」と言い切ってしまうのは何なんだろう。
その人に途ってば宇宙人×宇宙人、触手×男とかも801ではないのかな。
>>672 「(私にとっては)801じゃない」ってことでしょう
基本的に男×男の恋愛妄想を801の前提と考えてる人が多いから
「女体化」や「極端な女性化」が嫌って人も多いとは思う
ここまではOKなんて線引きや傾向は人それぞれだけど
嫌いな人にとってはグロや猟奇と同じで極端な嗜好だから
場所や吐き出し方によっては叩かれる事もあるんじゃないかな
>>668 スレを読んでて感じた
・「男っぽさを持っているか」と「男かどうか」は別じゃない?
・男らしくないから男じゃないという意見って、
その二つがごっちゃにされてない?
という疑問を私がぶつけて意見してもらってるだけで
特に議論という段階には入ってないと思う。
>>670 個人的な感覚になるけど、
受けも攻めも女体化自体はあまり得意じゃないけど、
別に攻めが801秘薬とかで女体化しても、
一時的なものなら801だと受け取るかな。
不慮の事故で身体が女になった男、っていう認識でしかないから。
あってもいいのにね、攻めの女体化。
逆に、男装の麗人扱いで実は最初から女でした設定だと
801だとは思わないかな。男女カプのバリエーションだと感じる。
色々なパターンを自問してみたけど
どうやら自分はキャラ本人が
自分を男だと思ってる限り、そのキャラを男だと認識するみたい。
攻めの女体化読んだことあるよ。女体化攻め×女体化受け。
特に疑問も感じず、801だと思いながら読んでた。
「触手×受なんて801じゃない!」という人は見たことないけど
「女体化なんて801じゃない!」という人は沢山いるね。
>>674 ああ、なるほど理解力が足りてなかったw
説明してくれてありがとう
>>672 >萌えにくいというのは分かるけど「801じゃない」と言い切ってしまうのは何なんだろう
。
801の定義、もしくは「男」の定義が違うからじゃない。
私も女体化は801とは思いにくい。
嫌いだからというより、女体化には根底に女体への萌えがあると思うので
そこに違和感を感じるから。
触手や宇宙人なら男女の性別では測れないけど、
「女」は明確に「男ではない」からなー。
オリジナル女体化はTS物として読むけど受けを「男だ」とは思えないよ。
攻め(と作者)が受けを女の子として見ていて、女の体にハァハァしてるのを読むと
801じゃないなと感じる。
本当に801かどうかという議論になると
意見が二つに割れそうだけど、
そんなに不思議がられる程わかりにくい考えかな?
>>677 >触手や宇宙人なら男女の性別では測れないけど、
>「女」は明確に「男ではない」からなー。
それは「男×男が801」なんじゃなくて、「女じゃなければ801」ということじゃない?
>>672は
「生物学的に男である人間に、生物学的に女でないとありえないようなことをさせる」
のは801として疑問視・嫌悪されないのに、実際に生物学的に女になったとたんに
疑問視・嫌悪されるのが不思議だ、と言っているんだと思う。
679 :
653:2007/07/31(火) 20:49:44 ID:Zfc9qNGq0
1日ぶりに来たら色々レスがついててびっくりしたw
皆さんの「ちはやは普通に男に見えていた」というレスを読んで
じゃ何で私はあれを男と男の恋愛ではなく
「女」と認識してたのだろうか、を考えた
多分私はちはやの恋愛に対して受動的なところ、
あくまで男の側が働きかけることを望むところに
私の嫌悪する女のベタッとしたいやらしさを(勝手に)嗅ぎ取ってたんだなー
まーこれは本当に個人的な感想なんで
そう思わない人も沢山いるよね
あとは当時のがゆんは
人体を描くのがすごく下手だったという印象が強いw
そのせいで男も女も大差ない、というイメージが私の中にあるんだな
じゃあ男×両性具有、はどうなんだろう。
と考えた所で、デビルマンの明×了は801だけれど明×サタンは801とは思えない自分に気が付いた。
ちなみに、女体化は二次創作作品に限れば801だと思っている(いくら女性化してようと、元のキャラ=男のイメージが強いので)
>>678 宇宙人というのがどういう生き物を指すのかわからないけど
触手はバイブみたいな「モノ」「道具」だと思うから男も女もないって感じかな。
触手とカップリング、触手と恋愛なんてシチュも呼んだ事ないしね。
「女じゃなければ801」なんじゃなく「男だから801」だと私は思ってる。
両性具有や無性萌えってのは801に近いけど別の萌えなんじゃないのかな。
801は嫌いだけど女体化や両性具有には萌えるなんて人も多いし。
男が妊娠出産する801は個人的に好きじゃないけど、肉体的に男なら801の範疇だろうと思う。
なぜ肉体で決めるかというと基本的に性別は肉体で決まると思ってるから。
>>681 >男が妊娠出産する801は個人的に好きじゃないけど、肉体的に男なら801の範疇だろうと思う。
>なぜ肉体で決めるかというと基本的に性別は肉体で決まると思ってるから。
うーん
「たとえ妊娠出産しても、胸が平べったくてペニスがついている限り、女ではなく男」ってこと?
>>679 >多分私はちはやの恋愛に対して受動的なところ、
>あくまで男の側が働きかけることを望むところに
>私の嫌悪する女のベタッとしたいやらしさを(勝手に)嗅ぎ取ってたんだなー
「アーシアン」の天使の世界では、同性愛がタブーだから、
ちはやは影艶との恋愛に消極的だったんじゃなかったっけ?
実際、二人が一線を超えたことがばれたら、投獄されたり、裁判にかけられたりしてたよね
あれ?…昔に読んだので勘違いしてるかもしれない
スレ違い気味だな。失礼しました
>>682 うん。真面目にそういう内容を描いてる作品読んだ事ないけど、
「子供を産む魔法を使える設定」という感じで受け取ると思う。
>801は嫌いだけど女体化や両性具有には萌えるなんて人も多いし。
ここに捕捉。
そういう人達にとって、女体化や半陰陽は「男じゃないから」萌えられるんだよね。
相変わらず、何がどう疑問視されてるのかわからない流れだ。
まともに話そうとしてる人もいるんだろうけど、
一部、今まで自分の嗜好や自分の望む801を否定や叩かれた事の無いような人が
最近チラホラ見かけるようになった「こんなの801じゃない」っていう他者の批判に対して
過剰反応してるだけのように見える。
>>684 そうなんだ。
私は女体化に抵抗無いけど、「女体だから」ハアハアするわけじゃないんだよな。
「そのキャラだから」ハアハアするわけで、それは男体でも女体でも同じなんだよね。
>>685 「こんなの801じゃない」っていうのは「批判」じゃないでしょ。
801という言葉がオフィシャルに定義されたことはないのだから。
(自分にとっては)という前置きをつけずに、「801じゃない」と断定するのも
嫌いなもの、気に入らないものに対する過剰反応のように思えるよ。
私は議論というよりも、とりとめない雑談な感覚でレスしてたよ、「色々と語るスレ」だし。
>>682 >「女じゃなければ801」なんじゃなく「男だから801」だと私は思ってる。
私も同じスタンスだけど、肉体が男だったとしても男体化は違うかなって感じ
女→男に変化したところで男×男の同性とは違うと思うから
>>680 初めてデビルマン読んだ小学生のとき、狂うほどラストで感動しながら
あそこでサタンがオッパイなくて、両性生物を理由にせず、ただ
「不動明を愛したから」とだけ言ってくれたら……と思っていた
そしたら一般の評価はここまで高くなかったのかな
でも、もしも了が男でそう言ってたら、私はマジで人生変わってたと思う
とりあえず、ここの名無しは「明を愛した名無しさん」にしてほしい、と言いそうだw
当時、よりショックだったのは、オッパイという肉体より
サタンが愛の理由を「両性生物だったから」と、つまり半分が「女」だったから、と言い
恥ずかしそうにオッパイを隠して、明らかに「女」を自認してたことだと思う
「サタンが女でなければこの愛は成り立たないの?」と思うとなんかさみしかった
ということは、私も、そこにいるのが男かどうかは、本人が自分をどっちと思うかで
決まるのかな
きっとそうだな、肉体が男性なだけで性自認が女性な人と、男性の恋愛の物語だったら、
自分はそれは801と思わず、男女の恋愛の1バージョンと思う
「男」と「女」に着眼点を絞られてる流れだけど、
特定の801作品に対する「これは違う!」っていう拒否感は
「逆カプを見たく無い」って人の心情と同じものだよね。多分。
男性向の場合って、絵柄や作風の好みこそありはすれ、同じ絵柄同じ作風の場合
「このキャラのエロは見たいけど、このキャラのエロは死んでも見たくない」って人は少ないけど
801好きの中には、受と攻が逆転したり、好みじゃない受や攻の作品は、
絶対に見たく無いとか、存在を拒否する程嫌悪する人ってのが凄く多い。
宗教対立のごとく相容れないカプ対立カプ戦争になる。
「嗜好外の801作品への強烈な拒絶」って、男女云々以前の問題として
801の根底にあると思う。
>>686 批判じゃなくて、「拒否」or「否定」が正確か。
それでも、言いたい事は同じなので、訂正もアレだけど、一応訂正。
男性向のことはよくわからないけど
801がただの抜き本になりえないからじゃないかな。
エロにいたるまでの関係性がしっかり描かれたものが望まれたり
小説が一定数売れるのも女性向の傾向だなと思う。
話逸れるけど「801じゃない」って言葉を聞くと
一時期それが褒め言葉として使われていたことを思い出すw
>>689 そうなのかな……
逆カプは絶対見たくない、という人も、
「逆カプは801じゃない」「逆カプの受けは男じゃない」とは思わないのでは
もしかしたら、その人のなかの認識ではそうかもしれないけど、
そう言って逆カプを叩いたり、逆カプが好きな人に向かって、当然のように
「それは801じゃないよね」と口にしたりはしないと思う
好まない嗜好への「猛烈な」拒否は801者に特有か、
だとしたらそれはなぜ起きるのか、を考えるのに反対はしないけど
たとえば逆カプへの猛烈な拒否感と、それは男じゃない、
801じゃないという否定が同じ根だとは、自分にはちょっと思えない
>>691 逆カプに向って「それは801じゃない」とか言うのは結構ある。
「my受がそんな男らしくするなんてありえない」とか
「my攻がそんな男らしく無いのはありえない」といった類の言い回しも見た事ある。
命題が一緒じゃないから、言い回しが若干違ってはくるけど
拒否反応の性質としては同じ根だと思うよ。
上の方で語られてた
両性具有的なキャラや、キャラ自身は男と自認してるけど身体的に女なキャラ、
あるいは、作者が意図的に女性的(中性的)に描写しようとしている男キャラ、に対する
「男か否か?」の判定ラインの問題として出てくる、
「それは男じゃない」という回答とは別だけど。
「女としての私」を愛するのではなく、「個としての私、魂としての私」を愛して欲しい、
という抑圧のもとで801を求める層がいると思うんだけど、
もし、そういう人が、
「男としての受けじゃないとだめ!女体化ありえない、801じゃない」
と言ったらどこか矛盾してると思う。
起点としての男×男=801
or
恒常的な男×男=801
この違いなのかもしれない。「男」の定義も人によって違うんだろうけど
性妄想というのは男男にしろ男女にしろ女女にしろ、等しく暴力的でグロだよな
やってることは同じでも、男男だと基本的には他人事な感覚があるのに対し、
女に転じた瞬間、その暴力性が自己に関わってきて、グロだと感じる人がいるのかもしれない
そういう人もいるのかな。
私は男女でも女女でも男男でもそれだけではグロさは感じないけど
女体化にはグロさを感じるタイプ。特に男性向けの女体化は直接的にグロいかな。
外部から性別を転換させて萌えるという点に暴力性やグロさを感じるみたい。
「女体化は801じゃない」と「逆カプ対抗カプは認めない」は別の問題だと思う。
女体化は男男か?というのが論点だろうから。
グロいと感じることと暴力は関連があると思う
何をグロいと感じるかは人によるんだろうね
男体を女体化することが、その人をオモチャにしてるように見えてグロく感じる人もいるし
男体同士をまぐわせてハアハアすることも、その人たちをオモチャにしているように見えて
グロだと感じる人もいるわけでしょ
私は無性×男体も801だと思ってる、触手×男とか
>女体化は男男か?というのが論点
この場合の、「男」って何だろう?
ヒトの雄の身体、「男体」 male か、「男性性」 masculinity か、
「男性」 man か。あるいはそれらの組み合わせか。
それによって答えが違ってくると思う。
うふ〜ん
うふ〜ん
701 :
風と木の名無しさん:2007/08/01(水) 12:39:12 ID:b1WjB92D0
くさい
うふ〜ん
うふ〜ん
うふ〜ん
てすと
サブカルBLと言われている作風は絵柄以外は懐かしく感じる
今も根深く残る旧来の価値観に
女は搾取される一方の客体、「自然」で
男は自立的な主体、「人間」と捉える傾向が有るなら
男になりたいんではなくて人間になりたいんじゃないかなと思う
人として愛し合いたいという思いの結晶が801
若い世代はそういう価値基準(女が「自然」だって感覚以前に、
自然と同一視されることに対する厭わしさ)が崩れてるんじゃないかとも思う
若年層の女体化やTLの流行はその辺関連ありそう
708 :
風と木の名無しさん:2007/08/07(火) 15:13:03 ID:jtZqqyRH0
(´_ゝ`)不毛
・男×男(どちらか、または両方両性具有)
・男×男(どちらか、または両方女体化)
・男×男(どちらか、または両方男体化した女)
・人外×男or男×人外
・触手×男
・男×男装の女性
みなさんの中でどこまでが801なんですか?
上記以外の項目もあるかもしれないし、性交を省けば
攻め受け関係なしの無性の801も存在すると思う。
個人的に男装とか男体化は801ではないが、この板では
男体化させたい女キャラのスレがあるし・・・
>・男×男装の女性
これ以外は801だと受け取るかな。
女体化、が生まれつき女だった設定なら話は別だけど
一時的なものなら801だと考えると思う。
・男×男装の女性
これ以外は自分の中では801。
ただ、
・男×男(どちらか、または両方男体化した女)
は、フタナリの延長上っぽい形式の作品もあるから、
描き手の意思と作風次第かもしれない。
・人外×男or男×人外
・触手×男
自分にはこれ以外は801だと思えない。
人外や触手でも、描写などの中に女を感じさせるものがあったら外れる。
多分
・キャラクター設定的に女性であるか否か(女体化は本来男だからOK)
・描写される肉体が女性であるか否か(女体化は身体女だからNG)
・自分にとって女性を想起させるか否か
この三段階くらいでおおまかに分けられるんだと思う。
>>712姐さんのレスで興味深いのは
「女を感じさせなければ801とカウントする」というあたり。
人間じゃないなら、女も男もないし
女じゃないからって男とも限らないわけだから。
「男である必要はないけど、女であってはいけない」という定義なんだろうね。
男×男
人外(または触手)×男
= = = = =
半陰陽 (801/非801中間層)
女体化の男性
= = = = =
男装の女性
男体化の女性
私は生物として男性じゃないと嫌だな。
女体化や半陰陽も読めるけど、自分の中では何か区別して読んでる感じだ。
あってもいい、と思うし面白そうならば手に取るが、本音はあくまで男×男のセックスにいたるまでの過程が読みたい。
でも「元が男性なのに一時的に女体化」みたいなパターンは自分でもどっちなのかよくわからない。結構普通に読んでるところもあるし。
まー結局、無生物だろうが中性だろうが男っぽいモノになってるよね、801界では。(男っぽい、と言っても、少女のような外見のモノ共も居るので複雑)
しかしなんだろうね。女を除外したりする割には、凄く乙女というか、少女っぽい受けキャラが人気だったりするよね。
女っぽい要素を除外したい嗜好の人と、男に女っぽい属性をつけて楽しむ嗜好の人といるんだね。
極端に言うと、マッチョオヤジ属性者と、女の子みたいな受け子属性者。
それ+女っぽい属性がどうか興味のない人もね。
女性性を除外したい人と、積極的に倒錯性を高めたい人の
二極に分けて考えがちだけど、実際には中間に
どっちも読むけどさほどどっちかでないと、というこだわりのない人、
ってのが大量に居ると思う。
自分にとって801とは
生物上の男×男のみだなー
女装も半陰陽も女体もそれは全部「非801」ジャンルだ
そうしてみると自分は原理主義というか
超保守派というところかw
我ながら柔軟性がないなー
なんで男×男なんだろ。
ってこのスレ読んでてふと思った。
今まで当然のことだと思ってたけれども突き詰めて考えると
自分の中でもスッキリ説明できないもんなぁ。
>>669 ずっとかぁ。ようするにいつの時代も変化し続けてるわけだから
結局どんな風な時代になろうと不満を感じない人間なんていないんじゃね。
私たちの若い頃は、と、どの世代も言い続けるっていうコピペを見たけど
それと同じかな。
>>717 女装は生物的に男しか出来ないけど、それがダメなのなら
線引きの理由は別なんじゃない?
>>717とだいだい同じだけど女装は801だと思ってる。
特に萌える訳じゃないけど、体も性自認も男だから。
女性性や中性まで801に分類したい人って、801以外のジャンルを
あまり開拓してないのかな?
私は百合も好きで、そこに801と共通する何かを感じはするけど
801と百合は同じだと思えないし、中性や無性も同じく別カテゴリだろうと思ってる。
昔は百合も801の中に混じってておかしくない雰囲気はあったけど
(この板にもスレあったしね)
今は全体が大きくなってるから、細かく分類した方が誰にとってもいい気がするよ。
男が受け臭い描写(喘ぎ声や先走り描写がしっかりあって、男が感じてる描写が女より多いとか)
の男女ものと、受けがしっかり男で乙女臭くない801は同じ気分で読める。
ていうか、受けが乙女な801は嫌いだし、男が余裕シャクシャクな女性向け男女ものも嫌いだな。
よーはアヘアヘ言ってる男が好きなのかもしれん。
要は何をもって801と捉らえてるかだよね。
女性の書く男性同性愛の物語ととるとか、
女性の妄想を煮詰めた現実味のない恋愛物語ととるとか、
純粋にポルノと捉らえてる人もいるだろうし。
他にもいろいろあると思うけど、
これって801にはまる理由が十人十色なのと同じで
細かく分類しようとすると大変だろうね。
自分は女性的といわれるような色気は
男にだってあるよ!それをもっと発掘したいという発想なので
色艶を男っぽいとか女っぽいとかで
分けてしまうこと自体を勿体無く感じるかな。
女形に女性を見るのは女性の理想じゃなくて
男性の理想だし、だからこそより美しいとも思う。
よりどちらも引き立たせる要素に見えるから、
男性に女性を、女性に男性を見ることに
過敏な人の気持ちは多分一生わからないだろうなぁ。
かなり乱暴な分け方しちゃうと、両性性が好きな人と無性性が好きな人に分けられるのかな?
マッチョ親父受けは、マッチョ親父(男性性)に女性性(受けとしての性質)を付加したいのだから、両性性指向。
逆に、受けからは男性性も女性性も剥ぎ取りたい無性性指向の人もいる。
男でなければならない人と、女であってはならない人の違いというか。
女体化についての意見の食い違いも、このへんから起きてるのでは?
>>725 私はどちらにも当てはまらないや。
あくまで男性性が好きで801やってる。
女性性を求める場合は女性キャラに行くよ。
受けとしての性質=女性性とは思ってないな。
中性や無性も嫌いではないけど、801とは別ジャンルって感じ。
んー、でも受けって「男性」とイコールにはなりようがないじゃん?
リバならまた別なのかもだが、受けとして固定される場合は
男性性はある程度はスポイルされてる。
>>712 ああそっか。
801区分されてるものの中だけで考えてたけど、
百合とか半陰陽はそういうジャンルが別にあるのかな。
私は半陰陽は作家が801だと思ってるなら801に入れても
いいんじゃないかと思ったんだけど、
それは男性性と男性機能が半分あるからなんだよね。
でも女性性を排したい人から見たら801には見えないか。
>>727 それは「男性性」「女性性」をどう定義するかによるよね。
これも人によってばらつきありそう。
私はたとえば、ゲイのネコは男性であるがゆえのセクシャリティであって
女性には持ちようのない性だと思うんだ。
完全にゲイ小説のようなものが好きな人なら、そうなのかもね。
でも多くの人の受けは、ゲイ小説のネコとはズレた座相にいるのでは?
男性性をスポイルしたくないなら、男性性はそのまま
そこに女性性というか受け性というか、そういうものを加算していくことによって受けになる
(男性的な受けが好き、と言ってる人は、大抵こっちだと思う)
一方、男性性をスポイルすることは厭わないが女性性は見たくない、という場合は
男性性そのものを減じていき、何も加算しないことによって受けにする。
ということだと思う。
>>729 私も同意、
801は受けも攻めも両方男の役割だから
たとえ女装だろうと可愛くて線の細い受けだろうと
男でしかないと感じるから、
男女のセックスの概念で攻め=男とか受け=女みたいな
意見がよく判らない
それは読み手の印象の反映に思えるから。
>>730 801萌えの嗜好の違いの例えとして面白い話だなぁ。
加算法と減算法ってのは言い得てる気がするし、
もっと慎重に突き詰めて考えてくと、何か新鮮な法則が見えてきそうな気がする。
潮が引くように人がいなくなったな…
ここで完全に言い負かされた例の人が、考えるスレで大暴れしてるので
ここの人も考えるスレに出張に行ってるんじゃないの。
あっちも結論でちゃったのか停滞してるけどね。
まず、「男性性」「女性性」という言葉が指すものが問題となる。
だれも純粋な「男性性」、純粋な「女性性」を見たことはなく、
それはある身体の多様性のうち目に見える特徴やその身体が行う行為から
抽象された性質を指すにすぎない。それは言説による構築物であると考えられる。
近代においては、労働力の商品化に不可欠の労働力の再生産の効率性の観点から、
規範としてのジェンダーによって、雄の身体に「男性性」のみを、
雌の身体に「女性性」のみを潜在的に配分し、顕在化させることを奨励するという
根源的に無理な試みがなされ、こうした試みに対する違和が必然的に表明される。
新プラトン主義とマニエリスムの組み合わせへの再評価だとか、
フロイト、ユングの精神分析とシュールレアリスムの組み合わせへの着目だとかは
そうした違和の表明のひとつで、801 と澁澤龍彦、種村季弘が関係があるとすれば
それはマニエリスム、シュールレアリスムとのつながりだと考えられる。
サド、バタイユの翻訳者とマゾッホ、ブルトンの翻訳者でも両者は、
バルトルシャイティスやホッケのマニエリスム論の翻訳(予定)者でもある。
801 に「新しさ」があるとすればそれは、マニエリスム、シュールレアリスムとの
対比においておそらくとらえられる。性規範の解体と(再)構築の試みを通じて、
自分の身体を現在の社会においてどう位置付けるか、ということを
『アナモルフォーズ』、『迷宮としての世界』、『文学におけるマニエリスム
―言語錬金術ならびに秘教的組み合わせ術』を読みながら考えることもできる。
>>736 まとめりゃ3行ぐらいで済むことを、そうやってこけおどし的に
ほとんど関係ないもんくっつけて、説明にもならないような長文垂れ流してるのは
頭悪そうに見える。
>>737 私はあなたよりおそらく頭は悪い。それでもものは考えられる。
ただ、それだけのこと。
私は必要なことを書いているだけ。「ほとんど関係ないもん」というのが
何を指しているのかはっきりしないけれど、
新プラトン主義における「両性具有」やフロイト、ユングにおける
性差をめぐる考察は、マニエリスム、シュールレアリスムと
無縁ではない、というのはすでに幾度も多くのひとびとによって
語られた端的な事実。801 がそうしたものと無関係であると
考えるのも難しい。性差をめぐる表現をともなう文化なんだから。
単純な影響関係ではなく、ある思考とある文化潮流とが
平行しているというお話。
教養というのは虚栄心の産物としての「こけおどし」じゃなくて、
自分が抱えるのと似た切実さで何かをもとめた誰かがどこかにいるはずだと考えながら、
過去における未来として現在の自分をとらえなおす試みに関わるもの。
>>734 なんでそういう短絡思考?
考えるスレに「例の人」はいないと思う。もしいたら文体ですぐに分かるよ。
全然変わってないもの、
>>738とか。特徴ありすぎ。
>>739 あなたが正解。私は考えるスレはまだ読んだことも、
書き込んだこともない。
お話変わって、
私は頭が悪いのでひとりでものを考えようとは思わない。
なので誰かを言い負かそうとしたりはしない。
なぜ、自分が 801 に魅力を覚えるのか、ということを
考えるにあたって、ヒントになるようなことを考えてくれた
私より頭のいい何人ものひとが歴史的に、同時代にいることを私は知っていて、
私はそうしたひとたちといっしょに考えようとしているだけ。
自分のふるまいが「最初」なのではなく、誰かの何かの「反復」ではないかと考え、
その反復を通じて生まれる「差異」をどう受けとめるか、
自分のふるまいを時間的、空間的にどう位置付けるか、
801 の系譜学というのをそうした営みとして考えることができる。
はいはい正解正解。
どーしょーもねーな。
惜しい。もうちょっとでIDもユングだったのに。
長文の人は、意見として書き込んでいる文章より、
個々のレス(例えば
>>738)に対して説明をした文章の方が、文意が分かりやすいよ。
要は、論文みたいな文章より、人(個々のレス)に語りかけるように書いた文章の方が、
あなたの言わんとする事はまだ伝わるんじゃないかと。
さんざん分かりにくい文章だって言われて、仮にも「文を書く事」に仕事として
携わっているなら、分かりやすいように表現する事はできないのかな。
へえ文章関係の仕事してるんだ…。
翻訳か、もしくは翻訳チェッカー?(エスパーだけど)フランス語あたり?
日本語的に悪文な翻訳文に雰囲気が似てる気がする。
>>743 ここで繰り返し言われている「わかりやすさ」というのは
「理解の効率性」を促進するもののことであり、それを要求するひとびとは
これまでそうした理解の効率性を他者と競い合ってきたのだと思われる。
しかし、何事かを理解する、というのは社会で必要とされるがゆえに
学校教育で必要とされ、植え付けられるそうした理解の効率性とは
無縁の出来事だったりする。
「語られたこと、書かれたことがわかる」、「概念を理解する」というのは
ある時、ある場所でその言葉について説明されて即座にわかる、というものではなくて、
自分で自分の経験を対象化しながら、これがあれかな、とその言葉を使いながら、
意味を理解していくという時間のかかる身体的プロセスにほかならない。
とくに理解する対象となる言葉が、自分の心的外傷に関係する時には、了解に時間がかかる。
「わかりにくい」言葉、「わかる」ことに抵抗が生まれる言葉もある。
そして、理解するという出来事においては、「わからない」という状態にも意味はある。
そのことは別にその個人の何らかの能力の欠如を本質的に意味するわけではないし、
ここでそれによって競争を奨励する何らかの評価がなされ、
社会的な資源の配分が決定されるわけでもない。
さらに自分の心的外傷を理解するというのは、自分にとってのみ意味があることで
自分だけが行うことなのだから、「理解の効率性」を競い合う必要もない。
他人より早くわかったからといって、別にそのこと自体には意味がない。
「性」「性差」に関係する事柄について何事かを考え、理解するというのは
そうした自分だけの、単独的な心的外傷の了解を必然的にともなう。
そこではむしろ「一般的なわかりやすさ」の方が障害になる。
たとえば、「男性性をスポイルする」という「わかりやすい」言葉を語っている時に、
その語り手は「そんなものは言葉としてしか知らず、見たことがないにもかかわらず、
身体において男性性は無傷なもの、純粋なものとして存在していると
自分が考えたがっている、そういう欲望がある」という事実にたいていの場合自覚がない。
かといってそうしたひとに、自覚が必要だと言い募り、自覚を性急に求めても仕方がない。
そこで「身体の多様性からの抽象の結果、言語により構築された男性性の純粋さ」という
「わかりにくい」言葉が必要となる。自分の「わかりにくさ」と向き合う
きっかけとなる「わかりにくい」言葉が必要となる。わからん、と苛立つことに意味がある。
そうした「わかりにくい」言葉を使う私が、その言葉を差し向けた相手より
別に何かをことさらに「わかっている」わけでもなく、そうである必要もない。
それぞれが「わかりにくさ」に苛立ちながら向き合うことができればいい。
自分自身の「わかりにくさ」を言葉を通じて理解しようとしている時に
「わかりやすさ」「わかりやすい言葉」というのは障害、認識論的障害なのだと
考える方がいいと思われる。ここで考えられている事柄は、苛立つことがまったくなしに
考えられるようなことではないのだし。
そこから逆に「つねにわかりやすい言葉を使って哲学的エッセイを語り下ろす
男性」がそれによって、何を回避しているのか、それを考えることもできる。
これはこのスレとは別の話題。
>>744 ご想像におまかせ。
古株が多く、平均年齢も高そうなこのスレより
考えるスレのほうが幾分かまともな議論ができていると思う。
基地外が1人いるからまともな議論ができないんでしょ。
概念弄んでどーすんの。
古株や年輩者全体に当てはめるわけじゃないけど
考えるスレでは、やおいの暴力や醜悪な一面も認めてる人が多いと思う。
切実さを伴うもの=本当のやおいであり、美を見出せるもの
という意見がこのスレには多かったから。
>>745 分かってないなあ
ログを保存しなければ流れて行ってしまう場で、
分からない文を書いているのがいけないんだってば。
あなたの考えを経験や時間の積み重ねで理解していくのを推奨したいなら、
どこかに寄稿するなり、本の形にするなり、自サイト立ち上げて乗せるといいと思う。
それはともかく、分かりにくいって言う人(この場合私)を、
「理解の効率性を他者と競い合ってきたのだと思われ」るなんてカテゴライズされても困るよ。
あと、「わからん、と苛立つことに意味がある」と言うけれど、
それ以前の問題だもん、あなたの文体は。
言いたい事が、難解な文ではぐらかされているから、まず分からないくて苛々する。
みんなに理解してもらえる(同意を得られる)意見はないでしょ。
でも、言いたい意見自体がまず理解できないのに、どうしたいの?
人の事を認識論的障害だなんて決め付けて…
少なくとも、私はあなたの意見に聞く耳持たないってわけではないけど、
何で分かりやすく言う事はできない思うのかな。
>>745-746にしても、こんな長々書かず、自分は分かりやすい(理解できる)文を書けない、
分からないと苛立つ事によって、向かい合えるといい、で済むでしょう。
751 :
750:2007/08/15(水) 13:53:39 ID:p8TWsppUO
下から三行目、
何で分かりやすく言う事はできない‘と’思うのかな。
と、が抜けてたorz
752 :
風と木の名無しさん:2007/08/15(水) 19:26:29 ID:bv/TSJGAO
どーにも一人だけ大学のジェンダー論の討論会な感じなんだが。
そりゃある程度の前提知識を共有してる人の間でしか成り立たないでしょ。
不満語るスレでそんな前提で話されてもな〜
日本語でおkといわれないだけましなんじゃん?
753 :
風と木の名無しさん:2007/08/15(水) 19:27:11 ID:bv/TSJGAO
どーにも一人だけ大学のジェンダー論の討論会な感じなんだが。
そりゃある程度の前提知識を共有してる人の間でしか成り立たないでしょ。
不満語るスレでそんな前提で話されてもな〜
日本語でおkといわれないだけましなんじゃん?
754 :
風と木の名無しさん:2007/08/15(水) 19:29:08 ID:bv/TSJGAO
二重になってる…ゴメンorz
熱く語りたい気持ちも分かるけど801ってそんなに複雑難解な物ではないと思うよ。
考えるな、感じるんだ!とか言うブルース・リーの映画の台詞の引用のあれと同じじゃないの?
それは
>>755姐さんにとってのやおいの話だから
そうじゃない人にはあんまり意味がないのでは?
やおいでないとダメ、と言う人と
やおいも好き、って人とでは捉え方も全然違うのが
よくスレでも顕になってるし。
>>749 私は801に美しいものを見たり、801の切実さをとてもいいものだと感じているけど
そうしたものがなければ本当の801ではない、とは言ってないよ
>>749 つーか向こうのスレにもいたし。
向こうに書き込んでた人も多いんじゃないの。
「二次801がみっともないのは独りよがりの度合いが足りないからだ」
みたいな話題で荒れた時期があったな。
その時は上の意見に同意するレスが多くて、反対意見は叩かれてたけど。
熱に浮かされたような切実さや独りよがりさを、手放しで称揚する気にはならないな。私は。
そういうのはあまり信用していない。
作者の切実さや情熱の強さが強い作品の最たるものは「絶愛」とかだと思うけど、
あれを美しいと思ったことは一度もないしな……。
なんというか「世界の中心で愛を叫ぶ」に感じるのと似た胡散臭さを感じる。
何を美しいと思うかは人によるから、何が正しい、という問題ではないのは分かってるけど。
「ドブネズミみたいに美しくなりたい」という歌もあるし。(いい歌)
>>749 その2行目と3行目は、対立概念じゃないわけで。
どちらも含んで801
801みっともないという感想はまっとうな意見だと思う
そういう人に対して「801の愛は美しいのよ!」というのはもっとみっともないというか
攻と受の愛だけを見ればそりゃ「美しい」のかもしれんが
そのような物語を生産消費する801者の存在を脳内抹消して、「物語だけを見ろ」
というのは無理な話だよね
男性向エロで描かれる男女の関係が、仮に「美しい純愛」だったとしても
男の都合良さや願望が作品に出てるわけだから、醜悪だと感じる人がいて当然。
801も、受と攻が、お互いだけを「欲望する」ことを「欲望する」作者や801者がいるわけで
他者から見て、そのような801作品が醜悪であってもおかしくない
エロがなくても「純愛」でも、ポルノになれるし、暴力的になれると思う
どの作品も、他者から見ればただの自慰でしかないかもしれないし、実際にそうかもしれない
ポルノと非ポルノの境界線はあいまいだけど、最終的には
作者の意図やテーマの普遍性、質などがあやふやに総合されて決まるんだと思う
>>761 誰かに美しく思えるものが別の誰かには醜悪と思えるってよくあることだよ
どこを見るかの話だからね
私は自慰的なところや傍から見たら醜悪と思えるところも含めて801が好き
801に限った話じゃないけど、こりゃだめだな、まともに見たら救えねーなと思っても
そこが自分には魅力になるものってあるじゃないですか
もしも801が、どこから見ても、なんの非のうちどころもないようなものだったら、
こんなに長く、何十年も801者として生きてきて、
801と自分が不可分なものとは思えなかったと思う
どんな801でも好き、という意味じゃないよ念のため。
>>761 男性向けエロ〜から最後までは同意なんだけど、
>801みっともないという感想はまっとうな意見だと思う
>そういう人に対して「801の愛は美しいのよ!」というのはもっとみっともないというか
元レスは、みっともないという感想に対して違うと反論したものではなく、
自分にとっての801とはって感じで述べたんだと。
「801に美しさを見る」というのと、「801の愛は美しい」「攻めと受けの愛は美しい」っていうのは
全然違うと思う。
>そのような物語を生産消費する801者の存在を脳内抹消して、「物語だけを見ろ」
>というのは無理な話だよね
そして、801に美しさを見るって言ってた人は、みっともなさや暴力性もわかった上で、
801という作品そのものと、腐女子の周辺事情なんかは切り離して考えていたんだと思う。
あなたは物語だけを見る事はできない人だけど、元レスの人は違う、という事だと思う。
>美しさはやおいという形を取って表現される事もある
て話だったと思います。元レスの人じゃないけど。
>>764 周辺事情を意識的に切り離して801を読むことは私もできるよ
できなきゃ801を好きになってないと思う
私が想定してた元レスは、「二次801の感動は独りよがりでみっともない」
というレスに対して
「みっともないのは独りよがりの度合いが足りないからだ」
というレスがついて
それに同意するレスが多かったこと。で、反対意見は叩かれてた
「私は」美しいと思う、「私は」それに美しさを見る、というのは分かるけど
他人に「周辺事情を切り離して読んでごらん。ね、美しいでしょう」
と言うのは間違ってる。そんなつもりでレスしたんじゃないかもしれないけどね
恋愛はそれ自体が醜怪さを含んだものであって、
そのことを大前提として分かってないと、美と醜を対立概念のように考えてしまうのだと思う。
>>765は、「身勝手な妄想だから」「性指向を捻じ曲げてるから」といった作者や読者の側の要因によって
恋愛物語が醜怪になる、それらを取り除けば美しさのみで成り立つ恋愛物語が成立する、
と思ってるように取れるのだがどうか?
恋愛物語そのものが美であり醜であるのだから、美しさのみで成り立つ恋愛物語など
成立しようがないと思うんだが。
ていうか
>>761と
>>765で、言ってること変わってるように読めるんだけど……
>>761で
>そのような物語を生産消費する801者の存在を脳内抹消して、「物語だけを見ろ」
>というのは無理な話だよね
と言ってるのに
>>765では
>周辺事情を意識的に切り離して801を読むことは私もできるよ
と言っている
768 :
風と木の名無しさん:2007/08/16(木) 18:06:24 ID:bmzg8REqO
>>766 それを言い出すと「801に美を見いだす」という感覚にも矛盾が出てくるじゃん
>>767 「周辺事情を切り離して801を読めない人もいるし、そういう読み方は決して間違ってない、
そして無理に切り離して読む必要もない」と言いたいんだが・・・
私は男性エロを読む時、801を読む時と同じように切り離しては読めないよ
男女が愛し合うどんなに美しいものでも、作者の願望やご都合主義が
意識されて気持ち悪くなる
結局美しさとは主観の問題で、作品の鑑賞のしかたまで指示するのは傲慢なことだと思うよ
>>768 矛盾しないよ
傍から見たら醜悪かもしれないが、自分にとってはそれも含めて美とも言えるし
醜悪なものの影が見えたら、美が美でなくなるわけでもないし
誰も作品の鑑賞の仕方を指示してるわけじゃないと思う
「こういった見方もある」という意見がいろんな方向から出てるだけでしょ
私も10年くらい前かな、男性向けエロゲに最初にふれたときには
なんじゃこりゃと思ったなー
どこまで男のご都合主義なんだよ!と
でも、いろいろ知るうちに、だんだん、そういうしょうもなさが愛しくなった
歳をとったせいかもしれないけどw
いまでは、なんか名作感ただよう「女性でも楽しめる」とかいわれるエロゲもあるけど
男のご都合主義丸出しのエロエロや、
しょうもない「お兄ちゃん」エロゲのほうが無邪気で好きだったなあ
801だけでなく男性向けに対しても古い感覚なんだろうな
>>769 全く同じ論理で、美の陰を見つつも強烈に醜悪であると感じてもおかしくないでしょ
鑑賞方法や感じかたを指示してないのなら別にいいけど
前の二次801の話題では、「みっともないのは独りよがりの度合いが足りないから」
みたいな感じの意見の人が、「二次は全部みっともないよ」という意見の人を叩いてたから
そういうことなのかと私は受け取った。
考えるスレでも出ていたけど、例えば私は幼女の処女膜を破って喜ぶようなエロは吐き気がするよ
そこで「男と幼女のピュアな純愛という見方もあるよ」と言われても何の意味もないわけ
分かりやすいエロがなければ、ポルノ的な醜悪さは見えにくいだろうね。
裸になれ!俺のちんこに奉仕しろ!挿入させろ!
お前はオレの肉便器だハハハ!
みたいなものも
私を愛しなさいよ!他の女に少しでも欲情したら殺すわよ!
毎日毎日私だけに馬のように欲情していなさい!
みたいなものもどっちも醜いんだけどね。
煽りでなくID:bmzg8REqOの言いたいことがわからない。
男性向けエロも、801も、製作者側の意図が透けて見えるから
私にとっては醜悪で不快なものですよって言いたいの?
私も
>>767と同じ疑問を持った。
そして
>>768でやっとわかったけど、ちょっと後出しすぎ。
誰もそこまでエスパーできないので、最初からそう書いてほしい。
>他人に「周辺事情を切り離して読んでごらん。ね、美しいでしょう」
誰がそんな事を言ったのかレス番指定で教えてくれ。
>前の二次801の話題では、「みっともないのは独りよがりの度合いが足りないから」
>みたいな感じの意見の人が、「二次は全部みっともないよ」という意見の人を叩いてたから
前者=
>>483 後者=
>>492>>493 反対意見=叩きなの?
私には、全部みっともないという方がファビョっていたように見えたけどなあ。
しかし確かにファビョっていたけど、それを叩きだとも思わないよ。
反対意見を言ってただけだろう。言い方はアレだが、一応議論してたから
無意味な叩きとは思わないし、普通にレス返しといたけど。
それを叩きと言われちゃあなあ。
ああ、流れ的に、前者の意見の人も、後者を煽ったりしてて
どっちもどっちだったけど、少なくとも一番最初に
483に怒り出したのは492だったので上のレス番書いたんだよ。
どっちでもいいけど
>>521の
>そもそも、ひとの創作を「みっともない」とかいう感覚、私はいやだよ
>作品に向けた言葉じゃなく、ななめ上から勝手に想像した作者の姿勢、
>感情の部分だけに反応してる
>内容より体裁を重視してる
>失礼な見方だと思う
>でも、自分自身も、ついついそうした見方で見てしまうこともある
>そこで体裁を繕う=よこしまによこしまで対処するより、
>思い入れの力でよこしまな見方を粉砕してほしい
を指してるんじゃないの?
いきなり「反吐が出る」だとか言い出す
>>492は、
議論だの反論だのでなく、単なる煽りでしょう。
>774
483=521だよ。
521の事を言ってるんだとしたら、それに対して
目立った反対意見とか煽りあいっていう流れはなかったんじゃない?
521に対してレスついてないし。
521に反対なら、叩きがどーのって言ってないで普通に
反対意見書いたらいいと思う。
>>775 そーかもね。
でもカッカ怒りつつ意見(?)を言い、間違いは謝ってたしそれほど怒っちゃったんだろーなと
私は思ってた。
まぁしかし492は煽りだって言われても仕方ない態度だ。
だから492側が煽り、叩きだと言われるのならまあわかる。
けど、772は492じゃない方を叩きだって言ってるから、それは違うんじゃないかと思う。
自分と意見が異なる方を一方的に叩きだっていうのはどうかと。
772は自分でした
770のことです
二次に怒りを感じる人の気持ちは分かる気がするけどね。
ネットで原作名を検索しているうちに、検索避けしていない汁801を踏んでしまったとか。
向こうからしたら、そういう801者のほうが荒らし的な存在なんだろう。
それで
>>483みたいなのを見たらますます怒るでしょうな。
>>778 それ「二次801は全部みっともない」か否かという話とまったく関係ないのでは?
原作タイトルで検索した一般の人が、このスレに来ることもまずないだろうし
考えるスレでも話がでてたけど、やっぱり、前から、変な人いるよね
いっつも煽り混じりに妙な意見を言っては矛盾を露呈して消えていく
いったい何がしたいんだろう
780 :
風と木の名無しさん:2007/08/17(金) 02:19:39 ID:ROi7GF/OO
やおいがどうこう以前にこのスレの住人達が醜悪。
いつも何かを誰かを叩いてる。ターゲットがころころ変わるだけ。
前向きな結論が出たことがない。
>>780がいわゆる変な人か。
何をしたいんだろう。
>>781みたいにそうだと思い込んで決めつける人がいるから
携帯の人は変な人本人?
>>783 本人だろうね
前から思ってたけど、この人ってスレタイも読めないのかね。
愚痴スレをわざわざ覗いといて文句言う自分の幼稚さには気づいてないらしい。
まともな批判のつもりなら、該当スレで言えばいいのにそれさえできない構ってちゃん。
スレが伸びてると思ったら…
変な人は変だが、ここを単なる愚痴スレと決めつけて
ここに書かれてある意見の意味を無効化しようとする
>>784のような人も
大概どうかと思う。
787 :
風と木の名無しさん:2007/08/23(木) 14:33:07 ID:Lr4JB7+80
VIPからきますた
思えば私の締まりが緩くなり始めたのはここ1〜2年の事でございます。
トイレでいくら拭いてもパンツにウンコがついてしまい、
>>1はよく私に軟膏を
塗ってた様ですがそれがソックタッチだと気づくのに半年の時間を要しました。
いえ、私が緩くなった直接の原因は病気と言った類のものでは無いのです。
>>1はある日どこでくすねて来たかアナル用の大人のオモチャを持ちかえり
私が必死で抵抗するのをむしろ楽しむ様にねじ込んできました。
前立腺を刺激しながらのオナニーは彼にとって衝撃だったらしく毎日これを
繰り返すようになり更には挿入物も段々エスカレートして行き最終的には
500mlのペットボトルを私に咥えさせました。
私はグレました。汚物を垂れ流し屁もコキ放題、友人の直腸からは「お前バカ
みたいな顔してるぞ」と言われましたが同じ被害者の直腸もそう言いながら
口からよだれを垂れ流していたのは言うまでもありません。
ほす
やおいはもう進化しないのかな
とおっしゃいますと?
>やおいはもう進化しないのかな
とか言うと、過去に進化があったみたいだ。
進化ねぇ…変質はしてきたけど。
801自体はともかく、2000年前後と現在を比較しても
801を読む層にはかなりの変化が起きてる希ガス
私はそんなに801歴長くないし中断してた時期も長くて最近帰ってきたんだけど、
最近はけっこう801が表に出てきててびっくりする。
コミックテクノの投稿漫画で先月は男同士のキスシーンが普通に載ってたし、
今月も801だろうこれは、ってのが載ってた。
ぱふの表紙も最初は801雑誌かと思った。
中断直前の10年くらい前は801同人誌出してる人でも雑誌には
801っぽい絵は投稿しなかったと思う。少なくとも掲載はされなかった。
その手の雑誌を再び買うようになったのがここ半年くらいなんだけど
今は毎月801っぽい絵が載ってるね。
それがいいか悪いかはわからない。
801嫌いな人口は減ってるんだろうか?
そのへんは、嫌いな人口とはあまり関係ないと思う。
商業的にある程度の成績が見込めるものと思われるようになって、
メリット>デメリットになっただけかと。
広く浅く、よりピンポイントな嗜好をついた方が確実に売れるようになった、
ってことじゃないかね。
なるほどね。
じゃあ801嫌いな人の受け入れ先はあるんだろうか?
あんまりいろんな雑誌見てるわけじゃないからよく知らないけど。
あんまりそういう層をないがしろにしてると801の未来も明るくない気がするよ。
コミックテクノなんかは同人誌の所なんか一般の割合少ないし元々でしょ。
まあでも表向きは投稿絵の雑誌だから抑えるべきだと思う。
そういや確かに801嫌いな層をないがしろにしすぎてる層が増えてきたね。
ただこういう層が801(オタク系全般も)事情を知ろう、考えてから行動しようとする事はまずないと思う。
ネットが一番わかりやすいかな。
801サイトも口調がすごいのに限って一般に腐教しようとするし行動力だけはあるし
一見控えめに見えても訳のわかんないルールにばかり縛られてて
「厳しいルールがある、表に出ると叩かれるから縛られてます。しかし何故そのような事が起こったのかは自分で考える事が出来ません」
って感じな所も多いし年齢を見ると意外と社会人でも少なくないからびっくりだ。
会社で個人サイト見てるってのもいたなあ。
もう手遅れかもしれないけどさあ、なんとか良い方向に向くように出来ないのかなあ
難しいよね
そもそもどっちが「良い方向」なのかは当の801者にもわからない
興味本位の目を向けられて、マスコミで晒されるのが良い方向じゃないのはわかるけど
801者がその嗜好を徹底的に隠しとおして、世間から801が忘れられるのも
いまとなっては良い方向とは言い切れない
考えたり話したりするなかで、自分なりのスタンスを見つけようよって感じかなあ
798 :
風と木の名無しさん:2007/09/23(日) 08:48:04 ID:h2t1t/O50
あげ
本物の皆さんは801を快く思っていないだろうけど
同性愛だから隠されるべき、同性愛だから一般に認められてはいけないっていうのは同性愛者に対する差別だよなぁ。
もちろん二次元と三次元を混同しちゃいけないけど
>>799 腐女子を装った釣り?
あたかも腐女子がそう言ってるかのような、誤解を招くような言動やめてほしい。
同性愛者でもないのに、架空の同性愛ファンタジーを好む腐女子自身がキモいから世間から隠れるべき。
こんなキモい趣味を持つ私たちは、世間一般に認められないアングラ趣味である事を
自覚して生きろ。
これが腐女子の主張だよ。
隠れるべき、一般に認められてはいけないのは腐女子。
普通の腐女子なら、そこのところを混同してはいない。
799はアレだけど800もまた極論だなぁ。
内罰的な在り方ってのを、自身が抱くのはともかく
かくあるべきと他人に強要して当然という考えはいただけない。
あと、どんな意見であれ、
「これが腐女子の主張」とトータルで括るのは勘弁して欲しい。
人それぞれだと何も話が進まないがな
古株全員がそうというわけじゃないが
「腐女子であることを恥じるな、自分に誇りを持って堂々としろ」と言う人達っているよね
物語内での「愛ゆえのレイプ」美化&肯定の801文法を作ったのは古株世代だし
グインサーガ事件でさんざっぱらゲイをバカにした栗本薫も「古株」
自分達の世代が残した負の遺産を無視して「昔はよかった」だの
「801者として誇りを持て」だの、よく言えるよな
同性愛者でもない自分がゲイ関係に萌えてハアハアしていることを「誇り」にするなんて
私には到底できねーよ
私は自分にとって大切な感情、感覚をキモいと卑下して生きることも到底できない
腐女子である自分を特別人に見せつけようとか、誇りにしようとも思わないけど
「誇りにして堂々と生きろ」と「恥じて隠れて生きろ」の二択だったら前者を選ぶよ
>>801 私が何に対してレスしてんのかよく読んでほしい。
私は何も後ろめたさを必ず持つべきだなどと言ってるわけじゃない。
そのような考えを他人に強要する事にも反対だし、今までもそう言ってきた。
だが799は、「隠れるべき、一般人に認められてはいけないのは同性愛者」
だなどと言ってるんだよ。あたかも腐女子がそう考えているかのように。
それは全く話が違わないか?
「隠れるべき、一般人に認められてはいけないのは腐女子」だろ。
腐女子自身の心のあり方と、同性愛者の社会でのあり方を同じに語ることはできない。
それを混同するような発言をするから同性愛者に嫌悪されるんだと思うよ。
>>799は「同性愛だからとやおいを否定するのは同性愛差別」
と言ってるだけで
「隠れるべき、一般人に認められてはいけないのは同性愛者」
なんて言ってないと思うぞ
>>799は実在する同性愛者と801者の妄想を混同してるように見える
妄想だから隠れてするべきなのであって、同性愛が隠れるべき存在という訳では無いよ
男女や趣味嗜好に関係無く、妄想なら垂れ流す場所や相手を選ぶ配慮は当然じゃない?
そもそも妄想なんて他者に認めて貰うものでは無いんだから
他者に対して堂々とする必要も、恥じて生きる必要も無いと思う
>そもそも妄想なんて他者に認めて貰うものでは無いんだから
>他者に対して堂々とする必要も、恥じて生きる必要も無いと思う
結局はそこなんだよね。
なんか2極化している人が結構いるみたいだけど
この事についてはもう語る必要もないよ。
どんどん一般に布教、妄想テンション垂れ流しの801好き達が増えたような気がする。
固い話がお嫌いなようで自分達がどんな事をしているのか理解しようとしないし自覚もない。
唯一腐女子だという事は理解しているみたいだけど
上の方にも書いてあったけど意外と社会人でも多いんだよね…これ
小中学生ならまだ分かるけどさあ…。
「"妄想"だから隠れるべき」を「"801的妄想"だから隠れるべき」とごっちゃになって話が噛合わないと
801妄想だけ別格で隠れろと?と思う人が「(妄想内容が)同性愛だからって〜」と言いたくなるんだろうね
別にそこで布教したいとか、どこででも妄想垂れ流したいとかってわけではなく
>固い話がお嫌いなようで自分達がどんな事をしているのか理解しようとしないし自覚もない。
んなこたーない
というか「固い801」ってどんな801だよ…「グインサーガ」とかか?w
2chの801板見ただけで「いまどきの若いもの」を知った気になってそうだな
よく読んだら
>どんどん一般に布教、妄想テンション垂れ流しの801好き達
「妄想テンション垂れ流しの」は「801好き達」に掛かるのか
「妄想テンション垂れ流しの801」が「好き」という意味かと思った
妄想すること自体は別に誇りにする必要も卑下する必要もないが
妄想を「公共に垂れ流している」(商業801のゾーニング・レーティングなし)
ことは事実だし、誇るようなもんじゃないだろ
>>810 いや、固い話ってのは801の創作物の事ではなく
腐女子が今どのようなポジションにいるのか、何故叩かれるのかなど
要するに腐女子事情を知ろうとする話の事を伝えたかった。
それに批判しているのも別に若者の層だけじゃあないです。
説明不足すみません。
男女もののエロはちゃんとコーナー区切って紐で縛って18禁になって売ってれば
私としてはどんなにひどい内容でも気にならないんだ。
レイプでアンアン言ってるような内容でも好きにしろと思う。
一応「これはフィクションだってわかってる成熟した大人が読むものです」
って建前は感じられるから腹は立たない。
801もそうやって売ったらいいのにと思うよ。
それでも不快に感じる人はいるだろうけど、減りはすると思うし。
レーティングの対象にならないキスシーンとかはどうなるんだって疑問はあるけど。
>>813 とりあえず若い頃から知らないまま手に取るということはないな。
中1のとき青磁ビブロスを何も知らないまま買ったが
最後まで読んでもエロが少なかったためか「たまたま同性愛が入ってるSF」としばらく思ってた。
特に何が一般に出してマズいものかわからない世代が手に取るような本は隔離されるべきだと思いたい。
版権アンソロはマズいと思わず買っちゃうから特に。
というか、いまさらどうしようもないんだろうけど
版権モノの商業アンソロはやるべきじゃないと思ってる
何も知らない子どもが手に取ってしまう危険性もあるけど
これじゃあくまで同人誌なんでっていう建前さえ通用しない
あれを同人への有効な入門手段だと解釈する人もいるけど
いまどき本屋でアンソロ見るまでキャッチできないような人や
そこが手を伸ばせるせいぜいの年齢層をそこまでして
引き込まなくてもいいと思う
あれじゃ同人がどれだけグレーゾーンか理解出来ない801好きが増えるわけだよ。
っほしゅ
818 :
風と木の名無しさん:2007/11/01(木) 23:52:17 ID:XzACCD190
ageますね〜
厨房の頃に某海賊物のアンソロ発見して絵がなんか違うなぁと試しに見たら
〇〇と△△がギシアンしてた…と読んでしまった男子生徒が泣いてました
>>819 あるある
そういう、普通のファンが普通に本屋でマニアックなものを見てしまう環境はどうかと思う。
それがきっかけで開眼する人もいるけど、てか私もそれがきっかけだったんだけどw
でもやっぱマニアックなオタク雑誌を買うようになって、さらにマニアックな世界にそういうものがあると
知った上で踏み込むべき世界だと思う。
まあ商業アンソロに関しては
>あれを同人への有効な入門手段だと解釈する人もいるけど
>いまどき本屋でアンソロ見るまでキャッチできないような人や
>そこが手を伸ばせるせいぜいの年齢層をそこまでして
>引き込まなくてもいいと思う
これに同意。閲覧制限に関しては実際の年齢の他に
受け入れる側の精神的な適性時期があると思う
それを外部がゴリ押しした結果がこれか……
wikiに書いてあったことだけど、サンライズが同人に対して
条件を出すようになったのは無許可商業アンソロのせいで
迷惑をかけられたからだって聞いたけど。
それが本当なら同人者は自ら首をしめてる事になる。
三行目orz
×迷惑をかけられたからだって聞いたけど。
○迷惑をかけられたからだって。
厨房がBL本を買うという姿がよく目に付く。そもそもエロいシーンがあるなら躊躇なく成人指定にするべき。出版社は何を考えているんだか。
散々既出だろうがどうしても書きたかった。
わかる。散々既出なんだだけど、私もそう思ってる。
ただ、世の中のあり方自体が昔とは違って、
ネットからやおいに触れる子供が相当多くなってるんだろうな…とも思う。
ついでに子供がネットに自由でどこにでもアクセスできる状況もあわせて、
何とかすべきなんじゃないかとも思うんだけどね。
とりあえずは、出版物からだけでも何とかならないかと思うんだよね。