こっ恥ずかしいことに、俺は古泉を好いていた。
そして、幸運なのか不運なのか、古泉も俺を好いていた。
…ゆえに、俺達が愛し合うようになるのに大した時間はかからなかった。
人目を忍んで、俺達は身体を幾度も重ねた。
男としては余り好ましくない体勢を強いられたものの、好きな奴と交われる喜びに浸っていた。
浮かれていた、と言い換えても差し支えはない。
部室での長門の咎めるような視線に気づきながらも、敢えて気にせずにいた。
長門がなにか行動を起こすときは、確実になにか重要性を伴っているのを嫌というほど知っていたのに、だ。
俺達は、いや、俺は、判っていたはずなのだ。
勘が無駄にいいハルヒが、こんな異常事態に何も感じずにいるなんて、ありえないということ。
ハルヒに隠し通せることなんて俺にはひとつもないということ。
「………!!」
ドアを勢いよくひいたハルヒは、ドアノブを握ったまま硬直していた。
裸で絡み合っていた俺と古泉も硬直する。
ハルヒは大きな目を見開いて、絶句。
足音が聞こえて、ハルヒの後ろに長門が現れた。小柄な長門はハルヒに隠れて表情が伺えない。
ハルヒは全身を痙攣させ、両腕で頭を抱え数歩よたよたと後ろに歩き、廊下に蹲る。
声にならない叫び声をあげた。
瞬きをしている間に、俺はどこか知らない場所にいた。
灰色の世界ではない。灰色を通り越して、どす黒い世界。
あたりは真っ暗で何も見えないのに、自分の身体だけは見える。
「世界が、再構築されました。」
背後から声が聞こえる。聞き慣れた甘い声。
振り向くと、予想に違わず古泉の姿があった。はっきりと見える。
ボタンをすべて外したシャツを羽織っていたはずなのに、今は俺同様に裸である。
「構築までのわずかな時間に長門有希がメッセージを送ってくれました」
『失敗した。突然涼宮ハルヒが走りだして、追いつくことができなかった。
貴方達の行為を目撃した事で多大な精神的疲労が募り、過去に無い巨大な閉鎖空間の発生が予想される−』
一言一言ゆっくりと告げた古泉は微苦笑を浮かべた。
「…ここは、閉鎖空間なのか」
閉鎖空間にしては異常な気がする。いや、閉鎖空間自体十分異常であるが。
灰色でなく、青く光る巨人も存在せず、その上街ですらない。
「いいえ、違います」
「じゃあ、」
「…僕達は、歯車から外されました。
世界は、あまりにも大きくねじれてしまいました。朝比奈みくるも、長門有希すら、修復は不可能。
僕らだけを置いて、世界は回りだしました。」
「それは、どういう事だ」
嫌な予感がする。おぞましさにも似た不快。
「僕達の存在は世界から抹消されました」
さあ、と顔から血の気が引いていくのが分かる。
さすがに俺だって、古泉の言っていることがどれだけヤバいかぐらい分かる。
「長門は、巨大な閉鎖空間って言ったんじゃないのか」
「閉鎖空間が巨大すぎたんです。…閉鎖空間は爆発して全世界に広がり、組織が調整する間もなく世界が変わりました。
僕達がいない世界へとね」
たまに古泉が言っていた。
ハルヒに俺と古泉の関係がばれてしまったら大変なことになる、と。
その都度俺は、ハルヒが未開拓の分野−つまり、この場合同性愛−に触れる事で何がしかのインスピレーションを受け、
いっそうハルヒがアクティブになる、そりゃ大変だとばかり思っていた。
大変、のレベルが桁どころでなく違っていた。
「本格的に消えはじめましたね」
古泉の指が示す先、自分の足元を見ると、指先が粒子となって崩れ落ちて行くところだった。
思わず叫び声をあげる。
古泉はいつもと変わらず微笑していて、どこか諦観しているようにみえた。
「何でっ、何で消えてるんだ!!」
「僕達は世界にはもう存在しないんです。あと数分もすれば僕達はこの『無』の空間に取り込まれます」
「どうやったら元の世界に戻れるんだ!」
「…もう、無理なんですよ」
古泉は寂しそうに笑った。
「知っていたのか」
一歩、古泉の方へ歩を進める。足首まで消えかかっている。
「何をですか」
「ハルヒに俺達の事が知られたら閉鎖空間が発生しかねないって」
「…ええ。まさか、僕達の存在が消えてしまう程とは思いもしませんでしたが…」
「何で言ってくれなかったんだよ、こんな、こんなこと…」
涙は出ない。けれど、確実に俺は泣いていた。
「ごめんなさい。…貴方を繋ぎとめておきたかったんです」
「俺はっ、」
「貴方がそのことを気にして少しでも離れていってしまうのが恐かった、閉鎖空間が発生すれば…自分が死ぬ気で倒せばいいだろうと
思っていました。ええ、本当に自分勝手です。でも、その馬鹿な考えがこんな結果を生んでしまうなんて」
古泉も泣いていた。涙一筋見せず泣いていた。
俺は何も言えず、ああこれが夢だったらどんなにいいだろうにと頬をつねろうとした。しかし、腕がなかった。
胸のあたりまで既に粒子は侵食してきていたのだ。
存在がなくなるまで、あと少し。
「一つだけ、消える前に我侭な僕の最後の我侭、きいてくれますか」
「…何だ」
「キス、してください。貴方からしてくれたこと、なかったですよね」
俺は黙って、唇まで消える前に古泉に口付けしてやった。
唇を離した時の古泉は、今まで見たことないってぐらいに嬉しそうな顔をしていた。
そうして俺達は世界から消えた。
唇の温もりだけが残っていた。
なぁ、長門。
最後の最後で、初めて嘘をついたな。古泉はどうか分からないが、俺には分かる。
幾らハルヒがスーパー女子高生が度を超えたような奴であっても、まさか万能宇宙人な長門が足の早さで負けるわけないだろ?
もし仮に仮を重ねて負けたってことにしといても、お前ならうっかりしていた俺達の代わりに部室のドアに鍵をかけることだって
できただろうしな。
閉鎖空間の大きさだって、お前の辞書に計算違いなんて文字は見当たらないんじゃないのか。
自分が失敗したせいのように見せかけて、俺達を世界から消したのは、なんでだ?
現状維持の方針を変更した情報統合思念体の意志か?
…それとも、長門自身の意志か?
なぁ、長門。
世界が再構築される瞬間、お前はどんな顔をしていたんだろうな。
終