仕事帰りタクシーに乗りこみ数十分。窓の外の流れる景色を見ていたら
「このまま遠くまで連れて行ってくれませんか?」と、ついついタクシーの
運転手に言いかけた。赤の他人にこんなことを言いそうになるという
ことは、相当疲れている証拠だ。頭がメルヘンだ。日常生活にロマンが
入り込むと、それはそれは滑稽なことになる。少し痛む頭を軽く振り、
俺は目的地の変更を運転手に告げた。
「ジュソさん起きてる?」
目的地のマンションの下に着いた所で、目的の人間の携帯に電話をかける。
ややあって低音の声が聞こえた。
「え、オザワ?起きてるけど…何?」
「あのねぇ、何となく頭がメルヘンでファンタジーになっちゃってねぇ。
今ジュンソさん家の下。っていうか、玄関のまん前。」
「…はぁ!?」
「入れて。」
何も言わず彼はマンション入り口のオートロックを解除してくれた。
部屋に入ると部屋着の彼がしかめっ面をして立っていた。
「何なのよ。頭がメルヘンって。」
「タクシー乗ってたら、何かねぇ。乗りモン乗ってたらならない?」
「なりません。」
「タクシーの運ちゃんに"このまま遠くまで連れて行ってくれませんか?"
って言いそうになっちゃってねぇ。サムいでしょ?」
「極寒だな。」
勝手知ったる人の家、とばかりにソファにどっかりと腰を下ろし煙草に火をつけた。
「うん、我ながら極寒だね。」
「…何飲む?」
「焼酎ウーロン茶割り。」
「ねぇよ。」
「何があんの?」
「マイヤーズラム、ビール、ジン、コーヒー、オレンジジュース。」
「マイヤーズオレンジ。」
「…はいはい。」
めんどくさそうに台所に立ち、グラスを二つ手に戻ってくる彼を煙草の
煙越しに見る。彼はラムオレンジと自分の分のビールを床に置き、
俺の隣に腰を下ろした。
「シェーカーあればもっと美味いんだけどね。」
「十分です。」
「何してたの?」
「ボーっとテレビ見てた。そしたらお前から電話がきた。以上。」
「…ジュソさん怒ってる?急に来たから。」
今更になって迷惑だったかな、と思うが仕方が無い。もう遅い。
「怒ってねぇよ。呆れてるだけ。」
「何に呆れてんのさ。」
「メルヘンでファンタジーなオザワさんに。」
「ジュソさんメルヘンとファンタジーの意味わかる?」
「馬鹿にしてんの?」
「からかってるだけ。」
それっきり会話は途切れてしまった。何となくグラスについた滴を指で
ぬぐいソファで拭いてみる。右手に持った煙草はそろそろフィルターギリギリだ。
「…で、何しに来たの。」
「何したらいいの?」
「……出来ればこのまま帰れ。明日も仕事だし。」
「出来ると思う?」
「……出来るわけないか。」
「ジュソさん、ヤろ。」
「またお前はハッキリ言うねぇ…。」
「ヤりたいもんはヤりたいんだもん。しょうがないじゃん。」
「お前動物?」
「うん。今だけ。ヤらせてよジュソさん。」
「お生憎様………」
「あのさ、いいムードん時に突っ込み台詞は、止めようよ…」
「いいムードになってんのはお前だけだ」
「もうすぐジュソさんもいいムードになるって」
「あーあ、明日仕事…」
「愛と仕事は天秤にかけられないんだよ?」
「何だよそれ。」
「両方重すぎて天秤が壊れるからさ」
「……ぜってぇ言わねぇぞ?」
そこからはもうお決まりのシーン展開。
肉体疲労に精神疲労は勝てない。
メルヘンもロマンティックも遥か彼方に。
「オザワさんまだ、どっか行きたい?」
「んー?もうイったからいいや。気ぃ済んだ。」
「………バカ。」
「アタシ認めないよ、って言わないの?」
「……ぜってぇ言わねぇ。」