モララーのビデオ棚in801板12

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253下町1
「あぶな……っ」
丁度その時、松元は足元を見ていなかった。スタッフのひとりに声をかけられ、振り向いただけだった。
リハーサルの緊張感と倦怠感が入り交じった空気のなかで、足元をよろけさせた松元にむかって声がとんだ。
気づいた時には、男の身体を下敷きにする形で昏倒していた。
「大丈夫ですか……!」
スタッフが駆け寄るなか、松元は焦って自身の身体をどけた。右足の膝が、下になった濱田の鳩尾に入ってしまったらしかった。
「大丈夫…」
スタッフがもう一度呼び掛けた声が終わらないうちに、濱田は顔をあげてぶっきらぼうに声をあげた。
「平気や」
濱田は一瞬小さく頭を振る仕草をしたが、直ぐになんでもないように立ち上がろうとした。しかし、ふいに身体がよろけて崩れそうになる。その肩を松元は咄嗟に支えようと掴んだ。その途端、濱田は肩を強張らせる。
振払いもせず、しかし、しっかりと拒絶を示すその感触に、松元はゆっくりと手を降ろす。
「え……っと……」
ピンと張り詰めたふたりの空気に気圧されながらも、スタッフの若者は途切れてしまった段取りの説明を再開させようとした。しかし、濱田の背中をじっとみつめたままの松元に気づき、不安そうに目を泳がせる。
「ええよ、続けて」
「あ、はい」
濱田がその表情に気がつき、先を促す。しかし、松元は依然スタッフの声に耳を貸さない。
最初のうちは気づかない振りをしていた濱田もやがてイライラしたように振り向き、相方の顔を見上げた。
「なんやねん」
濱田の声に、やっと気づいたように松元はその視線をうえに上げた。
254下町2:2005/12/31(土) 20:17:24 ID:qM7iKVMt
「聞いたれや。説明してんのやから」
「……」
「おい」
「……さっきのすまんかったな」
「あ?」
返ってきた松元の答えに濱田は小さく眉根を寄せる。スタッフの困惑した顔。
「大丈夫か」
「いつの話してんねん。さっき大丈夫言うたやろうが、あのな……」
「すまん」
濱田は二の句が告げずに、瞬きを繰り返した。この男はからかっているのか、それとも。
「なんや……」
掠れ声しかでなかった。なんでそんな顔すんねん。初めてあったような男の顔。相方ではない男の顔。
からかってなどいない。滅多に心の奥を表情に出さない男だ。
「謝まんなや…!」
濱田は咄嗟に声をあげた。自分でも驚くほど子供染みた声だった。まるで癇癪を起したように。
怖いと思った。何が?わからない。
こわい。こわい。こわい。
腹の奥がカッと燃えて、目眩がした。気づいた時には松元の身体にぶつかるようにして倒れていた。
「すごい熱や……」
マネージャーの声が遠くで聞こえていた。足元から引きずり込まれるように、濱田は暗闇に飲み込まれていった。
255下町3:2005/12/31(土) 20:18:01 ID:qM7iKVMt

夕焼けのくすんだ橙色の光りのなかで。
「まっつん、行こうや」
呆然とする松元に向かって、咄嗟に呟いていた。擦りむいた肘が痛かった。
あの時、松元は、本当に自分と一緒に来たいと思っていたような気がして。
松元は視線を彷徨わせてこっちを向いた。
そうだったのか?
俺の勘違いやったのかもしれんな。

「吉元行こうな」

頷いたやんな?おまえ。

何かを犠牲にしたとしても、手に入れたいものは。

そんなもんはない。
そんなものは……

256下町4:2005/12/31(土) 20:18:50 ID:qM7iKVMt

「……っ」
何回か目を瞬かせると、ようやく濱田は目を覚ました。途端に部屋に響く耳障りな時計の秒針がたてる音に顔を歪める。
べっとりと汗で額にはりついた前髪をかきあげると、首を巡らした。
どうやら楽屋らしい。部屋の隅にそっとマネージャーの姿があった。意識を戻した濱田に気づいたマネージャーが寄ってきた。
濱田は上半身を起すと、額に手をあてた。
「どんくらい寝てた?」
「一時間ちょっとです。凄い、熱ですけど……」
「現場はどうなってん」
「松元さんが今、スタジオに行ってはりますけど……本番待ちの状態です」
「そうか」
無言で立ち上がった濱田に、驚いたようにマネージャーが声をかける。
「大丈夫ですか。40度近いですけど……」
ほなら、おまえ変わってくれんのか。
濱田は冗談めかして言うと楽屋を後にした。

なんで、今頃、あの時の夢なんか見たんだろう。
本番中、松元の瞳はまるで硝子玉みたいに見えた。何も映っていない。
何も、俺も映っていない。何も。

257下町5:2005/12/31(土) 20:19:53 ID:qM7iKVMt
家路を辿ろうとハンドルを切るうちに違う景色に変わっていく。無意識か、それとも何処かで逃げていたのだろうか。
濱田はホテルを目指していた。自宅に電話を入れ、ロケで今日は帰れないと連絡する。
隣の車のクラクションが頭のなかをワンワンと反響する。
此処にくるのは久方ぶりだった。たいして思いいれもない、白で統一された家具。当たり前だ、此処でしたことといえばあの男とのセックスだけなのだから。
何故、ここに来たのだろう。考えようとも、もう体力のほうが限界だった。
プツリと意識の糸がきれるように、濱田はベッドにうつ伏せに倒れると、そのまま睡魔に溺れて行った。

深夜の2時を過ぎた頃、携帯が鳴った。気のせいかもしれない。三回程のベルの後、音は途切れた。
熱は依然下がっていないようだった。濱田は緩慢な仕草でベッドから身体を起すと、携帯の液晶を眺めた。
着信の履歴にはあの男の番号が残っていた。三度のベルだ。間違いかもしれない。
濱田は発熱時特有の背中の寒気に肩を竦めると、ベッドに戻った。
じんじんと火照る頬に夜の空気が冷たかった。
まるであの男の指先のようだった。冷たい指先。その冷たさに触れられる度に、小さな吐息を漏らしていた。
その指先は、迷うように、鎖骨を辿り、躊躇いがちに乳首に触れる。捏ねて、押しつぶす。
「……っ」
うなされるように、濱田は寝返りをうった。熱のせいなのかわからない、疼きが腰の奥から全身を駆け巡った。
258下町6:2005/12/31(土) 20:21:04 ID:qM7iKVMt
情けなさで涙がでる。
最後に松元に抱かれたのはいつだろう。
泣き崩れたあの夜から。あの夜以来、松元は濱田の肌に触れることはなかった。
指先が、腰を滑り、股間に入り込む。先端を焦らし、試すように。
「……」
痺れたような足先が熱い。頭痛による吐き気なのか、濱田は小さくえずいた。
血を集めた中心に指を這わせようとした時、もう一度ベルはなった。
濱田はふらつく身体で、電話をとった。息があがってうまく言葉にならない。
「…なんや……」
思わず震える自分の声に舌打ちする。思った以上に喉にきているらしい。ヒリヒリと焼けつくようだった。
電話の向こうは無言だった。
なんやねん。なんか言えや……
「松元?」
「……」
なんかあるから電話してきたんと違うんか。昼間のことか。それとも
「なあ……」
携帯を握る手が汗で滲んだ。
「……」
「なあって……!」
阿呆でも大丈夫かでも、何でもいい。このまま無言が続けば、自分の嗚咽が込み上げてきてしまう。
足元がグラグラする。
259下町7:2005/12/31(土) 20:21:46 ID:qM7iKVMt
「今、何処におんねん」
松元の声は異様な程静かだった。
「こっちの勝手やろが」
心臓が俄に跳ねた心地がした。此処にいるとは知られたくなかった。顔を合わせたくもなかった。
話をしたくもなかった。

こわい。こわい。こわい。

「何処におんねん」
「家や。嫁が起きるからもう切る……」
「ホテルか」
「……」
「お前、熱あるんちゃうんか。なんでそんなとこおんねん」
「……」
違うと言いたいのに、言葉がでてこない。松元が焦れて電話を切った。まもなくこの部屋にやってくるだろう。
この部屋にやってきて……どうする……何を話す……なにかを、俺に告げるんじゃないのか。
聞きたくない。何も聞きたくない。
だったら、なんで俺はこの部屋に来た……?なんでや……なんでこんな女々しい真似してんねん……

何かを犠牲にしたとしても……

「お前は何も欲しくないんやろが……」
だったら、来んなや……だったら、どうして……
どうして、あの時……。