「あ〜〜〜っ」
「どうした?」
唐突に背後であがった大声に、倉曹掾が怪訝そうに振り返る。
と、途方にくれたような顔でかてものが自分の手元を見つめていた。
「・・・・メープルシロップこぼした・・・・」
「何やってんだよ。隊長来る前に拭いとけよな」
「そうタンに言われなくたって拭くよっ うわー・・・べたべたして気持ち悪い・・・」
呆れたような倉曹掾の声に反射的に言い返して。
シロップで濡れた手を持て余し気味に中に浮かせる。
「手、舐めちまったほうが早いんじゃねぇ?」
「えー なんかヤだ」
「やだっつっても、その手であちこち触るほうが掃除大変そうじゃん」
「そうだけどー」
「だから舐めちゃえって。ぜってーその方が早い」
「う〜・・・そうかなぁ」
「そうだって。ほら」
考え込むように自分の手を見るかてもに近づくと、倉曹掾はその手をとってかてもの自身の口元へと運んだ。
思いの外強い力で手首を掴まれて。かてものの顔にありありと困惑の色が浮かぶ。
「ちょ、いいって。普通に洗うー!」
「そう言うなって。もったいないだろ」
「でも、洗うーーーっ」
掴まれた腕を振りきろうとかてものが暴れる。
が、手についたメープルシロップを他につけるわけにもいかなくて、思うように動けない。
そんな状態で倉曹掾の手を振りきることが出来るはずもなく、自然、喚く声ばかりが大きくなっていった。
「しょうがないな・・・・ほら、こっち来いよ」
不意に、肩を軽くすくめた倉曹掾に腕を引かれて、かてものがたたらを踏む。
かろうじてバランスを保ちながら引きずられていった先は、調理台につけられたシンクだった。
「え?」
「そのままじゃ水出せないだろ」
かてものの代わりに蛇口を捻ると、興味を失ったように手を離す。
「あ・・・、ありがと・・・・」
あっさりと離れていく倉曹掾を呆然と見ていたかてものが、我に返ったようにお礼を言う。
その声は、今までとうってかわって小さなものだったけれど。
「なんか言ったか?」
「別にー」
「ふぅん?ならいいけど。さっさと拭いとけよ、それ」
「言われなくたって拭くって言ってるー!!」
「覚えてたか。ま、がんばれ」
「うわー ヤなヤツ・・・・」
なんてことのない、日常のひとこま。