や美味しんぼ

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午後5時からの情熱・前編


 士郎は父を憎んでいた。
 父は暴君であり、自分の中に他人の意志を介在させない男だった。
美術家として名を馳せ、偏執的なまでの美意識で周囲をがんじがらめに縛り、他人を傷つけても平然としていた。
父は息子にも常に完璧であれと厳しく律し、自分への絶対服従を命じていた。
士郎には父が憎むべき存在であったが、同時に怖ろしく、彼の前に出ると抗う意志すら費えてしまう。
 そして士郎にとっては不幸なことに、彼は母譲りの容貌を持つ美しい少年だった。
幼い頃からその兆しはあったが、士郎が中学、高校へ上がる頃には、
同じ年頃の子供が及びもつかないほどの美貌と、そして知性を兼ね備えるようになっていた(CV/井上和彦)。
 なぜそれが士郎にとって不幸になったのか――父、U山は、何よりも美しいものをこよなく愛す男だったのだ。
疲労に負け、老いさらばえてかつての美しさを喪ってゆく妻に代わり、U山は士郎を愛した。
力と暴虐で、U山は士郎の上に君臨した。
 実の父親に犯され……士郎はそのけだものじみた行為と、自分を嬲り続ける父をより激しく憎悪した。
U山は息子を思うがまま抱き、その美しさを執拗な言葉で褒め称えた。
『おおっ、これは! まったりとして重厚でありながらも決してしつこくなく、まるで舌の上でとろけるような――』
 士郎はその手でU山を殺すことすら考えたが、それよりも効果的な復讐を考え出した。
 士郎の家は、U山の主催する《B食倶楽部》の会員、板前が頻繁に出入りしていた。
その中の何人かが、自分に対して穢れた欲望を抱いていることを、士郎は以前から承知していたのだ。
士郎は彼らにさりげなく近づき、巧妙に彼らの欲望を刺激して、関係を持った。
 当然、それを知ったU山は激怒した。
 自分が作り、育て、仕込みから仕上げまでを丹精込めて行った極上の料理を横取りされる怒り。
それはU山にとって、何ものにも変えがたい屈辱だった。
80>51(2):02/01/13 02:09 ID:N6occmAo
 士郎は自分がU山に大きな打撃を与えたことに満足し、さらに父親の美の結集である数々の作品、
陶磁器などを片端から叩き割り、家を出た。
 ようやくU山の呪縛から逃れることができたと歓喜するのも束の間、
士郎は自分の裡へ流れる忌まわしい父の血を自覚することになった。
U山によって鍛え上げられた味覚が、市場に出廻るありきたりな料理のほとんどを、強く拒んだのだ。
 そんなはずはない。俺は、親父とは違う。たかが料理や美意識などにこだわり、
他人を傷つけることすら当たり前と思うようなあの男とは……。
 そう思うのに、士郎は美食の探求をやめることができなかった。
父に叩き込まれた知識が、舌が、士郎を新たに縛り付けた。
時には『たかが』美味い料理を得る為に、自分の体すら他人に差し出した。
そんな暮らしを続ける中、士郎は自力で入った大学を卒業する時期を迎えた。
だが、就職口がひとつとして見つからない。裏でU山が手を廻し、自分の許へ帰ってくるよう画策していたのだ。
 士郎はU山の無言の圧力に、為す術も宛てもなく街を歩いた。
結局、父の存在を振り払うことはできないのか――絶望的な思いを味わう士郎に、声をかけるひとりの男がいた。
『きみは、K原先生のところの士郎君ではないかね』
 そう言って笑った男に、士郎は見覚えがあった。
B食倶楽部の会員にして、T西新聞の社主を務めるO原だった。
 そして彼との出会いが、その後の士郎の運命を変えた。


〜後編に続く〜