アメリカがいきなり襲われました。

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「治安悪化を沈静する」と言う名目の元、1978年の冬、ソ連はアフガニスタンを陵辱した。
正確に言えば陵辱を試み始めた。
冬になっても凍らない漁港や中東の石油を求めての行為だったが
自分の隣国でありながらアメリカに媚を売るアフガニスタンが憎かったのも事実だ。
イギリスがアフガニスタンにちょっかいを出せばソ連の存在を匂わせるくせに
ソ連が指一本でも触れようものならイギリス寄りになる。
そんな尻軽はこれくらいされても当然だと思った。
「やめろ、やめろっつってんだろ!」
「俺に任せれば悪いようにはしない。抗えば抗うだけ痛みが増すぞ」
「冗談じゃない、あんた宗教禁止の国じゃないか!」
「いいじゃないか、お前を社会主義国家に染めてやるよ……」
古くはシルクロードの拠点であり、
つい5年前まで王制で歴代の王たちが少しずつ近代化を進めていったアフガニスタンは
たやすくソ連を受け入れることになるだろうと思っていた。
当時は冷戦真っ只中、ソ連の軍装備は対アメリカにも対抗しうる最新式のものだったのだ。
だが、その更紗のような着衣を剥ぎ、
どうせイギリスやアメリカに好きなようにされた体だろうと前戯もせずに
アフガニスタンの後ろに一本ずつ指を入れていった時、ソ連はふいに吹っ飛ばされた。
アメリカ・パキスタン・サウジアラビアが現場に居合わせたのだ。
アメリカが「武器」と「ゲリラ戦術」を、パキスタンが「軍事施設」を、サウジアラビアが「資金」を。
懸念されたイギリスの姿はなかったが、この3ヶ国がアフガニスタンを守るために立ち上がった。
もちろん参加国はそれぞれに思惑があってのことだったが
アフガニスタンの貞操を守る結果になったのは事実だ。
手に入らないものほど魅力的に見えるものはない。
ソ連は実に10年もの間アフガニスタンの閨房を狙いつづけた。
朝となく夜となく僅かの隙でもあれば所構わず押し倒した。
そして10年の月日が流れ、ソ連がようやくアフガニスタンを諦める頃には
かつて東西の文化と歴史が交差した雅やかな国とは思えないほど
彼はテロ慣れしたゲリラ組織の顔つきになっていた。
だが、パレスチナに対する真の陵辱行為は
庇護者であると信じて疑わなかったアメリカによって行われることになる。