【KARA】スンヨン応援スレ☆159【ハングルの勉強】

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923名無しさん@お腹いっぱい。
「ナヌムの家」−日本軍「慰安婦」歴史館
http://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=1959

ソウルから南東30km、京畿道(キョンギド)広州(クァンジュ)市はずれの静かな村に小さな歴史博物館があります。
日本軍「慰安婦」歴史館という名のその博物館は、現在も日本軍「慰安婦」被害女性達が共同生活を行なう福祉施設「ナヌムの家」の敷地内に、1998年に開館しました。
日韓の市民達の寄付・寄贈により建てられた104坪からなる館内には、各種記録史料、パネル、映像・写真、そして日本軍「慰安婦」被害女性達が直接描いた絵が展示されています。
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1992年に開院した「ナヌムの家」には歴史館のほかに、今はもう高齢の被害女性達が共同生活をする生活館、
スタッフが常勤する事務所、団体訪問客の対応や祭祀などに利用される修練館があります。
韓国では2008年まで日本軍「慰安婦」被害者として234名が登録されており、「ナヌムの家」には9名が住んでいます(2012年5月現在)。
スタッフや訪問者達は彼女達のことを親しみを込めて「ハルモニ(おばあさん)」と呼びます。
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訪問者は通常、歴史館を観覧する前に予備学習として修練館で関連ドキュメンタリービデオを鑑賞します。
鑑賞を終えた訪問者達が外に出ると、生活館からちょうど出てきたペ・チュニ(「春姫)ハルモニが出迎えてくれました。
しばしの邂逅の後、ナヌムの家の研究員が歴史館の案内をしてくれ、丁寧で分かりやすい案内は訪問者達の間で非常に定評があります。
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テーマ別に整理された館内展示

歴史館は向かい合った二つの棟が地下で繋がる形になっており、館内はテーマ別に史料が展示されています。

<第1展示場>
一階入り口にある第1展示場は「証言の場」。
ここでは日本軍「慰安婦」とは何か?といった基本的な部分から、1991年に初めて名乗り出た故キム・ハッスン(金学順)ハルモニの訴えを境に展開した関連活動の流れまで、日本軍「慰安婦」問題の全体像が分かるようになっています。
アジア各地の「慰安所」分布図も見ると日本軍が進軍した地には必ずといっていいほど「慰安所」があるのが分かります。
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▲「証言の場」
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▲日本軍「慰安婦」についての説明パネル
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▲「慰安所」分布図と関連年表

<第2展示場>
地下1階の第2展示場は「体験の場」。
アジア各地の「慰安所」跡地や「慰安所」の利用規約、見取り図日本軍「慰安婦」達の管理記録など主に「慰安所」自体に関する史料が展示されています。
また、証言や史料により 「慰安所」内部を再現した実寸大模型が設置されています。
しかしこれはほんの一例に過ぎず、激戦地やジャングルではテントやわらぶき小屋のような「慰安所」が数多くあったといわれています。
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▲「体験の場」
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▲「慰安所」として使われた建物
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▲南京の「慰安所」(当時)
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▲「慰安所」入り口
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▲朝鮮人女性が多かったが、
日本名を付けられ強要された
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▲「慰安所」内部
924名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/25(土) 21:23:51.90 ID:Q2RR+ihn
<第3展示場>
地下1階を通り抜け、向かいの棟の1階へと上がると第3展示場の「記録の場」に出ます。
壁には被害女性をモチーフにしたレリーフ、肖像版画が設置されています。
肖像版画はボタンを押すと91年に日本軍「慰安婦」被害者として韓国で初めて名乗り出た故キム・ハッスン(金学順・97年死去)ハルモニの肉声を聞くことができます。
ショウケースには日本軍「慰安婦」に関する記載のある書籍類、公文書、当時の新聞などの史料が、また壁面パネルには「水曜集会」を記録した映像および写真が展示されています。
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▲被害女性をモチーフにしたレリーフ
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▲ハルモニ達の肖像版画
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▲韓国で初めて名乗り出た
故 キム・ハッスン・ハルモニ
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▲日本軍「慰安婦」に関する証言、
記載のある書籍類
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▲日本軍「慰安婦」募集に関する
当時の新聞記事
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▲水曜集会を記録した映像および写真

水曜集会とは?
ここで「水曜集会」について簡単に触れておきましょう。
韓国挺身隊問題対策協議会が主導して行うこの集会は1992年1月8日にソウルの日本大使館前で第1回が開かれ、
以降現在まで毎週水曜日に同所、同時刻(正午)にて日本政府に対し公式謝罪と補償を求める訴えを行なっています。
現在はハルモニ達が高齢のため以前ほど多く参加できずにいますが、2012年12月14日には1,000回を迎えました。
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▲水曜集会
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▲ソウルの日本大使館
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▲挺身隊問題対策協議会の代表者
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▲訴えるハルモニ達
925名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/25(土) 21:24:44.87 ID:Q2RR+ihn
<第4展示場>
第4展示場「告発の場」は2階にあります。
階段壁面にはハルモニが直接描いた絵が展示されており、出迎えに出てくれたペ・チュニ・ハルモニの絵も幾つか見られます。
展示場内にはハルモニの絵のほか、支援者による各種造形品、ナヌムの家で亡くなったハルモニの遺品などが展示されています。
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▲階段に飾られたハルモニが描いた絵
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▲「告発の場」
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▲展示場内のハルモニの絵

ハルモニ達の多くは当時学校教育を受けられず字の読み書きができません。
そんな彼女達のために自己表現を通したセラピーの一環として絵画教室がナヌムの家で定期的に行われました。
その中で生まれたのがこれらの作品たちです。
強烈なメッセージを持つ、胸の痛くなる作品だが、彼女達がハルモニと呼ばれるような年になって初めて公に対して行なった自己表現がこれだということを考えると直視せずにはいられません。
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▲カン・ドッキョン作 「責任者を処罰せよ」
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▲カン・ドッキョン作 「奪われた純情」
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▲キム・スンドッ作 「連れて行かれる」

特に多くの絵を遺しているのが故カン・ドッキョン(姜徳景)ハルモニです。
ナヌムの家では最年少ながら中心的な人物だった彼女は1997年に他界するまで証言や抗議活動など積極的に行ないました。
死の直前まで訴え続けたその姿は幾つかのドキュメンタリー映像にも記録されています。(「私たちは忘れない」) (「ナヌムの家II」)
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▲カン・ドッキョン・ハルモニ
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▲カン・ドッキョン・ハルモニの遺品
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▲彼女は多くの絵を残した

カン・ドッキョン・ハルモニと非常に仲が良く、やはり絵をたくさん遺しているのが故キム・スンドッ(金純徳)ハルモニ。
面倒見が良く、綺麗好きな彼女は「韓国の典型的なオモニ(母親)」像のハルモニだったが、2004年に急性脳出血で亡くなりました。
彼女の描いた「咲ききれなかった花」という名の絵は、ナヌムの家に建つ銅像のモデルになり、シンボル的な絵としてポスターやグッズ類に使われています。
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▲キム・スンドッ・ハルモニ
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▲キム・スンドッ・ハルモニの遺品
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▲キム・スンドッ作 「咲ききれなかった花」
926名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/25(土) 21:25:12.67 ID:Q2RR+ihn
<第5展示場>
2階の絵画展示場から下りたところにある出口までの一角は第5展示場「誓いの場」として、ハルモニ達のハンドプリントや支援者の指紋捺印によって描かれた肖像画などが展示されています。
また、片隅に設けられた物販コーナーでは日本語、韓国語、英語の関連書籍、映像作品などほか、ハルモニ達の作品の画集も販売されています。
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▲「誓いの場」
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▲指紋捺印によって描かれた肖像画
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<第6展示場>
館内の観覧を終え、外に出るとキム・スンドッ・ハルモニの描いた「咲ききれなかった花」がモデルになった銅像が敷地中央に見えます。
この像は歴史館地下の「慰安所」の再現模型の真上に立っています。「慰安所」で犠牲になった多くの女性の霊を弔う意味でこの位置に建てられたといわれています。
ほかにも、ナヌムの家で亡くなったカン・ドッキョン・ハルモニやキム・スンドッ・ハルモニなどの追悼碑が立つこの庭が第6の展示場「追慕の場」となっています。
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▲「咲ききれなかった花」をモデルにした像
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▲カン・ドッキョン・ハルモニの追悼碑
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▲キム・スンドッ・ハルモニと
他のハルモニ達の追悼碑


人間の「生」を記録した「生きた博物館」

以上で日本軍「慰安婦」歴史館の観覧は終わり。
日本からの訪問者達は別れを惜しみながらナヌムの家を後にしました。
展示史料は豊富とはいえないが、この歴史館は当事者達が暮らす生活の場にあるという意味で非常に特質かつ重要な施設です。
閲覧を終えると、壁のパネルに刻まれたキム・ハッスン・ハルモニの言葉−「私たちが強要に抗えずにした、そのことを歴史に残さなければならない」−が胸に重く残ります。
ここは人間の「生」を記録した「生きた博物館」なのです。
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▲日本軍「慰安婦」歴史館
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▲キム・ハッスン・ハルモニが遺した言葉
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▲ナヌムの家を後にする日本の訪問者達


最後はナヌムの家の家族達に見送られ…

最後はスタッフとハルモニが見送ってくれました。
スタッフ達もまたハルモニの健康を一番大事に考えるナヌムの家の家族です。
表では忘れてならないもう1匹の家族、タンギョル(「団結」の意)にも挨拶してきました。
記者が写真家を志してカメラを手にし、初めて撮りに行ったのが第499回「水曜集会」。
その後数年の間に親しかったハルモニ達が年々亡くなり、集会はもう1,000回に達します。
1,000回まで元気でいてくれたハルモニ達にはありがたいと同時に、いまだに老骨に鞭打たせてしまっていることに対し申し訳ない気持ちになります。

この記事が一人でも多くの人に読まれ、彼女達に関心を寄せるきっかけになってくれれば幸いです。

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▲タンギョル