「日本国民として、慰安婦に謝りたい」…日本人大学生含む16か国の青年ら約60人、韓国のナヌムの家訪問
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120824-00000890-chosun-kr ・「I am sorry…過去の誤ちについて、日本国民の一人として謝りたいです」
「大丈夫、君が謝ることはない」
しわだらけの手が、孫のような学生の手をしっかりと握り、背中をたたいた。英語で「謝罪」の
言葉を伝えたのは、早稲田大学3年生で政治思想を専攻するナカムラさん。「理解する」と
答えたのは、旧日本軍の慰安婦だったイ・オクソンさん(85)だ。
23日、元慰安婦の女性たちが共同生活を送っている京畿道広州市の「ナヌムの家」。
植民地時代に慰安婦としてつらい青春を送った女性8人が暮らすこの場所を、日本人の大学生
4人と韓国・中国・パレスチナ・ドイツなど16カ国の青年約60人が訪れた。ユネスコ韓国委員会が
主管する「青年歴史対話国際フォーラム」の参加者たちだ。この日、イさんのほか
カン・イルチュルさん(84)、パク・オクソンさん(88)、キム・グンジャさん(86)が、体が不自由にも
かかわらず、遠くから若者たちが訪ねて来たと聞いて姿を見せた。大学生たちと一緒に記念撮影し
少女のようにほほえんでいたおばあさんたちも、過去の苦しみを打ち明けるときは自然と声が高くなった。
「(植民地支配から)解放されたというが、私たちはまだ解放されていない。今でも(日本政府とは)
戦争中だ。私たちを慰安婦と呼ぶが、私たちは慰安婦じゃない。強制労働の被害者だ」。そして
女性たちは訴えた。「どうか、過去の歴史を忘れないで。日本人だからといって、みんな悪い人だろうか。
教科書が問題なのだ。皆さん、熱心に勉強して、私たちが味わった苦痛が二度と繰り返されない
ようにしてほしい」
慰安婦歴史館のあちこちには、悪夢のような過去の出来事が白黒写真や関連資料で、また女性たちの
記憶に基づく絵画で再現されていた。訪問者らは、1階に掲げられた日本軍慰安所の分布図の前で
しばらく立ち止まった。満州や中国大陸だけでなく、西はビルマ(現ミャンマー)、南東は
パプアニューギニアに至るまで、旧日本軍の慰安所が所在していたことを示すマークが表示されていた。
地下には、狭い慰安所の実物模型もあった。割れた真ちゅうの洗面器と一緒に並べられた軍用の
野戦ベッドの上には、来館者から寄せられた慰労のはがきが積み上げられていた。あちこちで、
低いため息が漏れた。
早稲田大学に通うアンドウさん(20)は「慰安婦問題については知っていたが、これほどひどいとは
思わなかった。日本国民の大多数は、詳しく知らない。歴史的事実を正しく知るためには、もっと努力
しなければならないと思う」と語った。
フォーラムの参加者たちは、この日の訪問に先立ち、2日間にわたって討論と対話を繰り広げた。
参加者たちは「互いを理解するための良い機会になった」と述べながらも「韓日間の認識の差は
まだ小さくないようだ。歴史的事実に対する理解が異なる」と口をそろえた。
ところで、日本人参加者7人のうち2人は、日程の途中で帰還した。この2人について、ある中国人学生は
「韓日間の過去史の問題が浮き彫りなるのが気まずかったようだ」と語った。
ドイツから参加したリナ・ヨハンナ・エクスナーさん(19)は、次のようにアドバイスした。「論争中の
歴史問題で最も重要なのは、被害者の視点だ。ドイツでは『アンネの日記』を学生たちが公演し、
自らアンネの役を演じることで、被害者の立場を体験する。悲劇を再び繰り返さないためには、
きちんとした歴史教育が先行すべきだと思う」