【T-ara】 ティアラ 76 【since 2009】

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292名無しさん@お腹いっぱい。
韓国で日本の下位文化はよく‘変態’として扱われる。限りなく細分化されたジャンルごとに、執拗かつ完成された極端なハードコアコンテンツが存在するからだ。

あらゆる奇怪な趣向を満足させる漫画・本・映画が絶えず制作される。 大衆文化の領域だけでない。 数十年間にわたりゴッホの絵の背景だけを訪ね歩いた夫婦、コガネムシ収集に熱狂する教師、鍵マニア、紙飛行機マニア、拷問道具マニア…。

この人たちの滋養分は世界で最も発達しているといわれる出版文化だ。神田古書店街で、その底力を確認した。 150の書店が盛況中だった。江戸時代の武士の死亡診断書まである。 「図書館になくても神田にはある」という言葉を実感する。

もちろんこうしたマニアックな趣向は日本でも少数文化だ。 しかし誰も他人の「小さな宇宙」をむやみに侵犯しない。 このおかげで日本は世界のどの国よりも多様な文化ジャンルと充実したサブ市場を持ち、米国とともに地球村の大衆文化の2大供給源になった。

こうした趣向の多様性という側面で見れば、韓国はまだまだのようだ。 誰かがイグアナを、球体関節人形を、タトゥーやピアッシングを好めば、それ自体で怪訝そうに見る。

ワインがブームならそこに、また日本酒が人気ならそこに一斉に集まっていく。 内面からにじみ出たものではなく、デパートで購入した趣向で自分を装う。
得られるものは何もない。 個人はもちろん、企業も、自分だけのナレーティブがなければ独創性を発揮するのは難しい。 自分だけの趣向を積極的に啓発するだけでなく、他人の趣向をできる限り寛容しなければならない理由だ。

イ・ナリズシ論説委員