☆☆☆東京安田会☆☆☆

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1名無番長
つよい
2名無番長:2001/05/14(月) 13:25
阿久津親分の仁義 笑った
3外人:2001/05/14(月) 13:27
昔、ディスコでチンピラと喧嘩になって、
「俺は安田だよ」と言ったので、私も
「俺も安田だよ」と言いました。
安田は安田でも、安田連合と安田学園の安田違いでした。
チャン チャン。
4名無番長:2001/05/14(月) 13:47
阿久津三兄弟!真中が同じ少年院だった・・・
5名無番長:2001/05/14(月) 15:10
雄二??

今、安田会は何人位いんの???
6名無番長:2001/05/14(月) 16:21
ひろった漫画を売っている
7名無番長:2001/05/14(月) 17:13
新宿に出てるゴミ本屋って安田直営なの?
南口の信号を境に左が高橋総業、右が安田って聞いたけど。
そういえば、ゴミ本屋は安田の庭場だけだよな。
8名無番長:2001/05/14(月) 21:22
高齢化が進んでおります。はい。
9名無番長:2001/05/14(月) 21:28
70代の親父さん多いですよね
10名無番長:2001/05/14(月) 21:41
>7
高橋総業てどこの?
11名無番長:2001/05/14(月) 21:48
>10櫻
12名無番長:2001/05/14(月) 22:07
松じゃなくて、櫻に高橋総業てあるんだ。
13名無番長:2001/05/14(月) 22:16
前は杉東のシマだったんですよ
14名無番長:2001/05/14(月) 22:35
東京安田会と杉東会は、花園神社の酉の市に出店してるよね。
でも、ほとんどが極東系だけど。
東京安田会は、怖そうな人が結構いましたよ。
杉東会の現状は?
15名無番長:2001/05/14(月) 22:38
何の仕事してると聞かれて
ごみ本屋と答えるヤクザはいかがな物かと思う。
16名無番長:2001/05/15(火) 10:52
>14杉東は完全に香具師になりました。
不良じゃないよ。
17名無番長:2001/05/15(火) 12:57
安田の阿久津雄二親分は「代紋take2」の阿久津丈二のモデルだって知ってた??
業界では有名な話だよ。
18名無番長:2001/05/15(火) 13:29
| |
| |゜)  ・・・ジー
|||||)
| ||
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

| | Λ
| |Д゜) ヤクザ氏ね!!
|||||⊂)
| |∧|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

| |  サッ
| |゜)彡
|||||)
| ||
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
19名無番長:2001/05/15(火) 14:16
違うよ
20名無番長:2001/05/16(水) 15:00
違う。何の業界だ・・
21名無番長:2001/05/17(木) 01:59
>>12
池袋の高橋総業。
新宿はその枝の阿久津組。
22名無番長:2001/05/17(木) 02:01
色々あったが今回は祖母について書いてみよう。
祖母は若い頃から祖父を亡くし、そのまま戦前から女一人で、
三人の息子を育てただけあってかなり気丈な性格だったようだ。
母親が祖母を素直に褒めたことも(俺の知る限り今も)、逆に祖母が褒めたことも
一度だってなかった。いつも言い争っていた。
後、祖母がよく食事した後湯飲みに、入れ歯をハズして浸けて
そのお湯をすすっていた記憶もあるなぁ。
23名無番長:2001/05/17(木) 02:01
もし、ここで俺と祖母が仲良かったのなら、それはそれでよい思い出ともなりえるが
やっぱり俺も苦手だった。単に頑固な人だった。
実質、孫として可愛がられた記憶も具体的にはない。だって一緒に遊んで
お互い面白がっても、すぐ怒りだして喧嘩になるんだもん。

寝たきりになる前に、既にボケが始まっていて
原因はワカランが俺に対して「お前の目玉をくり抜いてやる!」
とスプーン片手に追いかけ回された事があった。恐くなって思わず
突き飛ばしたら、その場で倒れ込んでしまった。
両親には、いつものように祖母の体調が崩れて・・・とか言ったが
もしかしたら、これが原因で祖母の死期を早めたかもしれない。
ただ、別に祖母にはすまないことをしたとも思っていないんだよね。
こりゃ人間失格かね。
24名無番長:2001/05/17(木) 02:01
祖母が亡くなり(葬式で)棺桶が燃やされようとしている時
号泣している親父の弟達を見て、当時中学三年生の俺は
「てめえら、都合のいい時だけこんなところにひょっこり表れて
勝手に涙なんぞ流しやがって、ざけんな。涙なんか流す資格なんかねぇよ」
なんとなく、彼らを見てそう思っていた。
涙を流す資格・・妙な言葉が思い浮かんだもんだ。
どんよりした小雨まじりの秋の日の事だった。

その後、親父が運転している車の中で、隣に母親が祖母のお骨を膝に抱えたまま
なんでもっと安い棺桶(確かベニア製だとか)を使わなかったのか
などと、母親が言い出したので親父と二人で喧嘩していた。

-わが肩に蜘蛛の糸張る秋の暮れ-
(富田木歩:作)
25名無番長:2001/05/17(木) 02:02
バイトでフラフラしていた頃、ちょいと仲良くなったパートのオバハンに
この棺桶騒動をポロッと言ったら、腹抱えて笑っていた。
多分、自分より不幸な家庭を見いだしたのが嬉しかった面もあるのだろう。
俺も俺で思った。「へー・・・こんなことでも面白がってくれんだな
ま、俺もそれなりに社会に貢献しとるやんけ・・」

元々、両親は離婚とは人間のクズがするものと考えていたらしく
絶対それだけはしたくなかったようだ。
そして、祖母が亡くなってからは、両親の仲が以前よりは良くなったのも事実だ。

人間の生命の尊さとは何か?
祖母は苦手な人だってけど、亡くなった後の結果は考えさせられた。
中学生の俺には、厳しく突きつけられた現実だった・・・かな?

いまだに語り継がれる日航機の123便の事故だが、
500人以上のうち、何十人分位だっけ?数はよく分からないけど
いまだに死体を受け取りに来ないとかあった。
号泣している遺族がよく映し出されていたが、あの事故で腹抱えて
爆笑して嬉しがっている連中だって、結構いるだろう。
ついでに、勝手にあの事故のコトを神に感謝している者さえいるだろう。
もちろん、事故そのものは悲惨きわまりないことに異存はないが。

この点は、戦争で大量に敵を倒し手柄を立て、一家(国家)の誇りとなった兵士
と似ているのかも知れない。なぜなら殺された兵士の、家族は
逆に死ぬほど敵を恨むはずだから。
つまり、死、とは受け止め方で全く異なると云うことで、
人類はその繰り返しを何度もしているといえるかも知れない。
26名無番長:2001/05/17(木) 02:02
随分前だが、中学時代の同級生(♀)にたまたま逢った。
「こないだ、卒業アルバムみてたんだ。ちょうど**くんを思い出していた。
偶然ってあるんだね。ところでさ、あのまま成長していたら、一体社会で
どう生きていけるか心配になっていたけど
案外、マトモになったねぇ。ちょっと、大人になったよ。」

そう言ってくれたその子は当時、特異的な存在でクラスでも嫌われていた。
まあ、大した理由じゃないのだろうけど。でもそういう存在だった彼女の
そのセリフはナカナカ重みがあったな。うーん。
自分じゃ、どこが変わったのかよくわかんないけど、反対に自分は変わった!
とか"逝っている"のに限って、あんま変わっていないものらしい。

―第一部 完―
(はたして今後も続くか?)
27名無番長:2001/05/17(木) 21:22
>>21

高橋総業の枝の阿久津組は、東京安田会とは関係ないんですか?
28名無番長:2001/05/17(木) 21:40
なし。
29名無番長:2001/05/17(木) 21:41
安田は一本だよ。
30名無番長:2001/05/19(土) 01:38
渋谷の本町にいっぱいいたね若い子達が
31本町:2001/05/24(木) 22:13
そうですね、いっぱいいました、でもみんなK山さんのとこにいっちゃいました・・
ベントレー、F355・・やっぱりお金なのかな・・でもみんないい人ばっかりでした
いきなりいなくなっちゃったひともいっぱいいますね・・
32名無番長:2001/05/25(金) 07:48
菱の親戚
33名無番長
32>>なかなか渋いこと知ってるね。仙台のどこかと杯かわしたんだよね。