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狭山事件:
石川は、狭山市の通称「カワダンボ」と呼ばれる未開放部落の出身で土地を持たない貧農の子供として生まれた。学歴も小学校5年生までで、在学中も子守奉公をして生計を助けていた。
その後、大手菓子会社の工場で勤務したが長くは続かず退社。やがて問題となった石田養豚所に事件の年の2月まで働いた後、兄の鳶職を手伝っていた。
この石田養豚所も未解放部落出身で、部落出身の青年達の溜まり場所であった。この養豚所から被害者宅まで200mという距離である。
が、何故この養豚場関係者が捜査の対象になったのか?何故、石川が嫌疑をかけられたのか?現在でも明確な回答が無いままになっている。
第一に問題のスコップが養豚場の物であるという立証ができず曖昧な点が挙げられる。
第二に、佐野屋の北側(田畑側)に残された犯人の足跡のサイズと石川のサイズがまったく異なっていた。
第三、善枝さんの姉や近くで佐野屋に張り込んでいた刑事たちは、犯人の声は40〜50歳と証言しているのに何故、石川なのか(当時24歳)。
第四、石川は貧困故に小学校にも殆ど行けず、ひらがなが書ける程度で漢字の読み書きはまったく出来なかった。その石川が脅迫状を書けるわけが無いという点である。
さらに不可思議な事は、石川被告の家宅捜査は3回行われたが、第一回の家宅捜査(5月23日)で徹底的に捜査して何も事件につながるものが出てこなかったのに
3回目の家宅捜査で善枝さんのピンクの万年筆が勝手口の鴨居から発見された。
捜査員自らこれを取らず被告の兄に取らせて写真を撮影するなど実に不思議なことが起こっている(尚、この第三回目の家宅捜査の時間はたったの24分間で、第一回と第二回の
家宅捜査では2時間以上を費やしている)。公判ではこのピンクの万年筆が物的証拠として有罪の決め手になっている。