1 :
名無番長:
未解決事件
被疑者が逮捕(検挙)、または判明が一切できてない事件のことである。
一般に捜査が行き詰まっている未解決の事件は「迷宮入り」とも言われる。
2 :
名無番長:2009/12/17(木) 13:39:37 O
2ゲット
3 :
名無番長:2009/12/17(木) 13:46:23 0
★最近の未解決事件★
京都市左京区の男子大学生殺害事件
15日午後7時50分ごろ、京都市左京区岩倉幡枝町の市道で、若い男性が刺されてけがをしているようだ、と通行人から119番通報があった。
男性は同市右京区花園寺ノ内町、京都精華大マンガ学部1年、千葉大作さん(20)で、胸や腹など上半身を十数カ所めった刺しにされており、約1時間後に死亡した。
京都府警は16日、殺人事件として下鴨署に捜査本部を設置した。
調べでは、千葉さんは路上に倒れており、通行人に「知らない人に刺された。通報して」と話した。歩道脇の約1メートル下の畑に横倒しになった千葉さんの自転車があった。
左脇腹の動脈に達する傷が致命傷だったことが分かった。
事件当時、現場に自転車を止め、歩道の縁石に座っている不審な男が目撃されていた。畑には人が落ちたとみられる跡があり、府警は千葉さんがこの男に歩道で刺されて
転落したとみている。現場は叡山電鉄木野駅の南東約120メートルの住宅街。
京都精華大は16日午前1時半から、左京区の同大本館で会見した。千葉さんは仙台市に実家があり昨年4月、マンガ家志望の学生が多いマンガ学部ストーリーマンガコースに入学。
特に相談事やトラブルはなかったという。沢田昌人副学長は「事件が一刻も早く解決してほしいと祈るばかりです」と肩を落とした。
大学は同日朝、島本浣(かん)学長名で千葉さんへのお悔やみの文書を立て看板にして掲示。千葉さんと同じコースの1年の女子学生(19)は「(千葉さんとは)何度か会話を交わした
ことがある。ニュースを見て驚いた」と言葉少なに話していた。
2007年1月16日
http://mainichi.jp/feature/sanko/archive/news/2008/20080526org00m040046000c.html
4 :
名無番長:2009/12/17(木) 13:53:10 0
島根女子大生死体遺棄事件
2009年11月6日、島根県境に近い広島県北広島町の臥龍山山頂付近で女性の頭部が見つかった。翌7日未明、島根県警が記者会見し、広島県警がDNA型鑑定をした結果、
10月26日から行方不明になっていた19歳女子大学生と確認されたと発表。
11月7日に頭部を司法解剖した結果、死後1〜2週間経過していたことが判明。顔面は殴打痕があり内出血していたのが分かった。同日、広島、島根両県警合同捜査本部は、
残りの遺体発見や容疑者特定をすべく本格的に捜査を始めた。
11月6日の頭部発見以降、7日に左大腿骨の一部、8日に両手足のない胴体部分、9日に左足首、19日に爪が発見され、その後のDNA型鑑定の結果、
19歳女子大学生の遺体と確認された。
5 :
名無番長:2009/12/17(木) 14:02:16 0
栃木小1女児殺害事件
05年12月1日、栃木県今市市(現日光市今市)木和田島、会社員、吉田正信さん(当時41歳)の二女で同市立大沢小1年、有希(ゆき)ちゃん(同7歳)が下校途中に行方不明になり、
同2日午後、約65キロ離れた茨城県常陸大宮市三美(みよし)の山林内で胸を複数回刺された遺体で見つかった。
栃木・茨城両県警は殺人・死体遺棄事件として捜査を開始し、合同捜査本部を設置した。有希ちゃんは1日午後2時50分ごろ、自宅から約1キロの三叉路で友人と別れた。
警察犬の反応は三叉路近くのアパート駐車場で途切れており、車で連れ去られたとみられている。
常陸大宮市の現場には、犯人のものとみられる運動靴の跡が残っていたが、特定には至っていない。夕希ちゃんの遺体には、顔や手を布や粘着テープで縛られた跡があった。
凶器は刃幅が2センチ以下で、鋭い刃物だった。捜査本部は連れ去られたとみられる現場付近で目撃された2台の不審車両のイラストを公開した。
2005年12月1日
http://mainichi.jp/select/jiken/coldcase/etc/cases/07.html
6 :
名無番長:2009/12/17(木) 14:06:11 0
世田谷一家殺人事件
00年12月31日午前、東京都世田谷区上祖師谷の経営コンサルタント、宮沢みきおさん(当時44歳)宅で、1家4人が殺害されているのを隣家の親族が発見した。
みきおさんと妻泰子さん(同41歳)、長女にいなちゃん(同8歳)の3人は刃物で切りつけられ失血死。長男礼君(同6歳)は首を絞められていた。現場にはトレーナーや
ヒップバッグなどの遺留品多数のほか、ほぼ完全な指紋が残されていた。
現金約20万円がなくなっていたほか、犯人がみきおさんらのキャッシュカードを並べて手帳などから暗証番号を割り出そうとした痕跡があり、強盗目的の可能性もあるが、
残忍な手口から警視庁は怨恨との両面で捜査している。遺留品や微物に外国産のものが多数あることから、犯人は海外渡航歴のある人物や、外国人との見方もある。
2000年12月31日
http://mainichi.jp/select/jiken/coldcase/etc/cases/01.html
7 :
名無番長:2009/12/17(木) 14:08:20 0
>>6 現場から3種類の染料検出 世田谷一家殺害事件
東京都世田谷区で2000年12月、会社員宮沢みきおさん=当時(44)=一家4人が殺害された事件で、犯人の遺留品から検出された蛍光材の染料が3種類あったことが14日、
警視庁への取材で分かった。一般の人が3種類の染料を扱うことは珍しく、成城署捜査本部は犯人が染料を専門的に扱う立場にいた可能性があるとみている。
染料は、犯人が事件当日に出入りした形跡のない1階駐車場からも発見され、捜査本部は犯人が事件前に宮沢さん宅を訪れていた可能性もあるとみて染料の流通ルートや交友
関係を調べている。
事件は00年12月31日、世田谷区上祖師谷の宮沢さん方で、みきおさんら4人が殺害されているのが見つかった。
捜査本部や捜査関係者によると、蛍光材は「ローダミン」や「バソニールレッド」の商品名で販売されている染料で、同じ商品名の中に、色合いや耐久性などの違いで複数の種類がある。
遺留品のヒップバッグの内側やトレーナーの胸部分、駐車場の棚の引き出しから微量が検出された。
宮沢さんは当時、コンサルタント会社で企業のイメージカラーなどを考案する仕事をしていたが、染料を扱っていたことは確認されていない。
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009121401000177.html
8 :
名無番長:2009/12/17(木) 22:19:31 0
八王子スーパーナンペイ強盗殺人事件
95年7月30日午後9時15分ごろ、八王子市大和田町のスーパーナンペイ2階事務室で、閉店作業をしていたパート店員、稲垣則子さん(当時47歳)とアルバイトの高校生、
前田寛美さん(同16歳)、矢吹恵さん(同17歳)の3人が、何者かに頭部を拳銃で撃たれ、殺害された。
ダイヤル式の金庫は開かれないままで、中の現金約500万円も手付かずだった。銃弾1発が金庫の扉に撃ち込まれていたことから、警視庁は強盗殺人事件に認定した。
線条痕から使用された銃はフィリピン製の模造銃「スカイヤーズビンガム」とみられ、流入経路の解明を軸に捜査が続くが、解決にいたっていない。
現場付近で目撃された不審車両もいまだ特定されていない。
http://mainichi.jp/select/jiken/coldcase/etc/cases/02.html
9 :
名無番長:2009/12/17(木) 22:24:47 0
松岡伸矢くん行方不明事件
1989年3月7日、徳島県貞光町の親戚宅にやって来ていた松岡伸矢くん(当時4歳)が親の目の離した40秒の間に忽然と姿を消した・・・。
松岡伸矢くんの一家は茨城県牛久市に住んでいた。家族構成は父・正伸さんと妻・圭子さん、子供が長女、伸矢くん、次男(当時2歳)の5人暮らしだった。
正伸さんはソフトウェア技術者として国産の電算機関関連会社に勤めていたが、牛久で家を買い、1989年はじめには外資系のコンピュータ会社に転職した。
それまでは深夜残業・休日出勤ばかりで子供達と遊ぶ時間がままならなかったからだ。
この年の3月5日、圭子さんの実母が急死し、6日に一家は徳島県小松島市で営まれた葬儀に参列した。そのあと一家は車で1時間ほど離れた貞光町の圭子さん
の親戚宅を訪れ、この日はここに泊まった。
翌7日午前8時頃、正伸さんは3人の兄弟と従兄弟の子供を連れて近所に散歩に出かけた。このあたりは標高200mほどの山間部の林道の終点近くにあり、
公道から山の斜面に私道が延びて、その斜面に親戚宅は建てられていた。まわりに家はない。
正伸さんは朝食前だったので10分ほどで散歩を切り上げている。子供達ははしゃぎながら、正伸さんについてきていた。家の玄関までの10メートルほどの石段を登った
玄関先まで伸矢くんがついてきていたことを正伸さんは記憶している。伸矢くんはこの時、もっと散歩したそうだったため、正伸さんは抱いていた次男を家の中にいた圭子さんに手渡し、
玄関先に戻ってみると、伸矢くんの姿はなかった。この間、40秒ほどである。
伸矢くんの姿がみえないことに気づいた正伸さんは、すぐに周辺を捜したが、伸矢くんを見つけることが出来なかった。それから、家族・親類が近所を捜し回り、
地元の消防団もこれに加わったが見つけることが出来ず、午前10時に警察に通報した。
10 :
名無番長:2009/12/17(木) 22:26:08 0
当初は山で迷子になっているのではないかと思われ、この日のうちに山間部で大捜索が行われた。貞光署からは全署員30名の半数が駆けつけ、
県警機動隊、消防署員、地元消防団員に一般市民を加えた100人近くの人を動員、翌8日には200人を動員、その後3ヶ月捜索を続けたが、ついに伸矢くんを見つけることはできなかった。
ちなみに伸矢 くんは4歳とは思えないくらい、しっかりしていた。自宅の住所も電話番号も年齢も家族の名前もみんな言えた。
・現場は町道の終点付近で外部からの出入りはほとんどない
・失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人は車を見かけなかった。
・松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない
・周辺に交通事故の痕跡はない。
貞光署ではそれでも以上の理由から「事件にまきこまれたケースは考えにくい」と徹底した周辺捜索を行った。
11 :
名無番長:2009/12/17(木) 22:28:03 0
【謎の電話】
伸矢くんが失踪し、捜索が行われると同時に、親戚宅の電話にテープレコーダーをとりつけた。正伸さん一家が牛久市に帰る前日の16日、一本の奇妙な電話がかかってきた。
正伸さんが電話を取ると、「奥さんはいますか」という。語尾のあがる徳島弁独特のアクセントの女性の声がした。
圭子さんが電話を替わると、その女性は「ナカハラマリコの母親」だと名乗り、「成蹊幼稚園の月組の父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。
もう帰ってくるんですか?」と尋ねた。
成蹊幼稚園とは伸矢くんの姉が通っていた幼稚園だった。圭子さんは明日帰るという旨を伝えたが、その後ナカハラマリコの母親から連絡はなかった。
見舞金について、こちらから尋ねることもできず、しばらく黙っていたが、数日たって幼稚園に問い合わせてみたところ、見舞金を集めたという事実はなく、ナカハラマリコという名前の
子供もいないことが判明した。
後から考えると、正伸さんから電話を替わる時に「誰かわからないけど、徳島弁だよ」と言っており、茨城県にいて松岡さんの親戚宅の電話番号を知っているのも不自然である。
また徳島県にいて伸矢くんの幼稚園の名前まで知っているのはおかしかった。松岡さん一家の事情に内通している者の電話だと言えるが、これが手がかりとなることはなかった。
12 :
名無番長:2009/12/17(木) 22:37:37 0
加茂前ゆきちゃん行方不明事件
1991年3月15日、三重県四日市市富田在住の加茂前芳行さんの三女・ゆきちゃん(当時8歳)が、この日の夕方、自宅から突然姿を消した。
【事件の概要】
板金工場で夜勤をしていた芳行さんはいつも夕方6時に家を出て翌朝帰宅する生活、妻の市子さんも当時パートに出ていた。
当時小学2年生のゆきちゃんはこの日、午後2時頃に友達と別れ、家に帰ってきた。芳行さんがぐっすり眠っている時間である。
普段からゆきちゃんは父親を起こさないように、家に帰ると物音をたてなかったので芳行さんは帰宅にきづかなかった。
午後2時半には市子さんがパート先から自宅に電話を入れ、この時ゆきちゃんが電話に出ている。その後、小学6年生の次女が帰ってきたとき、
ゆきちゃんの姿はなく、テーブルに上にはまだ暖かいココアが残されていた。ゆきちゃんはココアが好きで、よく自分で作って飲んでいたという。
午後4時頃、芳行さんが起きてきたが、ゆきちゃんがいないことにはさして気に留めなかった。いつも帰宅してから友達と待ち合わせて、遊びに行くことが多かったからだ。
やがて長女や市子さんも帰宅してくるが、ゆきちゃんは夜になっても戻ってこなかった。午後8時には警察に連絡し、家族や小学校の教師らと捜索したが見つからなかった。
13 :
名無番長:2009/12/17(木) 22:44:17 0
【事件発生の経緯】
・父は夜勤を終え、事件当日の朝帰宅し、失踪発覚までそのまま寝ていた。
・学校は卒業シーズンで通常よりも帰宅が早くなっていたいたため、ゆきちゃんの帰宅は午後2時頃。
・ゆきちゃんは、友達から遊びに誘われたが、「約束がある」と断ってたらしい。
・2時半頃、が家に電話した際に、ゆきちゃんが出て「今日夜勤で遅くなる」「わかった」と会話。
・4時前頃 次女帰宅。まだ暖かい飲みかけのココアがテーブルの上にあるのを見たものの、ゆきちゃんは家にいなかった。
・4時半頃 父起床。ゆきちゃんはいなかったが、遊びに行ったものだと思い気にしなかった。
・夕方 長女帰宅。父は夜勤へ。母帰宅。
・午後8時頃 地元警察に捜索願を提出。
【不審な点】
・遊びに行く時、いつも乗っていた自転車が家に置きっぱなしになっていたこと。
・ゆきちゃんが温めたと思われるココアがそのままだったこと。
・当時まだ寒く、ゆきちゃんがいつも着ていたピンク色のジャンパーも家に置かれていたこと、などである。
【目撃証言】
・学校のジャングルジムで遊んでいた。
・学校の横の十四川付近で遊んでいた。
・自宅から15mほどの地点で、白いライトバンの運転手と話していた。
・学校の近くの近鉄・富田駅にいた。
14 :
名無番長:2009/12/17(木) 23:01:43 0
ゆきちゃん失踪事件から3年後、ゆきちゃんの家に漢字、ひらがな、カタカナまじりの文字と暗喩により構成された不気味な3枚の怪文書が届いた。
捜査をかく乱させようと犯人が書いたものではないかとの見方もある。
以下は怪文書の全文。
15 :
名無番長:2009/12/18(金) 00:18:36 0
【一枚目】
ミゆキサンにツイテ
ミユキ カアイソウ カアイソウ
おっカアモアカアイソウ お父もカアイソウ
コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ
トオモイマス
股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ
シュンガノオモテノハンタイノ、
パーラポウニツトめた
イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ
裏口ニ立ツヨウニナッタ
イまハー ケータショーノチカクデ
四ツアシヲアヤツツテイル
16 :
名無番長:2009/12/18(金) 00:21:26 0
ツギニ
ス丶”カケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ
アヤメ一ッパイノ部ヤデ コーヒーヲ飲ミナ
ガラ、ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ
アサヤントオもう。
ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きく
ワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイ
タ。 モウ股割レハ人ヲコえて 一匹のメス
にナッテイタ。
感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動い
17 :
名無番長:2009/12/18(金) 00:23:47 0
【2枚目】
タ。 ソレガ大きな事件トハシラズニ、又カム
チャッカノハクセツノ冷タサニシラズニ、ケッカハ
ミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル
モウ春、三回迎エタコトニナル
サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカトオモウ
ダッタン海キョウヲ テフがコエタ、コンナ
平和希求トハチガウ ミユキノハ丶ガカ弱イハネヲバタバタ
ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、広いダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル
股割れは平気なそぶり 時ニハ駅のカンバンニ眼ヲナガス
コトモアル、一片の良心ガアル、罪悪ヲカンズルニヂカイナイ
ソレヲ忘レタイタメニ股を割ってクレル オスヲ探しツヅケルマイニチ
18 :
名無番長:2009/12/18(金) 00:24:49 0
【3枚目】
股ワレワ ダレカ、ソレハ富田で生レタコトハマチガイナイ
キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト
事件ガ大キイノデ、決シテ
イソグテバナイトオモウ。
○ ヤツザキニモシテヤリタイ
股割レ。ダ。ミユキガカアイソウ
○ 我ガ股ヲ割ルトキハ命ガケ
コレガ人ダ コノトキガ女ノ一番
トホトイトキダ
19 :
名無番長:2009/12/18(金) 00:25:48 0
【文章の特徴】
・わざと下手な字で書いた。(左手で書いたような字)
・漢字とカタカナメインでひらがなはたまに使う
・意味不明だが全く難解でもない、40%ほど意味がわかる内容
・えんぴつの上からボールペンでなぞり書き
・簡単な言葉で書いているが二枚目の「平和希求」と、ここだけでやや難しい言葉を使っている。
「平和希求」という言葉は一般的な会話でそうそう使う言葉ではなく、政党や宗教団体など、それも戦争に関わる物事、戦争体験者が使いそうな言葉である。
20 :
名無番長:2009/12/18(金) 00:28:50 O
20(T_T)
21 :
名無番長:2009/12/18(金) 01:28:20 0
【不明用語の解析予想】
●ミゆキ→ゆきちゃん? ●トミダノ→トミダは事件発生場所付近の地名の富田であると考えられる ●股割レ→売春婦への蔑称と考えられる
●シュンガ→不明。春画?ポルノ映画館か風俗関連であると思われる
●パーラポウ→パーラー?パチンコ屋や喫茶店の名前に対して使われることが多いが、富田近辺にボウという名のパチンコ屋や喫茶店は無いようである。
すると、ボウとは、名前を直接出すのを避ける時に使う”某”ではないだろうか?つまり、パーラ某(某パーラ)?
●裏口ニ立ツヨウニナッタ→売春婦の暗喩? ●ケータショー→警察署?小学校? ●四ツアシ→四足。部落民への蔑称?自動車?売春婦の蔑称を示しているのではないだろうか
●ス丶”カケのケヲ蹴落シテ→スズカケからケを取ると、鈴鹿鈴鹿? ●アヤメ一ッパイノ部ヤ→アヤメいっぱいの部屋?
●ユキチ→福沢諭吉。一万円札?
●アサヤン→男性?〜ヤンというなの愛称かもしれない。ニックネーム?朝倉、浅田、浅井などの名字の人物か?しかし、文字を入れ替えるとヤアサン、つまりヤクザ?
●テルホ→ホテルのようだ ●ハッカンジゴク→八寒地獄? ●サカイ→国境?堺市?
●ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ●平和希求トハチガウ→西冬衛の「春」(昭和22年)という詩にそっくりの表現がある。彼の詩の中では、
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた」となっている。韃靼海峡とは、北海道 樺太付近。
22 :
名無番長:2009/12/18(金) 01:29:34 0
尚「公開捜査 消えた子供たちを捜して!」の著者・近藤昭二氏は
この手紙の送り主は「股割れ」本人であり、アサヤンとは愛人関係で、彼に利用されてゆきちゃんを外国へ人身売買で売り飛ばして、そのことで良心の呵責に苦み、
自分を八つ裂きにしてやりたい思っているという内容だと推理している。
23 :
名無番長:2009/12/18(金) 01:44:18 0
石井舞ちゃん行方不明事件
1991年7月25日早朝、福島県船引町船引下中田に住む町立小2年の石井舞ちゃん(7歳)が自宅2階の子供部屋からいなくなった。
舞ちゃんは24日の夜に自宅を訪れていた友達2人と一緒に大人用のダブルベッドに並んで寝たが、25日午前5時半ごろ、
一緒に寝ていた子供2人が舞ちゃんのいないことに気がついた。舞ちゃんの姿が最後に確認されたのは24日午後10時30分ごろ。母親が寝ている舞ちゃんに布団を掛けたときだった。
行方不明になった日は夏休みに入ったこともあって、母親が友人宅に行ったさいにその家の子供2人を誘って自宅連れて帰り、「お泊まり」させていた。
行方不明になったのは「お泊まり」の2日目だった。
24 :
名無番長:2009/12/18(金) 02:00:31 0
舞ちゃんの家はJR磐越東線の船引駅から徒歩1分の場所にあり、父親(37歳)の経営する建設会社の事務所も兼ねた2階建ての大きな建物だった。
この大きな家には9人が住んでいた。1階には祖父母、父親の姪(17歳)とその交際相手である従業員(20歳)。2階には両親と長男(6歳)と次男(1歳)が住んでいた。
【当日の住人の動き】
24日は昼過ぎに父親の姪が実家のある郡山市に出かけて不在。午後9時に父親は2階で息子2人(長男と二男)と就寝。このとき部屋のドアは開けっ放しだった。
毎朝4時30分に起きて仕事をしている父は晩酌して早寝することが多かった。同じ頃、祖父母が1階に住む姪の交際相手の従業員の部屋の明かりが消えたのを見ている。
祖父母は午後9時20分にタクシーを呼んで町内のカラオケスナックに出かけた。このとき1階の玄関を施錠した。
午後9時30分ごろ、遊びに来ていた舞ちゃんと友達2人の3人が、舞ちゃんの父親が寝ている隣の部屋で川の字になって就寝。この部屋のドアは開いていた。
午後10時30分ごろ、母親が舞ちゃんの寝ている部屋の様子をうかがい、子どもたちのタオルケットなどをかけ直した。
その後、2階の洗面所を使っていると「バタン」と1階の玄関の開く音がしたので、窓から外を見ると、従業員が南の方に歩いてゆく姿があった。
母親はコンビニに買い物に行ったものだと気にとめなかった。母親は「他人の子供が泊まっているので施錠は厳重に」と考え、2階の玄関の施錠を行い、1階に下りて入浴した。
しばらくするとふたたび1階の玄関ドアの「バタン」という音が聞こえ、続いて階段を上る足音が聞こえた。
母親はそれから5分後に2階に上がり、居間の電気を消して父親の部屋で布団に入ったが、1時間ほどは起きていた。日付が変わって午前2時、祖父母が帰宅。
このとき1階の玄関の鍵は開いていたので施錠。祖父母は2階に上がって「従業員がいない」と父親を起こしたが、「明日聞くから」といってそのまま寝た。
25 :
名無番長:2009/12/18(金) 02:01:47 0
午前4時30分ごろ、父親が起床。2階の玄関のドアを開けようとすると鍵が開いていたので不思議に思いながら書類を持って1階事務所に向かった。
午前5時20分ごろ、起き出してきた子供2人が舞ちゃんがいないことに気付いた。捜したが見つからず、警察に届けた。
午前6時30分ごろ従業員が帰宅。舞ちゃんについては「知らない」と答えた。現場検証の結果、外部からの侵入した痕跡は見られず、指紋や足跡も9人の住人のものしかなかった。
舞ちゃんの靴は玄関に残されていた。
舞ちゃんは人一倍怖がりで夜は1人でトイレに行くことができず、そのときは親のどちらかを起こしていたことなどから、誰かに連れ去られたものと見られた。
警察犬の吸気捜査では1階玄関でにおいが消えており、玄関に横付けされた車で連れ去られた可能性もあるという。身代金を要求する電話などもなかった。
26 :
名無番長:2009/12/18(金) 02:09:35 0
【行方不明当時の舞ちゃん】
120センチ。21キロ。髪はショートカット。額が広く、鼻の右脇にホクロがある。笑うとえくぼが出来る。母親から借りたよこしまの半袖シャツに白色のパンツをはいていた。
【捜査】
当日の行動が不審な従業員が警察に事情聴取されている。従業員は24日午後10時30分ごろ友人に電話するため家を出て南側にある公衆電話に向かった。
その後は自分の車に乗って郡山まで行こうとしたが、バッテリーがあがっていてだめだったという。しかたなくあたりをふらつき、自動販売機で缶ジュースをかうなどして時間をつぶした。
父親の話では従業員の車のエンジンは前からバッテリーが上がっており、普段は会社の車を使っていたという。
従業員は再び車に戻り、エンジンをかけようとしたが、結局だめで、駅に向かった。しかし駅に着いたのは最終電車が終わったあとで、午後11時過ぎにはタクシー乗り場まで行き、
タクシーで郡山に向かったという。終電の時間も正確で、実際に従業員を乗せたタクシー運転手は存在した。
従業員は郡山についたが友人に電話しても来てくれなかったため、デパート前のベンチで仮眠をとり、始発電車で帰ってきたという。
このほか、不審者情報も寄せられている。事件当日舞ちゃん宅周辺にあった車を警察が捜査したが、いまだにはっきりしない1台がある。
自宅前から東方面に少し離れたところに24日夜、ボンネットが故障車のように開けられた車が止まっていた。この車には、運転手が乗っていなかった。25日には無くなっていたという。
27 :
名無番長:2009/12/18(金) 10:36:30 0
【疑い】
現場検証の結果、この家に住む人物の以外足跡や指紋は発見できなかった。ということは身内の犯行となる。
こうしたことから、祖父母、両親、従業員Kなどが揃って疑われることになった。とりわけ、疑われたのはKとヨシ子さんである。
また、警察犬を捜査に導入したところ、玄関先で立ち止まってしまった。これは車で連れ去られたことを意味する。
当日の午後11時前には石井さん宅の前の道路から東へ少し離れたところで白い車が目撃されている。この車は故障車のようにボンネットが開かれており、翌朝には消えていた。
石井家周辺の車の所有者はひとりひとりあたっていったが、この白い車だけは持ち主不明だった。
舞ちゃん行方不明後、TVでの情報提供依頼など積極的に出演していた賢一さんは犯人の目星はついていた。会社で働き、姪の恋人である従業員Kである。
雇っていたものの、Kと賢一さんの仲は良いものではなかった。
この日、Kは姪と一緒に旅行に行くはずだったのだが、前日に賢一さんが従業員Kに仕事を言いつけ、キャンセルさせた。
そのことで従業員Kには賢一さんを衝動的に恨んだとも考えられる。また、それまでにも何度かシンナーをしていた従業員Kを賢一さんが厳しく叱ったこともあった。
賢一さんの姪は親が離婚し、荒れて暴走族に出入りするようになる。この時、知り合ったのが従業員Kである。従業員Kは姪に賢一さんの建築会社を紹介してもらい、ここで働くようになる。
しかも石井家の1階の部屋に姪と同じ部屋に住みこむようになった。
28 :
名無番長:2009/12/18(金) 10:42:42 0
舞ちゃんが行方不明となってから2ヶ月後、母親であるヨシ子さんは当時遊びに来ていた女の子から 決定的証言を聞き出すことに成功した。
その内容は当日の夕方、一緒にテレビゲームをしていた時に従業員Kが舞ちゃんに「夜の12時に一緒に遊びに行こう」と言っていというものだ。両親はその証言を警察でも話したが、
「無理に引き出させたもの」として相手にされなかった。半年以上がたち、賢一さんは従業員10人の再就職を決め、会社をたたんだ。舞ちゃん捜索に集中するためである。
賢一さんは従業員Kをマークしていた。彼に四六時中つきまとったり、従業員Kの家のまわりに舞ちゃんの行方の情報提供を求めるポスターを貼ったりした。
しかし、具体的な手がかりはなにも掴むことが出来ず、ある時、賢一さんは従業員Kの顔を見るのも嫌になり、尾行するのをやめたという。安全なはずの家から急に少女が行方不明
となったこの事件、メディアでもよく取り上げられたりした。
しかし、一家にくるのは無言電話やイタズラ電話ばかりで、解決の手がかりのなる有力な情報というのは届けられていない。
犯人はなぜわざわざ、他の子供達と一緒に寝ている舞ちゃんを危険を冒して連れさらったのだろうか。しかし、身内をよく知る者としては、この家で暮らす者のうち3人が外出しており、
普段は両親と寝ている舞ちゃんがこの日に限って子供たちと寝ていたのだから、犯行の日としてこれより良い日はなかったのではないだろうか。
大人と違い、子供の眠りは深い。多少の物音を立てても起きることは少ない。だから、連れ去るには持ってこいの夜だったはずだ。
29 :
名無番長:2009/12/19(土) 04:13:06 0
愛知 蟹江町母子3人殺傷事件
2009年(平成21年)5月2日土曜日の昼、愛知県蟹江町蟹江本町の会社員山田喜保子さん(57)方で、首を刃物で刺され両手を
電気コードで縛られた三男の会社員勲さん(25)が保護され、1階和室で次男の洋菓子店員雅樹さん(26)が刺殺されているのが見つかった。
駆け付けた蟹江署員は室内でうずくまる若い男を目撃したが、署員が無線連絡をする間に男は勝手口から逃げた。
翌3日午後、1階押し入れから鈍器で殴り殺された喜保子さんが遺体で発見された。
30 :
名無番長:2009/12/19(土) 04:17:14 0
【事件の発覚は5月2日】
●新聞配達をしていた喜保子さんが配っていた新聞も2日朝は配達がなかったという。
●新聞購読者の女性によると、事件発生後の2日朝は通常新聞が届く午前6時半になっても届かなかった。
●女性は8時ごろに山田さん宅のインターホンを押したが応答がなく、
●配達用の新聞は玄関先に置かれたままだった。
●事件発覚前夜の1日午後10時ごろ、雅樹さんの携帯電話に勤務先の同僚女性が電話したところ応答がなく
●2日午前11時半ごろに、雅樹さんの上司らが2人だけで自宅を訪れた際は室内からは応答がなかった
●2日朝に雅樹さんが出勤しないことを不審に思った上司が同日午前11時55分ごろ、蟹江交番に届けた。
●蟹江署員と雅樹さんの上司ら3人が2日午後零時半ごろに山田さん方を訪ねる
●駆け付けた蟹江署員が、1階の玄関や勝手口、窓が施錠されていたことを確認している
●玄関から出てきた勲さんを離れた場所に移動させ、
●署員は勲さんを保護し「休んでいてください」と付近に待機させた。
●この間、雅樹さんの上司ら2人は玄関先の道路にいた。
31 :
名無番長:2009/12/19(土) 04:23:53 O
続きキボンヌ
32 :
名無番長:2009/12/19(土) 04:27:02 O
なげーよ リーチw
33 :
名無番長:2009/12/19(土) 04:28:00 O
(VσェV)
34 :
名無番長:2009/12/19(土) 04:28:24 O
33頂きました^^^
35 :
名無番長:2009/12/19(土) 04:29:05 O
あ
36 :
名無番長:2009/12/19(土) 04:54:42 O
良スレ。名前欄に事件名を入れてくれると見やすいです。
37 :
名無番長:2009/12/20(日) 00:51:25 0
38 :
名無番長:2009/12/20(日) 00:53:57 0
【しかし、不審者の存在・逃亡の発表は5月8日になってから】
●署員が玄関をのぞくと、若い男が斜め後ろを向いて、上がりかまちの上にぼう然と座っていた。
●玄関近くの廊下の上で若い男が居間の方に体を向けた状態でうずくまっているのに気づいた。
●巡査は男を家族だと思い、「大丈夫ですか。出てきなさい」と声をかけたが反応はなかったという
●巡査が携帯無線で署に事件の報告や救急車の手配をする約2分間に、男は家からいなくなったという。
●男がいなくなった後、勝手口の鍵が開いており、男はここから逃走したとみられる。
●警察官や勲さんの目撃証言によると、犯人は20〜25歳前後。身長は170〜175センチ。
●短髪で、黒っぽい服を着ていた。
●県警はその十数分後から約50分間、半径8キロについて緊急配備を敷いたという。
●県警は事件発生後、現場の半径8キロ圏内に緊急配備をして、現場から逃げた不審な男の行方を追った際、
●「若い男」「黒っぽい服装」などの基本的な特徴を、警察無線で捜査員に伝えていなかった
39 :
名無番長:2009/12/20(日) 00:57:04 0
【母親の遺体を、事件発覚当日に発見できず】
●喜保子さんの遺体を発見したのは事件発覚の翌日。
●「当初は(勲さんによる)2人死亡(の話)が確かなのか(どうか)と思った」と釈明
●喜保子さんの発見に時間がかかった点について
●「雅樹さんが遺体で見つかった部屋の物的証拠や微物の収集を優先し、押し入れの中は目視にとどめたため」。
40 :
名無番長:2009/12/20(日) 00:59:36 0
【釈明・強弁に終始するも、内容はしどろもどろの捜査本部】
●捜査幹部は室内にすぐ入らなかったのは、けがをした三男の治療を優先した。
●現場保存や鑑識活動を慎重に行う必要があった。。
●特捜本部の立岩智博捜査1課長は
●「結果的に犯人かもしれない不審者に逃走されたが、当初は治療や現場保存などを行う必要があり
●犯人とみられる男を蟹江署員が目撃しながら特捜本部が公表しなかった理由は「捜査上の秘密と判断した」
●事件の重要な目撃情報であるため(男の情報を)公表しなかった」
●県警幹部は「大事な目撃情報だったので公表を控えた」と説明。
●二次被害はないと判断した理由について、立岩課長は「大勢の捜査員が地域住民に聞き込みを行い、
●殺人事件の発生を伝えて注意喚起した」と話した。
●男が逃げたことによる地元住民への2次被害はないと判断。署員が記憶する特徴がわずかで、
●住民からの情報提供は見込めないと公表を見送ったという。
●捜査幹部は「住民を混乱させたくなかったという理由もある」と説明する
●特捜本部は「確実な情報ではなかったため」と説明している。
41 :
名無番長:2009/12/20(日) 01:54:16 0
と、まぁここらで、犯人逮捕に繋がる「初動捜査」について、「愛知 蟹江町母子3人殺傷事件」を例にあげ軽くおさらいしておこう。
現場に多くの遺留品を残し、負傷した三男が犯人と会い、会話していることからも、当初解決が早いのではという見方が強かったが。。。
押入れから母親の遺体発見の遅れなど、この事件も「世田谷一家殺害事件」と同様、捜査当局の「初動捜査のミス」が招いた未解決事件だろう
二男が出勤しないのを不審に思った会社の上司と二男の彼女が最寄りの交番を訪ね通報。制服警官を連れ被害者宅(犯行現場)に到着。しかし、彼ら(制服警官)の任務はあくまで
状況の確認と関係者の確保、そして刑事や鑑識係などが到着するまで、現場の周辺に誰も立ち入らせないように現場を保存することが任務であり、決して捜査を目的とはしていない。
続いて所轄署の刑事、機動捜査隊が現場に到着。更に鑑識課員が到着。
ここで初めて初動捜査という名の、捜査が始まる。発生、発覚直後の犯行現場は、とにかく混乱しているのは想像がつくだろう。被害者は殺され、または負傷し、既に病院に搬送されて
たり犯人は既に逃走していたりと、事件の当事者から直接話しを聞く事が不可能なケースが多い。
そんな中、刑事達は残された状況と限られた情報を下に被害者は誰で、犯人は何人でどんな人物だったか。さらにはどんな事件が起きていたかを速やかに確認し、事件認定を行なう。
犯人が逃走しているようであれば、必要に応じた形で検問などの設置、限りある警察官の配置を指示していく。
42 :
名無番長:2009/12/20(日) 07:12:23 0
351 :名無しさん@十周年:2009/12/09(水) 12:14:47 ID:pdFMA????
誤解があってはならないが埼玉戸田市の全農下請けの話。中国人系が一杯いて、
アレ?こいつどっかで見覚えあるなあと思っていた。身元はしっかりしているから
気のせいだろうと思っていたが、不法で居なくなった。言う事示す事全て嘘だったのだ。
そして思い出した。未解決事件を扱うTVに出ていた超能力者の犯人似顔絵にそっくりだった事を。
43 :
名無番長:2009/12/20(日) 22:44:25 0
胡散臭い話しだな
44 :
名無番長:2009/12/20(日) 22:49:03 0
さあ、続きだが。ここで重要になってくるのが、誰が?何の為に?犯行に至ったかを考えていく『スジ読み』と呼ばれる作業だ。
室内や所持品が荒らされていれば窃盗、強盗目的の可能性があり、逆にそうでなければ、怨恨や痴情の縺れが考えられる。
また、被害者が女性で着衣の乱れがあれば強姦、猥褻行為を目的とした可能性も出てくる。更に、激しく争ったような傷跡が無い場合や、
屋内の現場で、犯人が逃亡しているにも関わらず全ての扉が施錠されていれば、親族や関係者、顔見知りの犯行の可能性が出てくる。
45 :
名無番長:2009/12/20(日) 22:55:56 O
クン2してして民事裁判
レイプ!裁判デキレース
46 :
名無番長:2009/12/22(火) 15:48:59 O
続きは?
47 :
名無番長:2009/12/26(土) 03:28:58 O
、
48 :
名無番長:2009/12/26(土) 05:57:13 O
こんな具合に、警察学校で学んだ操作術と、これまでに警察官として活動して得た経験から、事件のあら筋を考えることで
事件概要だけではなく犯人像、犯人の逃走手段、逃走方向などを類推していく。
そして、その結果を基に、事件の解決や犯人検挙に向けて、限りある警察官に対してどのように捜査を進めて行くかという初動捜査の方針が導き出される。
事件は生もの、時間がたてばたつほどに、犯人はより深く、より遠くへ逃亡する。また、事件解決や後の公判維持のためにも重要な物的証拠類が霞んだり、
無くなってしまう。更には目撃者の記憶も薄まり、事件解決は急速に難しくなってしまう・・・。
初動捜査における『スジ読み』は、豊富な捜査経験を持つベテラン捜査員の腕の見せ所なのだが・・・
時として、豊富な捜査経験から、先入観や思い込みが生じ、その結果、誤った犯人像を描き、間違った方向へ捜査が進んでしまうことがある
そして、この『スジ読み』の間違いこそが、初動捜査に混乱を生じさせ未解決事件が起きてしまうメカニズムだと考えられる。
49 :
名無番長:2009/12/26(土) 23:38:46 0
50 :
名無番長:2009/12/27(日) 23:42:21 O
松岡君が消えた時間が30〜40秒の間と父親が証言しているから、自作自演なら真っ先に疑われるから、
父親ではないと思うがな
まあ、どちらの事件も親が確かに怪しいんだよな
51 :
名無番長:2009/12/27(日) 23:52:18 0
・・・
52 :
名無番長:2009/12/28(月) 00:05:58 O
ゆったりと読みます。
53 :
名無番長:2010/01/03(日) 23:42:57 O
おしゃれ番長
54 :
名無番長:2010/01/03(日) 23:53:47 O
ふんどし番長
(⌒〜⌒)くほほ〜
55 :
名無番長:2010/01/05(火) 00:31:02 0
>>9 読んで鳥肌が立った・・・
これはTVでよくやってたから覚えてる
何年か後にJRの在来線か新幹線かで
お遍路さんの格好をした伸矢くんに似た少年を
見たという目撃情報があったはず。
中年男性と少し年上の少年が一緒だったとか。
56 :
名無番長:2010/01/05(火) 21:18:22 0
広島でも昭和58年に行方不明になった少女が見つかっていない。
57 :
名無番長:2010/01/05(火) 22:26:22 O
エイリアンのキャトルミューティングだな
間違いない
58 :
名無番長:2010/01/05(火) 22:27:51 O
世田谷一家や島根バラバラとか未解決事件って結構あるよね
時効直前に捕まえたり、捜査本部に選ばれた凸は時効の15年とかギリギリまでわかっててタダメシ食ってんじゃね?
そんなのばっかじゃん。だから税金泥棒とか言われんだよ
59 :
名無番長:2010/01/06(水) 02:19:44 0
去年七月ごろキャンプ場で行方不明になった小五の女子児童の件
どうなったか分かりますか?県名忘れました!
不気味なのがその後一切報道無し
60 :
名無番長:2010/01/06(水) 23:12:14 0
加茂前ゆきちゃん失踪事件の怪文書が怖すぎる・・・
61 :
名無番長:2010/01/10(日) 23:49:41 0
赤城神社での主婦行方不明事件も不気味だ。
62 :
名無番長:2010/01/11(月) 07:54:45 0
>>55 伸矢くんは生きてる情報が多かったんだよな
どこかに隠れようとして(脅かすつもりだった)遭難した
または、隠れようとちょろちょろしてて誘拐された
親族の誰かが加担し伸矢くんを誰かに渡した
宇宙人にさらわれた
63 :
名無番長:2010/01/11(月) 08:01:42 0
下手に捜査して遺体が見つかると事件になるからな
「寝た子を起こすな」論なんじゃね
64 :
狭山事件:2010/01/11(月) 08:07:13 0
未解決事件ではないが
昭和38年5月1日、埼玉県狭山市の女子高生、中田善枝さん(当時16)が夕方になっても帰宅しなかった。心配した家族は、学校・知人に確認したが行方は判らなかった。
その日の夜、20万円を要求する内容の脅迫状が中田家の戸に挟まっていた(善枝さんの生徒手帳も同封されていた)。脅迫状には「刑札には名知たら子供は死(警察に話したら
子供は死)。明日の2日夜12時に佐野屋(酒屋)に現金を持って来い。友達が車で行く」という内容だった。
これを受けて狭山署・埼玉県警本部は佐野屋の周辺、道路を張り込み万全を期した。翌日、犯人の指定した通り20万円に見せかけた包みを善枝さんの姉が佐野屋に持参する。
が、犯人は佐野屋の北側(田畑)から徒歩で善枝さんの姉に接触。その間、約10分間に渡って姉は犯人と会話をしている。警察では、脅迫状にあった「車で行く」という内容を過信し
田畑側は完全にノーマークだった。一方、犯人も警察の張り込みを感知し、その後同じように田畑を抜けて逃走。警察が追いかけたが逃してしまうという大失態を犯した。
翌日の新聞・テレビの報道は「警察の失態」が大きくクローズアップされた。同年3月の吉展ちゃん誘拐事件に続く不祥事に世論の非難が大きくなる。この問題で柏村警察庁長官が
4日、辞表を提出するという展開となった。
その4日、地元の協力を得て善枝さんの捜索活動を続けていた捜査班本部は付近の入間川沿いの麦畑で埋められている善枝さんの死体を発見した。死体は乱暴された後、
タオルで絞殺されていた。
更に、捜査本部が調査した結果、付近に「スコップ」を発見。このスコップで死体を埋めたと見た捜査本部はスコップの出所を調査し近所の養豚場の物であると推定した。
そこで、養豚場の従業員(退職者を含めて)に対して絞込み、5月23日、石川一雄(当時24歳)を別件逮捕した。
65 :
狭山事件:2010/01/11(月) 08:10:06 0
石川は、狭山市の通称「カワダンボ」と呼ばれる未開放部落の出身で土地を持たない貧農の子供として生まれた。学歴も小学校5年生までで、在学中も子守奉公をして生計を助けていた。
その後、大手菓子会社の工場で勤務したが長くは続かず退社。やがて問題となった石田養豚所に事件の年の2月まで働いた後、兄の鳶職を手伝っていた。
この石田養豚所も未解放部落出身で、部落出身の青年達の溜まり場所であった。この養豚所から被害者宅まで200mという距離である。
が、何故この養豚場関係者が捜査の対象になったのか?何故、石川が嫌疑をかけられたのか?現在でも明確な回答が無いままになっている。
第一に問題のスコップが養豚場の物であるという立証ができず曖昧な点が挙げられる。
第二に、佐野屋の北側(田畑側)に残された犯人の足跡のサイズと石川のサイズがまったく異なっていた。
第三、善枝さんの姉や近くで佐野屋に張り込んでいた刑事たちは、犯人の声は40〜50歳と証言しているのに何故、石川なのか(当時24歳)。
第四、石川は貧困故に小学校にも殆ど行けず、ひらがなが書ける程度で漢字の読み書きはまったく出来なかった。その石川が脅迫状を書けるわけが無いという点である。
さらに不可思議な事は、石川被告の家宅捜査は3回行われたが、第一回の家宅捜査(5月23日)で徹底的に捜査して何も事件につながるものが出てこなかったのに
3回目の家宅捜査で善枝さんのピンクの万年筆が勝手口の鴨居から発見された。
捜査員自らこれを取らず被告の兄に取らせて写真を撮影するなど実に不思議なことが起こっている(尚、この第三回目の家宅捜査の時間はたったの24分間で、第一回と第二回の
家宅捜査では2時間以上を費やしている)。公判ではこのピンクの万年筆が物的証拠として有罪の決め手になっている。
66 :
狭山事件:2010/01/11(月) 08:15:32 0
取り調べ中も「自供したら10年で出してやる」と自白を強要したり、留置場から浦和拘置所に移された後、この留置場の床に「中田よしエさん ゆるしてください」と書かれていたとして
川越警察署が証拠として提出したりしている。が、前述の通り、石川は字が書けないのである(自分の名前、住所のみ漢字で書ける程度)。
その他の状況も含めて鑑みると「真犯人は別に居る」と見た方が素直である。だから尚更、警察は「何が何でも石川」という演出に走っていったと思われる状況が多々ある。
だが、一審の判決は「死刑」、二審で「無期懲役」の判決によって平成6年12月の仮釈放になるまでの実に31年7ヶ月間を獄中で過ごす事を余儀なくされた。
警察のみならず加害者が「土地の者」ではなく「よそ者=部落」と捜査員から聞いた地元の人々は急に捜査に協力的になるなど差別による偏見、それによる捜査で石川が犠牲となった
のではとの見方が世論では強く、改めて部落問題の根の深さを露呈した格好となった。
67 :
狭山事件:2010/01/11(月) 08:16:52 0
この事件では中田家を中心に不幸な出来事が続いた。
まず、事件後に中田家の農業手伝いのAさん(当時31歳)が自分の結婚式の前日に農薬を飲んで自殺。
続いて、不審な人物を見たと警察に証言したBさん(当時31歳)がナイフを突き刺して自殺。
さらに捜査線上に浮かんでいた付近の養豚場勤務のCさんが自殺した。
更に驚愕したのは、佐野屋で犯人と唯一会話した善枝さんの姉が石川の死刑判決直後に自殺。善枝さんの次兄も自殺した。
68 :
狭山事件:2010/01/11(月) 08:17:50 0
昭和39年3月11日浦和地裁は石川に死刑を言い渡した。昭和49年10月31日東京高裁は死刑を破棄して無期懲役判決。これを不服として石川は上告。
昭和52年8月9日最高裁は石川の上告を棄却し石川に無期懲役が確定した。
平成6年12月21日仮釈放によって31年ぶりに狭山市に戻った石川は、無実を訴えて再審請求を続けた。平成17年3月16日最高裁は石川の特別抗告を棄却する決定をした。
昭和61年8月の第2次請求から19年間を経て請求棄却の決定だった。石川及び支援団体は東京高裁に第3次請求を行う予定。
69 :
名無番長:2010/01/13(水) 04:34:18 O
新宿金村撲殺事件
70 :
名無番長:2010/01/22(金) 16:25:03 0
↑
バカ発見!
71 :
名無番長:
もっとやれ!「バカ発見!」