宅見ね、やっぱり宅見だったんでしょ。
株式総会のからみで金を掴んだんでしょ、百瀬は。
宅見親分の生前の総会屋としての力は、株式相場を左右するぐらいの力ありましたからね。
総会屋の大ボス宅見親分と仲がよかった百瀬が株で大金を手にするなんて
誰が考えてもねー、そっちの情報でとしか考えられないですよね。
てこれは当事の単なる噂です。
百瀬と猪木=ビジネスパートナー
猪木と皇民党=一緒にイラク視察
皇民党と宅見=先代同士が5分の兄弟分
こいつらみんな仲良しなんだろ
破れ傘と言う組織は本当に有ったんですね
じいちゃんが昔その話をしていて変な名前と思っていたので、うそっぽいとその当時は思っていました。
破れ傘はどこに行っちゃったのですか、それとも何処かの組織とひとつになったとか?
関東の糞は些細な事でも1000倍位膨らまして話すからのう
大げさ万倍 糞
青年思想研究会っていま落ち目だな
>>1 稲穂では碑文谷一家、横須賀一家と仲がいい奴
工藤会ともコネあるの?
あ
(^○^)
(^○^)
(^○^)
(^○^)
夜の番組で百瀬と出てる藤原って何者?
>>81 破れ傘って生井一家 佐竹入村の隠居さんの
事じゃなかったっけか?
詳しい人 あとお願いしまつ
破れ傘って下町界隈の人間ってばればれ・・・でもこの人普通に鳥越とかにいるよね?去年もいたような・・・
鳥越じゃ百瀬の半纏は有名だよな
個人的に田岡氏や児玉氏と付き合ってた、それだけでスゴイでつ
藤原鎌足じゃない事は確か。
独眼竜森田政治 生井一家蒼龍総長があっての百瀬だったんだよね
千葉市川の番長!太田が用心棒ってまじ?
どっちかっていうと住吉
100といえば百瀬さん。
百瀬って組はどこなんだよ!
(`ヘ´)あげんぞ
カタギだよ
後藤組東京盛代、住吉一家西海家。青森は旧柳川組の山口組誠友会。
>>104 みちのくは物凄いローカルポイントばっかりだから
行く体育館の地回りには一応直接挨拶しに行かないとな
【日本初の暴力団】
明治初頭、農業国家の日本は松方デフレの影響で農村の階層分化が進むと豪農・地主層
は自由民権よりも政治的な野心を優先させる。明治16年頃の激化事件を経て伊藤博文
と星亨は利益誘導と地方政界への猟官運動を満たすことで彼らを懐柔するのに成功。
これが栄光の三多摩 自由民権運動の壮士たちのなれの果て、日本初の暴力団 三多摩
壮士団、「多摩の犬」の誕生である。村野常右衛門、森久保作蔵、石阪親子・・。北村
透谷(門太郎)は石阪と義理の親子だが現実に絶望し縊死する。
勿論、頭山満や中野喜三郎(皇居造営)の系譜も無視できないが都合上、話を簡略して
いく。
【暴力団と博徒と院外団】
森久保作蔵(星亨の片腕)は大正デモクラシーの時代では指弾の的となる。強面の壮士
より、近代的な暴力団が必要になり郷誠之助(三井)は洲崎の博徒である武部申策にこ
れを任せるのは前述した通り。一方、村野常右衛門は政友会の院外団へ人材をスカウト
する一方で、横浜に居を据え、関東のアンダーグラウンド勢力と政治を繋いで多大な功
績を残す。村野の遺産は海原清兵衛を最後のボスとする院外団として戦後まで残る。
(院外団とは政党の前衛組織であり、一言で言えばドブ浚い)。日比谷焼き討ち事件で暴
れた大野伴睦はここから自民党の副総裁まで上りつめる。
【暗黒総理 田中義一】
政党と暴力団の流れは原敬の没後、長州閥の田中義一を迎えたことで流れは頂点に達す
る。田中は日本中の顔役という顔役を殆ど膝下におき普通選挙の二回目には自分の勢力
圏である山口県から暴力団「籠虎組」の組長を代議士に立候補させる。(最高得票により
当選)。益戸克巳の兄貴分で不良の元祖とされる篠一郎は田中の親衛組織を率いて将来
を嘱望されたが夭折す。
【益戸克巳と万年東一】
益戸は浅草の暴力団の歴史を背負って生まれてきたような、道統を継ぐべき男だが所謂
「やくざ」とはならない。彼が継ぐべき地位は形を変えて周囲の兄弟分たちが分担して
いく。関八州に知られた博打うちの金看板、好漢 村山洋二をして大親分と呼ばしめた
男達である。
万年の好敵手と目された万年東一は独立派だが、この為なのか遅すぎる「時代遅れのテ
ロ」安部磯雄への襲撃事件(昭和13年)を担ぐ事になる。
【ライオンの場合】
万年より以前にテロの片棒を担いだ(影の日本共和国大統領「大山郁夫」への襲撃事件
を起こした)ライオン野口は優秀なボクシングの指導者であり、かつ、豪傑の風貌をも
つ男だった。熱血の人だった野口だが、後年、過激な門下生達が起こしたトラブルがこ
じれ周囲が泥が被りそうになった時、一人で電話をかけて血を見る事なく一瞬で終わら
せる神業を見せたという。
【霧の底への電話】
「誰に」電話をしたのか?という事だけは決して話さなかったので、もはや分からない
が @ヤクザでも、右翼でもないという事は衆目の一致する点である。まず、右翼陣営に
は貸しはあっても借りはなかった。戦後であれば児玉とか笹川の大物であれ頭を下げる
必要は欠片もない。嘉納健治の直参で岩田総帥の後輩の筋目もあり実績もある。海内屈
指の実力者である事は云うまでない。
想像力を広げれば大政翼賛を主導した内務省人脈<戦後も生き続ける官僚群とその支援
者たち>が相手だったのではと膨らむが、何故、堅気になった後も彼らと接触を持って
いたのか?
結論として体を賭けた事により「日本の霧の底」に足を踏み込み、何らかの信用を勝ち
得たのでは?という事になる。
野口の名誉のために言えば、彼は嘉納に心酔していたためにやった事で「貸し借り」の
為にやったのではない。
博奕打ちも的屋も愚連隊も「国家」の看板を背負わなければ息もできなかった時代に、
己の生き方を通して、かつ鉄雨のような嵐から仲間を守った万年の生き方はダンディズ
ムに満ちている。
【男で生きたい、男で死にたい】
一方、ボクシングのリングの上に血を流し続けた益戸克巳は東京の赤土の上の全てが燃
え尽き廃墟になった「その日」、焼け残ったコーナーポストにロープを張り門下生と屋
根のないジムを再開する。情熱の赴くままに「荒ぶる魂だけで眼前に屹立する山に挑み」
拳と魂を燃やし続ける日々を彼は過ごしていく。
後年、益戸について小説を書いている万年東一の胸中を去来したものが何だったのか。
どんな大物であれ、権力であれ頑然として他者の干渉を許さない。一面では暴力により
体と心に傷を負うだけの人生だが、同時に、生きるという事から昇華し男としてこうあ
りたい人生にまで蒸留された「益戸克巳」に対して自分だけが分かる男としての賛辞を
送りたかったのだろうか。
【巨人と詩人】
世間から見て現世の勝者となるのは万年だろう。彼はビジョンを持ち、それを相手に伝
える言葉を持つ。彼が消えてからも人のくちに膾炙し残る言葉だ。「任侠とは平気で損
が・・」と。
反面、益戸の生き方をどう表したらいいだろう。生きる殆どの人間は残すべき言葉を持た
ない。これも真理だ。
だから彼に触れた者が消えれば、彼の名前も消えていくのが宿命なのだろう。
「あの日」青空の下に復活した日東ジムは今も現存する。それだけが「詩」だ。
戦後、万年東一の系統から花形敬という男が登場し、益戸の系統を高橋輝男が継承するの
をみると歴史の面白さに興味はつきない。
115 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 12:33
百瀬氏の本に登場する「フーテンの博」というのは,インディアン初代の
高橋博のことで下町の不良の総帥で益戸とは切っても切れない仲。大組織
の幹部の多くも「インディアン」の流れを汲んでいる。
116 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 16:59
小林会の村田さんと関係あるん?
>>116 最近の話はよく知らないけど
益戸克巳−浦上信之−高橋輝男−小林楠男(楠扶)−直井二郎−村田氏
という系譜になるらしい。
インディアン?懐かしいねぇ。
初代の博氏は早くに亡くなり、二代目の実兄はいつも傘に「インディアン二代目」と彫り込んだものをもっていたね。
確か、初代の実子が住吉会の小岩の石川睦にいて(高橋正博氏)晩年は、小岩で面倒見てもらっていたと思う。
贅沢も何も無い時代の仁は、一味違うよね。。。。。
極めてヤクザ色が強い堅気
百瀬さん最強
百瀬さん、あんた蒼龍会で何勉強して来たの?
百瀬喧嘩強かったの?
百瀬がなんぼのもんじゃ!
極道にもなれんクスボリや!
あげ