筑豊の歴史つづきのつづき

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業者と行政、議会が癒着しました。
さらに暴力団。
炭坑では、労働者集めの口入れや、労働争議の弾圧のために、炭坑会社とヤクザ者の間には深いつながりがありました。
そうしたヤクザ者たちは、今度は公共事業の利権の配分に介入しました。
業者間の争い、行政や議会の腐敗。
不労所得者が多いために、賭博産業は栄えました。
パチンコ、公営ギャンブルの場外売り場が乱立。

筑豊の荒廃と闘ったのは、炭坑の黄金時代に文化事業にかかわった人々です。
三井のオーケストラや合唱団、絵画や書道のサークルは、市民の手に引き継がれました。
この三井のオーケストラの後身から育った有名な音楽家がいます。
ジャズピアノの山下洋輔さんです。

文化クラブを支えた人たちは、子どもに絵や音楽を教え、地域の荒廃から若い世代を少しでも守ろうと尽力しました。
しかし、皮肉なことに、そうした良心ある大人が育てた人材は、大学受験で次々と筑豊を去り、ほとんど帰ってきませんでした。
どちらかというと、こうした薫陶を受けなかった若者が多く地域に残り、荒廃を再生産することになりました。

地理的な条件が悪いうえ、高速道路もなく、人材も魅力がない、ということで、大きな企業はなかなか来てくれません。
宮田町にトヨタが来ましたが、工員の多くは北九州から来ているといいます。

しかし、私は、それでも筑豊の魅力を語りたいと思います。
一言でいうと、それは人情の厚さです。
困っている弱者に手をさしのべるのがあたりまえ。
地域で高齢者や障害者を支えるという意識が高いのです。

近代的な工場や観光施設はぜんぜんきてくれませんが、産業廃棄物処分場と、障害者や高齢者の施設はどんどん立地してきます。
障害者や高齢者など「生産性が低い」人間ばかり、この地域に送り込まれている実態は、ある意味で差別そのものであり、胸が痛む現象です。
しかし、車いすの障害者や、精神病院の通院者の社会活動に対し、積極的な市民的な支援が行われていることは誇れることでしょう。
阪神大震災の被災者への募金活動では、人口5万の田川市で、1カ月で1500万円以上集まりました。
これは市役所だけの分で、このほか企業や労組が独自ルートで募金やボランティアを出していました。
こうした精神は、炭鉱時代の互助精神によるものだと言われます。
危険な炭鉱労働で、お父さんがいつ死ぬかも、障害を負うかもわからない。
万が一のときには、仕事仲間の家族が遺族を支える。
そうした紐帯が今も生きているように思います。

政治が悪いから、筑豊がこうなった、というだけでは言い訳になるでしょう。
やはり、市民や企業家が、10年、20年先を描こうとせずに、その日暮らしを続けてきたことにも責任があります。

ニュースは残念ながら、筑豊の表面しか語りません。
指切り事件、町長射殺事件。
暴力団組長を狙った病院銃撃。
公立高校校内での生徒の覚醒剤使用。

夜明け前の闇が一番深い、と魯迅はいいました。
福岡や北九州の人に言いたい。
怖がり、いやがるのではなく、
どうしたら筑豊がよくなるのか、このボードに書いて下さいませんか。
筑豊はあなた方の隣人です。
筑豊がよくなれば、福岡や北九州の治安も多少よくなるのではありませんか。
2こっそりだどん:2001/05/19(土) 22:53 ID:AhURa33s [ jnCliC-211-3.ppp.justnet.ne.jp ]
だからってスレ立てなくてもと思うが

筑豊にヤンキーが多いのはなぜ?
3こっそりだどん:2001/05/20(日) 01:02 ID:m/KIldbk [ q12-dn03kurosaki.fukuoka.ocn.ne.jp ]
ヤンキー多いかい?
確かに居ることは居るけど、北九州もいっぱい居ますよ…?
と、元田川市民の飯塚市の学生、現北九州市民は語る