逆説的に真実を浮かび上がらせるには
1投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2003年05月20日(火) 17時58分09秒
少々歳を取り過ぎた

アイロニカルな生き様こそ
仏陀名無しの役割としたい
2投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2003年05月20日(火) 17時59分09秒

なんまいだ〜
なんまいだ〜
3投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2003年05月20日(火) 17時59分42秒
http://wwwsoc.nii.ac.jp/kss/taikai/taikai44/theme2.html
4投稿者:ヾ(゚д゚)ノ゛バカー  投稿日:2003年05月20日(火) 18時01分05秒
 評論家の芹沢俊介は、オウム真理教が衆議院選挙に挑戦したとき、なかなかおもしろいことをする教団だと感心したのだという。莫大な資金を使った大がかりな「アイロニー」を評価したのである。ところが、芹沢は、選挙で敗北した直後の麻原彰晃の発言から、彼らが「本気」だったと悟り、この教団への興味をすっかり失ってしまったという。この失望は、「アイロニカルに批判的な距離を取ること」と「本気に没入すること」とは両立しないという前提に立脚している。だが、われわれがこの教団の信者たちの行動に見るべきだったことは、両者は矛盾することなく一つの態度の内に結晶しうるということだったのではないか。さらに、「世代論」的な見地から捉えた場合には、「新人類(アイロニーの意識をもつこと)」と呼ばれた若者の類型の直接の後継者として「オタク(没入すること)」と呼ばれる若者たちが現れたときに、一見対立的なこれら二つの態度の共存や相互移行が予感されていたのではないか。
 オウム真理教徒の世界観や行動に関して、劇画的であるとか、仮想現実(ヴァアチャル・リアリティ)に準拠している等と論評されてきた。要するに、虚構と現実との間の混同が見られると指摘されてきたのだ。仮にこのような認定が正しいとしても、肝心なことは、虚構と現実との等置を導いているのが、今述べたような「アイロニカルな没入」であったと考えなくては、彼らがテロにまで導かれた理由を解明しつくすことはできない、ということである。一方には、虚構をまさに虚構として現実に対して距離化する態度があり、他方には、それを生き抜く没入がある。両者が合することによって、はじめて、ある行為がまったくの「悪」でありうることの覚めた認識をもちつつ、それをあえて実現することが、要するに「金剛乗」の教義に則った無差別テロが可能になるのだ。
 報告では、「アイロニカルな没入」が帰結しうる機制を、資本制が導く社会変容との関係で説明することになるだろう。もちろん、これは、「オウム」を鏡にして、「現代」を映し出す試みの一つである。
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